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しおりを挟む■都内某所 船神組事務所
極道者たちのたむろする場所でありながら普段は和やかな雰囲気が漂い、近所のおばちゃんが作りすぎた煮物を持ってきたりする謎にのどかな船神組事務所は、現在魔界からの使者でも湧き出すのではないかという黒い気配に覆われていた。
敵襲?いいや、そのような物騒な事件は何一つ起こっていない。
その暗黒は、他ならぬ組を束ねる人物、組長である黒崎征一郎より発生しているものであった。
事務所の主の部屋の前では、見るからにチンピラ然としたリーゼントと角刈りの組員二人が暗黒に怯えて立ち尽くしていた。
リーゼントが恐る恐る中の様子を窺い、無理だと首を振る。
「おい…今日の組長すっげー機嫌悪くね?」
「ああ…何か今にも暴れ出しそうっつーか…」
「普段は愛車に猫の足跡がついてようがマーキングされて異臭が漂ってようが…」
「事務所に入り込んだ猫にスーツを毛だらけにされようが笑って許すってのに一体何が……」
彼らの親分は、事務所の近辺に大量に住み着いている野良猫のどんな仕打ちにも『動物のやることだろ』と猫毛だらけのスーツで笑ってみせる、器のでかい漢の中の漢である。
そんな人がこんな暗黒を生み出すことになるほどの何が、起こってしまったというのか。
「今、中に入っていったら殺されるんじゃ……」
ぼそりと呟かれた不安に応えるように、内部から何かものすごい破壊音が聞こえてきて、二人はヒッと縮みあがった。
一方室内では。
深く椅子にもたれた征一郎は、腕組みをして眉を寄せ、思考の海に沈んでいた。
「(…あー…昨夜はやばかった…)」
特に怒っているわけではない。
真剣すぎて、周囲に尋常ならざる威圧感を生じさせてしまっているだけである。
昨晩のことが征一郎の頭を悩ませていた。
朝はお互いにいつも通りだったが、どこか気まずいような、白々しい空気が漂っていたように思う。
全てを知ってたいとは思わないが、言いたいことを飲み込んでしまうような関係は、よくない。
特にちびのことはわからないことが多くて、そばにいて話を聞くことでしか解決できそうもないというのに。
尤も、全て自分の過失である。
ちびに口淫をするように指を吸い上げられて、スイッチが入った。
あんな制御できない衝動を今まで生きてきた中で感じたことはない。
怖がらせてしまっただろうかと申し訳なく思う気持ちはあるのだが、同時にあのシチュエーションでスイッチが入るのがそんなに駄目なことか?という疑問もある。
そもそも、ちびは(芳秀の陰謀だったにしても)征一郎と『夜のお楽しみ』をしたいというスタンスだったはずだ。
そしてそれを征一郎が拒否していた。
拒否していた相手がその気になったのだから、両想いになってハッピーエンド……というわけではないのか。
嫌がってはいなかったと思う。
喜んでもいなかったが。
……………………。
「(まあ、あのままやっちまったところで、あいつはきっと文句は言わなかっただろうな……)」
それが、望まぬ行為だったとしても。
だからこそ、衝動のままに触れるようなことは慎まなければならないのだが。
征一郎は、ここまで来て、もう相手が男だからとかそういうことにこだわる気はなかった。
ちびは、単純に人(ホムンクルスだが)として信頼のおける、いい奴だ。
世間一般の言う恋愛の『好き』と同じになるにはもう少し時間がかかるにしても、好きだということにしてしまうことに何の問題も感じない。
「(見合い結婚……ってのもあるわけだしな。最初から惚れた腫れたの温度じゃなくても、そういう関係でもありだろ)」
結論としては、アリというところに達した。
ただ、気になるのは芳秀のことだ。
命にかかわるというのにエネルギー源について黙っていたことや、そもそもがこうなるように仕組まれていたような気がしてならないこと。
この選択が、吉と出るか凶と出るか。
「(あとは……あいつは本当にそれでいいのかってものそうだな。半強制的におれんとこに来ることにされてそのまま俺の相手になっちまって。昨夜は泣かしちまったし…)」
昨晩のことが脳内に再生される。
『あのおれ自分で…っあ、待っ…あ…っ』
上気した白い肌から匂い立つ、甘い香り。手に触れたそこは、熱くて、
ゴシャッ。
俺は事務所で一体何を回想してるんだ。
思い出しかったのはそこではないと、征一郎は記憶を打ち消すように机に頭突きをした。
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