3 / 6
第三話 この泪が枯れ果てる時
しおりを挟む
そうしてついに、儀式当日がやってきた。
つまり、リュークに純潔を捧げる日。
ガラリと小屋の扉が開き、リュークとニーナ、ローランド家に仕える、甲冑姿の兵士が数名入って来た。
「はぁ……あんな皮膚が飾りかってくらい骨が浮き彫りの骸骨女抱かなきゃダメかねぇ……」
開口一番、リュークは陰鬱な顔をしてそういった。
「……やっぱ、いくらイリスとはいえ、自分の恋人が他の女の子と体を重ね合わせるの気に食わないんだけど」
ニーナは不服そうに、頬を膨らませていた。
「そう言うなよ。この街の伝承だ。それに、あいつが次期聖女を身籠ればイリスはほとんどお役御免。飾りの許嫁も解消になる」
「……ま、そうだけどさ」
「にしても、不思議な呪いだよなぁ。こんな身体でも無事に出産できちまうらしいし」
「四肢切断とかしたらどうなるんだろ? おもしろそーじゃない?!」
「いや、家の蔵書によると、聖女に人間の明々白々に致命傷となるような傷は付けられないらしい。奇天烈なこったが、あくまで"泪を流させる為"くらいの外傷と痛みしか与えられないんだと」
二人はあたかも自分たちだけかの問題のように、会話をしている。
……私は。
舌を噛み千切って、死んでしまいたかった。
だけど、呪いのせいで死ねなくて……。
愛するエリクに、視線をやる。
──死にたくない。
義弟と離れ離れになるのが、私の何よりの不幸だから。
「……あね……き……」
エリクの奄々とした声が聞こえる。
安心させる何かを言おうとするも、リュークとニーナが近づいて。
「お前は逆に、崇高で高貴なローランド家の俺に抱かれて幸せ者だな」
リュークが口角を吊り上げて、そういった。
──幸せ。
「……幸……せ……?」
──私や母の、幸せは。
「……違う……」
勝手にその言葉が、躍り出ていた。
「……何反抗的な目してんの? あたしの彼氏に抱いてもらえるアンタが!」
ニーナが、鬼の形相をして近くの壁を叩くと、鈍い音が耳を揺らした。
そして彼女が、私の胸倉を強く掴む。
「……私達の……幸せは…………っ!」
精一杯、力を振り絞る。
それだけは、否定したかった。
たとえ──。
「だから何なのよその目はっっ!!」
「ぐぅっ!」
たとえ、鉄拳をその体に下されても。
「……私の……幸せは……っ!」
「……黙れっっ!」
再び、彼女の拳が腹部に捻じ込む。
臓物がかき回されるような痛みが迸る。
鉄の味がする。
吐き気と苦痛が乱降下する。
泪が零れ落ちそうになる。
だけど私の言葉は、止まらない。
「私の幸せは……エリクの幸せ……ただそれだけです……!!」
それがせめてもの、反撃だった。
「な、なによアンタ……この期に及んで、まだ反抗する気?」
「お、お前も、悪魔の子に成り下がったのか? お前は癒しの聖女だぞ!?」
二人の顔に、驚きの表情が彩られる。
「私が癒したいのは……私が助けたいのは……私が愛したいのは……エリクだけです……!!」
「……ッ! この狼藉者が!!」
すると、何度もニーナの拳が、飛んできた。
「……ぐっ!!」
双眼からは泪が零れ落ち、口からは血塊が飛び出る。
だけど……絶対に、堕ちない。
お母様が最期、本当に愛する者と愛を育んだように。
待ち受けている結末が、不条理な不幸に塗れていたとしても。
──幸せを追い求める権利は、私達にもあるはずだから。
「癒しの力は……真に愛する人の為に……あるべきです……っ!! 私は……民衆の……奴隷じゃない……! 私の命は……私の愛する者のためにあるのです……!」
世の情勢を考えるのであれば、癒しの聖女の命を犠牲に、多勢を救うのが道理なのだろう。
だけど……私も人間なんだ。
私だって、救われたいから……!
「……ッッ!!」
ニーナの手が、振り上げられる。
しかし、その手を、リュークが掴む。
「おいニーナ、顔に傷をつけるな。これ以上醜悪な姿になったら、湧き上がる情欲も湧き上がんねぇよ」
「で、でもこいつ、やっぱり自分の立場を分かってない!!」
「あぁ、その通りだな。この顔以上に、心が歪んじまってる。世の為人の為となる恩恵を授かっておきながら、自身の存在理由をまるでわかっちゃいない」
「でしょう!? あ、悪魔の子を庇護しようとして!!」
「許されざる行為だな。こいつも、先代も。だからさ……」
リュークは口の端々を上げて見せて。
エリクの方へと、歩いていく。
「……なに……を……」
「ふっ」
彼は、小さく息を漏らす。
その顔は、まるで悪魔のようだった。
そうして、エリクの近くまで行くと、かがみこんで──。
懐から鍵を取り出し、エリクの手錠を外した。
解放──してくれるはずなどない。
リュークは一体なにを……。
そう思索していると、リュークはエリクと共にこちらに戻ってきて。
「──エリクの目の前で、お前を抱く」
悪辣な表情で、そういった。
「な……──」
「お前のその舐め腐った心、再起不能なまでに折り砕いてやるよ。ククク……どうだ、面白いだろ、ニーナ?」
「……なるほどね、流石リューク。こいつのアキレス腱はエリク。こいつが泣くも笑うも、生殺与奪も、この悪魔の子が掌握していると言っても過言じゃない」
「あぁ。エリクを傷つけりゃイリスは大量の泪を流す。それは間違いねぇ、だから、心身共にぶち壊す。”愛”してやるよイリス、お前の”愛”する義弟の前で、たっぷりとな、ククククク!」
リュークは、哄笑する。
この世のモノとは思えない、憎悪が充満した笑顔で。
「……やめて…………それだけは……」
結局。
待ち受けていた結末は、想像以上に凄惨だった。
あぁ……そうか……幸せを追い求める権利すら……私には……。
そう思うと、私の心は、完全に折れてしまった。
「クカカカカ!! 人に物を頼むときは、やめて”ください”じゃないかぁ~イリスちゃ~ん!?」
「……やめて……ください……」
「お願いします、愛しのリューク様」
「お願いします……愛しのリューク様……」
本当に、こんなの呪い以外でもなんでもない。
最期の最期まで、私達には、陰惨凄惨な運命しか待ち受けていない。
「う~ん…………無理! お前、明快単純にムカつくから!」
「……っっ!!」
お母様は死に意味があるべきだ、と言っていたけれど。
私の死に意味なんて、きっとない。
「あね……き……」
リュークの腕の中のエリクが弱々しく呟く。
「…………」
そう、私の死に意味は、ない。
だけど……。
「…………最後にもう一つ……お願いしても……よろしいでしょうか……」
せめて生まれてきた意味は、なければいけない。自ら与えなければいけない。
「あん? あぁ、いいぞいいぞ、愛するイリスのお願いならなんでも承るよ」
「…………二度と……反抗的な態度はとりません……。エリクを治癒することを諦めます……民衆のためにこの泪を流す事を誓います……。貴方にこの身を捧げます……。次なる聖女を産むことを約束します……だから……──」
滔々と、泪が零れ落ちる。
滾々と、想いが溢れ出る。
それは、このまま枯れ果ててしまうのではないかと思わせるくらいに留まる事を知らなかった。
──全て、泪と一緒に、流してしまおう。
──自分の心に終止符を打とう。私が私の為に生きることを諦めよう。
──そうすれば、ほんの少しの幸せも、生きた意味も、手繰り寄せられるかもしれないから。
「……だから……エリクを傷つけるのは……もう……辞めて下さい……。私……皆さんのために……最期まで泣き続けますからっ」
──そうすれば、この泪が枯れ果てた時、笑うことが出来るから。
「……あね……き……!」
エリクを一瞥し、精一杯の笑顔を送った。
夢の……昔の母が、どうして笑っていたのか、分かった気がする。
たとえ、他の人にとって、どれだけちっぽけだとしても。
──私はエリクと出会えて、幸せだった。
「……お前は一度、裏切ったんだぞ?」
リュークは面を食らったのか、真剣な眼差しで、私を覗き込んでいた。
「……はい……。……ですがエリクの身を按じてくれるのなら……使命を全うします……っ!」
私は、笑顔を崩さずに、そう返す。
泪は未だ止まらぬままだったけど、心は完全に殺した。
──うん、大丈夫。
──私は、癒しの聖女だ。
「……ま、エリクへの暴力はお前を泣かす為の道具だったからいいけどな」
「ありがとう、ございます……!」
──さようなら。
──愛しのエリク。
「だが、罰は罰だ。儀式はエリクを観客に添える」
「…………はい」
──貴方はせめて、少しでも、長生きして。
──貴方は悪魔の子でも、呪われても、いないのだから。
──貴方は私や、お母様とは、違うのだから。
──だから。
──きっと、いつか、幸せになれると信じているよ。
「………ける……な……」
エリクが肩を震わせ、小さく何かを呟いた。
唇を噛み締め、弱々しいながらも、猛々しい瞳をして。
「…………ふざ……けるな……謝るのは……」
そして、意を決するかのように、目を見開く。
「謝るのは……俺の方だ……こいつらの……方だ……!」
刹那、リュークの手を振り払って。
「……うぉ!?」
その痩身をぶつけると、リュークのバランスが崩れた。
そして、私の方へと手を伸ばす。
しかし……。
「てめぇ……何勝手なことしてんだよコラ!!」
すぐさま首根っこを掴まれ、そのまま壁に叩きつけられた。
「……エリク……!! リューク、約束と──っっ!!」
私の言葉を幾度も遮る、鈍痛。
ニーナの裁きの鉄槌が、腹部に突き刺さっていた。
「あのさぁ、先に余計な事したのはアンタの義弟でしょ?」
そして、ギュっと、私の顎を力強く持ち上げる。
皮膚に爪が捻じ込み、泪に鮮血が混じる。
「赤ちゃんもできることだし、そのブッサイクな顔にお仕置きだね、これからは」
痛みで視界が狭まり、ぼやけていく。
脳に血液が回らなくなり、思考もぼんやりしている。
ただ、薄紅色の泪と、心臓だけは早鐘を打っていた。
「悪魔の子の分際で!! 悪魔の子の分際で!!」
コンクリートを殴るような鈍い音と、おぞましい怒声が鳴り響く。
「いや、リューク、流石に死ぬって」
焦燥するニーナのその声と共に、顔が解放される。
視界は徐々に光を取り戻し、思考回路も動きを再開した。
「ケホッ! ケホッ!!」
嘔吐きながら、視線をエリクの方へ持っていく。
顔のあちこちが青あざと、血に塗れていた。
兵士とニーナが、リュークを静止しようと、近づく。
「ちょ、リュークやりすぎだって──」
「るせぇ!忌まわしき悪魔の子の分際で、こいつは……!」
そして、強く首根っこを掴んで……。
「やめ……て……リューク…!!!」
その声虚しく。
エリクの身体が宙を舞った。
そして……。
私のすぐ隣、鈍い音と共に、その身体が叩きつけられた。
「……ぁ……」
地面が、真っ赤に燃える血で染まっていく。
エリクの身体が沖に上げられた魚のように痙攣している。
「え、死ん……だ?」
ニーナの声が通り抜ける。
目の前が一面黒に包まれる。
「やべ、やりすぎた」
リュークは笑う。
そこら辺の虫を踏みつぶしてしまったくらいの感覚で、軽快に。
「あーまだ一応生きてるっぽいよ」
声が近づいた。
ニーナの声だ。
「流石に殺しはヤベェな……。……いくら悪魔の子とはいえ、やむなしか。おいイリス、治癒してやっていいぞ」
衣擦れの音がする。
二つの影が近づく。
「はい、良かったわね、アンタ、待ち侘びていたでしょう?」
確かにその言葉は、待ち望んだものだった。
だけど、病が重ければ重いほど、傷が深ければ深いほど、私の命は擦り減る。
つまり……。
「……──」
風前の灯火のエリクに、余生少ない、今の私の生命を与えても。
たとえ、私の生命の全てを注ぎ込んでも……全癒できるか分からないし、彼らもそれを許さない。
だから……。
もう…………。
もうエリクは────長く生きられない。
「……ぅ……ぁ……」
「……え、なに……こいつ……」
「おいイリス、早くしろ! 死んじまうぞ!?」
あぁ、どうして……。
どうして……!
どうしてどうしてどうしてどうして!!
小さな幸せも神様は叶えてくれないの!?
「……ぅ……ぐ……ぅあ……!!」
私の全てが、零れ落ちる。
──ぽつり。
残り僅かな生命が、エリクに吸い込まれていく。
「ニーナ、分かってると思うが、意識取り戻したらすぐ引き離せよ。その泪はそいつの為にあるんじゃないんだからな」
「分かってる」
──ぽつり、ぽつり。
生命が、削られていく。
「あーお前ら、親父には内密に頼む、後で口止め料払うからさ」
「うわ、お父さんが雇ってる兵士を買収! クズだね~~!」
──ぽつり。
時間が、奪われていく。
「……ぁぁぁあぁあぁああぁぁぁぁ──」
私の絶叫と共に、真っ暗闇の視界が、徐々に色を取り戻す。
「エリ……ク……」
哀しみの渦中にある私の心とは対照的な深緑に光り輝く粒子が、泡沫のようにエリクの身体の周りを円舞していた。
愛する人を治癒するその極光は、今まで見た中で一番綺麗だった。
それからしばらくして。
「……っっ」
エリクが息を吹き返した。
「お、やっと意識戻った。まぁこんなもんで──」
そう、ニーナが言いかけて、エリクの身体を私から離そうとした瞬間……。
目を奪われる程の、強烈な光が辺り一面を波紋した。
それは、初めての経験だった。
全て力を使い果たしのかと、死をも連想させた。
しかし、その意識がこれ以上薄れることもなく。
そして、次第に光は弱まって。
目の前には……。
「……エリ……ク…………?」
五体満足のエリクが、立っていた。
「姉貴──」
一点の曇りもない、花鳥風月な声音を発して。
つまり、リュークに純潔を捧げる日。
ガラリと小屋の扉が開き、リュークとニーナ、ローランド家に仕える、甲冑姿の兵士が数名入って来た。
「はぁ……あんな皮膚が飾りかってくらい骨が浮き彫りの骸骨女抱かなきゃダメかねぇ……」
開口一番、リュークは陰鬱な顔をしてそういった。
「……やっぱ、いくらイリスとはいえ、自分の恋人が他の女の子と体を重ね合わせるの気に食わないんだけど」
ニーナは不服そうに、頬を膨らませていた。
「そう言うなよ。この街の伝承だ。それに、あいつが次期聖女を身籠ればイリスはほとんどお役御免。飾りの許嫁も解消になる」
「……ま、そうだけどさ」
「にしても、不思議な呪いだよなぁ。こんな身体でも無事に出産できちまうらしいし」
「四肢切断とかしたらどうなるんだろ? おもしろそーじゃない?!」
「いや、家の蔵書によると、聖女に人間の明々白々に致命傷となるような傷は付けられないらしい。奇天烈なこったが、あくまで"泪を流させる為"くらいの外傷と痛みしか与えられないんだと」
二人はあたかも自分たちだけかの問題のように、会話をしている。
……私は。
舌を噛み千切って、死んでしまいたかった。
だけど、呪いのせいで死ねなくて……。
愛するエリクに、視線をやる。
──死にたくない。
義弟と離れ離れになるのが、私の何よりの不幸だから。
「……あね……き……」
エリクの奄々とした声が聞こえる。
安心させる何かを言おうとするも、リュークとニーナが近づいて。
「お前は逆に、崇高で高貴なローランド家の俺に抱かれて幸せ者だな」
リュークが口角を吊り上げて、そういった。
──幸せ。
「……幸……せ……?」
──私や母の、幸せは。
「……違う……」
勝手にその言葉が、躍り出ていた。
「……何反抗的な目してんの? あたしの彼氏に抱いてもらえるアンタが!」
ニーナが、鬼の形相をして近くの壁を叩くと、鈍い音が耳を揺らした。
そして彼女が、私の胸倉を強く掴む。
「……私達の……幸せは…………っ!」
精一杯、力を振り絞る。
それだけは、否定したかった。
たとえ──。
「だから何なのよその目はっっ!!」
「ぐぅっ!」
たとえ、鉄拳をその体に下されても。
「……私の……幸せは……っ!」
「……黙れっっ!」
再び、彼女の拳が腹部に捻じ込む。
臓物がかき回されるような痛みが迸る。
鉄の味がする。
吐き気と苦痛が乱降下する。
泪が零れ落ちそうになる。
だけど私の言葉は、止まらない。
「私の幸せは……エリクの幸せ……ただそれだけです……!!」
それがせめてもの、反撃だった。
「な、なによアンタ……この期に及んで、まだ反抗する気?」
「お、お前も、悪魔の子に成り下がったのか? お前は癒しの聖女だぞ!?」
二人の顔に、驚きの表情が彩られる。
「私が癒したいのは……私が助けたいのは……私が愛したいのは……エリクだけです……!!」
「……ッ! この狼藉者が!!」
すると、何度もニーナの拳が、飛んできた。
「……ぐっ!!」
双眼からは泪が零れ落ち、口からは血塊が飛び出る。
だけど……絶対に、堕ちない。
お母様が最期、本当に愛する者と愛を育んだように。
待ち受けている結末が、不条理な不幸に塗れていたとしても。
──幸せを追い求める権利は、私達にもあるはずだから。
「癒しの力は……真に愛する人の為に……あるべきです……っ!! 私は……民衆の……奴隷じゃない……! 私の命は……私の愛する者のためにあるのです……!」
世の情勢を考えるのであれば、癒しの聖女の命を犠牲に、多勢を救うのが道理なのだろう。
だけど……私も人間なんだ。
私だって、救われたいから……!
「……ッッ!!」
ニーナの手が、振り上げられる。
しかし、その手を、リュークが掴む。
「おいニーナ、顔に傷をつけるな。これ以上醜悪な姿になったら、湧き上がる情欲も湧き上がんねぇよ」
「で、でもこいつ、やっぱり自分の立場を分かってない!!」
「あぁ、その通りだな。この顔以上に、心が歪んじまってる。世の為人の為となる恩恵を授かっておきながら、自身の存在理由をまるでわかっちゃいない」
「でしょう!? あ、悪魔の子を庇護しようとして!!」
「許されざる行為だな。こいつも、先代も。だからさ……」
リュークは口の端々を上げて見せて。
エリクの方へと、歩いていく。
「……なに……を……」
「ふっ」
彼は、小さく息を漏らす。
その顔は、まるで悪魔のようだった。
そうして、エリクの近くまで行くと、かがみこんで──。
懐から鍵を取り出し、エリクの手錠を外した。
解放──してくれるはずなどない。
リュークは一体なにを……。
そう思索していると、リュークはエリクと共にこちらに戻ってきて。
「──エリクの目の前で、お前を抱く」
悪辣な表情で、そういった。
「な……──」
「お前のその舐め腐った心、再起不能なまでに折り砕いてやるよ。ククク……どうだ、面白いだろ、ニーナ?」
「……なるほどね、流石リューク。こいつのアキレス腱はエリク。こいつが泣くも笑うも、生殺与奪も、この悪魔の子が掌握していると言っても過言じゃない」
「あぁ。エリクを傷つけりゃイリスは大量の泪を流す。それは間違いねぇ、だから、心身共にぶち壊す。”愛”してやるよイリス、お前の”愛”する義弟の前で、たっぷりとな、ククククク!」
リュークは、哄笑する。
この世のモノとは思えない、憎悪が充満した笑顔で。
「……やめて…………それだけは……」
結局。
待ち受けていた結末は、想像以上に凄惨だった。
あぁ……そうか……幸せを追い求める権利すら……私には……。
そう思うと、私の心は、完全に折れてしまった。
「クカカカカ!! 人に物を頼むときは、やめて”ください”じゃないかぁ~イリスちゃ~ん!?」
「……やめて……ください……」
「お願いします、愛しのリューク様」
「お願いします……愛しのリューク様……」
本当に、こんなの呪い以外でもなんでもない。
最期の最期まで、私達には、陰惨凄惨な運命しか待ち受けていない。
「う~ん…………無理! お前、明快単純にムカつくから!」
「……っっ!!」
お母様は死に意味があるべきだ、と言っていたけれど。
私の死に意味なんて、きっとない。
「あね……き……」
リュークの腕の中のエリクが弱々しく呟く。
「…………」
そう、私の死に意味は、ない。
だけど……。
「…………最後にもう一つ……お願いしても……よろしいでしょうか……」
せめて生まれてきた意味は、なければいけない。自ら与えなければいけない。
「あん? あぁ、いいぞいいぞ、愛するイリスのお願いならなんでも承るよ」
「…………二度と……反抗的な態度はとりません……。エリクを治癒することを諦めます……民衆のためにこの泪を流す事を誓います……。貴方にこの身を捧げます……。次なる聖女を産むことを約束します……だから……──」
滔々と、泪が零れ落ちる。
滾々と、想いが溢れ出る。
それは、このまま枯れ果ててしまうのではないかと思わせるくらいに留まる事を知らなかった。
──全て、泪と一緒に、流してしまおう。
──自分の心に終止符を打とう。私が私の為に生きることを諦めよう。
──そうすれば、ほんの少しの幸せも、生きた意味も、手繰り寄せられるかもしれないから。
「……だから……エリクを傷つけるのは……もう……辞めて下さい……。私……皆さんのために……最期まで泣き続けますからっ」
──そうすれば、この泪が枯れ果てた時、笑うことが出来るから。
「……あね……き……!」
エリクを一瞥し、精一杯の笑顔を送った。
夢の……昔の母が、どうして笑っていたのか、分かった気がする。
たとえ、他の人にとって、どれだけちっぽけだとしても。
──私はエリクと出会えて、幸せだった。
「……お前は一度、裏切ったんだぞ?」
リュークは面を食らったのか、真剣な眼差しで、私を覗き込んでいた。
「……はい……。……ですがエリクの身を按じてくれるのなら……使命を全うします……っ!」
私は、笑顔を崩さずに、そう返す。
泪は未だ止まらぬままだったけど、心は完全に殺した。
──うん、大丈夫。
──私は、癒しの聖女だ。
「……ま、エリクへの暴力はお前を泣かす為の道具だったからいいけどな」
「ありがとう、ございます……!」
──さようなら。
──愛しのエリク。
「だが、罰は罰だ。儀式はエリクを観客に添える」
「…………はい」
──貴方はせめて、少しでも、長生きして。
──貴方は悪魔の子でも、呪われても、いないのだから。
──貴方は私や、お母様とは、違うのだから。
──だから。
──きっと、いつか、幸せになれると信じているよ。
「………ける……な……」
エリクが肩を震わせ、小さく何かを呟いた。
唇を噛み締め、弱々しいながらも、猛々しい瞳をして。
「…………ふざ……けるな……謝るのは……」
そして、意を決するかのように、目を見開く。
「謝るのは……俺の方だ……こいつらの……方だ……!」
刹那、リュークの手を振り払って。
「……うぉ!?」
その痩身をぶつけると、リュークのバランスが崩れた。
そして、私の方へと手を伸ばす。
しかし……。
「てめぇ……何勝手なことしてんだよコラ!!」
すぐさま首根っこを掴まれ、そのまま壁に叩きつけられた。
「……エリク……!! リューク、約束と──っっ!!」
私の言葉を幾度も遮る、鈍痛。
ニーナの裁きの鉄槌が、腹部に突き刺さっていた。
「あのさぁ、先に余計な事したのはアンタの義弟でしょ?」
そして、ギュっと、私の顎を力強く持ち上げる。
皮膚に爪が捻じ込み、泪に鮮血が混じる。
「赤ちゃんもできることだし、そのブッサイクな顔にお仕置きだね、これからは」
痛みで視界が狭まり、ぼやけていく。
脳に血液が回らなくなり、思考もぼんやりしている。
ただ、薄紅色の泪と、心臓だけは早鐘を打っていた。
「悪魔の子の分際で!! 悪魔の子の分際で!!」
コンクリートを殴るような鈍い音と、おぞましい怒声が鳴り響く。
「いや、リューク、流石に死ぬって」
焦燥するニーナのその声と共に、顔が解放される。
視界は徐々に光を取り戻し、思考回路も動きを再開した。
「ケホッ! ケホッ!!」
嘔吐きながら、視線をエリクの方へ持っていく。
顔のあちこちが青あざと、血に塗れていた。
兵士とニーナが、リュークを静止しようと、近づく。
「ちょ、リュークやりすぎだって──」
「るせぇ!忌まわしき悪魔の子の分際で、こいつは……!」
そして、強く首根っこを掴んで……。
「やめ……て……リューク…!!!」
その声虚しく。
エリクの身体が宙を舞った。
そして……。
私のすぐ隣、鈍い音と共に、その身体が叩きつけられた。
「……ぁ……」
地面が、真っ赤に燃える血で染まっていく。
エリクの身体が沖に上げられた魚のように痙攣している。
「え、死ん……だ?」
ニーナの声が通り抜ける。
目の前が一面黒に包まれる。
「やべ、やりすぎた」
リュークは笑う。
そこら辺の虫を踏みつぶしてしまったくらいの感覚で、軽快に。
「あーまだ一応生きてるっぽいよ」
声が近づいた。
ニーナの声だ。
「流石に殺しはヤベェな……。……いくら悪魔の子とはいえ、やむなしか。おいイリス、治癒してやっていいぞ」
衣擦れの音がする。
二つの影が近づく。
「はい、良かったわね、アンタ、待ち侘びていたでしょう?」
確かにその言葉は、待ち望んだものだった。
だけど、病が重ければ重いほど、傷が深ければ深いほど、私の命は擦り減る。
つまり……。
「……──」
風前の灯火のエリクに、余生少ない、今の私の生命を与えても。
たとえ、私の生命の全てを注ぎ込んでも……全癒できるか分からないし、彼らもそれを許さない。
だから……。
もう…………。
もうエリクは────長く生きられない。
「……ぅ……ぁ……」
「……え、なに……こいつ……」
「おいイリス、早くしろ! 死んじまうぞ!?」
あぁ、どうして……。
どうして……!
どうしてどうしてどうしてどうして!!
小さな幸せも神様は叶えてくれないの!?
「……ぅ……ぐ……ぅあ……!!」
私の全てが、零れ落ちる。
──ぽつり。
残り僅かな生命が、エリクに吸い込まれていく。
「ニーナ、分かってると思うが、意識取り戻したらすぐ引き離せよ。その泪はそいつの為にあるんじゃないんだからな」
「分かってる」
──ぽつり、ぽつり。
生命が、削られていく。
「あーお前ら、親父には内密に頼む、後で口止め料払うからさ」
「うわ、お父さんが雇ってる兵士を買収! クズだね~~!」
──ぽつり。
時間が、奪われていく。
「……ぁぁぁあぁあぁああぁぁぁぁ──」
私の絶叫と共に、真っ暗闇の視界が、徐々に色を取り戻す。
「エリ……ク……」
哀しみの渦中にある私の心とは対照的な深緑に光り輝く粒子が、泡沫のようにエリクの身体の周りを円舞していた。
愛する人を治癒するその極光は、今まで見た中で一番綺麗だった。
それからしばらくして。
「……っっ」
エリクが息を吹き返した。
「お、やっと意識戻った。まぁこんなもんで──」
そう、ニーナが言いかけて、エリクの身体を私から離そうとした瞬間……。
目を奪われる程の、強烈な光が辺り一面を波紋した。
それは、初めての経験だった。
全て力を使い果たしのかと、死をも連想させた。
しかし、その意識がこれ以上薄れることもなく。
そして、次第に光は弱まって。
目の前には……。
「……エリ……ク…………?」
五体満足のエリクが、立っていた。
「姉貴──」
一点の曇りもない、花鳥風月な声音を発して。
0
あなたにおすすめの小説
絶対に間違えないから
mahiro
恋愛
あれは事故だった。
けれど、その場には彼女と仲の悪かった私がおり、日頃の行いの悪さのせいで彼女を階段から突き落とした犯人は私だと誰もが思ったーーー私の初恋であった貴方さえも。
だから、貴方は彼女を失うことになった私を許さず、私を死へ追いやった………はずだった。
何故か私はあのときの記憶を持ったまま6歳の頃の私に戻ってきたのだ。
どうして戻ってこれたのか分からないが、このチャンスを逃すわけにはいかない。
私はもう彼らとは出会わず、日頃の行いの悪さを見直し、平穏な生活を目指す!そう決めたはずなのに...……。
私の願いは貴方の幸せです
mahiro
恋愛
「君、すごくいいね」
滅多に私のことを褒めることがないその人が初めて会った女の子を褒めている姿に、彼の興味が私から彼女に移ったのだと感じた。
私は2人の邪魔にならないよう出来るだけ早く去ることにしたのだが。
【完結】私は聖女の代用品だったらしい
雨雲レーダー
恋愛
異世界に聖女として召喚された紗月。
元の世界に帰る方法を探してくれるというリュミナス王国の王であるアレクの言葉を信じて、聖女として頑張ろうと決意するが、ある日大学の後輩でもあった天音が真の聖女として召喚されてから全てが変わりはじめ、ついには身に覚えのない罪で荒野に置き去りにされてしまう。
絶望の中で手を差し伸べたのは、隣国グランツ帝国の冷酷な皇帝マティアスだった。
「俺のものになれ」
突然の言葉に唖然とするものの、行く場所も帰る場所もない紗月はしぶしぶ着いて行くことに。
だけど帝国での生活は意外と楽しくて、マティアスもそんなにイヤなやつじゃないのかも?
捨てられた聖女と孤高の皇帝が絆を深めていく一方で、リュミナス王国では次々と異変がおこっていた。
・完結まで予約投稿済みです。
・1日3回更新(7時・12時・18時)
【完結】薔薇の花をあなたに贈ります
彩華(あやはな)
恋愛
レティシアは階段から落ちた。
目を覚ますと、何かがおかしかった。それは婚約者である殿下を覚えていなかったのだ。
ロベルトは、レティシアとの婚約解消になり、聖女ミランダとの婚約することになる。
たが、それに違和感を抱くようになる。
ロベルト殿下視点がおもになります。
前作を多少引きずってはいますが、今回は暗くはないです!!
11話完結です。
この度改編した(ストーリーは変わらず)をなろうさんに投稿しました。
ミュリエル・ブランシャールはそれでも彼を愛していた
玉菜きゃべつ
恋愛
確かに愛し合っていた筈なのに、彼は学園を卒業してから私に冷たく当たるようになった。
なんでも、学園で私の悪行が噂されているのだという。勿論心当たりなど無い。 噂などを頭から信じ込むような人では無かったのに、何が彼を変えてしまったのだろう。 私を愛さない人なんか、嫌いになれたら良いのに。何度そう思っても、彼を愛することを辞められなかった。 ある時、遂に彼に婚約解消を迫られた私は、愛する彼に強く抵抗することも出来ずに言われるがまま書類に署名してしまう。私は貴方を愛することを辞められない。でも、もうこの苦しみには耐えられない。 なら、貴方が私の世界からいなくなればいい。◆全6話
行き場を失った恋の終わらせ方
当麻月菜
恋愛
「君との婚約を白紙に戻してほしい」
自分の全てだったアイザックから別れを切り出されたエステルは、どうしてもこの恋を終わらすことができなかった。
避け続ける彼を求めて、復縁を願って、あの日聞けなかった答えを得るために、エステルは王城の夜会に出席する。
しかしやっと再会できた、そこには見たくない現実が待っていて……
恋の終わりを見届ける貴族青年と、行き場を失った恋の中をさ迷う令嬢の終わりと始まりの物語。
※他のサイトにも重複投稿しています。
聖女に負けた侯爵令嬢 (よくある婚約解消もののおはなし)
蒼あかり
恋愛
ティアナは女王主催の茶会で、婚約者である王子クリストファーから婚約解消を告げられる。そして、彼の隣には聖女であるローズの姿が。
聖女として国民に、そしてクリストファーから愛されるローズ。クリストファーとともに並ぶ聖女ローズは美しく眩しいほどだ。そんな二人を見せつけられ、いつしかティアナの中に諦めにも似た思いが込み上げる。
愛する人のために王子妃として支える覚悟を持ってきたのに、それが叶わぬのならその立場を辞したいと願うのに、それが叶う事はない。
いつしか公爵家のアシュトンをも巻き込み、泥沼の様相に……。
ラストは賛否両論あると思います。納得できない方もいらっしゃると思います。
それでも最後まで読んでいただけるとありがたいです。
心より感謝いたします。愛を込めて、ありがとうございました。
婚約者が妹と結婚したいと言ってきたので、私は身を引こうと決めました
日下奈緒
恋愛
アーリンは皇太子・クリフと婚約をし幸せな生活をしていた。
だがある日、クリフが妹のセシリーと結婚したいと言ってきた。
もしかして、婚約破棄⁉
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる