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第08話 痕跡がない
シルフィーと過ごす気の無かった夜を過ごし、ドウェインは屋敷に帰ってきた。
「今帰った‥‥アイリーンは?」
出迎えた家令と数人の使用人にドウェインは問うた。
この時間ならもうアイリーンは起床しているし、朝食も終わって寛いでいる時間だ。
今まで出迎えてくれなかったのは帰宅が日付も超えた深夜になった時くらい。その時は寝台で眠っていたがこの時間に起きていない事は考えられなかった。
「アイリーン?どちら様です?旦那様!もしや愛するお方が出来たのですか?!」
「は?何を言ってるんだ。アイリーンは妻だ!結婚して3年だぞ?!」
「旦那様。勤務を減らされては如何です?お疲れも溜りに溜って起きたまま夢でも見られているのですか?」
「ばっ!バカな事を言うな!疲れているとすればお前だ!呆けたのか?」
知らぬ存ぜぬを通す家令ではなく、アイリーンの側付きにしていたジェシーを呼べと命じた。
「ジェシー?はて…。旦那様。そのような使用人はおりませんが?」
「いないだと?いるだろう!」
「誰か、旦那様を寝室にお連れしてくれ。お疲れのようだ」
確かに明け方までシルフィーと腰を打ち付け合っていたので寝不足ではあるが、事が判らない程ではない。ドウェインは「もういい!」と吐き捨てるとアイリーンの名を呼びながらアイリーンの使っていた部屋に向かった。
「アイリーン。まだ寝てるのかい?開けるよ?」
扉は難なく開いた。内鍵もかけられていない。しかし扉を開いた先の光景にドウェインは戸惑った。
そこはアイリーンと婚約をした頃、何も手を付けていない約5年前の風景だったのだ。
カーテンも調度品も見覚えがある。使わないものを仕舞っておく倉庫に入れさせたものだ。
全てアイリーンが好むであろう物に買い替えたはず。
なのに部屋の中にはアイリーンが触れたであろう、使っていたであろう品は1つもない。
「ど、どういう事だ?!」
慌てて夫婦の寝室に飛び込んでみると寝台は枠はあってもベッドマットは無かった。
これも約5年前、婚約をした当時、いや婚約をする前だ。
当主になった時、ドウェインはまだアイリーンに出会っておらず両親が使っていた物を取り除いただけの時間に部屋の中身が戻っていた。
もう一度アイリーンの使っていた部屋に戻るとそこも婚約をした時ではなくする前だと気が付いた。
引き出しを片っ端から開けても空っぽ。
そこにあった本であったり宝飾品であったり、アイリーンの日記帳など何もなかった。
「アイリーンのいた痕跡が全くない…どういう事だ?」
窓から庭を見ればアイリーンの好きだったワスレナグサは今が最後の見頃なのに1株もない。青く小さな花をつけた植物は窓から見える範囲に一切なかった。
使用人を捕まえてアイリーンの事を聞いても返って来るのは家令と同じで素っ頓狂な答えばかり。
ドウェインは髪を掻きむしり、状況を把握しようとすればするほどに混乱した。
「アイリーン、何処に行ったんだ?アイリーン!!」
叫びながら屋敷の中、明らかに人が入れるような場所ではない引き出しや隙間まで探したがアイリーン本人どころかアイリーンのいた痕跡もない。
「そうだ。帳簿だ。帳簿ならアイリーンも手伝ってくれた」
帳簿をつける時にアイリーンも行ったことを思い出し、帳簿の並べられた書棚を震える手でガラス戸を開けて1冊を取り出せば手が震えて数冊が音を立てて床に落ちた。
「うあぁぁぁーっ!!アイリーンっ!!」
開いた帳簿は今年の分も、去年も、3年前も。
そこにアイリーンの書いた文字すらなかった。
血相を変えてアイリーンを探し回るドウェインを見て家令のホスタルは溜息も出なかった。
ドウェインは実に1カ月も屋敷を空けていた。
その間にアイリーンに命じられて全ての痕跡を使用人総がかりで消したのだ。
数年分の帳簿も全て書き換えた。丸めて保管していたので癖がついた絨毯もずっと敷かれたままに見えるように重石をして皴を伸ばし、アイリーンが使っていた物は売ったり、アイリーンがこの人ならと指定した人にだけ形見分けのように譲った。売った金は家に戻す。買った金額と売った金額が合わない分はアイリーンが持参金から補填している。
当時の帳簿では項目をぬいたので金額は合わなくなるが、過去に戻って残高を確認できる訳がないので、最終的に今、金額が合えばいいだけ。
使用人たちはアイリーンを女主人である存在以上に愛していた。
だからこそ、アイリーンから決意を聞かされた時に、アイリーンが望むのであればと涙を流し受け入れた。そこには長年共に過ごしたドウェインよりも強い絆があったし、不貞をするドウェインには皆が嫌悪感を抱いた。
務める期間が長いからこそ、異常な執着を見せる先代を知っていたし、似た症状のドウェインが不貞をするのが理解できなかったのだ。
『旦那様は真に愛する方を見つけたのです。お心に従いましょう』
アイリーンの言葉のほうが侯爵家の当たり前からすれば説得力があったし、使用人にとってもドウェインの不貞行為が明らかになった半年は困惑の時間でもあったのだ。
ジェシーは昨日のうちにアイリーンの友人である夫人の家が所有する領地に向かった。今頃は峠も超えて王都の街並みが見えるか見えないかのところまで進んでるはず。
――あとはお預かりしたこの手紙。何時渡すかだな――
アイリーンからは「もう秘匿する事が出来なくなった時に」と言付かっている。
今はまだその時ではない。ホスタルは封書の入った内ポケットに触れることなくまたドウェインに視線を戻した。
「今帰った‥‥アイリーンは?」
出迎えた家令と数人の使用人にドウェインは問うた。
この時間ならもうアイリーンは起床しているし、朝食も終わって寛いでいる時間だ。
今まで出迎えてくれなかったのは帰宅が日付も超えた深夜になった時くらい。その時は寝台で眠っていたがこの時間に起きていない事は考えられなかった。
「アイリーン?どちら様です?旦那様!もしや愛するお方が出来たのですか?!」
「は?何を言ってるんだ。アイリーンは妻だ!結婚して3年だぞ?!」
「旦那様。勤務を減らされては如何です?お疲れも溜りに溜って起きたまま夢でも見られているのですか?」
「ばっ!バカな事を言うな!疲れているとすればお前だ!呆けたのか?」
知らぬ存ぜぬを通す家令ではなく、アイリーンの側付きにしていたジェシーを呼べと命じた。
「ジェシー?はて…。旦那様。そのような使用人はおりませんが?」
「いないだと?いるだろう!」
「誰か、旦那様を寝室にお連れしてくれ。お疲れのようだ」
確かに明け方までシルフィーと腰を打ち付け合っていたので寝不足ではあるが、事が判らない程ではない。ドウェインは「もういい!」と吐き捨てるとアイリーンの名を呼びながらアイリーンの使っていた部屋に向かった。
「アイリーン。まだ寝てるのかい?開けるよ?」
扉は難なく開いた。内鍵もかけられていない。しかし扉を開いた先の光景にドウェインは戸惑った。
そこはアイリーンと婚約をした頃、何も手を付けていない約5年前の風景だったのだ。
カーテンも調度品も見覚えがある。使わないものを仕舞っておく倉庫に入れさせたものだ。
全てアイリーンが好むであろう物に買い替えたはず。
なのに部屋の中にはアイリーンが触れたであろう、使っていたであろう品は1つもない。
「ど、どういう事だ?!」
慌てて夫婦の寝室に飛び込んでみると寝台は枠はあってもベッドマットは無かった。
これも約5年前、婚約をした当時、いや婚約をする前だ。
当主になった時、ドウェインはまだアイリーンに出会っておらず両親が使っていた物を取り除いただけの時間に部屋の中身が戻っていた。
もう一度アイリーンの使っていた部屋に戻るとそこも婚約をした時ではなくする前だと気が付いた。
引き出しを片っ端から開けても空っぽ。
そこにあった本であったり宝飾品であったり、アイリーンの日記帳など何もなかった。
「アイリーンのいた痕跡が全くない…どういう事だ?」
窓から庭を見ればアイリーンの好きだったワスレナグサは今が最後の見頃なのに1株もない。青く小さな花をつけた植物は窓から見える範囲に一切なかった。
使用人を捕まえてアイリーンの事を聞いても返って来るのは家令と同じで素っ頓狂な答えばかり。
ドウェインは髪を掻きむしり、状況を把握しようとすればするほどに混乱した。
「アイリーン、何処に行ったんだ?アイリーン!!」
叫びながら屋敷の中、明らかに人が入れるような場所ではない引き出しや隙間まで探したがアイリーン本人どころかアイリーンのいた痕跡もない。
「そうだ。帳簿だ。帳簿ならアイリーンも手伝ってくれた」
帳簿をつける時にアイリーンも行ったことを思い出し、帳簿の並べられた書棚を震える手でガラス戸を開けて1冊を取り出せば手が震えて数冊が音を立てて床に落ちた。
「うあぁぁぁーっ!!アイリーンっ!!」
開いた帳簿は今年の分も、去年も、3年前も。
そこにアイリーンの書いた文字すらなかった。
血相を変えてアイリーンを探し回るドウェインを見て家令のホスタルは溜息も出なかった。
ドウェインは実に1カ月も屋敷を空けていた。
その間にアイリーンに命じられて全ての痕跡を使用人総がかりで消したのだ。
数年分の帳簿も全て書き換えた。丸めて保管していたので癖がついた絨毯もずっと敷かれたままに見えるように重石をして皴を伸ばし、アイリーンが使っていた物は売ったり、アイリーンがこの人ならと指定した人にだけ形見分けのように譲った。売った金は家に戻す。買った金額と売った金額が合わない分はアイリーンが持参金から補填している。
当時の帳簿では項目をぬいたので金額は合わなくなるが、過去に戻って残高を確認できる訳がないので、最終的に今、金額が合えばいいだけ。
使用人たちはアイリーンを女主人である存在以上に愛していた。
だからこそ、アイリーンから決意を聞かされた時に、アイリーンが望むのであればと涙を流し受け入れた。そこには長年共に過ごしたドウェインよりも強い絆があったし、不貞をするドウェインには皆が嫌悪感を抱いた。
務める期間が長いからこそ、異常な執着を見せる先代を知っていたし、似た症状のドウェインが不貞をするのが理解できなかったのだ。
『旦那様は真に愛する方を見つけたのです。お心に従いましょう』
アイリーンの言葉のほうが侯爵家の当たり前からすれば説得力があったし、使用人にとってもドウェインの不貞行為が明らかになった半年は困惑の時間でもあったのだ。
ジェシーは昨日のうちにアイリーンの友人である夫人の家が所有する領地に向かった。今頃は峠も超えて王都の街並みが見えるか見えないかのところまで進んでるはず。
――あとはお預かりしたこの手紙。何時渡すかだな――
アイリーンからは「もう秘匿する事が出来なくなった時に」と言付かっている。
今はまだその時ではない。ホスタルは封書の入った内ポケットに触れることなくまたドウェインに視線を戻した。
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