3 / 188
3
しおりを挟む店長に一方的に早退すると告げて、店を飛び出して自室へと転がり込んだ。
実は、湊は『SILENT BLUE』の入っている高層ビルの居住階に住まわせてもらっている。それももちろんオーナーの好意で、他のスタッフも何人かご近所様だ。
何か特殊技能が必要な仕事で役立っているでもない自分達には破格の対応であり、どうしてそこまでしてくれるのかと、みんなで聞いてみたことがある。
彼は、長い睫毛を伏せてふっと笑うと、背後にキラキラとしたエフェクトを背負いながらこう答えた。
『それはもちろん自己満足だよ。恵まれない美青年に愛の手を差し伸べる僕は美しいでしょ。とはいえ、それほど特別なことをしてるつもりもないけどね。君達の働きに見合う対価をきちんと支払っているだけだから』
それを聞いたスタッフ一堂が、より一層自分を磨くようになったのは言うまでもない。
与えられた場所は、一人で暮らすには広すぎる部屋で、最初は落ち着かなかった。
ほとんど家にいることのない母と二人で暮らしていたから一人でいることには慣れていたのに、竜次郎のせいで誰かがそばにいる幸福を知ってしまったから。
その彼との辛い別れがあり、悲しさと寂しさで眠れない夜を過ごしていた五年前。
『ちょっと。クマもひどいしお肌も荒れてるけど。ちゃんと寝てる?可愛い顔台無しだよ?』
研修期間中だった。オーナーに指摘されて、素直によく眠れないことを告げると、翌日巨大なうさぎのぬいぐるみが届いた。
コミカルではなく、かといってリアルすぎない、おもちゃ売り場に置いてあるような素朴なうさぎだ。色はベージュで優しい色合いをしている。
『仲間がいれば少しは紛れるんじゃない?』
寂しいからとは言わなかったのに、そんなにわかりやすく表情に出ていたのだろうか。
ぬいぐるみ自体が嬉しかったと言うよりも、そうして見ていてくれる人がいるということに少しだけ孤独感が紛れて、持ち直すことができた。本当に、オーナーには頭が上がらない。
成人済みの男としてどうかと思うし、薄暗い部屋で見ると正直たまにホラー感を感じることもあるが、抱きしめるのにちょうどいいサイズで触り心地も抜群の巨大うさぎは大事な相棒だ。
ぎゅっと抱き締めてぼーっと現実逃避をしていると、インターフォンが鳴った。
唐突な早退を心配して来てくれたスタッフの誰かだろうか?あるいは店長が事情を聞きに?
応答するとモニターに映っていたのは、オーナーだった。慌ててドアを開ける。
「突然ごめんね。持病の立ちくらみの具合はどう?」
悪戯っぽく笑われて、少しだけ力が抜けた。
「すみません、今日は勝手に……」
「いいよ。事情があったんだよね?湊が理由もなく仕事を放り出したりしないことは僕もよく知ってる」
「オーナー……」
「ただ、松平竜次郎とは今後もちょっと関わらないといけない予定だから、少し話を聞いておきたいと思って」
聞かせてくれる?
気遣う声音は優しい。
上手く話せる自信はなかったが、恩人がわざわざ、片腕の土岐川すらも伴わず一人で訪れて聞かせて欲しいと言っているのに拒むことなどできなかった。
頷いて、中に通す。
リビングのソファに誘導すると、彼は部屋を見回して目を細めた。
「綺麗に使ってくれてるんだね」
部屋に人を招くことはほとんどないので、なんだか恥ずかしい。
「掃除は…好きなので。オーナー、何か飲みますか?」
何も言わずに出してもよかったが、わざわざ聞いたのは、急いでいる可能性もあるのではないかと思ったからだ。
「湊の飲みたいものを一緒に飲むよ」
こちらの配慮以上の気遣いが返ってきて、つい苦笑してしまった。
急がない、話しやすいように、と。
湊はお湯を沸かしながら、頂きものの紅茶の中でもグレードの高いものを吟味し始めた。
52
あなたにおすすめの小説
ノリで付き合っただけなのに、別れてくれなくて詰んでる
cheeery
BL
告白23連敗中の高校二年生・浅海凪。失恋のショックと友人たちの悪ノリから、クラス一のモテ男で親友、久遠碧斗に勢いで「付き合うか」と言ってしまう。冗談で済むと思いきや、碧斗は「いいよ」とあっさり承諾し本気で付き合うことになってしまった。
「付き合おうって言ったのは凪だよね」
あの流れで本気だとは思わないだろおおお。
凪はなんとか碧斗に愛想を尽かされようと、嫌われよう大作戦を実行するが……?
優しい檻に囚われて ―俺のことを好きすぎる彼らから逃げられません―
無玄々
BL
「俺たちから、逃げられると思う?」
卑屈な少年・織理は、三人の男から同時に告白されてしまう。
一人は必死で熱く重い男、一人は常に包んでくれる優しい先輩、一人は「嫌い」と言いながら離れない奇妙な奴。
選べない織理に押し付けられる彼らの恋情――それは優しくも逃げられない檻のようで。
本作は織理と三人の関係性を描いた短編集です。
愛か、束縛か――その境界線の上で揺れる、執着ハーレムBL。
※この作品は『記憶を失うほどに【https://www.alphapolis.co.jp/novel/364672311/155993505】』のハーレムパロディです。本編未読でも雰囲気は伝わりますが、キャラクターの背景は本編を読むとさらに楽しめます。
※本作は織理受けのハーレム形式です。
※一部描写にてそれ以外のカプとも取れるような関係性・心理描写がありますが、明確なカップリング意図はありません。が、ご注意ください
【完結】※セーブポイントに入って一汁三菜の夕飯を頂いた勇者くんは体力が全回復します。
きのこいもむし
BL
ある日突然セーブポイントになってしまった自宅のクローゼットからダンジョン攻略中の勇者くんが出てきたので、一汁三菜の夕飯を作って一緒に食べようねみたいなお料理BLです。
自炊に目覚めた独身フリーターのアラサー男子(27)が、セーブポイントの中に入ると体力が全回復するタイプの勇者くん(19)を餌付けしてそれを肴に旨い酒を飲むだけの逆異世界転移もの。
食いしん坊わんこのローグライク系勇者×料理好きのセーブポイント系平凡受けの超ほんわかした感じの話です。
ウサギ獣人を毛嫌いしているオオカミ獣人後輩に、嘘をついたウサギ獣人オレ。大学で逃げ出して後悔したのに、大人になって再会するなんて!?
灯璃
BL
ごく普通に大学に通う、宇佐木 寧(ねい)には、ひょんな事から懐いてくれる後輩がいた。
オオカミ獣人でアルファの、狼谷 凛旺(りおう)だ。
ーここは、普通に獣人が現代社会で暮らす世界ー
獣人の中でも、肉食と草食で格差があり、さらに男女以外の第二の性別、アルファ、ベータ、オメガがあった。オメガは男でもアルファの子が産めるのだが、そこそこ差別されていたのでベータだと言った方が楽だった。
そんな中で、肉食のオオカミ獣人の狼谷が、草食オメガのオレに懐いているのは、単にオレたちのオタク趣味が合ったからだった。
だが、こいつは、ウサギ獣人を毛嫌いしていて、よりにもよって、オレはウサギ獣人のオメガだった。
話が合うこいつと話をするのは楽しい。だから、学生生活の間だけ、なんとか隠しとおせば大丈夫だろう。
そんな風に簡単に思っていたからか、突然に発情期を迎えたオレは、自業自得の後悔をする羽目になるーー。
みたいな、大学篇と、その後の社会人編。
BL大賞ポイントいれて頂いた方々!ありがとうございました!!
※本編完結しました!お読みいただきありがとうございました!
※短編1本追加しました。これにて完結です!ありがとうございました!
旧題「ウサギ獣人が嫌いな、オオカミ獣人後輩を騙してしまった。ついでにオメガなのにベータと言ってしまったオレの、後悔」
発情期のタイムリミット
なの
BL
期末試験を目前に控えた高校2年のΩ・陸。
抑制剤の効きが弱い体質のせいで、発情期が試験と重なりそうになり大パニック!
「絶対に赤点は取れない!」
「発情期なんて気合で乗り越える!」
そう強がる陸を、幼なじみでクラスメイトのα・大輝が心配する。
だが、勉強に必死な陸の周りには、ほんのり漂う甘いフェロモン……。
「俺に頼れって言ってんのに」
「頼ったら……勉強どころじゃなくなるから!」
試験か、発情期か。
ギリギリのタイムリミットの中で、二人の関係は一気に動き出していく――!
ドタバタと胸きゅんが交錯する、青春オメガバース・ラブコメディ。
*一般的なオメガバースは、発情期中はアルファとオメガを隔離したり、抑制剤や隔離部屋が管理されていたりしていますが、この物語は、日常ラブコメにオメガバース要素を混ぜた世界観になってます。
【完結】極貧イケメン学生は体を売らない。【番外編あります】
紫紺
BL
貧乏学生をスパダリが救済!?代償は『恋人のフリ』だった。
相模原涼(さがみはらりょう)は法学部の大学2年生。
超がつく貧乏学生なのに、突然居酒屋のバイトをクビになってしまった。
失意に沈む涼の前に現れたのは、ブランドスーツに身を包んだイケメン、大手法律事務所の副所長 城南晄矢(じょうなんみつや)。
彼は涼にバイトしないかと誘うのだが……。
※番外編を公開しました(2024.10.21)
生活に追われて恋とは無縁の極貧イケメンの涼と、何もかもに恵まれた晄矢のラブコメBL。二人の気持ちはどっちに向いていくのか。
※本作品中の公判、判例、事件等は全て架空のものです。完全なフィクションであり、参考にした事件等もございません。拙い表現や現実との乖離はどうぞご容赦ください。
結婚初夜に相手が舌打ちして寝室出て行こうとした
紫
BL
十数年間続いた王国と帝国の戦争の終結と和平の形として、元敵国の皇帝と結婚することになったカイル。
実家にはもう帰ってくるなと言われるし、結婚相手は心底嫌そうに舌打ちしてくるし、マジ最悪ってところから始まる話。
オメガバースでオメガの立場が低い世界
こんなあらすじとタイトルですが、主人公が可哀そうって感じは全然ないです
強くたくましくメンタルがオリハルコンな主人公です
主人公は耐える我慢する許す許容するということがあんまり出来ない人間です
倫理観もちょっと薄いです
というか、他人の事を自分と同じ人間だと思ってない部分があります
※この主人公は受けです
借金のカタに同居したら、毎日甘く溺愛されてます
なの
BL
父親の残した借金を背負い、掛け持ちバイトで食いつなぐ毎日。
そんな俺の前に現れたのは──御曹司の男。
「借金は俺が肩代わりする。その代わり、今日からお前は俺のものだ」
脅すように言ってきたくせに、実際はやたらと優しいし、甘すぎる……!
高級スイーツを買ってきたり、風邪をひけば看病してくれたり、これって本当に借金返済のはずだったよな!?
借金から始まる強制同居は、いつしか恋へと変わっていく──。
冷酷な御曹司 × 借金持ち庶民の同居生活は、溺愛だらけで逃げ場なし!?
短編小説です。サクッと読んでいただけると嬉しいです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる