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番外編 ノーコン天使はキューピッド?
しおりを挟む「…………またかい?」
目の前に置かれたものを見て、ラムダは眉根を寄せながらため息をつく。
彼の視線の先、砕け散ったと思しき宝石の欠片が白い布の上で蒼く煌めいていた。
それは、先だって親友の婚約者に贈った彼の渾身の作品……であったもの。
強大な魔力を上手く制御できない天使エイレーネのためにと親友であるラフィエルから頼まれて制作した魔力の制御装置だった。
天使と悪魔のこのカップルが先日起こした騒動で、エイレーネの制御装置は壊れてしまった。
前の製作者に新しいものを頼んでもよかったのだが、結婚後魔界で暮らすことになる彼女がメンテナンスしてもらいやすいように魔界の魔道具師に頼んだ方がいいだろうということになったのだ。
そして、エイレーネの力を知る者(魔王も含む)が口を揃えて推挙したのが、魔界随一の腕を誇るラムダである。
ラムダも親友への婚約祝いということもあり、張り切って制作したのだった。
彼女が以前着けていたものと同様、ピアスの形でと頼まれて。
しかも、新しく作るならせっかくなので揃いのアクセサリーも兼ねて互いの瞳の色をということで、ラフィエルには翡翠色(こちらは普通のピアス)、エイレーネには瑠璃色の宝玉を使って作られた。
その結果、デザイン的にも機能的にも大変素晴らしいものに仕上がった。
ラフィエルもエイレーネもとても喜んでいたのだ。
が。
向かいに座っている親友とその婚約者をじろりと見遣って。
「あのさあ……これで三度目なんだけど?」
ラムダは指先でとんとんとテーブルを叩く。
「ごっごめんなさい……っ!」
エイレーネが申し訳なさそうに頭を下げてくる。
ラフィエルの膝の上に座らされ、抱き込まれている状態で。
(彼女は何度も下りようともがいていたが、ラフィエルが許さず結局そのまま膝の上である)
その姿を前に、ラムダの眼差しが生温かいものになってしまうのは仕方のないことだろう。
親友のこの溺愛っぷりを見れば、制御装置の壊れた原因など容易く想像がつくというものだ。
「エイレーネちゃんだけのせいじゃないことはわかってるよ。どうせ、そこの色ボケ男が制御装置が壊れるようなことをやらかしたんだろう?」
彼の言葉に顔を真っ赤にしたのは、エイレーネの方で。
「仕方ないだろう、レーネが可愛すぎるのが悪いんだ」
『色ボケ男』と称されたラフィエルの方は、至って涼しい顔のまま惚気てくる。
「おいおい、婚前交渉は結婚するまで禁止って、大天使次長にも言われてるだろうに」
呆れ顔で未来の舅の言葉を持ち出してみれば。
ラフィエルは彼の婚約者が更に赤面するような台詞を平気で口にする。
「要は、最後までしなければいいんだろう?」
「ラフィ……!」
羞恥に耐えかねた少女がぽかぽかと逞しい腕を叩くが、ラフィエルにとっては子猫がじゃれている程も感じないだろう。
「だからといって、貴重な魔道具を三回も壊されるのは、流石に製作者としては苦言を呈したいね。素材だって結構希少なものなんだし、そんな簡単に新しいものが作れる訳じゃないんだから」
彼の文句は元凶たるラフィエルに向けられたものだったが、エイレーネは自分が言われたと思ったようだった。
泣かんばかりに顔を歪め、必死の面持ちで謝ってくる。
「本当に、ごめんなさい……! ラムダ様がせっかく作って下さったものを三回も壊してしまって……!
もう、もう、絶対壊しません! ラフィとはもう結婚式まで一切そんなことしませんから……」
「そんな……! レーネに触れられなければ、俺の方が持たないよ……!」
語るに落ちるというか、最早何をしていたのか丸わかりの台詞である。
はーっと特大のため息をつくラムダだったが、涙目の天使が気の毒になり、それ以上彼を責めるのをやめることにした。
それに、彼にはまだ言いたいことがあったのだ。
「まあ、エイレーネちゃんの魔力の限界を見誤っていた、というか我々の想定以上だったというのもあるから……また別の術式を考えてみるよ。それに……三回も壊してくれたおかげで、私は運命の人と更に親睦を深められたようなものだし」
「え……っ?」
突然のラムダの言葉に、目を丸くするエイレーネ。
ラフィエルも「運命の人??」と首を傾げている。
「あの……ラムダ様、運命の人って……?」
「君のおかげだよ。君の制御装置を作る際に、前の制作者と会って色々君の魔力情報を貰ったり打ち合わせる必要があったんだけど。その時に運命の出会いをしたんだ……!」
その相手を思い起こしているのだろう、うっとりと視線をさ迷わせるラムダ。
琥珀色の双眸が柔らかく溶ける。
そんなラムダにエイレーネが恐る恐る声を掛けた。
「えっと……前の制作者って、ダーナ姉様ですよね?」
「そう! ああ、愛しいダーナ! あの深淵なる知性を秘めた紫水晶の瞳、美しい虹色の髪、何より魔道具に関する膨大な知識、あの斬新な発想には目を瞠るものがある! 私が探していた伴侶は正に彼女だったんだよ!」
彼女の素晴らしさを滔々と語るラムダ。
その話を聞き流しつつ、こっそりとラフィエルがエイレーネに問いかける。
「レーネ、お姉さんがいたのか?」
「あ、ダーナ姉様は母方の従姉なの。魔道具の開発にかけては第一人者って言われてるクレーニュ様の一番弟子でね。私の力が強すぎるせいで制御装置が作れないと言われてた中、唯一製作を引き受けてくれた人でもあるの」
「へえ……」
天界随一の魔道具師クレーニュの名前は魔界でもよく知られている。
その一番弟子とくれば、腕前も相当なものだろう。
実際、エイレーネのあの強大な魔力を抑えていた以前の制御装置は、ラムダも感心するほどの作りだったらしい。
「ただ……なぜラムダ様がダーナ姉様の髪が虹色だということを知ったのかが気になるわ」
「? どうして? そんなの見ればわかるだろう」
「違うの。ダーナ姉様は確かにラムダ様が言われた通り、紫の瞳に虹色の髪のとても綺麗な人なんだけど……そのままだとたくさんの男の人が寄ってきて鬱陶しいからって、研究で使う分厚い眼鏡をいつも掛けてて、髪もひっつめてその上から色を誤魔化す魔法をかけているのよ。ものすごーい魔道具オタクで、研究する時間を一切雑事で邪魔されたくないと言っていたから……」
エイレーネも非常に美しい少女であるが、その従姉であるダーナもかなりの美女らしい。
尤も、かなりの変人でもあるようだが。
魔道具オタクという意味ではラムダも似たり寄ったりの変人なので似合いのカップルだろうと思ったラフィエルだった。
「ああ……ラムダには多分その魔法は効かないんじゃないかな。魔道具には内部構造を隠すための防衛魔法が掛けられてることが多いから。簡単なものであれば、こいつならすぐに見通してしまうだろう」
「言っておくけど、別に、私は彼女の美しさだけに惹かれたんじゃないからね! あの知性、洞察力、柔軟な視野、そして何より……あの笑顔!!」
「「は、はあ……」」
ラフィエルの台詞に被せるようにして、ラムダが言い募る。
力説する友人の勢いにちょっとだけ引いてしまった二人だった。
「私が作ったお菓子を食べる時の、あのふにゃっとした愛らしい笑顔といったら、もう……!」
その笑顔を思い浮かべたのだろう、ふるふると悶える様は、せっかくの美貌も台無しである。
「た、確かに、ダーナ姉様は甘いもの大好きだけど……って、あの、ラムダ様はダーナ姉様ともう……お付き合いされているのですか?」
おずおずとエイレーネは先程から気になっていた疑問をぶつけてみる。
それに対して、ラムダは苦笑しながら首を振った。
「……残念ながら、まだだよ。けど、打ち合わせと素材探しと称して何度か会って話してる内に、かなり心を開いてくれたと思うよ。『師匠を除けば、こんなに魔道具の話ができる人は初めて』って言ってもらえたしね」
ラムダの言葉にエイレーネは目を瞠った。
あのダーナにそんな台詞を言わしめたのは、ラムダが初めてではないだろうか。
普通の男では、多少の知識があったところでまず魔道具の話についてこられない。
話が通じないとわかると、ダーナは途端に背を向けその場を立ち去るのだから。
エイレーネの感嘆の眼差しに、ラムダは悪戯っぽく笑った。
「それで、ダーナは私の作るお菓子が大好きなんだって。毎日でも食べたいってさ。胃袋はしっかり掴んだし、後は結婚に向けて口説き落とすのみ! 天使と悪魔のカップルは既に君たちという前例があるからね」
ぐっと拳を握るラムダに、エイレーネもまた笑顔を返す。
実の姉のように慕っているダーナをこうまで大切に思ってくれている彼ならば、と。
ラムダにエールを送ることにした。
「頑張ってくださいね。ダーナ姉様は魔道具オタクで色々鈍感な所もあるんだけど、とても優しい人なの。ラムダ様ならきっと……大丈夫です」
「ふふ、ありがとう。従妹殿の応援ももらったことだし、ますます頑張るよ。それじゃ、午後からまたダーナと会う約束してるから、そろそろ行くね」
女性と見紛うほどの美しい顔を綻ばせ、銀髪の青年は立ち上がる。
「ダーナ姉様によろしく」
「うん。君のこと、ダーナはとても心配していたから。ラフィエルと幸せそうにしてる君の話をすると、とても喜ぶんだ」
遠く離れた天界にいる従姉のその気持ちが嬉しかった。
じわりと熱くなる胸を押さえて、エイレーネは微笑んだ。
「手紙にも書くけど、結婚式には呼ぶから必ず来てねって伝えて下さい」
「勿論だよ! という訳だからね、何回制御装置壊したって大丈夫! 私とダーナとでまた色々改良していく楽しみがあるんだから。あ、でも、費用は当然ラフィエルに持ってもらうよ?」
「ありがとう。でも、もうなるべく壊さないように頑張るわ」
「レーネにかかる費用ならいくらでも払うから心配するな」
「よろしくね。でも、制御装置ないからしばらくお預けだねぇ? お気の毒様」
にやりと笑って捨て台詞を残し、ラムダは去っていった。
「…………ったく、あいつは……ひと言多いんだ」
ぶつぶつと零すラフィエルは、かなり年上とは思えぬほど子供っぽい。
そんな様子が可愛くて思わずエイレーネが笑みを洩らせば。
「何笑ってる」
「ラフィが可愛くて」
「可愛いのはお前だろう」
ちゅ、と頬にキスが落ちてくる。
ぐっと横向きに抱き直されて、視線を合わされた。
蒼い瞳が優しく微笑むのにどきりとしながら、再度近づいてくる唇を手でそっと押しとどめる。
「また物を壊したらいけないから、もうキスより先はしないでね」
「…………防御結界を張るからいいだろう」
制御装置なしでもまだキスの先へ進もうというのか。
半ば呆れながら、彼女は恋人を根気強く窘める。
「結界の中はめちゃくちゃになるでしょう。下手すると結界が破れるかもしれない。制御装置がなかったら危険すぎるわ」
「それでもいい。俺はレーネに触れたい。それに、このペースだと初夜に間に合わないかもしれないぞ?」
「しょっ……初夜って……!」
半年後の結婚式の夜を仄めかされて、エイレーネの顔は真っ赤に染まった。
そういった知識を得た今、愛する人と一つに繋がりたいと思う気持ちは彼女とて同じ。
ただ、そのプロセスが何も知らぬ処女であった彼女には、あまりにも恥ずかしすぎ刺激が強すぎるのだ。
事前に説明を受けていても、いざ触れられれば感情が高ぶり、箍が外れることによって力が暴走してしまう。
その結果が、三度の制御装置の破壊である。
本当に間に合うのか……今の進捗具合を考えて、エイレーネは暗澹たる気持ちになった。
もし間に合わなかったらどうしよう、と。
ラフィエルの目を正視できずに俯く。
「それでも……私はあなたに怪我をさせたくないの。だから、新しい制御装置が来るまではダメ」
呟きのような声で答えると、頬を包んだ大きな手に顔を上げさせられる。
強い眼差しが真っ直ぐにエイレーネを捉え、目を逸らせなくなってしまう。
「先に言っておくぞ。間に合おうが間に合うまいが、初夜には必ずお前を最後まで抱く。覚悟しておけ」
彼女の不安は、ラフィエルにはお見通しだったらしい。
こつん、と額を合わせ、覗き込んできた瞳は甘やかな熱を孕んでいた。
胸の奥底から同じ熱と嬉しさが込み上げてくる。
「…………うん」
小さく、しかしはっきりと頷くと。
彼女にはとことん甘い恋人はくすりと笑って。
「よろしい」
今度こそ唇へと情熱的に口づけた。
その一か月後。
「ダーナがプロポーズ受けてくれたー! これから悪魔と天使のカップル第二号としてよろしく!」
満面の笑みを浮かべたラムダに嬉々として報告されることを、二人はまだ知らない。
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