拝啓、王太子殿下さま 聞き入れなかったのは貴方です

LinK.

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第一話

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ここはとある世界のとある時代

イディオ国の王城の一室で…

綺羅びやかな服を着たこの国の第一王子ウィルフレッドが誰もを魅了する笑顔で言い放った。

「クリスティーナ、君との婚約は無かった事にしようと思うんだ」

その表情とは裏腹の不穏な言葉。

『する』と言い切るわけでもない、曖昧な表現。


部屋の隅に待機している護衛や使用人たちは、突然のことにハラハラとしながら
決して表情には出さずにことの成り行きを見守った。

幼い頃よりウィルフレッドの婚約者として研鑽してきたクリスティーナは一体なんと言って返すのだろう…?

泣き崩れるのか?それとも怒鳴り散らすのか?

もとより、ウィルフレッドに物申せる身分の者などこの場には誰一人いない。

しんと静まる室内で、誰もが一言も聞き漏らすまいと耳をそばだてる。


クリスティーナは顔を少し俯かせ「殿下のお心のままに」と、小さな声で答えた。

その声は震えていて、そう答えるのがやっとだったんだろう。表情こそ見えないが、きっと深く傷ついているに違いない。

誰もがそう思っていた。


それを聞いたウィルフレッドは満足したように頷く。

「今までの君の努力は称賛するものがあったよ。でもね、僕は大事なものに気が付いてしまったんだ」

そう得意げに語るウィルフレッド。

「それに、最近は君の良い噂をあまり聞かないよね。マリーに自分の地位を盗られるとでも思ったんだろうけど…。まぁ、これも僕が魅力的過ぎるのがいけないのかな?」

胸を反り返して声高らかに笑うウィルフレッドだったが、クリスティーナは何も答えない。自分に振られた事がよっぽど辛いんだろうとウィルフレッドは考えた。

「本当だったら処罰もあり得たんだけどね。今までの君の貢献を考慮して、白紙撤回に留めるように父上には進言するよ。悪いのはこの僕だからね」

この時になって、クリスティーナはやっと顔を上げてウィルフレッドに尋ねた。少し落ち着いたのか、声は震えていない。

「処罰とは…?私は何か不手際をしてしまったのでしょうか?」

「やれやれ」とウィルフレッドは大袈裟にため息を吐きながら顔を横に振り、手を額に当てる。

「君が僕とマリーの仲に嫉妬して、マリーを虐めていたことは知っているんだよ。本当なら僕達の婚約は破棄、君は今頃牢屋行きだったんだ。それなのにマリーは優しいから君に罰を与えないで欲しいと言うし、二人の女性を虜にしてしまう僕にも罪があると思ってね…。こうして白紙にしようと提案しているんだよ」

ウィルフレッドの言葉を聞いて、クリスティーナは再び顔を俯かせてしまった。

「そ、そのような事は致しておりません…」

またしても震える声で喋るクリスティーナ。なにかに耐えるかのような、とても苦しそうな声だった。

「君が僕のことを心から好いている事は知っているよ。長年一緒にいたから僕にも情はある。でも、こればかりは庇いきれないんだよ。証言があるからね…。城内でも君の悪い噂で持ちきりだよ」

「僕はなんて罪深い男なんだろう」と言いながら、ウィルフレッドは満面の笑みで天井を見上げている。

「違います。そのような事実はございません…」

証言があるというのに頑なに認めようとしないクリスティーナに苛立ったウィルフレッド。先程までの笑みは消え去り、冷たい表情でクリスティーナを見据えた。

「クリスティーナ、これは僕からの温情なんだよ?ここで婚約白紙に合意さえしてくれれば、君の願いを一つだけ叶えてあげよう。あぁ、僕の気持ちは手に入らないからね。それ以外の物にして欲しい。もし拒むようなら、今すぐ君を牢屋に連れて行かないといけないんだ。僕にそんなことをさせないでくれるよね?」

クリスティーナは息を呑んだ。緊張しているのだろう。身体を震わせ、自身を護るかのように両腕で身体を抱きしめている。

「白紙に否はございません。王子殿下のご温情に心より感謝申し上げます」

ウィルフレッドはほっと一息つくと、また笑顔に戻り、使用人に書類を用意させた。


使用人が持って来た書類には既に国王アレキサンダーとウィルフレッドの署名がなされていた。きっとクリスティーナが署名してすぐに受理されるのだろう。

(国王陛下のご署名が先に書かれているだなんて…。これは私が登城する前からの決定事項だったのね)

クリスティーナはそう思いながら書面の下に自分の名前を書く。

それを確認したウィルフレッドは書類を使用人に渡し、急いで神殿に持っていくように伝えた。

この国では婚姻も婚約も管理は全て神殿で行っている為、王族も例外ではない。平民はいつでも教会で手続きを行えるのに対し、貴族や王族には国王の許可と署名が必要なのだ。


使用人が部屋を出ていくのを見届けたウィルフレッドは、クリスティーナに向き直り、優しく尋ねた。

「今日中に手続きは終わるだろうね。物分りが良くて助かったよ。では、君の要望を聞こうか。僕にできることなら何でも叶えてあげよう」

「それでしたら………」


こうして二人の婚約は白紙に戻った。


二人の婚約が結ばれたのはウィルフレッドが5歳、クリスティーナが4歳の時。

10年もの期間続いた婚約が、紙切れ一枚の署名で、あっという間に無くなってしまったのだった。


「それでは私はこれで失礼させて頂きます」

俯いたまま立ち上がるクリスティーナを見て、ウィルフレッドは心が傷んだ。

「君にもきっと良いことが起こるよ。だから、僕に捨てられたと悲観しないで頑張って欲しい」

クリスティーナの小さな背中に声をかける。

「………良いことが起きてしまっては申し訳も立ちませんわ」

最初の言葉はよく聞こえなかったが、きっと動揺して上手く話せなかったんだろう。
マリーを虐めた上で処罰もないのだから、これ以上に望むこともないに違いない。

ウィルフレッドはそう思って、何も言えずにクリスティーナを見ていた。

「もうお会いすることも無いでしょうが…。ご多幸をお祈りしております」

そう言って微笑んだクリスティーナは美しかった。

初めて見るクリスティーナの作り物ではない笑顔に一瞬心を奪われてしまったウィルフレッドは思わず呼び止めてしまう。

「君が望むのなら僕の側室に迎えても構わない!」

「お戯れを…」

クリスティーナはそう言って足早に歩き始めた。


「クリスティーナがまさかあのように笑えるとは…。惜しいことをしたのかも知れない……。まぁ、いい。僕にはマリーがいるし、クリスティーナもきっと耐えきれなくなって助けを求めるだろう。その時に快く側室として迎え入れよう」

ウィルフレッドは一人でそう呟き、テーブルに用意された紅茶を飲んだ。

目の前には一切手の付けられていないクリスティーナに用意されたお茶と茶菓子が並んでいる。目上の者が用意した物に手を付けない事は無礼な行為ではあるのだが、ウィルフレッドは気が付かない。

使用人がクリスティーナに用意された食器を片付けるのを横目で見ながら、ウィルフレッドは窓に映る自分の顔を見つめていた。
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