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第四章

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「綺麗だったねー!」

「ね!最後の一番大きいのすごかったね!ムービー撮ればよかったあ」

「あ、わたしムービーにしたよ!あとで送ろうか?」

「えぇ!いいの?ありがとう~!」


隣にいた浴衣姿の女の子二人が楽しそうに話しながら帰っていくのを横目に、わたしは一人、花火大会が終わったあともそこにいた。

人が多いから、落ち着いてから帰ろうと思ったのもあるけど。

今日が終わったら、なんだか本当に"全て"が終わってしまいそうな気がして。そう思ったらなかなか身体が動かなかった。

真っ暗になって、離れたところにあるぼんやりとした街灯以外何も無い高台では月明かりだけがわたしを照らす。

町外れだからか、花火の煙が晴れた向こうに星が綺麗に見えて飽きることなくそれをじっと見つめていた。

ここにくると、いつもいろいろなことを思い出す。

大雅と些細なことで喧嘩したり、馬鹿みたいに笑い合ったり。

中学で四人で毎日飽きるほど話したこと。

四人で出かけたり、大雅とは毎日一緒に帰ったっけ。

修学旅行。行きたかったなあ。

今年は高校の修学旅行が秋に控えている。

今回は入院していないから行けるけれど、いつも以上に周りに迷惑をかけるだろうし、行くかどうか悩んでしまう。


「……本当は、大雅と行きたかったなあ」


今年の修学旅行は、沖縄に行くことが決まっている。

海で遊んだり、有名な水族館に行ったり。

たくさんおいしいものを食べて一緒に笑って。

絶対絶対、一緒に行けたら楽しかっただろうなあ。

だけど、それは夢のまた夢でしかない。

それにもう、わたしが大雅の隣を歩くことはないんだから。

また涙がこぼれそうになって、かき消すように首を数回横に振った。

そうしているうちにいつのまにか人の流れも落ち着いてきたし、名残惜しいけれどわたしもそろそろ帰ろうかな。

そう思ってなんとか足を踏み出した、その瞬間。


「────い!めい!」


え……?

ふと耳を掠めたその声が、わたしの足を止めた。

しかし辺りを見回してみても、その声の主はいないように見えた。

……気のせいか。気持ちが重すぎてついに幻聴まで聴こえるようになっちゃった?


「ははっ……バカみたい」


自分自身の情けなさに笑っていると、


「……芽衣!」


と、もう一度同じ声が聞こえて息を止めた。


「芽衣!どこだ!返事してくれ!芽衣!」


なに……?もしかして、幻聴じゃ……ない?


帰ろうとしている人たちが「どうしたんだろうね?」「人探し?結構深刻そうだけど」と噂している。

心臓が急にバクバクと高鳴り始めて、わなわなと手足が震えてくる。

震えを取ろうと思ってぎゅっと拳を握るけれど、むしろ震えは増すばかりだった。


「芽衣!芽衣!」


切羽詰まったように必死にわたしの名前を叫ぶその声に、わたしは聞き覚えがあった。

小さい頃からずっと隣にいたんだ。わからないわけがない。

その声でいつかまた名前を呼んでもらえるのを、ずっと夢見ていたんだ。

でも実際に呼ばれると、それが信じられなくて。恐る恐る声がする方を見つめた。


「……た、いが……?」


喉からわずかにこぼれ落ちるようなわたしの声は、離れたところからは聞こえるはずがないのに。


「……芽衣!?」


まるでわたしの声に本能で反応したかのように、わたしの元に一直線に向かってくる影。

それが誰かなんて、顔が認識できなくたってすぐにわかった。


「──芽衣!」


ガバッと、強く抱き寄せられた身体。

何が起こっているのか、頭が追いつかない。

走ってきたのだろう、少し汗のにおいを漂わせたその首筋に、無意識に滲んだわたしの涙がこぼれ落ちる。


「……たい、が……?なにこれ、ゆめ……?」


声が震えて、身体が震えて、呼吸が乱れる。

何が起こってるの?

諦めるって決めたのに、大雅のことが恋しいあまりに夢でも見ているのだろうか。

だって、だって。大雅はわたしのことを忘れているはずで。わたしの顔なんて見たくもないはずで。

わたしも大雅のことを忘れて生きていくって、そう決めたのに。

どうして、どうして大雅がわたしの名前を呼ぶの?

どうして大雅がわたしを抱きしめているの?

どうして、大雅がここにいるの?

まるで、わたしを探していたみたいに。そんなわけないのに。


「ごめんっ!本当に、今までごめん……!謝っても謝りきれない。本当にごめん」


どうして、大雅はわたしに謝っているの?

全てがわからなくて、わたしはただ抱きしめられながら涙を流すことしかできない。


「芽衣、芽衣。あぁ、芽衣だ……!」


わたしの存在を確かめるようなその言葉と共に、わたしの肩にも冷たい何かが落ちてきた。

それが涙だとわかったとき、初めて大雅が泣いているのだと気が付いた。


「大雅……?大雅なの……?」


ようやくそう問いかけることができたわたしの声は、ガクガクと震えていて。


「あぁ。大雅だよ」


顔を上げると、大雅がそっと頷いたのがわかる。

今の状況を理解しようと必死に深呼吸を繰り返した。


「なんで……?わたしのこと、忘れてたんじゃ……」

「全部、思い出したんだ」

「え……?うそ……!?」


……全部、思い出した?

つまり、大雅はわたしの存在とあの事故のことを、全て思い出したってこと?

なんでいきなり?どうして?

わたしのそんな気持ちが伝わったのか、大雅は


「龍雅に初めて胸ぐら掴まれて怒鳴られた。で、自分が逃げてるだけだって気づいた。もう逃げたくないって思って。それがきっかけで思い出したんだ」


と呟いて、さらに強く抱きしめてきた。

信じられなかった。何が起こっているのか理解できなかった。

だけど、二年ぶりに呼ばれたわたしの名前。

それだけで、今の話が本当なんだと思える。

思い出してくれたんだ。そう思ったら、もう涙を止めることなんてできなかった。


「芽衣。今まで本当にごめん」


涙声に、首を何度も横に振る。


「大雅は何も悪くないっ。謝るのはわたしの方だよ。大雅をたくさん苦しめて、本当にごめんね」


今までのことを謝ると、大雅も首を横に振った。


「違うんだよ。俺は、俺を助けてくれた芽衣のことを全部忘れていたんだ。自分のせいで芽衣が事故にあったことを全部忘れて、都合の悪いことを全部忘れて、何食わぬ顔して生きてきた。現実から逃げ続けてたんだ。本当はそんな資格、なかったのに。芽衣にありがとうもごめんも伝えないまま、全部から逃げて全部忘れて。俺、本当に最低だった。最低で最悪で、本当にろくでもない人間だった」

「違う!大雅は、ろくでもない人間なんかじゃない。忘れられてたのは確かに悲しかったししんどかった。でも、それは絶対大雅のせいじゃない。わたしが大雅を助けたのも、わたしは何も後悔してない」

「……でも、芽衣はそのときの後遺症があるって……」


大雅の言葉に、わたしは息を止めた。

なんで、大雅がそのこと知ってるの……?


「ごめん、紫苑が全部教えてくれたんだ。俺には絶対言うなって芽衣から言われたけど、俺も知っておくべきだと思うからって」

「……そっか」


紫苑は前から、もし大雅が思い出したら絶対言うべきだって言ってた。わたしが言い出せないだろうからって、代わりに言ってくれたのだろう。


「俺のせいだ。いくら謝っても足りないのはわかってる。けど、まず謝らせてほしい。俺のせいで事故にあわせて、後遺症まで負わせてしまって。本当にごめん」

「ううん。これも運が悪かっただけ。それに……人の表情がわからなくても、わたしは周りに恵まれてるから今は大丈夫。まぁ、この先もずっと周りの人に助けてもらうばかりじゃいけないから、自分の将来もちゃんと考えないといけないけどね」


はは、と泣きながら苦笑いをすると、大雅は一度身体を離してわたしの顔を覗き込む。

今の大雅は一体どんな表情をしているのだろう。

まだ泣いてる?だとしたら、わたしは大丈夫だからもう泣かないで。

その頬に手を伸ばし、そっと目の下に指を這わせる。

震える手に溢れてきた、大粒の涙。

あぁ、やっぱり大雅が泣いてる。

きっと、昔と同じ泣き顔なんだろうな。

顔をクシャってして泣く大雅を思い出していると、わたしの手に大雅の手が重なった。

びくりと肩を震わせていると、大雅がそっと息を吸った。


「……これからは、俺が芽衣を支えたい」

「……え?」

「芽衣のこと、今度からは俺に守らせてほしい」


その言葉が、たまらなく嬉しかった。

やっぱりこれは夢だろうか。そう思うくらい嬉しかった。

本当はその言葉にすがってしまいたい。

ずっと一緒にいてって、言ってしまいたい。

でも、わたしはそれに頷いてはいけないだろう。
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