国を滅ぼされた生き残り王女は、男装して運命を切り拓く。

青花美来

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光の導き

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 砦を出発してから、どれくらいの時間が経過しただろう。

 ふと、風が変わったことに気が付いて遠くに視線をやった。

 懐かしい匂いが、微かに鼻を掠める。

 しかし、見慣れていたはずの景色はどこにもなく、全てが遠いもののように霞んで見えた。

 草原の先に広がるのは、崩れた石の残骸。

 かつて"王都"と呼ばれた場所は、今や静寂だけが支配している。


「……ここが、ルミナリアの王都か」


 馬上から見下ろしながら、カイが低く呟く。

 リシェルはゆっくりと頷いた。


「ええ」


 声が少し震えていた。

 懐かしさではない。胸の奥を締めつけるような痛み。失われたものの記憶だ。

 馬を降り、崩れた石畳を一歩ずつ踏みしめていく。

 かつての街並みの面影を探すように、指先が瓦礫に触れる。

 そこかしこに、焼け焦げた木材と崩落した建物の残骸。

 風が吹くたび、灰が舞い上がる。


「五年前の"黒炎"の跡、か」


 カイの言葉に、リシェルは目を閉じて小さく頷いた。

 あの夜の炎。

 崩れ落ちる天井。

 血に染まった階段。

 胸の奥がきしむ。それでも、前へ進む足を止めることはできなかった。

 やがて二人は、崩れかけた城壁の前に辿り着いた。

 瓦礫の奥に、地面に埋もれかけた鉄の扉がある。

 その扉は開かれており、奥には道が顔を出す。

 リシェルはしばらくそれを見つめ、低く呟いた。


「……あの夜、ここから逃げました」


 カイが目を細める。


「裏口か」

「はい。多分、まだ通じているはずです」


 扉の中に入ると、あの日兄の足を挟んだ柱が焦げた状態で倒れていた。

 もちろん。そこに兄の姿も、兄の痕跡も無い。侍女の姿も無い。だが、リシェルには確かにそこに兄と侍女の残像が見えた。

 リシェルは呼吸を置いてから、一歩踏み出す。カイがその背に続いた。


「……リシュ」

「はい」

「本当に、行くんだな」

「ええ。……この国に何が起きたのか、確かめたいんです。確かめないと、いけないんです」


 振り返った彼女の瞳は、もう揺れていなかった。




 崩れた柱を避けながら進んだ先に、冷たい空気が漂っていた。

 記憶を頼りに進んでいるものの、今はどの辺りだろうか。頭の中に王宮内部を思い浮かべてみるものの、あまりにそれとは違いすぎて考えることをやめた。

 カイは初めて入る他国の王宮に落ち着かない様子で、リシェルの様子を伺いながらも辺りを入念に見回す。

 そしてしばらく歩いた先、地下室に向かう階段を見つけた。

 そこは長い年月、誰も足を踏み入れていないはずの場所。だが、階段の向こうに灯る微かな光が、それを否定していた。

 リシェルは息を呑む。

 恐る恐る階段を降りてみると、その先でひとりの影が立っていた。

 黒いローブの裾が揺れ、手の先から淡い光が滴るように零れていた。手が向かう場所には、魔法陣のようなものが。


 光は静かに広がり、その魔法陣の線をなぞる。

 まるで、古い刻印を"消していく"かのように。

 淡く光っていた紋章が、音もなく崩れ落ちる。

 灰のように散り、跡形もなく消えていった。

 影はわずかに動きを止めるとそこに手を置き、しばらくのあいだ何かを確かめるように沈黙した。

 やがて、立ち上がる。

 何も言わず、振り返りもせず、ただ闇の向こうへ歩き去っていく。

 その背が完全に消えた瞬間、空気が急に重くなったような気がして息が詰まった。

 カイが息を潜めて剣に手をかけた。


「……今の、誰だ? 何を消した?」


 リシェルは返事をしなかった。

 ただ、魔法陣の跡があったはずの場所を見つめていた。

 そこにはもう、何の紋章も、何の記録も残っていなかった。

 魔導士の気配が完全に遠ざかるのを待って、リシェルは息をひそめたまま階段を降りた。

 足音を立てないよう、一段一段確かめるように。

 地下の空気はひどく冷たい。けれど、その底に微かな焦げた匂いが混じっているのを、彼女の嗅覚は見逃さなかった。


 ――この匂い、知ってる。


 最後の夜。城を呑み込んだあの黒炎の、焼け焦げた匂いと同じだ。

 そう気がつくと、一気に視界が黒く染まっていくような気がして足を止める。

 しかし、カイが隣からリシェルの肩に手を置き、


「大丈夫か」


 と正気に戻してくれた。

 頷いて、もう一度足を動かす。

 先ほどの魔導士が消した痕跡をカイと二人で調べてみるものの、やはりわずかな魔力があるだけで何も残っていなかった。


「先に進みましょう」

「あぁ」


 薄暗い廊下の先、開け放たれた扉の向こうに、古い部屋があった。

 本棚は崩れ落ち、壁の一部は煤けて黒く染まっている。

 床の中央には、灰にまみれた円の跡。

 魔法陣が描かれていた痕跡が。

 リシェルはゆっくりと近づき、膝をついた。

 ここも消されているようだが、リシェルが近付くと灰の下にうっすらと刻印が浮かび上がる。

 それは見覚えのある紋章。この国の王家を示す印だった。


「どうして……ここに……?」


 リシェルが指先でなぞると、灰の奥から淡い光が滲む。

 熱を持つように刻印が震え、その瞬間。胸元のネックレスがふっと光を返す。


「なにっ……!?」


 リシェルの心臓が跳ねた。


「なんだ、今のは……」

「わかりません……でも、確かにネックレスが……」


 その光はすぐに消えたが、確かに反応した。

 このネックレスは、リシェルが幼い頃に兄からもらったものだ。金の鎖の先に、淡いピンク色に輝く星を彩ったモチーフが繋がっている。それはリシェルにとってお守りであり、兄の形見のように思ってきたものだ。


 "どんな時も、これを外してはいけないよ。必ず、常に身に付けておくんだ"

 "どうしてですか?"

 "このネックレスが、お前を守ってくれるから"


 兄の言葉を思い出し、ネックレスを握る。


 (五年前の夜、何かがここで行われた。そしてその"何か"は、兄と深く関わっている)


 静寂の中、彼女は拳を握りしめる。


「……ここが始まりだったんだ」


 遠くで、風が瓦礫を鳴らす音がした。

 リシェルは立ち上がり、背後に立つカイを振り返る。


「行きましょう。まだ、確かめたいことがあります」


 その瞳には、迷いの欠片もなかった。



 リシェルが歩き出そうとした瞬間、足元の灰がわずかに舞い上がった。

 その中から、かすかに光の粒が浮かび上がる。

 ――微弱な魔力の反応。

 カイは即座に剣の柄に手をかけた。


「おい、リシュ。今、何か……」

「わかっています。でも、これは――」


 言いかけた途端、リシェルの胸元が淡く輝く。

 ネックレスから溢れた光が空気を震わせ、

 床の刻印が呼応するように再び光を放った。


「え……?」


 淡い風が吹き抜け、灰が渦を巻く。


「リシュ、離れろ!」


 カイが腕を伸ばすが、その手より早く、リシェルの身体がふっと揺らいだ。

 灰の中に、光の輪が浮かび上がる。

 それは過去の残響――王の衣をまとった男、フードを被った魔導士。その中心に、ひとりの少女が立っていた。

 光に包まれたその姿は、顔が見えない。けれど、リシェルの胸が強く軋む。息を吸うことさえ、痛い。

 ズキン、と頭の奥を突き刺す痛み。記憶の破片が、押し寄せるように蘇る。


「っ……!」


 リシェルは頭を押さえ、膝をついた。


「リシュ!」


 カイが駆け寄り、肩を支える。


「……だいじょうぶ、です……」

「今のは……!?」

「王宮の、記憶のようです……あの黒炎が起こる、前の」


 掠れた声でそう言い、彼の手を借りて立ち上がる。

 どうしてこんなものが、ネックレスに反応したのかはわからない。だが、今自分がすべきことはわかっている。

 震える足を踏みしめながら、視線を前へ向けた。


「行きましょう。今のうちに」


 カイは短く息を吐き、頷く。


「……わかった」


 二人は再び歩き出し、先へ進む。地下は二箇所から繋がっているため、この先に再び階段があるはずだった。崩れた回廊に、足音だけが響いていく。

 そこを抜けると、予想通り階段が。辺りを警戒しながら登ってしばらく歩いた先に、今度は広間が現れた。

 高い天井は半ば崩れ、陽光が瓦礫の隙間から斜めに差し込んでいる。灰を含んだ風が静かに流れ、割れた石片がかすかに転がった。

 リシェルは足を止め、目を細めた。


「……ここが、謁見の間があった場所です」


 カイがわずかに眉を寄せる。


「内部を知ってるのか?」

「……はい」


 それ以上、彼女は何も言わなかった。

 ただ、微かに震える指先で胸元のネックレスを押さえる。


 次の瞬間――光が脈打った。


 空気がわずかに歪み、床に散った灰がふわりと浮き上がる。


「また……!?」 


 淡い光の粒が輪を描き、やがて像を結んだ。

 崩れる前の謁見の間。

 玉座に座る王と、その前に立つ黒いローブの魔導士。

 二人は何かを話しているが、音は聞こえない。ただ、魔導士の唇が動き、何かを熱弁しているような様子。

 リシェルとカイは息を呑んだまま、その光景を見つめていた。

 ――見覚えがある。

 カイの瞳が細くなる。


「……あいつ、まさか……」


 リシェルの唇が震える。


「……数日前、ヴァルデンの王宮で見た……あの魔導士……!」


 幻の中で、魔導士の姿がゆっくりと背を向ける。

 赤い瞳が一瞬、こちらを見る。

 そしてその視線が、リシェルのそれと交わったような気がして。

 ドクン、と心臓が大きく鳴った。

 同時に光が弾け、幻は音もなく崩れ去る。

 残ったのは灰と、冷たい沈黙だけ。

 カイが息を吐き、低く呟いた。


「……あの時の奴が、この国にも来てたってわけか」


 リシェルは何も言わず、ネックレスを握り締めた。

 冷たい宝石の感触が、確かに現実とリシェルの心をつなぎ止めている。

 ――あの日の黒炎。すべては、あの魔導士から始まっていたのかもしれない。

 カイが顔を上げる。


「行こう。あいつを探しに。急げばまだ間に合う。早くしないと日が暮れる」

「……はい。行きましょう」


 二人は崩れた謁見の間をあとにして、あの魔導士を探すためにヴァルデンへと馬を走らせた。

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