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第二話
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その数日後、王都では前代未聞の出来事に激震が走った。
予てから決まっていた第一王子とその婚約者の婚約が白紙に戻ったという通達があったのだ。
第一王子の婚約者といえば、慈悲深くて身分の低い者にも別け隔てなく接する心優しい公爵家の令嬢として知られている。いつも寄り添う二人の姿が見られ、この国の将来は安泰だと皆が思っていた。
しかし、少し前からある噂が巷で流れるようになる。
「かのご令嬢は独占欲が強くて王子殿下が他の女性と話すことも許さないらしい」
「王子殿下に色目を使おうものならすぐに制裁されるらしい」
「先日王子殿下に贈り物をした何処かのご令嬢が消えてしまったらしい」
この話を聞いた人達はあの心優しい公爵令嬢がそんな事をするはずが無いとも思ったのだが、彼女も同じ人間だったのだと思って受け入れていた。
「嫉妬するくらいに王子殿下の事を慕っているということだろう。そこまで想ってもらえるなんて、なんと羨ましい」
「いつもみんなの為に頑張ってくれているのだから、その様な些細な事は可愛いものではないか」
「婚約者がいるのに色目を使った令嬢が悪いんだよ」
嫉妬に狂った醜い姿を晒した訳では無いし、大きな揉め事を起こしたわけでもない。彼女のような令嬢にそこまで愛されるなんて幸せだと、皆は王子を羨ましく思っていたのだ。
そんな時に知らされた二人の婚約白紙。
年頃の令息達は嘆き悲しむクリスティーナを慰めて、あわよくば次の婚約者の座を掴もうと躍起になる。心に傷を負った彼女を労る手紙や、あからさまな縁談や面会等の手紙を送り始めた。
クリスティーナは公爵家の一人娘。上手くいけば自分が次期公爵になれると、家の継げない次男三男は張り切り、嫡男達も見目麗しいクリスティーナと添い遂げたいと、実家を弟たちに譲ってでもと、気合を入れた。
年頃の令嬢達は自分がウィルフレッドと結ばれるかも知れないと喜んだ。お茶会を開いて情報収集に勤しみ、互いに牽制し合い、見初められようと自分に磨きをかけている。
各々の思惑が渦巻く中、誰も二人のその後を知る者はいない。
だが、王家から夜会の招待状がそれぞれの家に届いた。
夜会の日程は一週間後
まともに準備の出来る時間もない急な招待に遺憾に思った人々だったが、あの二人の事が聞けるに違いないと、皆が慌てて準備を始めた。
それぞれの後釜に座ろうと、夜会を出会いの場にする為に…
そして迎えた夜会当日
クリスティーナの姿はどこにも見当たらず、年頃の令息達は挨拶もそぞろに会場中を歩き回って探していた。年頃の令嬢達はめかし込み、褒めて貶し合う女達の戦いは既に始まっていた。
しかし、クリスティーナどころか公爵家が不在なのにも関わらず、王家が会場入りする時間になってしまう。
落胆と歓喜の声がどよめく中、国王アレキサンダーと王妃ロザリアに続いて第一王子ウィルフレッドが入場した。皆の視線は一点に注がれている。
誇らしげに歩くウィルフレッド………
の横を歩く可愛らしい少女。
彼女は一体誰なのだろう?皆の疑問はただ一つだった。その答えはすぐに聞かされる。
「皆の者、此度は急な招待にも関わらず、この場に集まったことに感謝する。今宵はめでたい報告があるのだ。ウィルフレッドの新たな婚約者が決まった」
アレキサンダー王の言葉にウィルフレッドと少女が前に出る。二人は驚く人々の顔を見渡し、とても誇らしげな顔をしていた。
「皆には報告を控えていたのだが、半年ほど前にこの国に聖女が現れた。彼女の名はマリー。マリーはウィルフレッドの伴侶となることに了承し、今後はこの二人が国を引っ張っていく事になる」
「半年ほど前」というアレキサンダー王の言葉に皆が思い当たったのは、クリスティーナの悪い噂話。
成る程… 聖女マリーが現れたからクリスティーナが嫉妬に狂ったんだと、皆が思った。
皆は今までウィルフレッドに尽くして来たというのに、ぽっと出のマリーにその座を奪われてしまって可哀想だと、クリスティーナに同情した。
しかし、この場には彼女も公爵家の者もいない。
誰もが疑問に思う中、誰も何も聞けないまま夜会が終わってしまった。
その数日後…
王都である劇が公開される。
辺境に住む少女がそこで怪我をした少年を助ける。彼女には不思議な力があり、少年の怪我をたちまち治すのだ。少年は傷を癒やしてくれた少女に恋をするが、彼には幼い頃に決められた婚約者がいた。
少女に惹かれる恋心と長年付き添った婚約者への思い。少年は婚約者を選び二人は離れたのだが、少年の住む王都で偶然再会してしまう。少女を忘れられない少年は思い悩むのだが、それを見た婚約者が嫉妬のあまり少女をあの手この手でいじめ倒すのだ。
許されざる恋をしてしまったのだからと耐え忍ぶ二人だったが、婚約者の行き過ぎた虐めに耐えきれなくなり、遂に少年は婚約者に別れを告げる。
嫉妬に狂った婚約者の犯した罪は他にもあり、彼女は身分を剥奪されて追放されてしまう。そして、ようやく結ばれた少年と少女は二人で幸せになると誓うのだ。
少年の葛藤や耐え忍ぶ二人の心情が人々の心を揺さぶり、婚約者の嫌がらせが怒りを募らせ、悪役が追放されて二人が結ばれる結末に皆が歓喜した。
この話は人から人へと伝えられ、この劇はウィルフレッドとマリーが結ばれた話を元にしたのではないか。クリスティーナは本当にその様な酷いことをしたのではないか。
そう噂が広まるようになっていく。
この噂を否定する者は誰もいなかった。公爵家の者もクリスティーナ本人も、あの通達以来表舞台に出てこないからだ。
次第に人々はこの劇が実話だと思うようになり、ウィルフレッドとマリーを応援し始めた。
王子と結ばれたいと思う年頃の令嬢も、公爵令嬢と結ばれたいと思う年頃の令息も、もう何処にも居ない。
そしてワトソン公爵家の当主がビリーに変わった事で、皆が確信した。ウィルフレッドは立太子し、人々は二人を心から祝福したのだった。
▷▷▷
王国の外れにある辺境の街
その街を出て、先にある国境に向かって二つの馬車が走っていた。
「途轍もない悪女になっているわね」
馬車の中にいる女性が愉快そうに話した。
「あの作家は才能があるわね。とても良く書けているわ。話に引き込まれてしまうもの」
女性の向かいに座る少女が楽しそうに答えるが「私は納得がいかないよ」と、女性の隣に座る男性が難しい顔をしている。
「そのお陰でこうして何事もなくこの国を出られるんですもの。細かい事は気にしなくても良いじゃない」
「それもそうだね…。こんな事が無ければ、こうして自由に動く事も出来なかったからね」
笑いながら話す三人は、件の公爵家の親子。
父ジェームズと母アメリア、そして一人娘のクリスティーナ。
劇の中では追放されて無様な姿を晒す公爵一家だが、実際の彼らは幸せそうに笑っている。
(違うとお伝えしたのだけれど、気付く日が来るのかしら?きっと知らないままの方が幸せでしょうね…)
クリスティーナはそんな事を思いながら、両親とこれからのことを楽しそうに語るのだった。
予てから決まっていた第一王子とその婚約者の婚約が白紙に戻ったという通達があったのだ。
第一王子の婚約者といえば、慈悲深くて身分の低い者にも別け隔てなく接する心優しい公爵家の令嬢として知られている。いつも寄り添う二人の姿が見られ、この国の将来は安泰だと皆が思っていた。
しかし、少し前からある噂が巷で流れるようになる。
「かのご令嬢は独占欲が強くて王子殿下が他の女性と話すことも許さないらしい」
「王子殿下に色目を使おうものならすぐに制裁されるらしい」
「先日王子殿下に贈り物をした何処かのご令嬢が消えてしまったらしい」
この話を聞いた人達はあの心優しい公爵令嬢がそんな事をするはずが無いとも思ったのだが、彼女も同じ人間だったのだと思って受け入れていた。
「嫉妬するくらいに王子殿下の事を慕っているということだろう。そこまで想ってもらえるなんて、なんと羨ましい」
「いつもみんなの為に頑張ってくれているのだから、その様な些細な事は可愛いものではないか」
「婚約者がいるのに色目を使った令嬢が悪いんだよ」
嫉妬に狂った醜い姿を晒した訳では無いし、大きな揉め事を起こしたわけでもない。彼女のような令嬢にそこまで愛されるなんて幸せだと、皆は王子を羨ましく思っていたのだ。
そんな時に知らされた二人の婚約白紙。
年頃の令息達は嘆き悲しむクリスティーナを慰めて、あわよくば次の婚約者の座を掴もうと躍起になる。心に傷を負った彼女を労る手紙や、あからさまな縁談や面会等の手紙を送り始めた。
クリスティーナは公爵家の一人娘。上手くいけば自分が次期公爵になれると、家の継げない次男三男は張り切り、嫡男達も見目麗しいクリスティーナと添い遂げたいと、実家を弟たちに譲ってでもと、気合を入れた。
年頃の令嬢達は自分がウィルフレッドと結ばれるかも知れないと喜んだ。お茶会を開いて情報収集に勤しみ、互いに牽制し合い、見初められようと自分に磨きをかけている。
各々の思惑が渦巻く中、誰も二人のその後を知る者はいない。
だが、王家から夜会の招待状がそれぞれの家に届いた。
夜会の日程は一週間後
まともに準備の出来る時間もない急な招待に遺憾に思った人々だったが、あの二人の事が聞けるに違いないと、皆が慌てて準備を始めた。
それぞれの後釜に座ろうと、夜会を出会いの場にする為に…
そして迎えた夜会当日
クリスティーナの姿はどこにも見当たらず、年頃の令息達は挨拶もそぞろに会場中を歩き回って探していた。年頃の令嬢達はめかし込み、褒めて貶し合う女達の戦いは既に始まっていた。
しかし、クリスティーナどころか公爵家が不在なのにも関わらず、王家が会場入りする時間になってしまう。
落胆と歓喜の声がどよめく中、国王アレキサンダーと王妃ロザリアに続いて第一王子ウィルフレッドが入場した。皆の視線は一点に注がれている。
誇らしげに歩くウィルフレッド………
の横を歩く可愛らしい少女。
彼女は一体誰なのだろう?皆の疑問はただ一つだった。その答えはすぐに聞かされる。
「皆の者、此度は急な招待にも関わらず、この場に集まったことに感謝する。今宵はめでたい報告があるのだ。ウィルフレッドの新たな婚約者が決まった」
アレキサンダー王の言葉にウィルフレッドと少女が前に出る。二人は驚く人々の顔を見渡し、とても誇らしげな顔をしていた。
「皆には報告を控えていたのだが、半年ほど前にこの国に聖女が現れた。彼女の名はマリー。マリーはウィルフレッドの伴侶となることに了承し、今後はこの二人が国を引っ張っていく事になる」
「半年ほど前」というアレキサンダー王の言葉に皆が思い当たったのは、クリスティーナの悪い噂話。
成る程… 聖女マリーが現れたからクリスティーナが嫉妬に狂ったんだと、皆が思った。
皆は今までウィルフレッドに尽くして来たというのに、ぽっと出のマリーにその座を奪われてしまって可哀想だと、クリスティーナに同情した。
しかし、この場には彼女も公爵家の者もいない。
誰もが疑問に思う中、誰も何も聞けないまま夜会が終わってしまった。
その数日後…
王都である劇が公開される。
辺境に住む少女がそこで怪我をした少年を助ける。彼女には不思議な力があり、少年の怪我をたちまち治すのだ。少年は傷を癒やしてくれた少女に恋をするが、彼には幼い頃に決められた婚約者がいた。
少女に惹かれる恋心と長年付き添った婚約者への思い。少年は婚約者を選び二人は離れたのだが、少年の住む王都で偶然再会してしまう。少女を忘れられない少年は思い悩むのだが、それを見た婚約者が嫉妬のあまり少女をあの手この手でいじめ倒すのだ。
許されざる恋をしてしまったのだからと耐え忍ぶ二人だったが、婚約者の行き過ぎた虐めに耐えきれなくなり、遂に少年は婚約者に別れを告げる。
嫉妬に狂った婚約者の犯した罪は他にもあり、彼女は身分を剥奪されて追放されてしまう。そして、ようやく結ばれた少年と少女は二人で幸せになると誓うのだ。
少年の葛藤や耐え忍ぶ二人の心情が人々の心を揺さぶり、婚約者の嫌がらせが怒りを募らせ、悪役が追放されて二人が結ばれる結末に皆が歓喜した。
この話は人から人へと伝えられ、この劇はウィルフレッドとマリーが結ばれた話を元にしたのではないか。クリスティーナは本当にその様な酷いことをしたのではないか。
そう噂が広まるようになっていく。
この噂を否定する者は誰もいなかった。公爵家の者もクリスティーナ本人も、あの通達以来表舞台に出てこないからだ。
次第に人々はこの劇が実話だと思うようになり、ウィルフレッドとマリーを応援し始めた。
王子と結ばれたいと思う年頃の令嬢も、公爵令嬢と結ばれたいと思う年頃の令息も、もう何処にも居ない。
そしてワトソン公爵家の当主がビリーに変わった事で、皆が確信した。ウィルフレッドは立太子し、人々は二人を心から祝福したのだった。
▷▷▷
王国の外れにある辺境の街
その街を出て、先にある国境に向かって二つの馬車が走っていた。
「途轍もない悪女になっているわね」
馬車の中にいる女性が愉快そうに話した。
「あの作家は才能があるわね。とても良く書けているわ。話に引き込まれてしまうもの」
女性の向かいに座る少女が楽しそうに答えるが「私は納得がいかないよ」と、女性の隣に座る男性が難しい顔をしている。
「そのお陰でこうして何事もなくこの国を出られるんですもの。細かい事は気にしなくても良いじゃない」
「それもそうだね…。こんな事が無ければ、こうして自由に動く事も出来なかったからね」
笑いながら話す三人は、件の公爵家の親子。
父ジェームズと母アメリア、そして一人娘のクリスティーナ。
劇の中では追放されて無様な姿を晒す公爵一家だが、実際の彼らは幸せそうに笑っている。
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