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第82話
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バーモント辺境伯家は西の国境を守る、王家に匹敵する名家。
その軍事力は王家を凌ぐとも言われている事は、デビュタントをしたばかりの私でも存じておりました。
辺境伯夫人はとても楽しそうに見えて。
酔っていらっしゃるのがわかりました。
それで少し不安にも思ったのですが、私は……
どなたでもいいから、お話をしたかったのです。
この夜会で誰でもいいから女性とお話をしたかった。
「想像していたより……ケイトリンに似てこられて」
ケイトリンとは、母の名前です。
辺境伯夫人は母とは親しくされていたのでしょうか?
その様な話は母からも父からも、祖母からも聞いていませんでした。
父やクラリスに似ていると、何度か言われたことはあっても、美しかった母に似ていると言われたのは初めてでした。
この御方は酔っていらっしゃるけれど、楽しそうにされていて母の知り合いならば怖がらなくても大丈夫。
ですが、思っていたより近付いてこられた夫人に手を伸ばされて。
頬に掌を添われて驚きました。
身体に触れるなど、何より顔に触れるなど。
そんな親しい仲ではないのに。
「無理矢理押し付けて、3年も無駄にさせて……あの3兄弟め!」
辺境伯夫人の口許は微笑んでいるようにも、歪んでいるようにも、見えて。
でも、その目は笑っていない。
私は怖くて、夫人の手を払うことも出来ませんでした。
すると、誰かが夫人の手首を掴んで、その手を私から離してくれたのです。
戻ってこられたアシュフォード殿下でした。
「いささか、酒量を過ごされたようですね
別に部屋を用意させましょう」
それと同時に、あちらに佇んでおられた男性も、夫人の後ろに立っていて。
よく見ると、マーシャル様でした。
「失礼ですが、お身体に触れます」
そうお声をかけられて、夫人の肩を押さえる様に手を当てられました。
私は後ろから来られた殿下に気付いていませんでしたが、夫人からは見えていたのに。
どうして私に触れたのでしょう。
辺境伯夫人は機嫌良く、笑いながら。
殿下に向かってカーテシーをなさいました。
それまでゆらゆらと身体を揺らされておられたのに、この時は、お辞儀の角度、その伸ばした指先まで。
さすがの名家のご婦人の完璧なカーテシーでした。
「新年おめでとうございます、王弟殿下。
私これからスローン侯爵令嬢に、我が領に遊びにいらっしゃいませんかと、お誘いするところでしたのよ」
「……」
相変わらず口調は楽しげなのですが、何か不穏な雰囲気を纏い始めていました。
殿下はご返事なさらなかったのに、お話を続けられます。
「ご存じないでしょうけれど、私の方が早くから、でしたの。
それを……横から。
亡くなって直ぐに切り替えがお早いのは、さすが王族でいらっしゃる」
「レイ、早く連れていけ!」
短く殿下が仰せになって、マーシャル様が急いで、夫人をこの場から下がらそうと腕を取り、ホールまでエスコートしようとなさいました。
辺境伯夫人は一旦は、マーシャル様に右手を預けて、立ち去ろうとされたのに、足を止められ振り返って、こう仰ったのです。
「王弟殿下、少なくとも私は、誰かの代わりにしたい訳じゃありませんの」
殿下と呼び掛けながら、夫人の目は私を見ていました。
私に聞かせたいのです。
「またね、アグネス様」
あくまでもご機嫌な口調のまま、辺境伯夫人はマーシャル様に連れられて、テラスを出ていかれました。
傍らに立つ殿下を見上げると。
焚き火台の炎が殿下の顔を照らしていました。
強く唇を噛まれていて、その瞳は私が今まで知っていた『お優しい殿下』とは、違うひとのように見えました。
◇◇◇
まず、自分の愚かさをお詫びする前に。
私を守ろうとした護衛騎士様を罰しないようにお願いをしました。
私が騎士様を止めたのです。
「心配しなくてもいい、護衛を罰したりしないから。
男共が近付いたら蹴散らせと、命じていたんだ」
「本当に申し訳ありません。
……私、誰でもいいから、女性の方とお話をしたかったのです」
私の考えなしの行動が、殿下を不愉快にさせてしまった。
今夜の為に、私に心を砕いてくださった殿下に。
殿下が手を引いてくださって、再び長椅子に座りました。
私の手を離す事なく殿下は、話し始めました。
「君は、身代わりなんかじゃない。
俺にとっては唯一のひとだ」
辺境伯夫人が仰せになった『誰かの代わり』という言葉。
今更、それを聞かされたところで……
そうぼんやりと思っていたら。
『あの女が君に執着しているわけも聞いてほしい』と、仰られました。
そして初めて聞かされたのです。
6年半前、私が9歳の夏。
辺境伯家から打診された縁組の事を。
『初恋を貫く男』と呼ばれるご嫡男の事。
私の代わりに、バージニア元王女殿下が条件付きで辺境に送られた事。
それを聞かされて私は。
2年前に亡くなられたバージニア殿下は落馬事故だったと聞いておりました。
乗っておられた馬の耳に蜂が飛び込んで、暴れた馬から振り落とされて首の骨を、と。
でも、それが。
あの辺境伯夫人のお眼鏡に叶わなかったせいだったとしたら?
このテラスには沢山の焚き火台が設置されていて。
暖かな膝掛けも用意されていて。
私は殿下の上着も羽織らせていただいて。
寒くはないのに、震えがきて。
私は殿下からの上着を、身体の前で両手を合わせてぎゅっと握りました。
そうなるかもしれないのに、条件を付けて、王女殿下を預けた王家と。
辺境伯家の数年にわたる計画。
かつて母から言われた言葉を思い出しました。
私では『身の丈が合わない』と、言われたのです。
あの時は私が幼いから。
高価な贈り物等してはいけないと。
それを言われたのだと思っていましたが。
本当は、母はこれを言いたかったのだと思いました。
私のように弱い女は、殿下の隣に立てない、と。
「早く婚約したい」
握る手に少しだけ力を込めて、殿下が仰ってくれましたが、私は頷けませんでした。
クラリスなら、噂も、貴族間の思惑も、上手く対処出来た様な気がしました。
でも、私には出来ない。
私は貴方の隣に相応しくないと、この夜思い知らされたのでした。
その軍事力は王家を凌ぐとも言われている事は、デビュタントをしたばかりの私でも存じておりました。
辺境伯夫人はとても楽しそうに見えて。
酔っていらっしゃるのがわかりました。
それで少し不安にも思ったのですが、私は……
どなたでもいいから、お話をしたかったのです。
この夜会で誰でもいいから女性とお話をしたかった。
「想像していたより……ケイトリンに似てこられて」
ケイトリンとは、母の名前です。
辺境伯夫人は母とは親しくされていたのでしょうか?
その様な話は母からも父からも、祖母からも聞いていませんでした。
父やクラリスに似ていると、何度か言われたことはあっても、美しかった母に似ていると言われたのは初めてでした。
この御方は酔っていらっしゃるけれど、楽しそうにされていて母の知り合いならば怖がらなくても大丈夫。
ですが、思っていたより近付いてこられた夫人に手を伸ばされて。
頬に掌を添われて驚きました。
身体に触れるなど、何より顔に触れるなど。
そんな親しい仲ではないのに。
「無理矢理押し付けて、3年も無駄にさせて……あの3兄弟め!」
辺境伯夫人の口許は微笑んでいるようにも、歪んでいるようにも、見えて。
でも、その目は笑っていない。
私は怖くて、夫人の手を払うことも出来ませんでした。
すると、誰かが夫人の手首を掴んで、その手を私から離してくれたのです。
戻ってこられたアシュフォード殿下でした。
「いささか、酒量を過ごされたようですね
別に部屋を用意させましょう」
それと同時に、あちらに佇んでおられた男性も、夫人の後ろに立っていて。
よく見ると、マーシャル様でした。
「失礼ですが、お身体に触れます」
そうお声をかけられて、夫人の肩を押さえる様に手を当てられました。
私は後ろから来られた殿下に気付いていませんでしたが、夫人からは見えていたのに。
どうして私に触れたのでしょう。
辺境伯夫人は機嫌良く、笑いながら。
殿下に向かってカーテシーをなさいました。
それまでゆらゆらと身体を揺らされておられたのに、この時は、お辞儀の角度、その伸ばした指先まで。
さすがの名家のご婦人の完璧なカーテシーでした。
「新年おめでとうございます、王弟殿下。
私これからスローン侯爵令嬢に、我が領に遊びにいらっしゃいませんかと、お誘いするところでしたのよ」
「……」
相変わらず口調は楽しげなのですが、何か不穏な雰囲気を纏い始めていました。
殿下はご返事なさらなかったのに、お話を続けられます。
「ご存じないでしょうけれど、私の方が早くから、でしたの。
それを……横から。
亡くなって直ぐに切り替えがお早いのは、さすが王族でいらっしゃる」
「レイ、早く連れていけ!」
短く殿下が仰せになって、マーシャル様が急いで、夫人をこの場から下がらそうと腕を取り、ホールまでエスコートしようとなさいました。
辺境伯夫人は一旦は、マーシャル様に右手を預けて、立ち去ろうとされたのに、足を止められ振り返って、こう仰ったのです。
「王弟殿下、少なくとも私は、誰かの代わりにしたい訳じゃありませんの」
殿下と呼び掛けながら、夫人の目は私を見ていました。
私に聞かせたいのです。
「またね、アグネス様」
あくまでもご機嫌な口調のまま、辺境伯夫人はマーシャル様に連れられて、テラスを出ていかれました。
傍らに立つ殿下を見上げると。
焚き火台の炎が殿下の顔を照らしていました。
強く唇を噛まれていて、その瞳は私が今まで知っていた『お優しい殿下』とは、違うひとのように見えました。
◇◇◇
まず、自分の愚かさをお詫びする前に。
私を守ろうとした護衛騎士様を罰しないようにお願いをしました。
私が騎士様を止めたのです。
「心配しなくてもいい、護衛を罰したりしないから。
男共が近付いたら蹴散らせと、命じていたんだ」
「本当に申し訳ありません。
……私、誰でもいいから、女性の方とお話をしたかったのです」
私の考えなしの行動が、殿下を不愉快にさせてしまった。
今夜の為に、私に心を砕いてくださった殿下に。
殿下が手を引いてくださって、再び長椅子に座りました。
私の手を離す事なく殿下は、話し始めました。
「君は、身代わりなんかじゃない。
俺にとっては唯一のひとだ」
辺境伯夫人が仰せになった『誰かの代わり』という言葉。
今更、それを聞かされたところで……
そうぼんやりと思っていたら。
『あの女が君に執着しているわけも聞いてほしい』と、仰られました。
そして初めて聞かされたのです。
6年半前、私が9歳の夏。
辺境伯家から打診された縁組の事を。
『初恋を貫く男』と呼ばれるご嫡男の事。
私の代わりに、バージニア元王女殿下が条件付きで辺境に送られた事。
それを聞かされて私は。
2年前に亡くなられたバージニア殿下は落馬事故だったと聞いておりました。
乗っておられた馬の耳に蜂が飛び込んで、暴れた馬から振り落とされて首の骨を、と。
でも、それが。
あの辺境伯夫人のお眼鏡に叶わなかったせいだったとしたら?
このテラスには沢山の焚き火台が設置されていて。
暖かな膝掛けも用意されていて。
私は殿下の上着も羽織らせていただいて。
寒くはないのに、震えがきて。
私は殿下からの上着を、身体の前で両手を合わせてぎゅっと握りました。
そうなるかもしれないのに、条件を付けて、王女殿下を預けた王家と。
辺境伯家の数年にわたる計画。
かつて母から言われた言葉を思い出しました。
私では『身の丈が合わない』と、言われたのです。
あの時は私が幼いから。
高価な贈り物等してはいけないと。
それを言われたのだと思っていましたが。
本当は、母はこれを言いたかったのだと思いました。
私のように弱い女は、殿下の隣に立てない、と。
「早く婚約したい」
握る手に少しだけ力を込めて、殿下が仰ってくれましたが、私は頷けませんでした。
クラリスなら、噂も、貴族間の思惑も、上手く対処出来た様な気がしました。
でも、私には出来ない。
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