王妃?そんなものは微塵も望んでおりません。

cyaru

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鉄面皮

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モントケ伯爵家がアンネマリーを切って3日目。
コンスタンツェは【前哨戦】とばかりに父親のゼルガー公爵と国王の執務室を訪れていた。


向かい合わせに腰を下ろしたソファでコンスタンツェと父親のゼルガー公爵は国王と王妃に書類を手渡した。内容は詳細まで読まずともその表紙を見れば顔色も変わると言うものだろう。


独立国ではあるもののブレンデル国が王国として立っていられるのは3公爵、5侯爵の知恵と努力の賜物だろう。過去幾多の戦を【話術】と【取引】で切り抜けてきた。

国王が何のために存在するのかと言えば【民への象徴】であり、血の継承と言う実態がありそうでないものへの偶像崇拝に等しいだろう。


己の足元が薄氷である事を国王たちは即位する度に聞かされてきた。

【国王があって国が成るのではなく、民があって国が成る】

その事は諄くくどく説かれ、胡坐をかき民を蔑ろにした王は3公爵、5侯爵により粛清されてきた歴史を持っていた。
無知蒙昧むちもうまいな愚王もいれば万里一空ばんりいっくうな賢王も存在した。
王と言えど人。余程に民の生活を脅かすものでなければ失政であっても3公爵、5侯爵を旗頭に貴族は一致団結して知恵を出し合い、国王を支えてきた。


好色王とも呼ばれた父でも引きずり降ろされなかったのは、政治的には【聡明だが豪胆】でそれまで脅威であった帝国との友好条約を一晩で取り付けてきた功績があった。
農夫が田畑を耕す鍬や鋤を剣や棍棒に持ち替えてきた歴史を一変させたのだ。

唯一の男児であった現国王の出自が怪しい部分はあっても、天秤にかければ取るに足らぬと判断されたのだが、チャンスを与えられた現国王は婚姻で薄氷に亀裂を入れた。

騙し騙しでもその亀裂の入った薄氷を踏み抜かなかったのは、【民の生活が第一】と質素倹約に努めた事だろう。だが、息子と言う身近な存在がいとも簡単にその薄氷に石を放り込んでしまった。

手にした書類の項目を読み進める国王と王妃の不安の色と心拍数が一層高まった。


「デ…ディートリヒはもう切る。だから――」
「何の事でしょう。今日は両陛下の要望をお聞きしようと思いましてね」
「要望?」


ゼルガー公爵に国王は読んでいた書類を持つ手が震えた。
ゆっくりを顔を向けると、温度を持たない仮面をつけたような顔が目に入った。
生唾を飲んだ国王の喉仏が一旦下がりゆっくりと元の位置に戻る。

「見晴らしの良い場所で美酒を嗜むか、四季を問わず涼しい場所で余生を過ごすか」

ゼルガー公爵の抑揚のない言葉に王妃は目を見開き、国王の横顔を見た。
絞り出すようにようよう国王が声を出す。

「それは総意か」

国王は愚問だと判っていながらも敢えて問うた。
調査票の表表紙おもてびょうしに連なる家名、それを持ってこの場にゼルガー公爵がいる事で【詰み】を悟っても尚、どこかにあるやも知れぬ僅かな希望に縋った。

ゼルガー公爵の目は微笑むだけで何も答えない。
代りに1枚の書面を静かに差し出した。

同時にゼルガー公爵とコンスタンツェの後方にいた騎士が国王と王妃の背後に回る。
こんな狭い執務室の中にすら自分の味方は誰一人いない事を国王は悟った。


「ペンを‥‥取ってはくれまいか」
「畏まりました」


返事をしたのは王妃を娶った時から仕えてくれた執事ジェームズだった。
ペン立てから一番手に馴染んで書き心地の良いペンとインク壺がテーブルにコトリと小さな音を立てて置かれた。


「ジェームズ…そう言う事か」
「今更で御座いますよ。陛下。わたくしは26年前にゼルガー公爵家から遣わされたとご説明申し上げております」
「そ‥‥そうだったな。あぁ…そうだった」


自分では気にした事も無かったが、ペン1本ですら動向は見られていた。
痒いところに手が届くと思っていた執事は最も身近にいただったとは。

――これは走馬灯なのだろうか――

ほんの僅かな時間、遠くなり色褪せた過去を国王は脳裏に思い出した。

隣に座る王妃を娶った時に、ディートリヒと同じ事をしていた事を。
ディートリヒは『父上とて、好いた母上を選んだではないか!』と言ったが、国王も先代国王には同じ事を言った事を思い出して、力なく笑った。

当時の婚約者は目の前のゼルガー公爵の妻となった女性だった。血反吐を吐くような辛い王子妃教育、王太子妃教育を終え王妃教育が始まった頃に王妃と出会った。

【私が守るからはしなくていい】

王妃を抱きしめてそう伝えた言葉を婚約者だった令嬢は聞いていた。
どんな思いでを受け止めたのか。

答えを聞くまでもない。
ゼルガー公爵の表情がその答えであり、元婚約者の思いなのだから。
その元婚約者に似た娘のコンスタンツェ。

リリエンタル侯爵家のアリーエから入れ替わった時に次の治世への「安堵」を感じたのは元婚約者に似た寛大な包容力と容貌を感じ取ったからだろうか。

先ずは国王がサインをして、続いて王妃がサインをするのにペンを受け取った。
王妃は手にしたペンを持ったまま動けなくなった。
ペン先に沁み込ませたインクが用紙にぽたりと落ちた。

「どうした?」

国王の問い掛けに王妃は薄く笑う。
震える手で落ちたインクの滴痕を避けるように署名を済ませた。

「良いペンですわね。送り主は使い手を一番に考えたのでしょう」

国王は忘れていた。そのペンは目の前のゼルガー公爵の妻であり、国王の元婚約者が30年前に立太子した際に贈ってくれたものだと言う事を。
刻み込まれたお互いの名前のうち、国王の名前はもう指が当たって擦れて読めないが元婚約者の名前は今も尚、刻み込まれたままだった。

「貴方は何一つ守れないだけでなく鉄面皮てつめんぴだとよく判りました」


若き日に平民であった自分を選んでくれた夫に尽くそうと、読み書き出来ぬ文字を必死に習得し民の心に寄り添おうとしてきたが、王妃としてではなく女として夫が「昔の女」とも言うべき婚約者から贈られた品を後生大事に愛用してきた未練、その品を何事もなく人生の幕引きをする署名に差し出してきた無神経さ。
潮が引くように王妃の国王への愛も引いた。


「待ってくれ」

縋る国王を振り向きもせず王妃は騎士と共に退室をした。
扉が閉じた後は、父とは違い妃の心すらあっという間に離れた事に国王の慟哭が響いた。
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