【R18版】饕餮的短編集 ―現代・現代パラレル編―

饕餮

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部長と間違いのキス

何でこうなったんだろう……?(田嶋視点)

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 ――なんでこの人は、私にキスをしているんだろう……?


 通った鼻筋、薄い唇……全体的に整った顔。短く切られた黒髪は光に当たると焦げ茶色に見え、同じ色の瞳は今は閉じられている。
 その、イケメンの部類に入る彼が、平々凡々な私にキスをしているのだ。

 多分、間違えたのだ、部長の彼女さんと。私と部長の彼女さんの後ろ姿が似ていたから。
 だって、部長の彼女さんは、とっくにこの廊下の先に走って行ってしまったから。

 部長の右手は、逃げようとする私の頭を押さえつけ、左手は私を逃がさないとばかりに身体の脇に手をついて覆い被さっている。しかも私の背後は壁で、逃げるに逃げられず……。
 つまり、現在私は壁ドン状態なわけで……しかも、キスはベロチューで、私のファーストキスがベロチューだなんて嬉しいのか哀しいのか……。


 ――なんでこんなことになったんだっけ、と部長にキスをされながらボンヤリとそう思った。


 ***


 我が社には名物カップルがいる。私よりも七つ年上の部長、芦田あしだ 雅樹まさきと、私よりも五つ上の中里なかざと 真沙子まさこのカップルだ。
 二人は幼なじみで高校、大学は別々の学校に行ってしばらく疎遠になっていたものの、社会人になって中里さんが偶然我が社に入社して来たことが始まりで、それ以来の付き合いだと同じ総務課の先輩に聞いた。
 それを教えてくれた先輩――係長は、中里さんと同期の男性社員だ。
 その名物カップルは、二人ともモテる。しかも二人とも仕事ができるのに同性にも受けがよく、喧嘩するほど仲がいい。
 でも、私にとってはちょっと迷惑な二人。いや、二人にしてみれば私のほうが迷惑になるのかな。

 まず、私の名前が、田嶋たじま 亜沙子あさこで、名前が一文字違い。しかも先輩たち曰く、私の髪型や後ろ姿が中里さんとそっくり――彼女のほうが身長が高くて細いのに――だと言うのだ。
 当然、顔や性格は月とすっぽんです。もちろん私のほうがすっぽんですが、何か?

 それはともかく、私が入社した時、二人はしょっちゅう喧嘩をしていたらしい。『総務課の誰それと仲良く話してただろう』『話しかけたのに俺を無視しただろう』的な喧嘩――もちろんそれは、全て私である――をしょっちゅう。
 それを聞いた時、正直私は頭を抱えた。私にはどうすることもできないじゃないか。
 入社したばっかりだけど、いっそのこと辞めよか、そうすれば二人は喧嘩しなくなるんじゃないかって何度も思った。上司や先輩に相談したら、『そんなことで辞めるな』と怒られたうえで、書類の再提出のお使いなんかは行かなくていいからずっと総務課にいろと言ってくれたから、私は総務課内で頑張って仕事している。
 ちなみに、名物カップルは物語ならば営業部長と秘書の、ベタな美男美女のカップルだったりします。
 私ですか? 短大卒で入社三年目の、入社してずっと総務課にいる、大して頭が良いわけでもない平々凡々の……って、それはいいか。


 そもそもの始まりは昼休みだった。総務課の二年先輩である田代と留守番がてら総務でご飯を食べたあと、交代で――お昼休みでも誰かしらが来るから、総務課を空っぽにできない――トイレに行った時のこと。
 先にトイレに行った田代が「あの二人、また喧嘩してたわよ」と苦笑しながら帰って来たのだ。

「そうなんですか? 今度はどんなことで喧嘩したんですか?」
「さあ。トイレの側にある階段の下のほうで言い合いしてたから、内容までは聞こえなかったけど」
「うわあ……今私がトイレに行ったら、何かトラブルに巻き込まれそうな気がするんですけど……」
「ありうるわね……。亜沙子ちゃんはどういうわけか、二人によく巻き込まれてるものね」

 溜息をつきながら田代にそう言われて、思わず憮然としてしまう。

 そうなのだ。私が喧嘩をしている、或いは喧嘩をしたあとの二人の側に行くと、なぜか必ず巻き込まれるのだ。
 総務課から出なくなったから最近はほとんどないとはいえ、トイレとか出勤時とか帰る時とかに、たまーに巻き込まれるのだ。

「はあ……。何かフラグが立ったというか、嫌な予感しかしませんけど、とりあえずトイレに行って来ます」
「はい、行ってらっしゃい。巻き込まれないように祈っておくわ」

 田代に笑顔で手を振られてトイレに行ったら、まだ階段の下から声が聞こえていた。私がトイレから出る時はもう居なくなっていますように……と願うもののそれは叶えられず、溜息をついてトイレを出て、自分の職場である総務課に向かった。歩いていると後ろから走る音がして中里さんは私とすれ違い、営業部へと行く廊下を曲がって行ってしまった。
 さらに後ろから走る音が迫って来るのを聞きながら、総務課手前にある階段を登りきればあとちょっとで総務課に着く、という階段の真ん中辺りでいきなり腕を掴まれ、そのまま腕を引っ張られて態勢を崩されたところに半眼の部長の顔が迫り、「えっ」と小さく声を漏らしたところで唇を塞がれ、そのまま壁に押し付けられた。

「んっ、んんっ、んぅ……」

 逃げようとしても頭を抑えされれて、壁ドンされて。唇の隙間から入って来た部長の舌が、私の口腔を舐めまわし、蹂躙し、舌を絡める。それだけで、身体が震えてしまう。

 私は部長が好きだった。直接言葉を交わすのは仕事の時か巻き込まれた時だけだったけど、それでも巻き込まれた時は丁寧に謝ってくれたし、そのことがあってから総務課に来た時は挨拶くらいはするようになった。
 たったそれだけだったけど、私にはそれで充分だった。顔を見れるだけで、話ができるだけで嬉しかった。
 でも、出会った時から失恋決定の恋。だから諦めた。諦めたのに……。

 私の心と身体は喜んでいるのに、どうせまた間違えたと言われて傷つくことがわかっているから、それを素直に感じることができない。

 舌を吸われて、そのまま唇で舌をしごかれて……。部長の唇が離れた時は、足に力が入らなくなる寸前だった。
 部長が目を開けて私を見た途端に目一杯目を見開いき、慌てて謝って来た。

「うわ、田嶋さん、すまん! 真沙子だと思って……」

 部長のその言葉に顔が歪むのがわかる。多分そうなんじゃないかと思っていたけど、こうもはっきり言われてしまうと傷つく。それを隠して苦笑する。

「……いえ。中里さんなら、そこの角を曲がって行きましたよ? 追い付けるかどうか分かりませんけど、今からでも追いかけていかれてはどうですか?」
「……そうだな、そうするよ。田嶋さん、本当にすま……うわっ?!」
「きゃあっ!」

 部長が振り向いた途端に階段を踏み外したのか部長は近くにいた私を掴み、そのまま一緒に階段を転げ落ちてしまった。

「痛たたた……。田嶋さん、重ね重ね、本当にすまん!」
「うう……痛い……。いえ、それはいいのですが、部長、重い、です……んっ」
「え……?」
「あ……っ、早くどいて、くださ……、あん」

 私の言葉に部長は首を傾げたあとで頭をもたげた部長は自分の状況を理解したあと、本日二度目となる目一杯目を見開いてから慌てて私の上からどいてくれた。

「ほ、本当にすまん! 道理で柔らかくて気持ちいいと思った……」

 着痩せするんだな、と言った部長に「セクハラです!」と叫んで自分で身体を起こした。

 何の因果か、はたまた神の悪戯か、転げ落ちた部長は私を下敷きにし、頭は右胸に乗せ、右手は私の左胸を掴んで揉んでいたのだった……。


 ***


「いっ?! いた、痛いってば! 秀……じゃなくて、先生、痛い!」
「触んなきゃ包帯巻けないでしょう?! 少しは我慢しなさい!」
「うう……」

 鬼ー! と心の中で叫び、痛さを我慢する。

 部長にどいてもらったあと、騒ぎを聞きつけたのか、田代が階段の上から顔を覗かせた。私と部長の状況を見て顔をしかめ、私の側に寄って来て部長を睨むと私を立たせようと手を出してくれたんだけど、私の手を見て焦った声を出す。
 私の左手は、普通なら考えられない方向に曲がっていたから。

「ち、ちょっと! あんた、手!」
「え? ああ……道理で痛いと思っ……」
「何、その反応! どんくさ……じゃなくて、おっちょこちょいだとは思ってたけど、鈍すぎるのにもほどがあるでしょ?! ちょっと待って、今先生呼ぶから。芦田部長は? 痛いところとかないですか?」
「あ、ああ……」

 そう田代に聞かれて立ち上がり、腕や足とかを動かしたけど、何ともないようだったのでホッとする。その間に田代は部長に何があったのかを聞き出したあとで医務室に電話をかけ、私も立ち上がろうとしたんだけど、なぜか立ち上がれなくて。
 うんうん唸ってたら、医務室勤務の医師、田嶋がすっ飛んで来た。

「田代さん、亜沙子は……って、亜沙子?!」

 立ち上がろうともがいていた私を見た田嶋がびっくりした声をあげたので、私はノロノロと田嶋のほうを向く。

「あ、先生……。なんかね、足も腕も痛いかも……」
「この、バカ! とりあえず病院行くわ! 芦田部長も一緒に来てちょうだい」

 そう言って田嶋先生は私をお姫様抱っこにすると、田代のほうを見る。

「田代さん、悪いんだけどこの子と芦田部長を病院に連れて行くから、営業部に連絡お願いしてもいいかしら?」
「わかりました」
「芦田部長、ボケっとしてないで、歩けるなら付いてきて」
「あ……は、はい」

 そう言った部長の声はなんだか沈んでいるみたいだったけど、私はだんだんひどくなる痛みに目を瞑って先生に身体を預け、部長と先生は何かを話ながらそのまま病院に運ばれた。
 病院は、先生が開業している病院で、会社の隣にあったりする。非常勤という形で、日替わりでその病院から先生が派遣されていて、医務室に常駐している。今日は田嶋だったらしい。

 病院で二人して精密検査を受け――階段から落ちたから、頭を打ってないかどうかとか――、部長には異常がなかったから先生はそのまま仕事に戻るように言い、私はさらにレントゲンやら何やらと病院に残され、治療を受けていた。
 左手は骨折、右足首は酷い捻挫で指先までパンパンに腫れ、内出血しているのか赤黒くなっていたのだ。今は足首の治療中である。

「痛い……」
「もうちょいで終わるから」
「うん……それはいいんだけど、秀一兄さん、オネエ言葉になってるよ?」
「う・る・さ・い! 誰のせいだと思ってんのよ?!」
「……私のせいじゃないのに……。今日は厄日だ……」
「ったく、本当に迷惑な二人よね」

 先生はなぜか、怒るとオネエ言葉になる。秀一曰く、オネエ言葉で怒ったほうが迫力があるし、患者も言うことを聞くらしい。
 二人でそんなことを言いながらも足首の治療が終わり、今度は腕の治療。

「ほら、さっさと上半身裸になる」
「……ぁぃ」

 右手で制服のベストやらブラウスやらのボタンを外し、服を脱ごうとしたら先生が手伝ってくれたのだが、ブラのホックも外されてブラまで取られ、そこでハタ、と気付く。

「ねえ、秀一兄さん、何でブラまで外してんの?」
「あのねえ……今のあんたの状態、どうなってんのかわかってんの?」
「え? 骨折と捻挫、デス」
「これからギブス嵌めんのよ? 手に力が入らない状態で、しかも片手でどうやって着替えたりブラを外したりするわけ?」

 そこまで言われて黙る。

「……何も考えてなかった……」
「だと思ったわ。とりあえず、この検査着を着て待ってなさい。ギブスの用意して来るから」
「うん」

 診察用のベッドに座ったまま、手渡された検査着をどうにかこうにかして先に左手を入れてから羽織って右手を入れようとしたら、お腹の辺りにアザがあるのが見えた。こりゃ明日は動けるのかなあ、なんて思いながら右手の袖に手を入れたら診察室の扉が開く音がした。

「早かったね、秀……」
「………………あ! す、すまん!」

 扉を開けたのは部長で、本日三度目になる目一杯目を見開いて口をポカンと開け、私の胸をたっぷり見たあとで慌てて扉を閉めてどこかへ行ってしまった。

「バッチリ見られちゃったよ……」

 今日は壁ドンのうえに濃厚なキスをされるわ、階段から落ちて上に乗っかられた挙げ句に胸を揉まれるわ、バッチリ胸を見られるわで、今日は今までで一番最悪のエロトラブルの日か? 一体私が何をしたんだ、今日はやっぱり厄日だと溜息をつき、何とか前を合わせて兄の秀一を待つ。

 十こ上の秀一と私は、血の繋がらない兄妹だ。母の再婚相手が秀一の父で、秀一の他にもう一人兄がいる、三人兄妹。しかも兄は皆頭がいいうえにイケメンだったりする。秀一は医者だし、八つ上の二番目の兄は弁護士だし。
 私は普通のOLで平凡な顔だし。
 まあ、私は元々勉強ができるほうじゃなかったし、兄たちとは頭の出来が違うから仕方がないんだけどさ。勉強を教えてくれた二人には感謝してるけど。
 そんなこんなでギブスを嵌められて腕を固定されると、秀一の妻の早苗が顔を出した。早苗はふんわりとした、可愛らしい人だ。

「あら~? 亜沙子ちゃん、また怪我したの~? 今回は重症ね~」
「うん。階段から落ちて……というか、階段から落ちるのに巻き込まれて、骨折と捻挫しちゃった」
「あらあら~。だからわたしが呼ばれたのね~。秀一さん、お洋服持って来たわ~」
「ありがと。亜沙子の着替えしてあげて。それと、亜沙子は今週いっぱい仕事を休みなさいね」
「えー?! 何でよ!」
「その足で会社に行けるならいいけど?」
「うー……」
「田代さんにはさっき連絡しといたから。どうせ動けないんだから、今週はここに寝泊まりよ。早苗、いいかしら?」
「オネエ言葉が出るほど怒ってるのがわかってるから、構わないわ~。それに、久しぶりに亜沙子ちゃんと話をしたかったし~」

 二人にそう言われて頷く。会社には実家から通っているので、早苗に服を持って来てもらうよう頼んだ兄は、私を抱き抱えて病院の奥の更に奥にある二人の家へと連れていかれ、空いてる部屋のベッドへと下ろすとそのまま寝かされる。

「早苗が帰って来るまでそのまま寝てろ。ご飯できたら起こしてやるから」
「うん……」

 そう兄に言われて目を瞑る。今までいろいろ巻き込まれたけど、生まれてこのかた一度も骨折したことのない私が骨折するとかのトラブルはなかった。
 まあ、どんくさいので小さいころから捻挫はしょっちゅうしてたけど。いくら好きな人とは言え、いい加減トラブルに巻き込まれるのは勘弁して欲しい。

「会社、辞めようかなぁ……」
「お前の好きにしたらいい。もし辞めるなら、この病院を手伝ってくれると嬉しい」

 そう呟いた私に、兄は優しい声でそう言った。

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