溺愛極道と逃げたがりのウサギ

イワキヒロチカ

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 やがて見知った場所が見えてくると、目的地よりはだいぶ手前で降ろしてもらい、八重崎に別れを告げて、松平組の事務所へと向かった。

 ぶらぶら歩きながら考えるのは、やはり竜次郎のことだ。
 今日の湊の行動を竜次郎はどう思っているだろうか。
 普段は随分日が高くなるまで布団の中に引き留められるのに、今日はこんな時間から事務所にいるというのは、湊が言葉通り友人と遊びに行ったとは思っていないということだろう。
 竜次郎が何故中尾のシマに足を運んだのかと聞いてきたら、特に隠すつもりはなかった。
 湊も別に無策で、立場上は敵地と呼べる場所に赴こうとしたわけではない。八重崎が一緒ではなかったら、もう少し接触する場所は考えただろう。八重崎がオーナーや三浦にとって失えない人物であるという打算と、危険な場所ならば湊を伴うことはしないだろうという信頼がきちんとあった。
 湊が中尾側についたと思われる可能性はあるだろうか?
 ……その心配はあまりしていない。竜次郎への信頼というより、湊は自覚は薄いがオーナー側、つまり黒神会側でもあるのだから、少なくとも中尾側についたとは思われないだろう。

 八重崎との待ち合わせが六時と早朝だったため、未だ朝と呼べる時間帯だ。目につくのは、やはり学生や会社員風の人達で、のんびり歩く湊は少し浮いているような気がした。
 こんな時間に外を歩くことはほとんどない。
 …というよりも、高校を卒業して以来外出自体が極端に減っていた。
「(よく考えると……ひきこもりみたいなものだよな……)」
 竜次郎と再会しなかったら、こんな風に外に出ることもなかったかと思うと複雑な気持ちになる。
 こうして中尾とコンタクトを取ろうとしているのだって竜次郎に無事でいて欲しいからというのが動機で、ひょろひょろ外に出ていけるのも竜次郎が待っていてくれると思えばこそだ。
 行動理由が竜次郎しかない自分が重すぎて辛い。

 己の業にやや暗澹とした気分になりながら歩いていると、事務所に到着した。
 年季の入ったドアを開ければ、気付いた男達が出迎えてくれる。
「湊さん、お疲れ様です!」
「お疲れ様っす」
 威勢の良い挨拶に紛れて「おいタバコ消せ!」という潜めた声が聞こえてきて申し訳ない気持ちになった。自分が気にするなと言ってもあまり意味はなさそうなので、そこは竜次郎に言っておこうかと思う。
「竜次郎は奥ですか?」
「もう、お待ちかねですよ」
「朝っぱらから、なんか嫁さんの出産待ちの旦那みたいなソワソワぶりだったよな」
「腹の減ったゴリラじゃね?」
「それ」
 ひどい言われようだと苦笑する。湊には竜次郎にガチムチだのゴリラだのというほどごついイメージはないのだが。
 こうしていじられるということは親しみやすさのあらわれかな、と勝手に解釈して、彼らが自分の悪口を聞きつけた代貸様に鉄拳制裁を食らう前にと竜次郎のもとへ急いだ。

 ノックの返事を待ってからドアを開けると、竜次郎が窓を背にしたデスクから立ち上がる。
「竜次郎、おはよう」
「……おう。用事とやらはもういいのか」
「うん。いいお店だったよ」
「……………………そうか」
 竜次郎はそれ以上は何も聞かなかった。
 言うまでは黙っておこうと思っているのか、あるいは聞いてしまえばやめろと言わざるを得ないので、出来る限りは好きにさせてくれようということなのだろう。優しさに付け込んでいるようで少し胸が痛むが、その信頼に応えられるような何かが成せたらいいと思う。

 互いの距離が縮まると、ついべったりとくっついてしまいたくなるが、ここは事務所なのだと自制する。
 色々と今更かもしれないが、我慢できるときは気を遣うべきだ。
「俺、今ここにいても平気?お仕事の邪魔してないかな?」
「お前には今まさにここでやるべきことがあんだろ」
「え?何?」
「昨夜お前に振られて傷心な俺の機嫌をとるという仕事が」
 竜次郎は不機嫌そうでもなくいつもと変わらない調子で、傷心というほど元気がないようには見えないが、それはなんなら率先してやりたい仕事だ。
 湊は素直に「わかった」と頷いた。
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