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しおりを挟む「やあ、スカーレット嬢」
フィクスが壁から背中を離して挨拶をする。
赤ワインとよく似た色のドレスに身を包んだ令嬢は、美しいカーテシーを披露してみせた。
「ごきげんよう、フィクス様。セレーナ様、お久しぶりですね」
「ご無沙汰しております、スカーレット様」
セレーナもカーテシーをすると、自身よりほんの少し背が低い令嬢を見つめる。
彼女の名はスカーレット・サウス。サウス公爵家の長女で、セレーナと同じ二十歳だ。
切れ長の緋色の瞳と、くるりと巻かれた緋色の長い髪はとても美しい。
彼女はキャロルの友人であり、よくお茶会に招待されている。
そのため、セレーナは護衛騎士としてスカーレットと顔を合わせることが度々あるのだが、こうして社交の場で彼女に会うのは、社交界デビューをした時以来だ。
「挨拶が遅れて申し訳ありません。ご婚約、おめでとうございます」
「いや、構わないよ。ありがとう」
「ありがとうございます、スカーレット様」
(あれ、そういえば……)
今更だが、何故スカーレットは一人なのだろうか。
このパーティーは同伴者が必須ではないが、公爵令嬢ともなれば、婚約者や家族に同伴を頼んでいてもおかしくはないはず。
(あっ、そういえば……スカーレット様はまだ婚約者が居なかった気が……)
過去の自分のことを棚に上げて言うのもなんだが、二十歳の貴族令嬢に婚約者が居ないことは中々に珍しい。それも公爵家の令嬢ともなれば引く手あまたのはず。
それこそ、他国の王族に嫁ぐことだって十分にありえるはずだというのに。
「……あら? 今日はリックは護衛についていないの?」
「ああ、うん。今日は別の者に頼んでる。リックも、このパーティー参加しているはずだから、後で話しかけてみるといいよ」
「ええ、そうするわ」
セレーナが考え事をしている最中、会話を進めるフィクスとスカーレット。
考え事をしながらも、二人の会話を聞いていたセレーナは、あれ? と別の疑問が浮かんだ。
「あの、お二人は仲がよろしいのですか?」
最初こそ丁寧な口調だったスカーレットだが、今は少し砕けた話し方をしている。フィクスも、先程までの貴族たちとの対応よりも、少し気を抜いた感じに見える。
それらのことから、二人は王族と公爵令嬢という立場以上に関係が深いのかと、セレーナは感じたのだ。
セレーナの疑問に対して、フィクスとスカーレットは目を見合わせる。それから、二人してセレーナに視線を向けた。
先に口を開いたのは、希望に満ちたような目で見つめてくるフィクスだった。
「……セレーナ、もしかして嫉妬してくれてる?」
「はい……?」
何故そうなるのだろう。セレーナは表情をあまり変えることなく、淡々と説明した。
「いえ、単に不思議に思ってお伺いしただけです。質問自体が失礼でしたら、申し訳ありません」
「……いや、まあ、そうだよね。セレーナだもんね……」
フィクスは少し落ち込んだ様子で眉尻を下げると、「失礼なんかじゃないよ」と優しい言葉をかけてくれた。
フィクスが何故そんな様子なのか、セレーナには分からなかった。
ただ、失礼ではなかったことにホッと胸を撫で下ろすと、スカーレットが肩を震わせていた。
「……ふふ、ふふふっ。フィクス、貴方残念だったわね……。ふっ、ふふっ、ちっとも、嫉妬されてなくて」
「……あんまり笑わないでくれないかな、スカーレット。セレーナが困るでしょ」
「ふふ、ふふふふっ、た、たしかにそうね。ごめんなさいね、セレーナ嬢」
「い、いえ。とんでもございません」
──はて、これは一体。
思いもよらなかったスカーレットの楽しそうな笑い声と、少し恥ずかしそうなフィクスの表情。なにより二人の親密さが伝わる会話に、セレーナはハッと閃いた。
(これは、もしや……?)
とある仮説を立てたセレーナに、フィクスは話しかける。
「俺とスカーレットは、約六年間前から付き合いがあるんだ。スカーレットは元々リックと幼馴染みで、その繋がりでね」
「……! 六年前……ですか?」
「ええ。その頃から、リックがよく王宮に上がるようになりましたの。私も父について王宮に上がることが多かったので、自然とお話するようになったのですわ」
「そ、そうなのですね……!」
フィクスたちの話を聞いて、セレーナは実家に挨拶に行った時の、彼の言葉を思い出した。
──『ようやく分かったことがある。……彼女を好きになって、もう六年。俺はわりと、長期戦が得意みたいだから』
二人の仲よさげな雰囲気から、もしかしたら……とは思っていたが、フィクスの言葉を裏付ける六年前という単語に、セレーナは確信を持った。
(やはり、フィクス様の想い人は、スカーレット様で間違いない……!)
しかし、不思議に思うことがある。
(スカーレット様は公爵令嬢。家格としては十分で、婚約者も居ない。それなら何故、フィクス様は婚約を申し入れないのだろう? 私が提案した仮初婚約を受け入れたことも、やはり分からない)
スカーレットに婚約を申し入れないのは、政治的な思惑によるものなのだろうか。それとも当人たちにしか分からない問題なのだろうか。
仮初婚約を受け入れたことにも、深い事情があるのだろうか。
(……いや、詮索するのはやめよう。そんなことよりも、今の私には、できることがある)
フィクスに想い人が居ると聞いてしまった時はどのような対応を取ろうか迷い、パーティーが終わるまでは保留にしようと思っていた。
だが、フィクスの想い人がスカーレットであることを知り、またそのスカーレットが目の前に居るのだ。
(そうと決まれば──)
セレーナは口元を片手で覆い隠し、僅かに眉尻を下げた。
「フィクス様、申し訳ありません。少し酔ってしまったようなので、バルコニーで休んでまいりますね」
「……! セレーナ、それなら俺も──」
フィクスの言葉を遮るようにして、セレーナはスカーレットに軽く頭を下げる。
「スカーレット様も、申しわけありません。失礼いたします」
「え、ええ……。ゆっくり休んでくださいね」
「ちょ、セレーナ待っ……」
──ぴゅーん!
そんな効果音が付きそうなほどに素早い動きで、セレーナはフィクスたちのもとから立ち去った。
マーメイドドレスはあまり歩幅を広くは取れないので、そこは足の運びを速くすることでスピードをつける。
「私に、できること……」
バルコニーに向かう最中、セレーナは自身の胸に誓いを立てた。
(それは、フィクス様の仮初の婚約者としての任を全うしつつ、陰ながらフィクス様の恋を応援すること。フィクス様の恋が叶ったら、笑顔で二人を祝福し、仮初の婚約者の立場をおりること)
それがフィクスのためになるのだと、恩返しになるのだと、疑うことなく──。
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