癒しの聖女、その泪が枯れ果てる時

風信子 紫

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第三話 この泪が枯れ果てる時

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 そうしてついに、儀式当日がやってきた。
 つまり、リュークに純潔を捧げる日。

 ガラリと小屋の扉が開き、リュークとニーナ、ローランド家に仕える、甲冑姿の兵士が数名入って来た。

「はぁ……あんな皮膚が飾りかってくらい骨が浮き彫りの骸骨女抱かなきゃダメかねぇ……」

 開口一番、リュークは陰鬱な顔をしてそういった。

「……やっぱ、いくらイリスとはいえ、自分の恋人が他の女の子と体を重ね合わせるの気に食わないんだけど」

 ニーナは不服そうに、頬を膨らませていた。

「そう言うなよ。この街の伝承だ。それに、あいつが次期聖女を身籠ればイリスはほとんどお役御免。飾りの許嫁も解消になる」

「……ま、そうだけどさ」

「にしても、不思議な呪いだよなぁ。こんな身体でも無事に出産できちまうらしいし」

「四肢切断とかしたらどうなるんだろ? おもしろそーじゃない?!」

「いや、家の蔵書によると、聖女に人間の明々白々に致命傷となるような傷は付けられないらしい。奇天烈なこったが、あくまで"泪を流させる為"くらいの外傷と痛みしか与えられないんだと」

 二人はあたかも自分たちだけかの問題のように、会話をしている。

 ……私は。

 舌を噛み千切って、死んでしまいたかった。

 だけど、呪いのせいで死ねなくて……。

 愛するエリクに、視線をやる。

 ──死にたくない。

 義弟と離れ離れになるのが、私の何よりの不幸だから。

「……あね……き……」

 エリクの奄々えんえんとした声が聞こえる。

 安心させる何かを言おうとするも、リュークとニーナが近づいて。

「お前は逆に、崇高で高貴なローランド家の俺に抱かれて幸せ者だな」

 リュークが口角を吊り上げて、そういった。

 ──幸せ。

「……幸……せ……?」

 ──私や母の、幸せは。

「……違う……」

 勝手にその言葉が、躍り出ていた。

「……何反抗的な目してんの? あたしの彼氏に抱いてもらえるアンタが!」

 ニーナが、鬼の形相をして近くの壁を叩くと、鈍い音が耳を揺らした。
 そして彼女が、私の胸倉を強く掴む。

「……私達の……幸せは…………っ!」

 精一杯、力を振り絞る。
 それだけは、否定したかった。
 たとえ──。

「だから何なのよその目はっっ!!」

「ぐぅっ!」

 たとえ、鉄拳をその体に下されても。

「……私の……幸せは……っ!」

「……黙れっっ!」

 再び、彼女の拳が腹部に捻じ込む。
 臓物がかき回されるような痛みが迸る。
 鉄の味がする。
 吐き気と苦痛が乱降下する。
 泪が零れ落ちそうになる。
 だけど私の言葉は、止まらない。

「私の幸せは……エリクの幸せ……ただそれだけです……!!」

 それがせめてもの、反撃だった。

「な、なによアンタ……この期に及んで、まだ反抗する気?」
「お、お前も、悪魔の子に成り下がったのか? お前は癒しの聖女だぞ!?」

 二人の顔に、驚きの表情が彩られる。

「私が癒したいのは……私が助けたいのは……私が愛したいのは……エリクだけです……!!」

「……ッ! この狼藉者が!!」

 すると、何度もニーナの拳が、飛んできた。

「……ぐっ!!」

 双眼からは泪が零れ落ち、口からは血塊が飛び出る。
 だけど……絶対に、堕ちない。
 お母様が最期、本当に愛する者と愛を育んだように。
 待ち受けている結末が、不条理な不幸に塗れていたとしても。
 
 ──幸せを追い求める権利は、私達にもあるはずだから。

「癒しの力は……真に愛する人の為に……あるべきです……っ!! 私は……民衆の……奴隷じゃない……! 私の命は……私の愛する者のためにあるのです……!」

 世の情勢を考えるのであれば、癒しの聖女の命を犠牲に、多勢を救うのが道理なのだろう。
 だけど……私も人間なんだ。
 私だって、救われたいから……!

「……ッッ!!」

 ニーナの手が、振り上げられる。
 しかし、その手を、リュークが掴む。

「おいニーナ、顔に傷をつけるな。これ以上醜悪な姿になったら、湧き上がる情欲も湧き上がんねぇよ」

「で、でもこいつ、やっぱり自分の立場を分かってない!!」

「あぁ、その通りだな。この顔以上に、心が歪んじまってる。世の為人の為となる恩恵を授かっておきながら、自身の存在理由をまるでわかっちゃいない」

「でしょう!? あ、悪魔の子を庇護しようとして!!」

「許されざる行為だな。こいつも、先代も。だからさ……」

 リュークは口の端々を上げて見せて。
 エリクの方へと、歩いていく。

「……なに……を……」

「ふっ」

 彼は、小さく息を漏らす。
 その顔は、まるで悪魔のようだった。
 そうして、エリクの近くまで行くと、かがみこんで──。
 懐から鍵を取り出し、エリクの手錠を外した。

 解放──してくれるはずなどない。
 リュークは一体なにを……。
 
 そう思索していると、リュークはエリクと共にこちらに戻ってきて。

「──エリクの目の前で、お前を抱く」

 悪辣な表情で、そういった。

「な……──」

「お前のその舐め腐った心、再起不能なまでに折り砕いてやるよ。ククク……どうだ、面白いだろ、ニーナ?」

「……なるほどね、流石リューク。こいつのアキレス腱はエリク。こいつが泣くも笑うも、生殺与奪も、この悪魔の子が掌握していると言っても過言じゃない」

「あぁ。エリクを傷つけりゃイリスは大量の泪を流す。それは間違いねぇ、だから、心身共にぶち壊す。”愛”してやるよイリス、お前の”愛”する義弟の前で、たっぷりとな、ククククク!」

 リュークは、哄笑こうしょうする。
 この世のモノとは思えない、憎悪が充満した笑顔で。

「……やめて…………それだけは……」

 結局。
 待ち受けていた結末は、想像以上に凄惨だった。
 あぁ……そうか……幸せを追い求める権利すら……私には……。
 そう思うと、私の心は、完全に折れてしまった。

「クカカカカ!! 人に物を頼むときは、やめて”ください”じゃないかぁ~イリスちゃ~ん!?」

「……やめて……ください……」

「お願いします、愛しのリューク様」

「お願いします……愛しのリューク様……」

 本当に、こんなの呪い以外でもなんでもない。
 最期の最期まで、私達には、陰惨凄惨な運命しか待ち受けていない。

「う~ん…………無理! お前、明快単純にムカつくから!」

「……っっ!!」

 お母様は死に意味があるべきだ、と言っていたけれど。
 私の死に意味なんて、きっとない。

「あね……き……」

 リュークの腕の中のエリクが弱々しく呟く。

「…………」

 そう、私の死に意味は、ない。
 だけど……。

「…………最後にもう一つ……お願いしても……よろしいでしょうか……」

 せめて生まれてきた意味は、なければいけない。自ら与えなければいけない。

「あん? あぁ、いいぞいいぞ、愛するイリスのお願いならなんでも承るよ」

「…………二度と……反抗的な態度はとりません……。エリクを治癒することを諦めます……民衆のためにこの泪を流す事を誓います……。貴方にこの身を捧げます……。次なる聖女を産むことを約束します……だから……──」

 滔々とうとうと、泪が零れ落ちる。
 滾々こんこんと、想いが溢れ出る。
 それは、このまま枯れ果ててしまうのではないかと思わせるくらいに留まる事を知らなかった。

 ──全て、泪と一緒に、流してしまおう。

 ──自分の心に終止符を打とう。私が私の為に生きることを諦めよう。

 ──そうすれば、ほんの少しの幸せも、生きた意味も、手繰り寄せられるかもしれないから。

「……だから……エリクを傷つけるのは……もう……辞めて下さい……。私……皆さんのために……最期まで泣き続けますからっ」

 ──

「……あね……き……!」

 エリクを一瞥し、精一杯の笑顔を送った。
 夢の……昔の母が、どうして笑っていたのか、分かった気がする。

 たとえ、他の人にとって、どれだけちっぽけだとしても。

 ──私はエリクと出会えて、幸せだった。

「……お前は一度、裏切ったんだぞ?」

 リュークは面を食らったのか、真剣な眼差しで、私を覗き込んでいた。
 
「……はい……。……ですがエリクの身を按じてくれるのなら……使命を全うします……っ!」

 私は、笑顔を崩さずに、そう返す。
 泪は未だ止まらぬままだったけど、心は完全に殺した。

 ──うん、大丈夫。

 ──私は、癒しの聖女だ。

「……ま、エリクへの暴力はお前を泣かす為の道具だったからいいけどな」

「ありがとう、ございます……!」

 ──さようなら。

 ──愛しのエリク。

「だが、罰は罰だ。儀式はエリクを観客に添える」

「…………はい」

 ──貴方はせめて、少しでも、長生きして。

 ──貴方は悪魔の子でも、呪われても、いないのだから。

 ──貴方は私や、お母様とは、違うのだから。

 ──だから。

 ──きっと、いつか、幸せになれると信じているよ。

「………ける……な……」

 エリクが肩を震わせ、小さく何かを呟いた。
 唇を噛み締め、弱々しいながらも、猛々しい瞳をして。

「…………ふざ……けるな……謝るのは……」

 そして、意を決するかのように、目を見開く。

「謝るのは……俺の方だ……こいつらの……方だ……!」

 刹那、リュークの手を振り払って。

「……うぉ!?」

 その痩身をぶつけると、リュークのバランスが崩れた。

 そして、私の方へと手を伸ばす。

 しかし……。

「てめぇ……何勝手なことしてんだよコラ!!」

 すぐさま首根っこを掴まれ、そのまま壁に叩きつけられた。

「……エリク……!! リューク、約束と──っっ!!」

 私の言葉を幾度も遮る、鈍痛。
 ニーナの裁きの鉄槌が、腹部に突き刺さっていた。

「あのさぁ、先に余計な事したのはアンタの義弟でしょ?」

 そして、ギュっと、私の顎を力強く持ち上げる。
 皮膚に爪が捻じ込み、泪に鮮血が混じる。

「赤ちゃんもできることだし、そのブッサイクな顔にお仕置きだね、これからは」

 痛みで視界が狭まり、ぼやけていく。
 脳に血液が回らなくなり、思考もぼんやりしている。
 ただ、薄紅色の泪と、心臓だけは早鐘を打っていた。

「悪魔の子の分際で!! 悪魔の子の分際で!!」

 コンクリートを殴るような鈍い音と、おぞましい怒声が鳴り響く。

「いや、リューク、流石に死ぬって」

 焦燥するニーナのその声と共に、顔が解放される。
 視界は徐々に光を取り戻し、思考回路も動きを再開した。

「ケホッ! ケホッ!!」

 嘔吐えずきながら、視線をエリクの方へ持っていく。
 顔のあちこちが青あざと、血に塗れていた。 

 兵士とニーナが、リュークを静止しようと、近づく。

「ちょ、リュークやりすぎだって──」

「るせぇ!忌まわしき悪魔の子の分際で、こいつは……!」

 そして、強く首根っこを掴んで……。

「やめ……て……リューク…!!!」

 その声虚しく。
 
 エリクの身体が宙を舞った。

 そして……。

 私のすぐ隣、鈍い音と共に、その身体が叩きつけられた。

「……ぁ……」

 地面が、真っ赤に燃える血で染まっていく。

 エリクの身体が沖に上げられた魚のように痙攣している。

「え、死ん……だ?」

 ニーナの声が通り抜ける。

 目の前が一面黒に包まれる。

「やべ、やりすぎた」

 リュークは笑う。

 そこら辺の虫を踏みつぶしてしまったくらいの感覚で、軽快に。

「あーまだ一応生きてるっぽいよ」

 声が近づいた。

 ニーナの声だ。

「流石に殺しはヤベェな……。……いくら悪魔の子とはいえ、やむなしか。おいイリス、治癒してやっていいぞ」

 衣擦れの音がする。

 二つの影が近づく。

「はい、良かったわね、アンタ、待ち侘びていたでしょう?」

 確かにその言葉は、待ち望んだものだった。

 だけど、病が重ければ重いほど、傷が深ければ深いほど、私の命は擦り減る。

 つまり……。

「……──」

 風前の灯火のエリクに、余生少ない、今の私の生命を与えても。

 たとえ、私の生命の全てを注ぎ込んでも……全癒できるか分からないし、彼らもそれを許さない。

 だから……。

 もう…………。

 もうエリクは────長く生きられない。

「……ぅ……ぁ……」

「……え、なに……こいつ……」

「おいイリス、早くしろ! 死んじまうぞ!?」

 あぁ、どうして……。

 どうして……!

 どうしてどうしてどうしてどうして!!

 小さな幸せも神様は叶えてくれないの!?

「……ぅ……ぐ……ぅあ……!!」

 私の全てが、零れ落ちる。

 ──ぽつり。

 残り僅かな生命が、エリクに吸い込まれていく。

「ニーナ、分かってると思うが、意識取り戻したらすぐ引き離せよ。その泪はそいつの為にあるんじゃないんだからな」

「分かってる」

 ──ぽつり、ぽつり。

 生命が、削られていく。

「あーお前ら、親父には内密に頼む、後で口止め料払うからさ」

「うわ、お父さんが雇ってる兵士を買収! クズだね~~!」

 ──ぽつり。

 時間が、奪われていく。

「……ぁぁぁあぁあぁああぁぁぁぁ──」

 私の絶叫と共に、真っ暗闇の視界が、徐々に色を取り戻す。

「エリ……ク……」

 哀しみの渦中にある私の心とは対照的な深緑に光り輝く粒子が、泡沫のようにエリクの身体の周りを円舞していた。

 愛する人を治癒するその極光は、今まで見た中で一番綺麗だった。

 それからしばらくして。

「……っっ」

 エリクが息を吹き返した。


「お、やっと意識戻った。まぁこんなもんで──」


 そう、ニーナが言いかけて、エリクの身体を私から離そうとした瞬間……。


 目を奪われる程の、強烈な光が辺り一面を波紋した。


 それは、初めての経験だった。


 全て力を使い果たしのかと、死をも連想させた。


 しかし、その意識がこれ以上薄れることもなく。


 そして、次第に光は弱まって。


 目の前には……。


「……エリ……ク…………?」


 五体満足のエリクが、立っていた。


「姉貴──」


 一点の曇りもない、花鳥風月な声音を発して。
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