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第六話 好敵手現る
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指定されていた時間より、幾分か早く店に着いた。立て込んでいる仕事をばたばたと終わらせて、息つく暇もなくやって来た彰宏は、我ながらよくやるな、と己を苦笑ってから自分の車を降りた。
だが、店に入り、最初に通されたのは一階にある奥の間。つまりは待合室だった。だから彰宏は、はて、と内心で頸を傾げた。
先客でもいるのかと、煎茶を持ってきた眞田に尋ねる。すると眞田は申し訳なさそうに眉を寄せながら、先客の対応がまだ終わっていないのだということを告げてきた。
生身の人間を相手にしているのだ、多少は仕方がないかと一度は納得した。だが、待てど暮らせど、一向に声が掛からない。腕に巻かれた時計で時間を確認する。指定された時間から、小半刻が過ぎていた。
痺れを切らして、立ち上がる。そして、煎茶を持ってきた眞田に声を掛けようと襖に手を掛けた、その時。襖の向こうで、話し声が聞こえた。
襖越しなので、ぼそぼそとして聞き取り辛い。彰宏は、そっと襖を開けて、外の様子をその隙間から伺った。
続き間になっているその部屋は玄関と一体化していて、奥行きを広く取っている。小さいが帳場もあり、その横に男二人が並んでいた。
片方は、四代目。もう片方は知らない男で、遠目からでも分かる美丈夫だった。まるで西洋の彫刻の様に整った顔作りをしているその男を見て、居る所には居るもんだな、と彰宏は無味乾燥な感想を胸に抱いた。
背丈は四代目より上。がっしりとした体躯と、上等な背広、そして身に纏う独特の雰囲気は、どう見ても堅気のそれではなかった。きっと『此方』側の人間だ。彰宏は、自分が待たされた理由は、この男にあるのだろうと目算を立てた。
「次、いつ来るかな」
「いつも通りでいいよ」
「んー……なんかなぁ」
「なに?」
「随分と塩っぽいな、今日のお前」
「そう?気のせいじゃない?」
「いんや、気のせいじゃないな。俺の勘がそう言ってる」
「ふふ、そう……眉間に皺寄ってる。似合わないぞ」
四代目は微笑みながら、男の眉間に、そっと触れた。自分の知らない顔。『オンナ』の表情だと、見て取れた。それだけで四代目とその男とがどんな関係にあるのかを瞬間的に悟る。ざくりと劈かれる胸の痛みを持て余し、彰宏は、強く奥歯を噛み締めた。
「誰のせいだよ」
「癖になったら、嫌だなぁ。俺」
「ちゃんと話しろって」
「ごめん、なんの話だっけ」
「おいおい……お粗末過ぎるだろ、色々と」
「お前の前だとね。俺、甘えちゃうから」
「へぇ……」
「だから、拗ねないの」
「それとこれとは別」
「残念」
その、会話の流れや、二人の間に醸される雰囲気は、何処までも芳しくて。彰宏は、襖を勢いよく開けていまにも飛び出さんとする、余裕の欠けらすらない己をどうにかこうにか押し留めた。
四代目は口許だけで男を笑ってから、年代物の靴箱の引き戸を開けて、中から男の皮靴を取り出した。三和土にそれをそっと置くと、乱れた髪を直してから、男を振り返った。
男が四代目の手を引いて、振り返ったその身体を抱き締める。壊れ物に触れるかの如き手付きで髪を撫でれば、四代目は男にするりとその身を擦り寄せ、縁側の猫のように、きゅう、と目を細めた。
甘えた様なその仕草と表情に、彰宏の先程劈かれたばかりの胸は、今度こそ、ぐしゃりと音を立てて押し潰されたのだった。
「やっぱり、似合ってる」
「どれの事?」
「俺が贈った着物も香も。今日俺が来るのが分かってたから、合わせたの?」
「趣味がいいから、使ってるだけ」
「あは、可愛いやつ」
「あ……っ」
四代目の首筋に、男が顔を埋めた。
跳ねる身体。
大胆にも着物の中に差し込まれる男の手。
朱色の襦袢から、ちらちらと見え隠れする、細く白い脚。
「跡は、付けちゃ……」
「まだ駄目?」
「意地、悪」
「どっちが」
「や、あ……首筋で喋んないで」
「やらし。やっぱお前最高」
「もう、お付きの人が外で、待ってるんだから……ん、待たせ、ちゃ……可哀想でしょう、が」
「んー、もうちょっと」
「駄目、だってば……雅、手、どけて」
「勃ってる。さっきあんなに出したのに」
「ひ、あ……」
「もっかい、しようか」
「や、だ……客が、あっ……」
「……客?」
それを聞くなり、男は四代目の首筋に埋めていた顔をむくりと上げた。奥の間から其方を覗いていた彰宏と、はたり、と目が合う。すると男は、此方と視線を交わしたまま、ふぅん、と何の感慨も無く溢すように口にした。彰宏は、絶対に視線を落としたり逸らしたりする事はしなかった。向こうの出方次第では、相手になる。そう心に決めていたから。
男は、そんな彰宏を見て何を思ったのか。口許だけで笑ってみせると、意外にもあっさりと四代目から身を引いた。
「お仕事じゃあ、仕方ねぇな」
男がそう呟くと、四代目が、ほっと息を吐いたのが遠目でも見てとれた。その様子を見て、彰宏は自分自身を振り返り、己が自然と息を詰めていたことを知った。混じり気のない緊張。命の張り合いなんて慣れた物なのに、久方振りにこんな心地になったなと、ふと思った。
「見送りはしないからな」
「そう怒るなよ」
「折角着付けたのに、乱す方が悪い」
「はいはい」
四代目が、膨れ面で靴箆を手渡す。男はそれを手に取ると、革靴に足を入れて立ち上がった。そして四代目に靴箆を返すと、彼の顎を引いて、掠めるようにその唇を奪った。
「いってきます」
「いってらっしゃい」
そうしてから微笑み合うまでの、まるで自然な流れを。彰宏は、襖一枚を隔てて、黙って見つめる事しか出来なかった。
指定されていた時間より、幾分か早く店に着いた。立て込んでいる仕事をばたばたと終わらせて、息つく暇もなくやって来た彰宏は、我ながらよくやるな、と己を苦笑ってから自分の車を降りた。
だが、店に入り、最初に通されたのは一階にある奥の間。つまりは待合室だった。だから彰宏は、はて、と内心で頸を傾げた。
先客でもいるのかと、煎茶を持ってきた眞田に尋ねる。すると眞田は申し訳なさそうに眉を寄せながら、先客の対応がまだ終わっていないのだということを告げてきた。
生身の人間を相手にしているのだ、多少は仕方がないかと一度は納得した。だが、待てど暮らせど、一向に声が掛からない。腕に巻かれた時計で時間を確認する。指定された時間から、小半刻が過ぎていた。
痺れを切らして、立ち上がる。そして、煎茶を持ってきた眞田に声を掛けようと襖に手を掛けた、その時。襖の向こうで、話し声が聞こえた。
襖越しなので、ぼそぼそとして聞き取り辛い。彰宏は、そっと襖を開けて、外の様子をその隙間から伺った。
続き間になっているその部屋は玄関と一体化していて、奥行きを広く取っている。小さいが帳場もあり、その横に男二人が並んでいた。
片方は、四代目。もう片方は知らない男で、遠目からでも分かる美丈夫だった。まるで西洋の彫刻の様に整った顔作りをしているその男を見て、居る所には居るもんだな、と彰宏は無味乾燥な感想を胸に抱いた。
背丈は四代目より上。がっしりとした体躯と、上等な背広、そして身に纏う独特の雰囲気は、どう見ても堅気のそれではなかった。きっと『此方』側の人間だ。彰宏は、自分が待たされた理由は、この男にあるのだろうと目算を立てた。
「次、いつ来るかな」
「いつも通りでいいよ」
「んー……なんかなぁ」
「なに?」
「随分と塩っぽいな、今日のお前」
「そう?気のせいじゃない?」
「いんや、気のせいじゃないな。俺の勘がそう言ってる」
「ふふ、そう……眉間に皺寄ってる。似合わないぞ」
四代目は微笑みながら、男の眉間に、そっと触れた。自分の知らない顔。『オンナ』の表情だと、見て取れた。それだけで四代目とその男とがどんな関係にあるのかを瞬間的に悟る。ざくりと劈かれる胸の痛みを持て余し、彰宏は、強く奥歯を噛み締めた。
「誰のせいだよ」
「癖になったら、嫌だなぁ。俺」
「ちゃんと話しろって」
「ごめん、なんの話だっけ」
「おいおい……お粗末過ぎるだろ、色々と」
「お前の前だとね。俺、甘えちゃうから」
「へぇ……」
「だから、拗ねないの」
「それとこれとは別」
「残念」
その、会話の流れや、二人の間に醸される雰囲気は、何処までも芳しくて。彰宏は、襖を勢いよく開けていまにも飛び出さんとする、余裕の欠けらすらない己をどうにかこうにか押し留めた。
四代目は口許だけで男を笑ってから、年代物の靴箱の引き戸を開けて、中から男の皮靴を取り出した。三和土にそれをそっと置くと、乱れた髪を直してから、男を振り返った。
男が四代目の手を引いて、振り返ったその身体を抱き締める。壊れ物に触れるかの如き手付きで髪を撫でれば、四代目は男にするりとその身を擦り寄せ、縁側の猫のように、きゅう、と目を細めた。
甘えた様なその仕草と表情に、彰宏の先程劈かれたばかりの胸は、今度こそ、ぐしゃりと音を立てて押し潰されたのだった。
「やっぱり、似合ってる」
「どれの事?」
「俺が贈った着物も香も。今日俺が来るのが分かってたから、合わせたの?」
「趣味がいいから、使ってるだけ」
「あは、可愛いやつ」
「あ……っ」
四代目の首筋に、男が顔を埋めた。
跳ねる身体。
大胆にも着物の中に差し込まれる男の手。
朱色の襦袢から、ちらちらと見え隠れする、細く白い脚。
「跡は、付けちゃ……」
「まだ駄目?」
「意地、悪」
「どっちが」
「や、あ……首筋で喋んないで」
「やらし。やっぱお前最高」
「もう、お付きの人が外で、待ってるんだから……ん、待たせ、ちゃ……可哀想でしょう、が」
「んー、もうちょっと」
「駄目、だってば……雅、手、どけて」
「勃ってる。さっきあんなに出したのに」
「ひ、あ……」
「もっかい、しようか」
「や、だ……客が、あっ……」
「……客?」
それを聞くなり、男は四代目の首筋に埋めていた顔をむくりと上げた。奥の間から其方を覗いていた彰宏と、はたり、と目が合う。すると男は、此方と視線を交わしたまま、ふぅん、と何の感慨も無く溢すように口にした。彰宏は、絶対に視線を落としたり逸らしたりする事はしなかった。向こうの出方次第では、相手になる。そう心に決めていたから。
男は、そんな彰宏を見て何を思ったのか。口許だけで笑ってみせると、意外にもあっさりと四代目から身を引いた。
「お仕事じゃあ、仕方ねぇな」
男がそう呟くと、四代目が、ほっと息を吐いたのが遠目でも見てとれた。その様子を見て、彰宏は自分自身を振り返り、己が自然と息を詰めていたことを知った。混じり気のない緊張。命の張り合いなんて慣れた物なのに、久方振りにこんな心地になったなと、ふと思った。
「見送りはしないからな」
「そう怒るなよ」
「折角着付けたのに、乱す方が悪い」
「はいはい」
四代目が、膨れ面で靴箆を手渡す。男はそれを手に取ると、革靴に足を入れて立ち上がった。そして四代目に靴箆を返すと、彼の顎を引いて、掠めるようにその唇を奪った。
「いってきます」
「いってらっしゃい」
そうしてから微笑み合うまでの、まるで自然な流れを。彰宏は、襖一枚を隔てて、黙って見つめる事しか出来なかった。
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