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28 空き巣にレベルアップした彼
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倹約策の1つだった『2日に1度のお風呂』のマイルールを破り、昨夜も浴槽に浸かって、小綺麗小綺麗と唱えながら己を磨いたわたしは。
約束の時間10分前には、魔法学院正門前に立って、その威風堂々とした建物を見上げていた。
どんな魔法を扱うのか、計り知れない魔法士予備軍がうじゃうじゃ居るこの学院は。
不審者が侵入出来ないように、鉄壁の保護魔法が何重にも掛けられていて、(兄が知り合いの魔法士さんに頼んで、うちに掛けて貰った何倍ものね) 守られてるはずだけれど、それでもやはり定番の門番さんは詰所に2人居て。
その内の1人の職務に忠実なおじさんが、正門前に立つわたしを不審げに見ている。
その視線が、わたしを落ち着かない気持ちにさせる。
ロジャー・アボットに会うなら、小綺麗にしろ、と身内ならではの遠慮の無いアドバイスを兄から貰って、わたしなりの一張羅でやって来た。
大学の入学式とシーズンズの面接時に着た深緑色の春物ワンピースだ。
これなら格式高いペンデルトンホテルの入り口で追い返されることはないと思うけれど。
その一張羅は3年もの間しまいこまれていて、昨夜一晩干したけれど、防虫剤の匂いが取れているか不安なままここまで来た。
今日はどうか、フィニアスがわたしの匂いを嗅ぎませんように、と祈るばかり……
「おはよう、 待たせてごめん!
今日もダニエルはいい香り……
そのディープグリーンのワンピースを着て立っている君は、本当に……
太陽に向かって緑の茎と葉を伸ばす綺麗な瞳の向日葵畑の妖精みたいだ」
昨日の暗さを払拭出来たのか、元気な挨拶をしてくれたフィニアスだけれど。
はあぁ……またこのひとは、おかしな距離感でわたしの頭に鼻を近付ける。
おまけに出だしから訳の分からない褒め言葉? を飛ばしてくる。
深緑色はディープグリーンね、そっちの方がおしゃれに聞こえるね。
いい香りは、防虫剤のナチュラルシャボンの香りです。
昨夜も言われた『綺麗な瞳の向日葵畑の妖精』云々は、どういう意味か聞き返すのも恥ずかしいので、最初から聞こえないふりをしておきます。
……等と思いつつ。
「おはよう、早速入ろう」
何となく気恥ずかしくて、愛想なく促すわたしの手はフィニアスに取られて、脇道に連れていかれる。
「これ、モーリス卿から預かってきた。
本名じゃなくて、これで面会を申し込んで欲しいって」
それは偽の身分証だった。
「……朝からこれを受け取りに行ってくれてたの?」
「ご心配なく、迷わずに外務省まで行けたし、正面入口前で待ち合わせたから。
オムニバスって乗り方覚えたら凄く便利だね、王都内何処でも連れていってくれるし。
俺もこれからはバスで通学することに決めたんだ。
それでさ、外務省にはこの類いの身分証はたくさん用意されてるらしい。
生年月日とか住所とかちゃんと覚えてから、面会を申し込めって」
じゃなくて、朝から兄に呼び出されてごめんなさい、ってことなのに。
わたしは渡された身分証を握り締めた。
「やっぱり、兄さんは……わたしのこと信用して無いのかな。
自分の妹だってバレたくない……」
「それは違うと思うな。
君を信用してるからこそ、魔法学院に行く事も、ロジャーに会う事も止められなかったんだろ?
信用してなかったら、もう動くなと、モーリス卿ならはっきり言うよ。
君の将来については、次のお父上の帰国に合わせて家族で話し合おうと思ってる、と仰っていた。
それまで、本当は魔法庁には接触させたくないけどな、って」
「…分かった、だけどそこまで考えてるなら、少しくらい言葉にしてくれてもいいのにね」
「お前が言うか、ってやつだけど、言葉足らずや思い込みで誤解するのは、俺だけで充分だから、君にはお兄さんとすれ違って欲しくないんだ。
それとさ、これ……先に渡しておくから、受け取って」
ロジャーに対する実感のこもった言葉で兄の心情を明かしてくれたフィニアスが、ポケットから小さなケースを取り出して、わたしに見せた。
ちょっと待って、その箱はわたしのような馬鹿にでも分かる。
手のひらに乗せて、パカッと開くあれ、指輪のケース!
「あのさ……ダニエルには将来を約束した人は居るの?」
えっ、開かれた台座に鎮座した指輪をぼーっと見ていたわたしは、一瞬彼が何を言ったのか、聞き取れなかった。
だって! 指輪だよ? 指輪!
「それに、好きな人は……居ない?」
「……す、好きな?」
……好きな人は、貴方ですが……とは、口が裂けても言えないわたしは頷いた。
好きな人が居るか、について否定も肯定もせずに上手く誤魔化せたと自分では思っていたんだけど。
フィニアスは凄くいい笑顔になって。
「よかった! じゃあ、これ!
もし、ロジャーの奴が君に失礼な態度を見せたら、この指輪を見せて」
そう言いながら、彼はわたしの右手を取って、薬指にそれをはめた。
右手……そうだよね、右手。
わたしは何を期待したんだろう。
「……この指輪は、フィニアスの友達だと認めて貰える保険なんだ?」
「……うん」
一言だけの彼の返事を聞きながら、空に自分の右手をかざして指輪を眺める。
薄い黄色に薄い緑色が混じるような、複雑な色をした宝石が付いている。
パッと目を引く大きさの石ではないけれど、どこか懐かしいようなその優しい色合いと輝きから目が離せない。
「……それさ、母の指輪で。
一族の者なら、皆知ってるから」
えーっ、それって……わたしは血の気が引いた。
石は小さくても、絶対に物凄いお値段の……指輪じゃないの?
それを? お母様の指輪を、勝手に持ち出してきたの!?
彼はとうとう無銭飲食と無賃乗車の常習犯から空き巣に、レベルアップした。
約束の時間10分前には、魔法学院正門前に立って、その威風堂々とした建物を見上げていた。
どんな魔法を扱うのか、計り知れない魔法士予備軍がうじゃうじゃ居るこの学院は。
不審者が侵入出来ないように、鉄壁の保護魔法が何重にも掛けられていて、(兄が知り合いの魔法士さんに頼んで、うちに掛けて貰った何倍ものね) 守られてるはずだけれど、それでもやはり定番の門番さんは詰所に2人居て。
その内の1人の職務に忠実なおじさんが、正門前に立つわたしを不審げに見ている。
その視線が、わたしを落ち着かない気持ちにさせる。
ロジャー・アボットに会うなら、小綺麗にしろ、と身内ならではの遠慮の無いアドバイスを兄から貰って、わたしなりの一張羅でやって来た。
大学の入学式とシーズンズの面接時に着た深緑色の春物ワンピースだ。
これなら格式高いペンデルトンホテルの入り口で追い返されることはないと思うけれど。
その一張羅は3年もの間しまいこまれていて、昨夜一晩干したけれど、防虫剤の匂いが取れているか不安なままここまで来た。
今日はどうか、フィニアスがわたしの匂いを嗅ぎませんように、と祈るばかり……
「おはよう、 待たせてごめん!
今日もダニエルはいい香り……
そのディープグリーンのワンピースを着て立っている君は、本当に……
太陽に向かって緑の茎と葉を伸ばす綺麗な瞳の向日葵畑の妖精みたいだ」
昨日の暗さを払拭出来たのか、元気な挨拶をしてくれたフィニアスだけれど。
はあぁ……またこのひとは、おかしな距離感でわたしの頭に鼻を近付ける。
おまけに出だしから訳の分からない褒め言葉? を飛ばしてくる。
深緑色はディープグリーンね、そっちの方がおしゃれに聞こえるね。
いい香りは、防虫剤のナチュラルシャボンの香りです。
昨夜も言われた『綺麗な瞳の向日葵畑の妖精』云々は、どういう意味か聞き返すのも恥ずかしいので、最初から聞こえないふりをしておきます。
……等と思いつつ。
「おはよう、早速入ろう」
何となく気恥ずかしくて、愛想なく促すわたしの手はフィニアスに取られて、脇道に連れていかれる。
「これ、モーリス卿から預かってきた。
本名じゃなくて、これで面会を申し込んで欲しいって」
それは偽の身分証だった。
「……朝からこれを受け取りに行ってくれてたの?」
「ご心配なく、迷わずに外務省まで行けたし、正面入口前で待ち合わせたから。
オムニバスって乗り方覚えたら凄く便利だね、王都内何処でも連れていってくれるし。
俺もこれからはバスで通学することに決めたんだ。
それでさ、外務省にはこの類いの身分証はたくさん用意されてるらしい。
生年月日とか住所とかちゃんと覚えてから、面会を申し込めって」
じゃなくて、朝から兄に呼び出されてごめんなさい、ってことなのに。
わたしは渡された身分証を握り締めた。
「やっぱり、兄さんは……わたしのこと信用して無いのかな。
自分の妹だってバレたくない……」
「それは違うと思うな。
君を信用してるからこそ、魔法学院に行く事も、ロジャーに会う事も止められなかったんだろ?
信用してなかったら、もう動くなと、モーリス卿ならはっきり言うよ。
君の将来については、次のお父上の帰国に合わせて家族で話し合おうと思ってる、と仰っていた。
それまで、本当は魔法庁には接触させたくないけどな、って」
「…分かった、だけどそこまで考えてるなら、少しくらい言葉にしてくれてもいいのにね」
「お前が言うか、ってやつだけど、言葉足らずや思い込みで誤解するのは、俺だけで充分だから、君にはお兄さんとすれ違って欲しくないんだ。
それとさ、これ……先に渡しておくから、受け取って」
ロジャーに対する実感のこもった言葉で兄の心情を明かしてくれたフィニアスが、ポケットから小さなケースを取り出して、わたしに見せた。
ちょっと待って、その箱はわたしのような馬鹿にでも分かる。
手のひらに乗せて、パカッと開くあれ、指輪のケース!
「あのさ……ダニエルには将来を約束した人は居るの?」
えっ、開かれた台座に鎮座した指輪をぼーっと見ていたわたしは、一瞬彼が何を言ったのか、聞き取れなかった。
だって! 指輪だよ? 指輪!
「それに、好きな人は……居ない?」
「……す、好きな?」
……好きな人は、貴方ですが……とは、口が裂けても言えないわたしは頷いた。
好きな人が居るか、について否定も肯定もせずに上手く誤魔化せたと自分では思っていたんだけど。
フィニアスは凄くいい笑顔になって。
「よかった! じゃあ、これ!
もし、ロジャーの奴が君に失礼な態度を見せたら、この指輪を見せて」
そう言いながら、彼はわたしの右手を取って、薬指にそれをはめた。
右手……そうだよね、右手。
わたしは何を期待したんだろう。
「……この指輪は、フィニアスの友達だと認めて貰える保険なんだ?」
「……うん」
一言だけの彼の返事を聞きながら、空に自分の右手をかざして指輪を眺める。
薄い黄色に薄い緑色が混じるような、複雑な色をした宝石が付いている。
パッと目を引く大きさの石ではないけれど、どこか懐かしいようなその優しい色合いと輝きから目が離せない。
「……それさ、母の指輪で。
一族の者なら、皆知ってるから」
えーっ、それって……わたしは血の気が引いた。
石は小さくても、絶対に物凄いお値段の……指輪じゃないの?
それを? お母様の指輪を、勝手に持ち出してきたの!?
彼はとうとう無銭飲食と無賃乗車の常習犯から空き巣に、レベルアップした。
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