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第10話 イシュトヴァーン・ミハン①
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「アグネス・スローン嬢、綺麗になられたね!
ノイエから貴女の名前を聞いて、会いたくて久々に社交の場に出たよ」
4年ぶりに会ったかつての教え子は、14歳になり。
夜会用のドレスを纏って、美しく成長していた。
「ご無沙汰しております。
先生も……素敵になられて」
「これが未だに苦しくてね」
ストロノーヴァ・イシュトヴァーン・ミハンはそう言いながら、首元のブラックタイを緩めた。
今宵は春のデビュタントの夜会が、トルラキアの王城で開かれていた。
彼の甥のオルツォ・マルーク・ノイエの記念すべき夜。
甥のパートナーが、かつての教え子だと聞いて、久し振りにミハンは正礼装に袖を通した。
アグネスに会えるのも楽しみだったが、何より。
今朝、当代の祖父の所に挨拶にきたノイエから
『アグネス嬢が叔父上に会いたがっているが、何かを相談したいのではないかと思う』と、聞かされていたからだ。
自分でも、自分があまり社交的でないことは自覚していたから、ここはひとつ直接に本人を誘ってみようかと考えたのだ。
引きこもりの変人の息子の久々の晴れ姿に、彼の母は狂喜乱舞の一歩手前の、とにかく大騒ぎだった。
「やはりミハン、貴方まだまだいけるわ!
希望は捨ててはいけないわ!」
まだまだいける、とは。
希望は捨てては、とは。
母の言わんとしていることは充分わかっていたが。
それには応えられそうもない。
ストロノーヴァ公爵家のミハンは変人。
もうそれでいいじゃないか。
いつまでも、今でも。
亡くなった恋人を忘れない男。
そうなることをアドリアナが最後に願ったのなら。
久し振りに社交界に顔を出したミハンには、次々と声がかけられた。
彼女が亡くなった時、遺された遺書に綴られたミハンとの愛の思い出を、そんなことは有り得ないと、彼女の家族に証言しようとしてくれていた友人達だった。
それを断ったのはミハンだったのに、彼等は今でも友人だと扱ってくれる。
今度は昼食会ででも、皆で集まろうと誘われて、ミハンは曖昧に微笑んだ。
友人達はそれを見て気付く。
未だにミハンが誰かと繋がることを、恐れていることに。
誰かから何かの感情を、個人的にむけられるのを恐れていることに。
そしてミハンは曖昧な態度のまま、離れていこうとして。
友人達はそれを見送るしかなかった。
誰だ、時が経てば解決すると言った奴は?
ミハンは何年経っても、回復していない。
当時、ミハンはアドリアナの家族から口々に罵られた。
『娘の人生を踏みにじりやがって!』
『妹は、お前のせいで死んだんだ!』
どっちがだ、ミハンの人生は踏みにじられて、彼の心は死んだも同然だ。
ミハンに片想いして、しつこく付きまとい、トルラキアにまで追いかけたのに相手にされずに、勝手に死んだアドリアナ・バウアー。
彼女の脳内では、ミハンは自分に運命を囁いて夢中にさせて、純潔を奪って、飽きたと棄てた男になっていて。
だが、真実の愛に気付いたミハンは再び彼女を求めてきて。
親が決めた男性と婚約していたアドリアナは、婚約者と運命で結ばれた恋人ミハンとのどちらも選べないから、死を選ぶと遺書にそれをしたためたのだ。
◇◇◇
「たまにアシュフォード殿下から便りをいただいていてね?
今はリヨンにおられるんだったよね?」
「……はい、その様に伺っております」
「またお会いしたいと、お伝え願えるかな?
もちろん、君も是非」
「はい、その時はどうぞよろしくお願い致します」
さりげなくノイエがアグネスから離れたので、ミハンはアグネスに聞いてみた。
「……何か、話があるのではないの、僕に」
「……」
「ノイエから君が僕に会いたがっていると、今朝聞いて」
「……」
「今度ゆっくり、邸に来て貰えたら」
どうしたのだろう、自分が知っていると思っていたアグネスという少女は、こんな感じだっただろうか。
確かに口に出せない何かを抱えていたようなところも見られたが、比較的自分には話してくれていたように思えたのに。
「……一昨年、姉が、クラリスが亡くなりました」
アグネスの姉が死んだ?
クラリス・スローンだ、彼女が死んだ?
今の今まで、特に思い出しもしなかったのに。
これからも特に思い出しもしないだろう名前だったのに。
その姿が一瞬で、鮮やかに甦ってきた。
何度か好きだと告白されて。
すげない態度を取っても、自由席の授業でいつも最前列に座っていた。
昼休みに図書室で時間を潰していると、顔を出して照れていた。
何か話したいのかと身構えても、彼女も本を出してきて。
会話を交わすより、ただ隣に座り、お互いに本を読んでいる時間の方が長かった。
その彼女が、亡くなった?
どうして亡くなったのかと聞けない自分の勇気の無さに、自分でも驚いた。
「……君にお悔やみを、お悔やみを言わないといけないのだけれど。
申し訳ないけれど、少し……後にしてもいいかな」
それだけしか、言えなかった。
声が震えてしまっていたかもしれない。
こんなに彼女が死んだことに衝撃を受けるなんて。
病気か、事故か、頼むから自殺ではないと、言ってくれ。
だが、確認するのが怖くて。
ミハンはアグネスに背を向けた。
自分の態度を、彼女は不審に思っただろう。
姉とは一体、どんな関係なんだと。
アドリアナともクラリスとも、何の関係も持っていなかった。
自分を責めるアドリアナの家族の声が、耳にこだまする。
アグネスも、そんな風に自分を睨み付けて、大声で責めるのだろうか。
だから、俺に会いたいと。
『姉はお前のせいで死んだんだ!』と。
もうデビュタント会場には戻れなくて。
ミハンはそっと公爵家の馬車を呼んで。
一旦先に自分だけを送ってほしいと、頼んだ。
ノイエから貴女の名前を聞いて、会いたくて久々に社交の場に出たよ」
4年ぶりに会ったかつての教え子は、14歳になり。
夜会用のドレスを纏って、美しく成長していた。
「ご無沙汰しております。
先生も……素敵になられて」
「これが未だに苦しくてね」
ストロノーヴァ・イシュトヴァーン・ミハンはそう言いながら、首元のブラックタイを緩めた。
今宵は春のデビュタントの夜会が、トルラキアの王城で開かれていた。
彼の甥のオルツォ・マルーク・ノイエの記念すべき夜。
甥のパートナーが、かつての教え子だと聞いて、久し振りにミハンは正礼装に袖を通した。
アグネスに会えるのも楽しみだったが、何より。
今朝、当代の祖父の所に挨拶にきたノイエから
『アグネス嬢が叔父上に会いたがっているが、何かを相談したいのではないかと思う』と、聞かされていたからだ。
自分でも、自分があまり社交的でないことは自覚していたから、ここはひとつ直接に本人を誘ってみようかと考えたのだ。
引きこもりの変人の息子の久々の晴れ姿に、彼の母は狂喜乱舞の一歩手前の、とにかく大騒ぎだった。
「やはりミハン、貴方まだまだいけるわ!
希望は捨ててはいけないわ!」
まだまだいける、とは。
希望は捨てては、とは。
母の言わんとしていることは充分わかっていたが。
それには応えられそうもない。
ストロノーヴァ公爵家のミハンは変人。
もうそれでいいじゃないか。
いつまでも、今でも。
亡くなった恋人を忘れない男。
そうなることをアドリアナが最後に願ったのなら。
久し振りに社交界に顔を出したミハンには、次々と声がかけられた。
彼女が亡くなった時、遺された遺書に綴られたミハンとの愛の思い出を、そんなことは有り得ないと、彼女の家族に証言しようとしてくれていた友人達だった。
それを断ったのはミハンだったのに、彼等は今でも友人だと扱ってくれる。
今度は昼食会ででも、皆で集まろうと誘われて、ミハンは曖昧に微笑んだ。
友人達はそれを見て気付く。
未だにミハンが誰かと繋がることを、恐れていることに。
誰かから何かの感情を、個人的にむけられるのを恐れていることに。
そしてミハンは曖昧な態度のまま、離れていこうとして。
友人達はそれを見送るしかなかった。
誰だ、時が経てば解決すると言った奴は?
ミハンは何年経っても、回復していない。
当時、ミハンはアドリアナの家族から口々に罵られた。
『娘の人生を踏みにじりやがって!』
『妹は、お前のせいで死んだんだ!』
どっちがだ、ミハンの人生は踏みにじられて、彼の心は死んだも同然だ。
ミハンに片想いして、しつこく付きまとい、トルラキアにまで追いかけたのに相手にされずに、勝手に死んだアドリアナ・バウアー。
彼女の脳内では、ミハンは自分に運命を囁いて夢中にさせて、純潔を奪って、飽きたと棄てた男になっていて。
だが、真実の愛に気付いたミハンは再び彼女を求めてきて。
親が決めた男性と婚約していたアドリアナは、婚約者と運命で結ばれた恋人ミハンとのどちらも選べないから、死を選ぶと遺書にそれをしたためたのだ。
◇◇◇
「たまにアシュフォード殿下から便りをいただいていてね?
今はリヨンにおられるんだったよね?」
「……はい、その様に伺っております」
「またお会いしたいと、お伝え願えるかな?
もちろん、君も是非」
「はい、その時はどうぞよろしくお願い致します」
さりげなくノイエがアグネスから離れたので、ミハンはアグネスに聞いてみた。
「……何か、話があるのではないの、僕に」
「……」
「ノイエから君が僕に会いたがっていると、今朝聞いて」
「……」
「今度ゆっくり、邸に来て貰えたら」
どうしたのだろう、自分が知っていると思っていたアグネスという少女は、こんな感じだっただろうか。
確かに口に出せない何かを抱えていたようなところも見られたが、比較的自分には話してくれていたように思えたのに。
「……一昨年、姉が、クラリスが亡くなりました」
アグネスの姉が死んだ?
クラリス・スローンだ、彼女が死んだ?
今の今まで、特に思い出しもしなかったのに。
これからも特に思い出しもしないだろう名前だったのに。
その姿が一瞬で、鮮やかに甦ってきた。
何度か好きだと告白されて。
すげない態度を取っても、自由席の授業でいつも最前列に座っていた。
昼休みに図書室で時間を潰していると、顔を出して照れていた。
何か話したいのかと身構えても、彼女も本を出してきて。
会話を交わすより、ただ隣に座り、お互いに本を読んでいる時間の方が長かった。
その彼女が、亡くなった?
どうして亡くなったのかと聞けない自分の勇気の無さに、自分でも驚いた。
「……君にお悔やみを、お悔やみを言わないといけないのだけれど。
申し訳ないけれど、少し……後にしてもいいかな」
それだけしか、言えなかった。
声が震えてしまっていたかもしれない。
こんなに彼女が死んだことに衝撃を受けるなんて。
病気か、事故か、頼むから自殺ではないと、言ってくれ。
だが、確認するのが怖くて。
ミハンはアグネスに背を向けた。
自分の態度を、彼女は不審に思っただろう。
姉とは一体、どんな関係なんだと。
アドリアナともクラリスとも、何の関係も持っていなかった。
自分を責めるアドリアナの家族の声が、耳にこだまする。
アグネスも、そんな風に自分を睨み付けて、大声で責めるのだろうか。
だから、俺に会いたいと。
『姉はお前のせいで死んだんだ!』と。
もうデビュタント会場には戻れなくて。
ミハンはそっと公爵家の馬車を呼んで。
一旦先に自分だけを送ってほしいと、頼んだ。
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