透明人間

野良

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透明人間11

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「…どこにも…行かないでくれ」

 そう言って抱きついてきた尚人さんの、声と体温が忘れられなかった。


「…リカ、エリカ」

 呼ばれて私ははっ、とした。美穂ちゃんが私の顔を覗き込んでいた。

「どうしたの、ぼーっとして。もう授業、終わったよ」

「あ、うん…」私は答えて、机の上の教科書とノートを片づけようとしたけれど。「ねえ、美穂ちゃん。人を好きになる、ってどんなこと?」

「え…?」

「私は尚人さんを好きだけど、それは家族としてなのかな。それとも…」

 それとも、ひとりの男性として。

「エリカは、尚人さんのことを考えてどきどきする?」

「え?」

「その人のことを忘れられずに、ずっと考えてたりする?」

 私は少し考えて、頷いた。

「じゃあエリカは、尚人さんのこと好きなんだよ」


 好き。

 私は尚人さんのことが、好き。

 だったら、あなたが「行かないで」と言うなら、私はどこにも行かない。

 私も尚人さんの側にいたいから。

**********

 家に帰ると、尚人さんは眠っていた。紘海くんの姿はなかった。

 私は尚人さんの隣りに座る。そして、尚人さんの寝顔を見た。それだけで愛しいと思ったけれど、私が今伝えたいのはーー。


「ん…」尚人さんが目を覚ました。

「ただいま」

「ああ…おかえり。もうそんな時間か…」尚人さんは起き上がった。

「私、ね」私は深呼吸してから切り出した。「私、尚人さんに感謝してる」

「え?」

「私、尚人さんがいなかったら、自分はずっと透明人間だ、って思い込んだままだった。そうしたら、学校に行って友達ができることも、誰かと一緒にいて楽しいって思うことも、誰かを好きになることもできなかった。ありがとう」

 尚人さんが、私をここまで育ててくれた。

 人間にしてくれたから。

「だから、尚人さんがどこにも行かないで、って言うならどこにも行かないから」

「…俺、そんなこと言ってたか?」

 私は頷く。

「…うわー、恥ずかしい」

 頭を抱えた彼を見て、私は笑った。


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