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短編

Checkmate 前編

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『俺の家で待っててくれるか? どんなに遅くなっても帰るから。何か作っててくれると嬉しい』

 そう言って彼は電話を切った。前から約束してたのに私との約束をドタキャンし、会社の飲み会に行ってしまった。
 いつもそう。いつだってそう。
 彼は自分から約束をねだるくせに、約束を守らないのだ。待たせておいて、帰って来るのは朝。
 しかも女性の香水をプンプンさせて帰って来る。

 私はそこまで鈍くない。

 そっとカーテンを開ければ今にも雨が降って来そうな程の曇天で、時計を見ると午前八時。はあ、と溜息をついてコートを着ると、荷物を持って立ち上がる。
 「傘もないし潮時かしらね」と小さく呟いて部屋をざっと見回し、靴を履いて玄関を開け、鍵を閉めてそのままドアポケットに入れた。
 エレベーターを降りてエントランスを抜け、外に出たところで彼が見知らぬ女性と一緒にタクシーから降りてきた。慌てて近くにあった植え込みに隠れて息を殺す。

(あれ? 私、何やってるんだろう……)

 隠れてないで堂々と目の前に出て行って、頬の一つや二つ叩いてやろうかと思っていたら、彼がその女性とキスを始めてしまった。しかも左手は女性の胸を揉み、右手はスカートに手を入れてまさぐっているらしく、女性は恥ずかしげもなく喘ぎ、その声が私の耳まで届く。

「何? キスして、おっぱい揉んだだけで、もうびしょびしょだぞ? 指をナカに入れて出し入れしたけで気持ちいいのか?」
「んあっ、はぁっ」
「それとも、さっきまで散々俺のを咥わえ込んで離さなかったのにまだ足りないのか?」
「んっ、ああん、た、りない、のぉ……もっとしてぇ……っ、あああっ!」
「……バカ、声を抑えろよ、淫乱が」

 そんな二人の会話がアホらしくて一気にテンションが下がる。
 ……決定的だわね、これは。こんな浮気男に振り回されていた自分が馬鹿らしい。

 元々「付き合ってくれ」って言ったのは彼からだし、それほど私に興味があったわけじゃないんだろう。私も興味がなかったけど。
 決定的な証拠をスマホで何枚か撮り、いろいろと写真を弄っているうちに二人は私に気付かずマンションの中に入って行った。植え込みからそっと抜け出して道路に出ると、そのまま駅のほうへと向かう。
 約束を忘れて家に連れ込むとかあり得ない。もし私がまだ残っていたら、彼はどんな反応を示したのか興味はあったが、捨てられるのは私のほうだと何となく思ったからきっとこれで良かったんだと思う。

 彼の家から少し離れたところにある公園が目に入り、誰もいない公園のブランコに座ると溜息をついた。

「さすがにあれはないわ……」

 私が本命じゃないことはなんとなくわかっていた。会うのは二週間に一回だし、会社自体も違うし、セックスに行くまでの雰囲気になったこともないし。
 そこで気付けよ、私! と、過去の自分に言ってやりたい。
 てか、三ヶ月未満で私にバレるってどうなの。

 曇天の空を見上げながらキイキイと音を立ててブランコを動かしていると「藤堂さん?」と声をかけられた。びっくりして声のしたほうを見ると、驚いた顔をした河合がラフな格好で立っていた。

「あ、おはようございます、河合課長」
「おはよう。こんなところでどうした? 藤堂さんの家、この辺じゃないよな?」

 そう言われて苦笑する。
 河合かわい 和彦かずひこは私が勤めている会社の上司で秘書課の課長だ。
 ちなみに、あのバカとは半年前に無理矢理参加させられた合コンで知り合い、強引に付き合ってと言われてしぶしぶ付き合い始めたのだが、今さらながら、強引だったとしても付き合うって言わなければよかったと後悔していた。
 河合は彼と知り合いらしく、彼とのことを言おうかどうしようか迷っていたら、課長も隣のブランコに座った。

「何かあったのか?」
「あったと言えばあったんですが……見ますか?」

 そう言って先ほど撮った写真を課長に見せようとしたら、顔に何か当たった。上を見るとポツポツと雨が降り始めると同時に季節外れの雷が鳴り出し、一気に雨足が強くなった。

「雨?! 傘なんかないのに! 課長、申し訳ありませんが帰ります」!
「ちょっと待て! 俺の家が近くにあるんだ。何があったのか気になるし、濡れたままだと風邪を引く。いいから、一緒に来い」

 そう課長に言われて腕を引っ張られ、仕方なくついていく。課長の家はその公園から歩いて十分程の場所だった。彼の家からだとだいたい二十分くらいだろうか。
 課長の家に着く前に全身が濡れてしまったけど、スマホが濡れてなくてホッとした。

「すまん、ちょっと散らかってるが」
「いえ。引っ越しされて来たんですか?」
「いや、逆。引っ越すところ」
「それは申し訳ありません。でしたら、傘を貸してください。私はこのまま帰りますので」

 そう言ったものの、課長は大丈夫だからと言って私にタオルを渡してくれた。

「とりあえずそれで頭を拭け。拭いたら一緒に来い」

 そう言われてついて行くと、案内されたのはバスルームだった。

「スイッチはコレ。濡れた服とか下着は全部洗濯機に入れろ。乾燥機能付きだから」
「あの、課長の家ですから先に入られては……」
「ん? ああ、この部屋はバスルームがもう一つあるんだ。俺はそっちを使うから。服やバスタオルなどは洗濯機の上に置いておくから、乾くまでそれを着てろ」

 課長はそう指示してバスルームをあとにする。何でバスルームが二つあるのよと内心突っ込みつつもどうしようと悩み、結局バッグに入っていた化粧ポーチを取り出して洗面台に置き、簡単に化粧を落とす。全裸になって全部を洗濯機に放り込み、スイッチを入れてバスルームへと入った。
 全身を洗って頭も洗い、湯船に浸かるとホッと息を吐く。なんだかんだで身体が冷えていたのか、緩やかに身体が温まり始めて再び息を吐いた。


 ***


「課長、質問が」
「何だ?」
「なぜシャツ一枚だけなんでしょうか? せめて短パンか何かがあれば助かるんですが……」

 そう質問すると、課長は困ったように目尻を下げる。

 お風呂から上がり、洗濯機の上にあったバスタオルで身体を拭いたあと、乗っていたシャツを広げて固まった。長袖のYシャツしか置いてなかったからだ。長さは体格差故か太股の半分位まであったが、このまま座れば確実に見えてしまう。

「すまん。私服は昨日引っ越し先に持って行ってしまったから、今はここ二、三日分の私服やスーツとかYシャツ、バスタオルやタオルしかないんだよ」
「なら、服の乾燥が終わるまで毛布か何か貸していただけませんか? 足が寒くて……」
「ん、わかった」

 課長がすぐに毛布を持ってきてくれたのでそのことにホッとし、毛布を身体に巻き付けてから座る。Yシャツのポケットに入れていたスマホを出すと公園での話の続きを始めた。
 これまでのことや、昨日から今朝にかけての話をしながら、撮った写真を見せる。

「……ったく、またかよ」
「また?」
「ああ。奴は昔から女をとっかえひっかえしていたし、俺も女を寝取られたことがあるからな」
「……まあ、そんな気はしていました」
「悲しくないのか?」
「悲しいというよりは、彼の強引さに負けた自分が馬鹿というか、悔しいというか、そんな感じですね」

 溜息混じりにそう言えば、課長は苦笑しながらも「写真を俺に送れ」と言うのですぐにメールを送る。彼の住んでいる場所を聞かれたあと、課長は何やらあちこちにメールし出した。

「ちょっと、課長! 何やっているんですか!」
「ん? ああ、藤堂さんのためのちょっとした意趣返し、かな。奴の住んでいる場所には俺の友人が住んでるし、友人宅から帰る時に俺が見つけて撮ったことにするから、藤堂さんは俺から聞いたことにして「別れる」ってきっぱり言ったらどうだ?」
「それだと課長のご迷惑になりませんか?」
「ならねえよ。奴は元々、俺だけでなくいろんな人物から恨まれてるから、多分あちこちから奴にメールが行くんじゃねえか? 先に奴にメールを送っておくから、藤堂さんは一時間後くらいに送ってやれ」

 そんな楽しそうに言わなくてもと思ったものの、どのみち別れを切り出すつもりだったので課長の言う通りにした。というか、そんなに恨まれてるのか、ヤツは。
 いろんな話をしながら待つこと一時間。メールを送ってしばらくしてから彼から電話が来たがそれを無視し、丁度服が乾いたのでそれを着ると、課長に「送って行く。奴に見つかると困るだろう?」と言われて自宅の最寄り駅までという条件で渋々送ってもらった。
 家に着いてすぐにまた彼から電話が来た。もう浮気しないと言った彼だったが、これまでのことや昨日までのドタキャンのこと、会社のブランド名で付き合っていたこと、何人もの女性と付き合っていることを知ってると伝えると、彼はそのまま黙り込んだ。

「それに、課長から送られて来た写真とそれ以外の情報を課長から聞いたわ。しつこく言い寄って来たくせに、私以外にも、私の会社の子と付き合ってるんですってね。女をバカにするのもほどがあるわ。金輪際連絡して来ないでね? 近付いたりしたらストーカーとして訴えるから。ブランド名として付き合うなら私よりももう一人のほうがいいでしょ?」

 そう言って向こうが何か言う前に電話を切ると、少ししてから言い訳じみた文章が書かれたメールが来たので、反省も何もないのかと溜息を付いた。
 尤も課長の話だと相当恨まれているみたいだし、あちこちに写真をばら蒔いてるみたいだから、自業自得だ。

 休みの間に部屋を掃除したり洗濯したり、布団を干したり。買い物に行って料理して冷凍庫にストックしたり。安月給と言うわけじゃないけど貯金はしたいから、私にしてみれば料理のストックは大事なわけで。
 残りの時間は、普段見れない録り貯めたドラマを見たりして過ごした、週明け。仕事前に課長つかまってその後どうなったか聞かれたから、奴からの言い訳じみた電話やメールの話をすると、やっぱり課長も呆れていた。

「本当にありがとうございました」
「俺もいろいろと楽しませてもらったしな」
「は?」
「いや、こっちの話」

 クスクス笑う課長に首を傾げつつも先日のお礼がしたいと言うと、課長は「週末に飲みに行かないか?」と聞いてきた。

「飲みに、ですか?」
「ああ。友人の一人がカクテルバーをやっていてな。小さな店だが静かでいいところだ。ここから近いんだよ」

 課長にバーの場所を聞けば確かに会社から近く、私の家からも近かったのでそれに了承した。バーテンダーの資格を持つ大学時代の友人にどんなカクテルがオススメかを聞き出し、近いうちに会う約束もして電話を切った。
 今にも雪が降りそうなほど凄く寒い週末の夜、課長に連れられてそのバーに行った。

「いらっしゃいませ……おや、和彦」
「よう、大臥」

 どこかで聞いたことがある声だなと思いつつも課長達が話している間に店内をさっと見回す。それほど広くはない店内はシックな雰囲気で落ち着いており、BGMはジャズ。
 どちらかと言えば、隠れ家的な雰囲気のバーだった。
 私たちと入れ違いで何組か店を出て行ったから、回転率もそこそこいいんだろう。

「大臥、彼女は俺の部下の藤堂とうどう 珠樹たまきさん。藤堂さん、彼はバーのオーナーで友人の四之宮しのみや 大臥たいがだ」
「いらっしゃ、……あ……」
「初めま……え? 四之宮、さん……?」

 二人で顔を見合せていると、課長は私と四之宮を交互に見てから「ふうん?」と言い、課長に促されるままにカウンターに座る。

「大臥、いつもよりもお客さんが多いみたいだが……何かイベントでもやったのか?」
「イベントと言うか……さっきまで知り合いのフレアバーテンダーが来ていましてね。ご夫婦で来てくれたんですが、彼女が『そう言えば私がバタバタしていてお祝いをしていませんでしたね。その代わりと言ってはなんですが、フレアをしても構いませんか?』と言ってフレアバーテンディングの始まりと言われている『Blue Blazerブルー ブレイザー』や、他のフレアをやってくれたんですよ。それが外から見えたらしく、見た人が入って来てあっという間に満席になりました」
「え、そうなんですか?! 見たかった!」

 そう叫ぶと四之宮は「残念でしたね」と言いながらシェイカーを振る。相変わらず鮮やかな手つきと、男性にしては綺麗な指先に見惚れる。

「へえ……女性のフレアバーテンダーか。珍しいな。俺も見たかった」
「僕も連絡したのはかなり前だったんですよ。長期の海外出張から帰って来たばかりのころだったようで、忙しかったみたいです」
「海外出張? バーテンダーなのにか?」
「バーテンは彼女の趣味です。彼女は、資格オタクで秘書の仕事をしていますから。主要国言語を含めた資格などをたくさん持っていて、よく海外出張に行っていますよ。ちなみに、彼女の旦那様は穂積エンタープライズの専務です」

 四之宮がそう説明すると、私と課長はポカーンとした顔をして固まったあとで「マジか……」と課長は溜息をついた。四之宮はそんな私たちを見て笑っていたけど。

「さて。何を飲みますか?」
「そうだな……俺は『夜間飛行』を。できるか?」
「もちろん。珠樹はどうしますか?」
「うーん……いろいろと友人に聞いて来ましたけど、四之宮さんにお任せでもいいですか?」
「構いませんが、何を出しても後悔しませんか?」
「……しないわ」

 そう、しない。あの時みたいに後悔したくはなかった。

「そうですか……。畏まりました」

 頷いた四之宮はカクテルを作って行く。課長には『夜間飛行』を、私には『Kiss In The Darkキス イン ザ ダーク』を出した。


 四之宮と初めて会ったのは、もう八年近く前だった。友人がバイトをしているバーに数人で行き、その友人と一緒にバイトをしていたのが四之宮だった。
 友人がいない時は彼とよく話し、友人がいても三人でよく話した。話しているうちに、好きなものが似ていてどんどん惹かれた。
 お互いに好きだと告白して、両思いにもなった。けれど、彼に抱かれる前にお互いにいろいろあってすれ違ってしまい、結局は連絡が取れなくなって関係が壊れてしまったのだ。
 今さらながら、ずっと彼が……四之宮が好きだったのだと思ってズキリと胸が痛む。そしてそれと同時に彼が私を覚えていてくれたことが嬉しい。
 だから、あの時みたいに後悔しない。二度としたくなかった。
 もし次のカクテルが想像したものだったら。


 ――例え、一夜限りの関係だったとしても……
 彼に恋人や妻がいても……


 私はそれでもいいと……ただ一度だけ、抱いてくれればいいと思ってしまったから。


 次に四之宮から出されたのは『Naked Ladyネイクド レディ』。課長は『Pousse Cafeプース カフェ』を注文していた。
 そして、私には『Between The Sheetsビトゥィーン ザ シーツ』、『Bosom Caresserブザム カレッサー』、『Sex on the Beachセックス オン ザ ビーチ』、『Orgasmオーガズム』、『Morningモーニング』、『Blue Moonブルー ムーン』と続けば、もうどうしようもない。
 因みに課長は、『Mazagranマザグラン』、『Andalsiaアンダルシア』と続いたから、ブランデーベースで甘めのカクテルが好きなんだろうと思った。

「おい、大臥。最後の最後に『Blue Moonブルー ムーン』って…… 」

 呆れたような課長に対し、私はギュッと心臓を掴まれた気がした。勘違いじゃなければ、彼は……。
 それとも「何とも思ってないから味見させて?」と言う意味なんだろうか。
 もしそうだったら……。

「……四之宮さん……『Blue Moonブルー ムーン』は裏の意味でいいんですよね……?」

 恐る恐るそう聞けば「もちろん」と四之宮が返事をする。それとも一夜だけ「愛してあげる」という意味なんだろうか?

 それでもいいじゃない、と、囁く声がする。それはそれで情けなくて悲しいけど。
 そう思ったら涙が滲んで来て、二人にそれを見られたくなくて、カウンターに腕を乗せて頭を乗せた。

「裏の意味? そんなのがあるのか?」

 そう聞いた課長に、四之宮は嬉しそうな声を上げて説明する。

「有名なのは断るためですが、使われている材料から『完全なる愛』って意味もあるんですよ。そこまで言えば、和彦にもわかりますよね?」

 そう言われた課長は「参った!」と言って溜息をつく。

「全く……。なあ、他のはだいたいわかるが、『Naked Ladyネイクド レディ』と『Bosom Caresserブザム カレッサー』っていうのは? 意味があるのか?』
「『Naked Ladyネイクド レディは裸の淑女。転じて秘めやかな包容という意味で、『Bosom Caresserブザム カレッサー』は胸を揉む人という意味ですね」
「ぶ……っ! つ、つまり、最初から……っ」
「ふふ、そういうことです。それで、珠樹。返事は?」

 酔いが回っているのか、二人の話をどこか遠くで聞きながら、半分眠っている状態の回らない頭で四之宮にそう聞かれて何かを言ったのはなんとなく覚えてるけれど、私の記憶はそこでプツリと途切れていた。
 股間と言うか、秘部の痛いような熱いような感じの違和感と、身体中の疼きと甘い痺れで目が覚めた時はベッドの上で、四之宮は私の胸に顔を埋めて乳首を舐めながら胸を揉んでいた。
 そのことに驚き、さらにいきなりの秘部の刺激に声を上げると、四之宮は「やっと起きた」と嬉しそうに笑って身体を起こし、そこで初めて四之宮に貫かれていると知った。
 ヤンデレ紛いのことを四之宮に言われたような気がするけど、四之宮から絶えず与えられる甘い疼きと痺れ……快楽と呼べるような刺激に、ただただ声を上げながら四之宮に翻弄された。

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