氷の軍師は妻をこよなく愛する事が出来るか

cyaru

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アポロンの怒り

★この回はアポロン視点です


◆~◆~◆


長い遠征だった。こんなに屋敷を開けたことはない。
部下の兵たちも疲れ切っているが、いくつも山を越え、森を抜けて川を渡り、遠くに王都を囲う城壁が見えるとあと少しだと狭くなった歩幅を最後の力を振り絞って大きくとった。

一旦屋敷には戻ったが、あれもかなり無理を言って2時間の時間をもらっての事だった。
2時間のうち1時間半以上を往復の道のりに費やすとついても15分、いや10分でもいい。ティーの顔が見たかった。柔らかく細い体を抱きしめたかった。


屋敷に着くと一目散にティーの部屋に行きたかったのだが、母上に呼び止められた。
玄関先では部下が「10分!10分です。それ以上は支障をきたします」というので急いでいるというのに、しかたなくサロンに行くと従姉妹のマイラがいた。

「臭っ。臭いわよ…酷い臭い」
「そんなに臭いか?」
「臭いなんてものじゃないわ。そうそう、良い物があるわ」

そう言ってマイラは爽やかな香りになり、臭いくさいにおいも誤魔化せるからと香水を振りかけてきた。確かに行軍中は川にも入れないし、今回の遠征先はちょろちょろと岩の間を流れる湧き水程度しかなく、また山の水なので桶に貯めて被れば震えあがるほどに冷たい。
手のひらに貯めて顔を洗えば目も覚めるがその程度だった。

しかし振りかけられた香水のほうが臭いと感じるのは男だからだろうか。
サロン中が一気に香水の匂いになり、噎せ返るほどだ。
なによりマイラは一番嫌いなタイプだ。
ティーに出会わなければ排泄物以下の女だと思っていた。
ティーに出会ったからこそ、人間扱いをしていると言って過言ではない。


どれくらい前だっただろうか。住んでいる地方に遠征があった際に途中で屋敷に寄った。
目的地の途中だったため叔父上、義叔母上に挨拶をするほどの時間しかなく、マイラには会えず仕舞だったがそれも仕方がない。こちらは任務の途中で数年に一度しか会わない親類でも叔父上は父の弟である。あまりに遠距離だったため、父の葬儀の時にしか王都には来ておらず挨拶はせねばならなかった。


「アポロンのような男がいればこんなに苦労はしないんだがな」

叔父上は夜な夜な遊びまわり、出は子爵だが身持ちの悪い男とマイラが付き合っていて困っていると言っていた。そんな男の子供でも身籠ってしまえば、何処にも嫁ぐ事など出来ないだろう。
マイラが付き合っているというクズの子爵家は間もなく取り潰しになる家である。3兄弟の一番上の兄は違法賭博で現在服役中だし、真ん中の男は婦女暴行で去勢処置の上これまた服役中。
母親は15年ほど前に間男と駆け落ちして行方知れず。子爵は酒に浸りで使用人も屋敷にはいないという。おそらくは末っ子のクズが相手なのだろう。

王都では平民から騎士爵、男爵の二女、三女の令嬢を結婚すると騙して金を貢がせ突然行方をくらましたと聞く。醜聞になるからと泣き寝入りをしている家ばかりだが、王都ではもう金にならないと田舎に狩場を移したのだろう。そんな男と居るなんてと腹立たしくもなった。


そして愛しいティーの部屋に入り、そっと抱きしめたつもりだったのだが力が入り過ぎていたのだろう。そのままキスをしようと思ったけれど、ティーは苦しかったのかいつもは背中に回してくれて優しく撫でてくれる手を胸に押し当てて身を引いた。

母とマイラに構っている時間をティーに当てたかったのに、部下がもう呼んでいると執事に言われ、後ろ髪を引かれる思いでティーの部屋を後にした。



戦況は一進一退だが、部下の休息も必要なため別の部隊と交代して一旦王都に、そして屋敷に戻った。腕に纏わりついてくるマイラが鬱陶しくて仕方がないが、使用人達の顔色が悪い。
そして、母上もいつもと違ってぎこちない挨拶をしてくる。

なんだろうと思えば家令からとんでもない事を聞かされた。

「ティーはどうした?まだ休む時間には早いだろう?」
「奥様は階段から落ちられて頭部を負傷し、お休みになられております」
「なんだって?!」

急ぎティーの部屋に駆け付けると、寝台で頭に包帯を巻き、頬にも手当てを受けた痕のあるティーが眠っていた。「お静かに」とティーに付いている侍女が口元に指をあてた。

「お医者様が隣の部屋で診断書を書かれています。会われますか?」
「当然だ」

隣の部屋に行くと、医者と言うから男だとてっきり思っていたが女医だった。
不謹慎だが、女医で良かったと思った。医者であろうとティーに触れるものが許せない。結婚当初からは信じられない程に自分の中にあるシスティアナ、ティーの価値観は変わっていた。

「先生、妻の容体はどうなんでしょうか」

ギロっと睨まれたと思えば、女医はペンを思い切り音を立てて机に置いた。いや、叩きつけたと言った方がより正確な表現だろう。

「頭部を損傷しています。頭骨でこの左耳の少し上。ここにヒビが入ってますね。もう少し強く叩きつけられていたら助かったかどうかも判らないくらいですよ。といっても打撃を受けた部分が頭部なので1週間から10日は絶対安静。痛みを訴えるようなら直ぐに私を呼びなさい。ただ、これは言っておく。呼んだ時は助からない可能性がかなり高い事も覚えておきなさいよ」

「そんな…そんなに酷い…」

「普通人間はね、落下する時生き物なの。なのに奥さんは頭を庇わなかった。この意味がわかる?まぁ判るならこんな事にはなってないだろうけど」

「まさか‥‥死にたかった…?」

「バカか!からよ!こんな役立たずな夫でもアンタの子供を自分の身よりも守ったの!図体ばかりデカいだけの役立たずな夫の子供でも奥さんには大事な子供だって事よ!」

「子供…?えっ?子供…俺の子…」

「そうよ。ホント…嫌になるわ。先日やっとおめでとうって言ったばかりなのに」


初めて聞かされる事に喜んでいいのか、ケガをした事に悔んでいいのか判らなくなった。
だが、素直にティーとの間に子供が出来た事は嬉しかった。
その時は、その子がいや、ティーの身の上が陛下の異母妹で、子供も継承権が発生するがそんなのはどうでもよかった。子供を身籠ってくれた事が嬉しくて堪らなかった。


休日としてあてられた2日の間、食事も運んでもらいティーの手を握って語りかけた。
そして眠っているティーに心から詫びた。

侍女やメイドから聞く、母上や姉上、妹そしてマイラの事を聞いて頭に血が上った。
母上の部屋に行くと、暢気に刺繍をしていて取り上げると床に投げ捨てた。

「ア、アポロン…どうしたの?乱暴な…」
「乱暴?ティーをあんな目に合わせておいてどの口が言うんだ。母上ッ」
「ち、違うの。あれはあの子が勝手に転んで落ちただけよ」

「結果として階段から落ちた。それは事実で動かない。だがそれ以外にも色々と…あれほどティーには関わらないでくれと言っただろう。ティーは十分に公爵夫人としての仕事をしている。俺が何も知らないと思ったか?茶会なんかで誰もの奥方がティーを誉めそやす。やっと子供も授かったというのに…」

「子供?…あぁマイラの事ね」

「マイラ?関係ない。マイラが妊娠しているなら腹の子の父親は結婚詐欺をしているような破落戸のならず者だ。俺が言ってるのはティーの子供だ」

「なんですって?!何も聞いてないわ」

「言えるはずがないだろう!口を開けば女どもが寄ってたかって…もう決めた。俺はこの公爵家を出て行く。母上の事ももう母とは思わない。次の遠征から帰れば俺はティーと共に出て行く。褒賞もあるし屋敷くらい直ぐに買える。その手続きをこの遠征のうちに全部済ませておく。絶対にティーの部屋に近寄るな。近寄ればその首が胴体に別れを告げる事にもなると肝に銘じてほしい」

「なんてことを!母親でしょう?私はお前の母ですよ?それを首が…なんて恐ろしい事を言うの。貴方が出て行ったらこの公爵家はどうなるの?!後継ぎはどうするの!」

「知った事か!俺はティーがいればそれでいい。他の者の事など知った事ではないし公爵家がどうなろうと、籍を抜ける俺には関係ない」

「ごめんなさい。謝るわ。システィアナちゃんにもちゃんと謝る。だから家を棄てるなんてそんな事を言わないで!私を棄てるなんて酷い事は取り消して頂戴。お願いよ…お願いよアポロン…」

「五月蠅い。もう一度言う。ティーには近づくな。声もかけるな。いいな!」

泣き出し、縋ろうとする母上を振りほどいてまたティーの部屋に行く。
出立のギリギリまでティーの手を握った。

「早めに切り上げて帰る。もう辛い思いはさせない」

この時、セリーヌ伯爵家に連絡を取ってもティーを保護しておくべきだったと後悔する羽目になるとは夢にも思わなかった。
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