溺愛極道と逃げたがりのウサギ

イワキヒロチカ

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 掴まれた場所から薄い布地越しに熱が伝わって、一気にあの時のことが蘇りそうになる。

 混ざる吐息、触れ合う粘膜が怖いくらいの快感を伝えて、何度も逞しい背中にしがみついた。
『竜次郎……すき……』
 想いに応えて抱きしめてくれた腕も、湊の中で震えて果てた熱も。
 何もかもが愛しくて、胸が詰まって泣き出してしまった湊の涙を、不器用に拭ってくれた指先も。
 本当に、大好きだった。

 …だけど、彼は好きになってはいけない人で。


「うちの大事な従業員に何か?」


 凛とした声に、過去に引き込まれそうになっていた湊はハッとして現在に立ち戻る。
 事態の推移を見守っていたオーナーが割って入ってくれたので、腕が解放されてほっとした。
 湊をかばうように立った彼の姿を見て、竜次郎は目を剥く。

「従業員!?湊、お前こんなヤクザの店で働いてんのか」

 オーナーがダークサイドの人間と付き合いがあることは、この店のスタッフであれば全員知っている。
 ただ、理不尽なことを要求をされたことは一度もなく、大事にされていると感じているため、それを不安に思うものはいなかった。スタッフにワケアリな人間が多いというのもある。
 それが正義だと思っているわけではないが、彼が金を巻き上げたり陥れたりするような相手は、きっとそうされて仕方ないような悪党だと。

 今も商談の相手だと言っていたのに、湊の方をかばってくれている。
 ほっとしたのも束の間、自分のせいでオーナーが不利益を被るようなことがあったらという不安が湧き上がってきた。

 …が。

「ちょっと?僕は若き実業家で、この店もごくクリーンな経営なんですけど」
「カネがヤクザに流れてりゃフロントなんだよ。何がクリーンだ」
「証拠とかあるの?ていうかそもそも君は直球でヤクザでしょ」
 意外とフランクな仲なのか、二人は軽い調子で言い合いをしている。
 竜次郎の家は、ヤクザというより昔ながらの任侠一家という感じのそれほど大きくない組だったように記憶している。
 一方、オーナーは自分で言っている通り、様々な事業を手掛ける実業家だ。ヤクザだとしたら経済ヤクザとかそういう部類だろう。
 二人の接点を謎に思っていると、

「うるせえな、いいから湊と話をさせろ」

 突然回り込むように覗き込まれて、ビクッと体を揺らした。
「ちょっと、うちの従業員が怯えてるでしょ。恐喝するのやめてくれる?」
 オーナーの言葉に竜次郎が怯むのを見て、湊は「違う」と首を振りそうになる。

 竜次郎を怖いと思ったことなんて一度もない。
 彼は同級生から怖がられていることを気に病んでいたし、湊はあの手が、どれだけ優しいかを知っている。

 …だけど、それは自分のためであってはいけなくて。

 グッと唇を噛み締めて、溢れてくる想いを抑え込む。
 そして、わざとらしくよろめくと。
「あっ……!すみませんオーナー、俺、持病の眼前暗黒感が酷くて……!今日は早退します!」

 眼前暗黒感=立ちくらみ

「オイ!?」
 明らかな仮病に、竜次郎のツッコミ混じりの呼び止める声が聞こえたが、バックヤードに一目散に逃げ込んだ。

 これ以上あの場所にいたら、自分がどんなことを言い出すかわからない。
 身を切るような想いで彼の前から姿を消して、空虚さと喪失感に苛まれながら、それでも頑張って生きてきたこの五年間を無駄にしたくはなかった。

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