雨に染まれば

cyaru

文字の大きさ
1 / 42

20回目の婚約解消

しおりを挟む
月に1度の茶会が時間通りに始まったかと思えば開口一番の言葉に辟易していた。
相手は折角用意した椅子に腰を下ろす事はなさそうである。

婚約そのものも結んでまだ半年も経っていない上に、ロックには以前から付き合っている女性がいてエフローレはロックと2人きりで何処かに出掛けた事はないし、定期的な茶会も今回で5回目。

1回目の茶会から遅れてきた男である。
この日が来るのが何回目かと指折り数え、予想よりも1回多かった事の方が驚きだ。


「君は侯爵家とは何の関りもないそうじゃないか」

「そうですわね。侯爵夫人は色々と骨折りくださいますが居候と申しましょうか、間借り人と申しましょうか。ですがその件は婚約を結ぶ際にはご承知おきの事項かと」

「そ、そんな事は言われないと判らないだろう。僕はテーパー侯爵家からの婚約だと聞いたんだ」

「そうでしょうね。テーパー侯爵家からウール子爵家に打診した婚約ですもの。ですが、言った言わないの前に書面にして御座いますよ」


ロックは次男だし、爵位の継承権のある女性と結婚しなければ貴族では居られない。
今よりも良い生活が出来るかもと飛びついたのは理解が出来る。
しかしエフローレは言ってみれば侯爵家の居候であり籍はルシオン騎士爵家にある。1代限りの騎士爵は既に父が亡くなっている事から便宜上使用しているだけだが、その事は釣り書きの名前のすぐ下に記載している事項だ。読むか読まないかは自由だが読まなかった事を棚に上げられても困る。


「兎に角、君の様なふしだらな女と結婚なんて絶対に出来ない。婚約は解消してくれ」

「ふしだら‥‥と申しますと?」

「その髪色だ!ピンク色の髪なんて男と見れば擦り寄って体を許す女だと言う動かぬ証拠だ。それにその年でそんな体つきをしているなんて夜な夜な遊んでいると言っているようなものだ。君との時間など無意味だ。僕は時間を有意義に使いたいんだ」


それを争点とされればもう何を言っても無駄である。
婚約の解消、白紙撤回を何度も言われてきたエフローレは侍女に頼んで持ち歩いている用紙をカバンから出してもらった。テーブルに置かれた婚約解消の書類にロックは目を丸くして驚いていた。


「ご安心なさって。本物ですわ。お父様のグラス様にも念のため御署名頂いておりますから、こちらにロック様の御署名をお願いいたします」

「用意が良いな…何かあるのか」

「さぁ?ですが今回持ち越しをしましたら、次回はこちらからロック様がスプレイ雑貨店のリーシン様と不適切な関係にあると婚約破棄をさせて頂く事となりますけれど」


ウール子爵家の当主グラスがこの婚約を結んだのには長年にわたりスプレイ雑貨店のリーシン嬢に貢いでいるロックを引き離し、改心させる目的も含まれていた。
黙っていてもテーパー侯爵家が少し調べれば、叩けば叩くほど出てくる埃のようなもの。それを逆手にとってエフローレ優位の婚姻を結ぼうとしただけである。
狐と狸の化かし合いのような婚約が終わるだけで、エフローレにしてみれば万々歳だ。

エフローレ自身はまだ純潔で、潔癖症ではないがそれでも手垢まみれは勘弁してほしいと思うのは無理もない事だ。ロックのサインの入った書類を侍女に手渡すと席を立ちあがった。

せめてもの餞別である。

「ロック様。わたくしの事をあれこれと妄想されるのは自由で御座いますが、愛しい方の身辺調査をされたほうがもっと有意義な時間を過ごせましてよ」


20回目となる婚約の解消。
エフローレは婚約を取り付けたテーパー侯爵夫人の顔を思い浮かべた。






「あぁ、目障りな髪色だこと。だから婚約をなかった事にされたのよ」

テーパー侯爵夫人は侍女が手にしていたショールを目の前のエフローレの頭に被せた。大雨が降る前触れのようなピンク色の夕焼け色をした髪の持ち主は姪であるエフローレ。
テーパー侯爵夫人の気分をこの上なく害したようだ。


テーパー侯爵夫人(フリライム)は亡き妹の忘れ形見とも言えるエフローレがだった。
品行方正で真面目であるのに、妖艶な肢体を持ち男性の庇護欲をかき立たせる薄いピンク色の髪をした実妹のエマにそっくりなエフローレ。
年齢を重ね、その妹の年齢を追い越したエフローレは、ふとした仕草にエマが生きているのではないかと錯覚をしてしまうほどに似ていた。

『お姉様、大好き』

口癖のように外では見せない顔で甘えていた実妹のエマが重なってしまう。


自身が男の子ばかりを生んだからか、10歳で引き取る事になったエフローレを我が子同様に愛せると思っていた。しかし、愛憎感情の入り混じったテーパー侯爵夫人は殊更エフローレに厳しく当たった。

父親であり、過去にテーパー侯爵夫人が侯爵家に嫁ぐ前に実家で執事をしていたリベットの教えもあったのだろう。最低限のマナーや所作は身につけていたエフローレに更に厳しく高位令嬢たる教育を与えた。9年間で王家に嫁ぐ事も出来るほどの仕上がりになってもテーパー侯爵夫人は納得しなかった。


「何回目だと思っているの。そんなふしだらな体をしているからよ。髪の毛も何か被って見せないようになさい。見苦しいったらないわ。全く…」

「ウール様との縁談で20回目です。申し訳ございません」

「気持ちが籠ってないの。貴女の謝罪くらい軽いものはないわね。クッションの羽毛のほうがまだ重みを感じるわ。良い事?今度の縁談はフォーズド公爵家のご子息よ。絶対に!絶対に断られたりしないようにして頂戴」


体つきはなろうとしてこうなったのではない。むしろ胸には侍女に頼んで布をきつく巻いて貰っているし、少し垂れ目の目も髪を斜め上にきつめに引っ張ってセットされていて、ひっ詰めた髪が痛いくらいである。
その髪ですら薄いピンク色の髪にしたくてしているわけではない。生まれた時からこの髪色で出来れば別の色に染めたいくらいである。

数年前からメチル国ではピンク色の髪をした低位貴族に養女となった娼婦崩れのような女が婚約者のいる高位貴族の子息たちを体で篭絡し、貢がせた挙句に更に上を望み破滅するという歌劇が定石となっている。

この髪色のせいで街を歩けばクスクスと笑われ、体形や顔立ち、声も相まって嘲笑されているのだ。本当に何もしていないのは侯爵家の侍女達も証言をしてくれているが、婚約がついに20件解消になっているのも事実である。


貴族の話題に【事実】であるかなど関係がない。
エフローレは父親のリベットが騎士爵だった事で低位貴族であるのは間違いない。
しかし、テーパー侯爵家に孤児院から引き取られはしたものの養女ではなくリベットの実子であるがそんな事はどうでもいいのだ。まさに歌劇で断罪されるモデルのようなエフローレは都合の良い話題の種。


テーパー侯爵家に孤児院から引き取られた理由すら判らないのに、勝手に相手が侯爵令嬢だと間違ったり、歌劇通りの阿婆擦れだと言い出すのだ。事実無根だ、言いがかりだと言い返すのも最近は疲れてきた。

「今度は公爵家。初めて格上だけれど騎士爵でも打診を受けるって切羽詰まっているのかしら」

エフローレは釣り書きの絵姿を見て溜息を吐いた。
眉間から左耳の下方向に向かって傷跡のような線があった。
インクが乾かないうちにペン先が触れてしまったのだろうと指でなぞった。
しおりを挟む
感想 113

あなたにおすすめの小説

王妃そっちのけの王様は二人目の側室を娶る

家紋武範
恋愛
王妃は自分の人生を憂いていた。国王が王子の時代、彼が六歳、自分は五歳で婚約したものの、顔合わせする度に喧嘩。 しかし王妃はひそかに彼を愛していたのだ。 仲が最悪のまま二人は結婚し、結婚生活が始まるが当然国王は王妃の部屋に来ることはない。 そればかりか国王は側室を持ち、さらに二人目の側室を王宮に迎え入れたのだった。

ねえ、テレジア。君も愛人を囲って構わない。

夏目
恋愛
愛している王子が愛人を連れてきた。私も愛人をつくっていいと言われた。私は、あなたが好きなのに。 (小説家になろう様にも投稿しています)

どうぞ、おかまいなく

こだま。
恋愛
婚約者が他の女性と付き合っていたのを目撃してしまった。 婚約者が好きだった主人公の話。

家出したとある辺境夫人の話

あゆみノワ@書籍『完全別居の契約婚〜』
恋愛
『突然ではございますが、私はあなたと離縁し、このお屋敷を去ることにいたしました』 これは、一通の置き手紙からはじまった一組の心通わぬ夫婦のお語。 ※ちゃんとハッピーエンドです。ただし、主人公にとっては。 ※他サイトでも掲載します。

失った真実の愛を息子にバカにされて口車に乗せられた

しゃーりん
恋愛
20数年前、婚約者ではない令嬢を愛し、結婚した現国王。 すぐに産まれた王太子は2年前に結婚したが、まだ子供がいなかった。 早く後継者を望まれる王族として、王太子に側妃を娶る案が出る。 この案に王太子の返事は?   王太子である息子が国王である父を口車に乗せて側妃を娶らせるお話です。

冷徹公爵の誤解された花嫁

柴田はつみ
恋愛
片思いしていた冷徹公爵から求婚された令嬢。幸せの絶頂にあった彼女を打ち砕いたのは、舞踏会で耳にした「地味女…」という言葉だった。望まれぬ花嫁としての結婚に、彼女は一年だけ妻を務めた後、離縁する決意を固める。 冷たくも美しい公爵。誤解とすれ違いを繰り返す日々の中、令嬢は揺れる心を抑え込もうとするが――。 一年後、彼女が選ぶのは別れか、それとも永遠の契約か。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

アルバートの屈辱

プラネットプラント
恋愛
妻の姉に恋をして妻を蔑ろにするアルバートとそんな夫を愛するのを諦めてしまった妻の話。 『詰んでる不憫系悪役令嬢はチャラ男騎士として生活しています』の10年ほど前の話ですが、ほぼ無関係なので単体で読めます。

処理中です...