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最終章 『最愛』

第四話 誠

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細く長い壇上には、一枚の長く白い上質な布が掛けられている。その上には夥しい程の数のマイクが乗せられており、そのマイクの先は全て、壇上にたった一人座っている人物の方向を向けられていた。


カメラのフラッシュは、至る所から弾幕の様に焚かれていて、一般人なら絶対に目を開けていられない状況なのだが、その壇上に、堂々とした風格を有して座っている人物は、ぴくりとも微動だにせず前を向いている。そんな人物に向けて口火を切ったインタビュアーは、まず、その人物の功績を讃える文言をその人物にむけて放った。


『矢澤選手。今回のオリンピックで残された成績は、歴代の国内選手の記録を大きく塗り替える物でしたが、初めから手応えを感じていらっしゃったんでしょうか?』

「手応えらしい手応えは、いつも感じていません。感じているのは、いつだってプレッシャーだけですね。ただ、課題を楽しめる余裕だけは自分の中にも持つ様に努力しています」

『つまり、今回の金メダルを手にする時も、心の中では常に、課題を楽しめるだけの余裕を持っていたという事でしょうか?』

「はい、そうですね。オリンピックの選考期間中は、周囲の人達の為にも何とか良いメダルを持って帰りたいと焦ってばかりで、楽しもうという余裕はあまり考えられませんでしたが、オリンピック本番では最後まで楽しく、それでいて集中して目の前の課題に取り組む事が出来ました」

『それは、以前から話題に上がっている、現在お付き合いしているというフィアンセの方の影響もあるんでしょうか?公私共に充実していらっしゃるから、結果にもそれが結び付いたのでは?』


その人物は、無作法なぶっ込みを掛けてきたインタビュアーに向けて視点を合わせると、遠回しではなく、殆ど直球でプライベートな問題に食い込んでくるインタビュアーに、にこり、と意見を封殺する笑みを浮かべた。


『プライベートな部分に関しては、ノーコメントで。それ以外の質問なら、受け付けます』

『でしたら、現在のコーチとの不仲説に対して、何かご意見をお聞かせください。フィアンセとの関わり方について注意を受けてから、犬猿の仲になっていたとの噂でしたが、和解は成立したんですか?』


プライベートな話題と選手として答えるべき内容のギリギリアウトな話題をまたしてもぶっ込んでくるインタビュアーに、今度は穏やかではない鋭い眼差しを向けながら、それでも口元には薄らとした笑みを浮かべて。


その人物は、自分の口元に人差し指を、すう、と持って行き。


『黙秘する』という態度と、鋭い眼差しを記者団に向けた。


絶対王者の風格。その場にいる歴戦の猛者であるインタビュアー達全員が、口を閉ざし、ごくり、と息を呑んだ。


「………コーチである父と、俺のフィアンセの噂については、これまでです。もしも、まだその話に拘るなら、父と相談して、これから先、オリンピック関係に関する一切の取材には応えない可能性があります。これは、脅しではありません。ただ単に事実を確認しているだけです。悪しからず」


他者を無言のまま圧倒する自分自身の類稀な容姿体格。そして、自分のネームバリューを誰よりも理解しているその人物は、『これ以上プライベートな内容ばかりに拘る様なら、新しいはネタは渡さないからな』という無言の威圧を背後に配置して、ゆったりとした仕草で、顔の前で手を組んだ。


しかし。


『では、最後に一つだけ。今回の金メダルによって、現在矢澤選手の専属コーチである父親の矢澤 律元選手の記録にメダルの色で並んだ訳ですが、その結果報告は、誰に一番にされたんですか?矢澤元選手のパートナーで、矢澤元選手の専属トレーナーであった、矢澤 真澄さんでしょうか?』


その人物の地雷とする内容を、とうとう口にする人物が現れた。にやにやとした、だらしなくも含みを持った笑みを浮かべて、壇上にいるその人物、矢澤 誠に、続け様に不躾な質問をぶつけていく。


『旧姓、細川 真澄さんは、矢澤元選手の専属トレーナーになる為に渡米し、其処でトレーナーと通話としての資格を得ていますが、帰国して早々に矢澤元選手の専属トレーナーになっても、様々な家庭問題を引き起こしましたよね。世論からの圧力に耐え兼ねて、結果として国籍を二人同時にカナダに移して入籍を果たし、家庭問題や国内問題を軟着陸させましたが……代理出産でお生まれになった矢澤選手と、真澄さんとの御関係は、これまでの様々なインタビューでのお話にある通り、本当に良好なんでしょうか?真澄さんは、現在、息子である矢澤選手のトレーナーとしてもご活躍していらっしゃいますよね?そうした複雑なご家庭の環境ですから、こうして活躍する舞台を世論の外圧がまだ強い国内に移してからは、ご家族の仲は余計に大変になったんじゃないですか?』


間違いなく、煽られている。ここで誠が穿った反応を見せたりしたら、スポーツクライミングという競技において、父親である律の記録を塗り上げ、国内史上最年少で金メダルを獲得した功績が水の泡だ。遠くから誠の晴れ舞台を見守っていた二人の人影が、同時に深い溜息をついて、この後の後処理についての話し合いを、申し合わせた訳でもなく始めた。そして、その二人の纏う空気は、誰の目にも明らかに、只管に重たい物であった。


「……ねぇ、あれ誰が止めるのかな。誰ならいける?」

「お前しかいないに決まってるじゃない。頑張ってよ、コーチ」

「えー……絶対に俺が後で割食うじゃない。てか、記者団の人達……あいつに真澄の話はNGだって、何度伝えたら分かるの」

「僕達のネタの鮮度って、いつまで経っても変わらないよねぇ」

「まったく、他人事にして……まぁ、あれだけ言われても黙ってるだけ、まだ利口になったかな」

「お前には絶対に無理だったよね、あんな大人な対応。本当に、半分お前の血が流れてるなんて信じられない。遺伝したのが顔と体格だけで良かった……」


我が子の成長を喜ぶ姿を見せているのはカモフラージュで、単に、昔のネタを引き合いに出して自分をちくちくと甚振りたいだけなのだと分かっている律は、自分の公私共にパートナーである真澄に向けて、じとり、とした忌々しげな眼差しを向けた。


「あの当時は、あれで正しかったんですよ。それに、貴方を付け狙うマスコミや、自国民の監視するような目から貴方を守る為には、国内を飛び出す以外に道が無かった。あれから国自体の空気もだいぶ変わったから、誠だけでも国内で育てようって家族会議の話し合いで決まったから帰って来たけど……まだまだ、大変そうだな、この国も」

「……カナダに帰る?」


不安そうなパートナーの眼差しを受けて、律は、目尻に穏やかな皺を作り、にっこりと安心感を与える様な笑みを浮かべてから、パートナーである真澄の肩を抱いて自分の身体に引き寄せた。


「いや、俺達の子供を信じよう。俺と貴方が、手塩にかけて育ててきたあの子なら、きっと大丈夫だよ」


その、力強い意志を受けて励まされた真澄は、ふ、と微かな、それでいて穏やかな笑みを口元に描くと、律の腕の中から、酷くマナーの悪いインタビュアーに向けて鋭い眼差しを向けている我が子を、祈る気持ちで見つめた。


どうか、あの子が、質の悪いインタビュアーの声に耳を貸さずに自分自身の気持ちに打ち勝ち、自分達が生まれながらにして課してしまった十字架を物ともしない強固な精神力を発揮します様に、と。


すると、真澄の気持ちに応える様に、その子は。希代の天才として崇められ、畏れられてきた律の一粒種に相応しい、にんまりと不敵な笑みを浮かべ、高らかに宣言をした。


「先ずは、先程あった質問に答えます。俺に、噂されている様なフィアンセはいません。ただ、俺の愛する人は、この世にたった一人存在しています。その人には告白する度に断られているので、完全に俺の一方通行の恋愛です。ですが、俺は絶対に諦めるつもりはありません。相手に関しては黙秘しますが、ファンの皆様、どうか、こんな健気な俺を応援して下さいね。あと、最後に。俺の世界一大切な人の努力を無駄にする様な邪推は控えて頂きたい。真澄さんは、誰が何と言おうと、最高のトレーナーであり、パートナーであり、大切な家族です。これまでも、この先もずっと……それでは、会見はここまで、という事で。これから家族水入らずで食事会をしなければならないので、失礼します」


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