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第29話 桃よりブドウより君が好き
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王妃からの手紙が届いたその日の夜。
深夜まで調べ物をするアリステラの部屋の前でガスパルは扉をノックしようと迷う。
軽く上げた手は扉をノックする寸前で止まる事を何度繰り返しただろう。
時間的に女性の部屋を訪れるのも失礼だし、部屋に入って言おうとしているのは屋根裏の蜘蛛の巣を取り払っていた時に聞いた会話。盗み聞きだ。
ガスパルはアリステラに王都には行ってほしくなかった。ガスパルの我儘である。
ルシアーノはまだ王都にいる。遭遇しないとは限らない。
父親のアレキスから手紙が届く事はないが、屋根裏部屋に住まう事を許して貰った時、ガスパルはドミンゴにだけは居場所を知らせた。
ドミンゴからは西辺境にいるナディアからの果物が届くたびに手紙も同封されている。
王都から一旦西辺境に届き、それからカタタン領に送られてくる手紙は最新情報ではないが、ルシアーノの事も記載をされている。
一番新しく貰った手紙にはクルシュ公爵夫人からも見切りをつけられたルシアーノはジェセニアとは共に住んではいないようで、ふらりと貴族の家に夕食の時間に訪れては食事をご馳走になり、そのついでだと言わんばかりにアリステラが何処にいるのかと聞き回っていると言う。
ジェセニアの実家であるサンルカ侯爵家には債権者が押し寄せていて、ジェセニアとサンルカ侯爵が日雇いで雇った使用人に食事を作って貰うだけの生活を送っているとあった。
ガスパルの知るアリステラは王都では幼い日は少女、その後は淑女だった。
王都を出たらしい、ゴードマン公爵家にはもういないと聞き、居ても経ってもいられなくなったガスパルは屋敷を飛び出し、国土を東に西に、そして北に走らせてきた。
何処にもアリステラはおらず途方に暮れていると、一緒に野営となった商人が「王太子さんの嫁さん候補がカタタン領にいた」と話すのを耳にして、それからはカタタン領を目指した。
何度も道に迷い、行き止まりの崖に出た事もあった。
カタタン領のアリステラは過去の記憶にある11歳のガスパルと出会った頃のような幼さはではないが、王都ではすっかり見なくなった年相応の少女さを感じさせた。
アリステラも一人の人間。雁字搦めで窮屈な婚約者時代に封印したアリステラという人間をガスパルは感じた。
側にいられるだけでいい。そう思って住まわせてもらっているがガスパルにも欲が出る。
毎日ではないものの、深夜に2人だけで過ごす食堂での時間はガスパルの癒しだった。
――もう辛い思いはして欲しくない――
意を決し、扉の足元、隙間から漏れる明かりに目を落とすとガスパルは扉を軽く握った手で叩いた。
「誰?」
中からアリステラの声がする。「ガスパルです。夜分遅くにすみません」そう答えたが扉が開くかどうかは判らない。ガスパルは扉越しでも良いから王都行きは止めてほしい。そう告げるつもりだった。
理由はと聞かれれば答えに窮する。
一度は気が付いて貰えず流された告白。
再度口にするとガスパルはもうここにはいられないかも知れない。
従者が主君に抱いてはならない感情を抑える事が出来ずにガスパルはカタタン領に来たのだから。
少し間が空いて、「やはりダメか」と部屋に帰る旨を伝えようともう一度ノックしようした時、扉が開いた。
「内緒よ?コンフィーに知られると叱られるわ。コンフィーって怒ると怖いのよ」
「申し訳ありません・・・こんな夜遅くに」
「大事な話でしょう?王都に戻られるの?」
部屋に招き入れながらアリステラはガスパルに問いかけた。
「ち、違います!俺はもう王都に帰るつもりはありません」
「そうなの?じゃぁ他のお話かしら」
「はい…」
ガスパルは正直に話した。屋根裏の掃除をしている時にアリステラとコンフィーの会話を聞いてしまった事を詫びた。
「知ってましたわよ?」
「し、知ってた?俺が天井の・・・部屋の天井にいた事を?」
「何年あの愚鈍な殿下の婚約者をしていたと思っていらっしゃるの?自分の身を守るのは最終的には自分。色んな所に意識を向けているうちに何となく気が付くようになっただけですわ。ガスパル様の壁上りと同じね?」
クスっと笑うアリステラにガスパルは何もかもすっ飛ばして声を絞り出した。
「王都に行かないでほしいんです!危険です!」
「判っています。特に王妃殿下の呼び出し。謁見の間という地下牢かも知れない。そのくらいは想定しておりますわ」
「だったら!危険を回避する事も考えてください!」
「考えているわ。これ以上の策はないという安全対策。ふふっ」
「お座りになって」とアリステラに勧められるまま小さなテーブルに添えられた2脚の椅子の片方に腰を下ろすとアリステラは執務机の上で先程まで作成していたのか、まだインクが乾いていない書類を一枚ガスパルに差し出した。
「こっ!これは?!」
「見ての通り。婚姻届けですわ。困った事に相手がおりませんの」
ごくりとガスパルは生唾を飲み込んで、それは丁寧に美しく、そして真っ直ぐに手をあげた。
「俺がいます!」
「ぷっ!‥‥ふふふ・・・くくくっ‥」
「え?冗談なんですか?」
「冗談ではないけれど、そんな直ぐに手をあげて…しかも綺麗にあげて・・・おかしい・・・ふふっあはは・・・」
アリステラは遅れてゴードマン公爵家から遣わされた私兵の中から一時の間、夫となってくれる者を王都に同行させようとしていた。
既に既婚であるという牽制もあるが、王妃は何を仕掛けてくるか判らない。
雇った夫の身を守る必要はあるが、ある程度武術の心得がある方が都合がいい。
カタタン領に戻った後は、速やかに関係を解消すると言う。
「アリステラ様、俺を使ってください。俺はもうペッツ侯爵家から籍も抜いて平民ですが武術には自信があります。何よりそれならば王都にも同行して城の中でも守る事が出来る」
「でもガスパル様はお顔も知られていますし、都合が悪いのでは?」
「全然悪くありません!俺、桃よりブドウよりアリステラ様の事が好きで、問われてもブレる心配はありません!」
本気のガスパルにアリステラは少したじろいだ。
深夜まで調べ物をするアリステラの部屋の前でガスパルは扉をノックしようと迷う。
軽く上げた手は扉をノックする寸前で止まる事を何度繰り返しただろう。
時間的に女性の部屋を訪れるのも失礼だし、部屋に入って言おうとしているのは屋根裏の蜘蛛の巣を取り払っていた時に聞いた会話。盗み聞きだ。
ガスパルはアリステラに王都には行ってほしくなかった。ガスパルの我儘である。
ルシアーノはまだ王都にいる。遭遇しないとは限らない。
父親のアレキスから手紙が届く事はないが、屋根裏部屋に住まう事を許して貰った時、ガスパルはドミンゴにだけは居場所を知らせた。
ドミンゴからは西辺境にいるナディアからの果物が届くたびに手紙も同封されている。
王都から一旦西辺境に届き、それからカタタン領に送られてくる手紙は最新情報ではないが、ルシアーノの事も記載をされている。
一番新しく貰った手紙にはクルシュ公爵夫人からも見切りをつけられたルシアーノはジェセニアとは共に住んではいないようで、ふらりと貴族の家に夕食の時間に訪れては食事をご馳走になり、そのついでだと言わんばかりにアリステラが何処にいるのかと聞き回っていると言う。
ジェセニアの実家であるサンルカ侯爵家には債権者が押し寄せていて、ジェセニアとサンルカ侯爵が日雇いで雇った使用人に食事を作って貰うだけの生活を送っているとあった。
ガスパルの知るアリステラは王都では幼い日は少女、その後は淑女だった。
王都を出たらしい、ゴードマン公爵家にはもういないと聞き、居ても経ってもいられなくなったガスパルは屋敷を飛び出し、国土を東に西に、そして北に走らせてきた。
何処にもアリステラはおらず途方に暮れていると、一緒に野営となった商人が「王太子さんの嫁さん候補がカタタン領にいた」と話すのを耳にして、それからはカタタン領を目指した。
何度も道に迷い、行き止まりの崖に出た事もあった。
カタタン領のアリステラは過去の記憶にある11歳のガスパルと出会った頃のような幼さはではないが、王都ではすっかり見なくなった年相応の少女さを感じさせた。
アリステラも一人の人間。雁字搦めで窮屈な婚約者時代に封印したアリステラという人間をガスパルは感じた。
側にいられるだけでいい。そう思って住まわせてもらっているがガスパルにも欲が出る。
毎日ではないものの、深夜に2人だけで過ごす食堂での時間はガスパルの癒しだった。
――もう辛い思いはして欲しくない――
意を決し、扉の足元、隙間から漏れる明かりに目を落とすとガスパルは扉を軽く握った手で叩いた。
「誰?」
中からアリステラの声がする。「ガスパルです。夜分遅くにすみません」そう答えたが扉が開くかどうかは判らない。ガスパルは扉越しでも良いから王都行きは止めてほしい。そう告げるつもりだった。
理由はと聞かれれば答えに窮する。
一度は気が付いて貰えず流された告白。
再度口にするとガスパルはもうここにはいられないかも知れない。
従者が主君に抱いてはならない感情を抑える事が出来ずにガスパルはカタタン領に来たのだから。
少し間が空いて、「やはりダメか」と部屋に帰る旨を伝えようともう一度ノックしようした時、扉が開いた。
「内緒よ?コンフィーに知られると叱られるわ。コンフィーって怒ると怖いのよ」
「申し訳ありません・・・こんな夜遅くに」
「大事な話でしょう?王都に戻られるの?」
部屋に招き入れながらアリステラはガスパルに問いかけた。
「ち、違います!俺はもう王都に帰るつもりはありません」
「そうなの?じゃぁ他のお話かしら」
「はい…」
ガスパルは正直に話した。屋根裏の掃除をしている時にアリステラとコンフィーの会話を聞いてしまった事を詫びた。
「知ってましたわよ?」
「し、知ってた?俺が天井の・・・部屋の天井にいた事を?」
「何年あの愚鈍な殿下の婚約者をしていたと思っていらっしゃるの?自分の身を守るのは最終的には自分。色んな所に意識を向けているうちに何となく気が付くようになっただけですわ。ガスパル様の壁上りと同じね?」
クスっと笑うアリステラにガスパルは何もかもすっ飛ばして声を絞り出した。
「王都に行かないでほしいんです!危険です!」
「判っています。特に王妃殿下の呼び出し。謁見の間という地下牢かも知れない。そのくらいは想定しておりますわ」
「だったら!危険を回避する事も考えてください!」
「考えているわ。これ以上の策はないという安全対策。ふふっ」
「お座りになって」とアリステラに勧められるまま小さなテーブルに添えられた2脚の椅子の片方に腰を下ろすとアリステラは執務机の上で先程まで作成していたのか、まだインクが乾いていない書類を一枚ガスパルに差し出した。
「こっ!これは?!」
「見ての通り。婚姻届けですわ。困った事に相手がおりませんの」
ごくりとガスパルは生唾を飲み込んで、それは丁寧に美しく、そして真っ直ぐに手をあげた。
「俺がいます!」
「ぷっ!‥‥ふふふ・・・くくくっ‥」
「え?冗談なんですか?」
「冗談ではないけれど、そんな直ぐに手をあげて…しかも綺麗にあげて・・・おかしい・・・ふふっあはは・・・」
アリステラは遅れてゴードマン公爵家から遣わされた私兵の中から一時の間、夫となってくれる者を王都に同行させようとしていた。
既に既婚であるという牽制もあるが、王妃は何を仕掛けてくるか判らない。
雇った夫の身を守る必要はあるが、ある程度武術の心得がある方が都合がいい。
カタタン領に戻った後は、速やかに関係を解消すると言う。
「アリステラ様、俺を使ってください。俺はもうペッツ侯爵家から籍も抜いて平民ですが武術には自信があります。何よりそれならば王都にも同行して城の中でも守る事が出来る」
「でもガスパル様はお顔も知られていますし、都合が悪いのでは?」
「全然悪くありません!俺、桃よりブドウよりアリステラ様の事が好きで、問われてもブレる心配はありません!」
本気のガスパルにアリステラは少したじろいだ。
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