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第十五話
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それからの日々は、あっという間に過ぎていた。
刈り終えた羊の毛を小屋に持って行くと、領民達が洗浄や染色をして糸を紡ぐ。
出来上がった毛糸でアメリアや使用人達が率先して編んでいく。
畑に植えた作物はあと少しで実りを迎える。
クリスティーナはウィルと羊の世話をして、アメリアと編み物をして、
ゆっくりと、少しずつ、ターナー領が形になってきた。
そして今日、クリスティーナは15歳になった。
いつもの動きやすい服装ではなく、ドレスを着て化粧もしてもらった。
「誕生日おめでとう」
みんなに祝いの言葉を贈ってもらい、クリスティーナはウィルの元へ向かおうとする。
「その格好で行ったら迷惑をかけてしまうよ。今日の晩餐にウィルを招待したから、夕方には屋敷に来てくれる。それまで待っていなさい」
ジェームズに止められてしまったが、夜に会えると思うと嬉しかった。
早く夜になって欲しい。
クリスティーナは時計を何度も確認してしまう。
夕食の時間までは、親子水入らずで3人で過ごしていた。
この日のためにジェームズは休みを取り、成長したクリスティーナを祝いたかったのだ。
イディオにいればこんな事は出来なかっただろう。
あの時とは比べ物にならないほど家族の絆は深まり、一日中話は尽きなかった。
「もう少しで夕食の時間ね。クリスティーナはお化粧を直していらっしゃい」
辺りが暗くなり始めると、アメリアが侍女たちに頼んでクリスティーナを部屋に送った。
もうすぐウィルが来る。
クリスティーナはそわそわとしながら身だしなみを整えた。
侍女たちに褒められても、アメリア達に褒められても
「子供っぽくないかしら?」
何度も鏡を確認しに部屋に戻っていた。
屋敷に訪れたウィルは、いつもより小綺麗な格好をしている。
「誕生日おめでとう、クリス」
「来てくれてありがとう」
クリスティーナはお澄ましして、悠然と着席する。
「そうしてるとお嬢様みたいだな」
「私はれっきとした令嬢よ。今日で成人を迎えたんだもの」
二人のやり取りを見たジェームズは声を出して笑ってしまった。
「ウィル、忙しいのに来てくれてありがとう。こうしてクリスティーナの成人をともに祝えて嬉しいよ」
「いや、俺こそ大事な日に招待して貰えて嬉しいよ」
使用人達が配膳するのは、いつもより少し豪華な食事。
今までの誕生日よりも劣ってしまうが、それでもクリスティーナは嬉しかった。
両親とは色んな話を出来るようになって、飾らない笑顔も増えた。それに、今日はウィルもいる。
クリスティーナはやっと大人の仲間入りができたんだと、喜びを隠せない。
楽しかった食事も終わり、ジェームズ達が気を利かせてくれて、クリスティーナは一人でウィルを見送る。
「あ、そうだ。これ、誕生日のお祝い」
ウィルがポケットから小さな包みを取り出した。
「私に?ありがとう。開けてもいい?」
「大したもんじゃないけどな…」
ぶっきらぼうに結ばれた包みを開けると、中には木彫りの髪飾りが入っていた。
「素敵…。ウィルが作ったの?」
「まぁな」
クリスティーナは嬉しくなって、早速髪につける。
「どう?」
「似合ってるよ。もうクリスを子供扱いできないな」
家族で過ごす時間も、楽しい晩餐も、ウィルのくれた髪飾りも
どれも嬉しかったけど、その言葉が一番クリスティーナを喜ばせた。
「また明日」
そう言ったウィルを見送って、クリスティーナはそっと髪飾りを撫でる。
(誕生日がこんなに嬉しいものだなんて知らなかったわ)
今までの誕生日は、まるで執行猶予のようなものだった。
ウィルフレッドとの婚姻という死刑判決を言い渡される前にどうにかしなければ…
歳を取ると判決も近付く。そんな感覚で、心から喜べた試しがない。
クリスティーナは幸せな気持ちで眠りについた。
しかし、その幸せも長くは続かなかった。
ウィルがターナー領からいなくなる。遂にその日が来てしまった。
「クリスに言わなきゃいけないことがあるんだ…」
いつものように仕事を終え、二人で屋敷に向かって歩いている時だった。ウィルの声からは感情が読めない。
「どうしたの…?」
クリスティーナは予感していた。ここ数日のウィルはどこか思い詰めた顔をしていたので、いつかその日が来ると思っていたのだ。
「俺にはやらなきゃいけない事があるんだ。だから、ここを出て行くよ」
「そう…。わかったわ」
ウィルの予想に反して、クリスティーナは怒りも泣きもしなかった。
「気を付けてね。またいつか遊びに来てよ」
「あぁ…。またいつか」
屋敷の前で別れたウィルを笑顔で見送って、姿が見えなくなると走って部屋に戻る。
『明日』が『いつか』に変わってしまった。
クリスティーナは一人で声も出さずに泣いていた。
ウィルがいなくなる。そう思った時に、笑顔で見送ろうと決めた。
泣いたらウィルを困らせてしまう。
弱いところばかり見られていたから、最後くらい強くありたかった。
ウィルが自分を思い出す時に、泣き顔よりも笑顔を思い浮かべて欲しい。
だから、泣きたくても我慢した。
泣き腫らした顔を見せたくなくて、ウィルの見送りには行かなかった。
「本当に良かったのかい?」
見送りから帰って来たジェームズに尋ねられて、クリスティーナは無理矢理微笑んだ。
「これで良かったのよ」
それから、ウィルの代わりに新しく羊飼いを雇って、クリスティーナは今でも羊の世話をしている。
「わんわん」
牧羊犬がクリスティーナの足元に寄ってきた。
(この子の名前は最後まで教えてくれなかったわね…)
「サラ?ココ?ハナ?」
犬を撫でながら思い付く名前を呼んでも、きょとんと見るだけで反応してくれない。
「あなたのご主人様はなんていう名前を付けたの?」
犬が喋れるはずもなく、クリスティーナは立ち上がった。
「あなたの名前を呼べる人も、私をクリスと呼ぶ人も居なくなってしまったわ…」
「わん」
おすわりしていた犬も立ち上がる。
もしかして…
そんなわけない、そう思いながらクリスティーナは呼び掛ける。
「クリス…?」
「わんわん」
「あなたはクリスって言うの?」
クリスと呼ばれた犬はブンブンと嬉しそうに尻尾を振っていた。
刈り終えた羊の毛を小屋に持って行くと、領民達が洗浄や染色をして糸を紡ぐ。
出来上がった毛糸でアメリアや使用人達が率先して編んでいく。
畑に植えた作物はあと少しで実りを迎える。
クリスティーナはウィルと羊の世話をして、アメリアと編み物をして、
ゆっくりと、少しずつ、ターナー領が形になってきた。
そして今日、クリスティーナは15歳になった。
いつもの動きやすい服装ではなく、ドレスを着て化粧もしてもらった。
「誕生日おめでとう」
みんなに祝いの言葉を贈ってもらい、クリスティーナはウィルの元へ向かおうとする。
「その格好で行ったら迷惑をかけてしまうよ。今日の晩餐にウィルを招待したから、夕方には屋敷に来てくれる。それまで待っていなさい」
ジェームズに止められてしまったが、夜に会えると思うと嬉しかった。
早く夜になって欲しい。
クリスティーナは時計を何度も確認してしまう。
夕食の時間までは、親子水入らずで3人で過ごしていた。
この日のためにジェームズは休みを取り、成長したクリスティーナを祝いたかったのだ。
イディオにいればこんな事は出来なかっただろう。
あの時とは比べ物にならないほど家族の絆は深まり、一日中話は尽きなかった。
「もう少しで夕食の時間ね。クリスティーナはお化粧を直していらっしゃい」
辺りが暗くなり始めると、アメリアが侍女たちに頼んでクリスティーナを部屋に送った。
もうすぐウィルが来る。
クリスティーナはそわそわとしながら身だしなみを整えた。
侍女たちに褒められても、アメリア達に褒められても
「子供っぽくないかしら?」
何度も鏡を確認しに部屋に戻っていた。
屋敷に訪れたウィルは、いつもより小綺麗な格好をしている。
「誕生日おめでとう、クリス」
「来てくれてありがとう」
クリスティーナはお澄ましして、悠然と着席する。
「そうしてるとお嬢様みたいだな」
「私はれっきとした令嬢よ。今日で成人を迎えたんだもの」
二人のやり取りを見たジェームズは声を出して笑ってしまった。
「ウィル、忙しいのに来てくれてありがとう。こうしてクリスティーナの成人をともに祝えて嬉しいよ」
「いや、俺こそ大事な日に招待して貰えて嬉しいよ」
使用人達が配膳するのは、いつもより少し豪華な食事。
今までの誕生日よりも劣ってしまうが、それでもクリスティーナは嬉しかった。
両親とは色んな話を出来るようになって、飾らない笑顔も増えた。それに、今日はウィルもいる。
クリスティーナはやっと大人の仲間入りができたんだと、喜びを隠せない。
楽しかった食事も終わり、ジェームズ達が気を利かせてくれて、クリスティーナは一人でウィルを見送る。
「あ、そうだ。これ、誕生日のお祝い」
ウィルがポケットから小さな包みを取り出した。
「私に?ありがとう。開けてもいい?」
「大したもんじゃないけどな…」
ぶっきらぼうに結ばれた包みを開けると、中には木彫りの髪飾りが入っていた。
「素敵…。ウィルが作ったの?」
「まぁな」
クリスティーナは嬉しくなって、早速髪につける。
「どう?」
「似合ってるよ。もうクリスを子供扱いできないな」
家族で過ごす時間も、楽しい晩餐も、ウィルのくれた髪飾りも
どれも嬉しかったけど、その言葉が一番クリスティーナを喜ばせた。
「また明日」
そう言ったウィルを見送って、クリスティーナはそっと髪飾りを撫でる。
(誕生日がこんなに嬉しいものだなんて知らなかったわ)
今までの誕生日は、まるで執行猶予のようなものだった。
ウィルフレッドとの婚姻という死刑判決を言い渡される前にどうにかしなければ…
歳を取ると判決も近付く。そんな感覚で、心から喜べた試しがない。
クリスティーナは幸せな気持ちで眠りについた。
しかし、その幸せも長くは続かなかった。
ウィルがターナー領からいなくなる。遂にその日が来てしまった。
「クリスに言わなきゃいけないことがあるんだ…」
いつものように仕事を終え、二人で屋敷に向かって歩いている時だった。ウィルの声からは感情が読めない。
「どうしたの…?」
クリスティーナは予感していた。ここ数日のウィルはどこか思い詰めた顔をしていたので、いつかその日が来ると思っていたのだ。
「俺にはやらなきゃいけない事があるんだ。だから、ここを出て行くよ」
「そう…。わかったわ」
ウィルの予想に反して、クリスティーナは怒りも泣きもしなかった。
「気を付けてね。またいつか遊びに来てよ」
「あぁ…。またいつか」
屋敷の前で別れたウィルを笑顔で見送って、姿が見えなくなると走って部屋に戻る。
『明日』が『いつか』に変わってしまった。
クリスティーナは一人で声も出さずに泣いていた。
ウィルがいなくなる。そう思った時に、笑顔で見送ろうと決めた。
泣いたらウィルを困らせてしまう。
弱いところばかり見られていたから、最後くらい強くありたかった。
ウィルが自分を思い出す時に、泣き顔よりも笑顔を思い浮かべて欲しい。
だから、泣きたくても我慢した。
泣き腫らした顔を見せたくなくて、ウィルの見送りには行かなかった。
「本当に良かったのかい?」
見送りから帰って来たジェームズに尋ねられて、クリスティーナは無理矢理微笑んだ。
「これで良かったのよ」
それから、ウィルの代わりに新しく羊飼いを雇って、クリスティーナは今でも羊の世話をしている。
「わんわん」
牧羊犬がクリスティーナの足元に寄ってきた。
(この子の名前は最後まで教えてくれなかったわね…)
「サラ?ココ?ハナ?」
犬を撫でながら思い付く名前を呼んでも、きょとんと見るだけで反応してくれない。
「あなたのご主人様はなんていう名前を付けたの?」
犬が喋れるはずもなく、クリスティーナは立ち上がった。
「あなたの名前を呼べる人も、私をクリスと呼ぶ人も居なくなってしまったわ…」
「わん」
おすわりしていた犬も立ち上がる。
もしかして…
そんなわけない、そう思いながらクリスティーナは呼び掛ける。
「クリス…?」
「わんわん」
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