癒しの聖女、その泪が枯れ果てる時

風信子 紫

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第二話 破滅と呪縛

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 ──どうやら、誘われたのは、夢の世界だったようだ。
 目に映っていたのは、亡くなったお母様の部屋。
 ベッドに横たわる、聖女を象徴するような真っ白な修道服を身に着けた、お母様。
 かつては煌々と輝く金色だった髪に銀が濁っている。
 
 そして、ベッドに両腕を乗せてお母様の顔を覗く幼い私。
 同じく小さな白の修道服を着こなしていたが、髪色は純正な金の輝きを放っていた。
 
「……ねぇお母様、どうしてそんな、辛い思いをしてまで、泣かなければならないの?」

 当時の私が、問いかける。
 悲し気な表情に彩られていたが、生気のない今の私と違って、どこか豊かさを感じさせた。

「…………私の泪で……沢山の人間を……救えるからよ……」

 対してお母様は、力なく笑う。
 息を吹きかければ今にも散ってしまいそうだった。

「……じゃあ私も、お母さまをたすけるために泣く! なみだが出なくなるまで、泣く!! 私も、いやしの力を神様から貰ったんだよね……っ!!」

 顔をくしゃくしゃにして、嗚咽を上げる私。
 すぐさま泪は零れ落ち、母の顔を濡らす。
 しかし──。
 能力が発芽することはなかった。 

「……癒しの聖女が……癒しの聖女を治癒することは……できないわ……」

「どうして……!!」

「…………そう…………ね……」

 お母様は、一瞬、鼻白んで。

「……──それが呪い……だから……よ……」

 今にも泣きだしてしまいそうなほど悲しそうな表情でそう言った。

「……のろい……?」

「……どんな病も……治癒してしまう天の恩寵……なんて聞こえはいいけれど……癒しの聖女とは……呪われた存在……」

 お母様は、苦悶しながら、まるで御伽噺を話すかのように、優しく続ける。

「……遥か昔……この街には……森羅万象を全癒できてしまう癒しの聖女と……森羅万象を全壊できてしまう皇子が……住んでいたの……。二人は街の住民から……深く深く……愛されていたわ……」

「……全壊って?」

 私が小さく、首を傾げる。

「……何もかも壊しちゃう……ということよ……」

「え、なんでそんな皇子が、愛されていたの?」

「……きっと破戒と再生……どちらも……人類の進化に大きく貢献する大切な代物だからよ……。ねぇイリス……お母さんが寝ているベッドは……柔らかくて……とても寝心地がいいわ……」

「うん、イリスもそうおもう。いっぱいお母さまとおねんねしたことあるから」

「……ふふ……でもいつかは……壊れてしまうでしょう……?」

「うん……」

「……それはとても悲しい事だけど……でもね……壊れてしまうから……人々はより頑丈なベッドを……作ろうと努力する……。素材がよくなかったのか……技術力が足りていなかったのか……そうやって試行錯誤して……もっといい物を作るの……」

「……う、うーん?」

 私は、よく分かっていなさそうだった。
 
 お母様は、そんな私を一瞥して、『ふふ』と優しく笑った。

「……イリス……人間は……絶対に死んでしまう生き物よ……。だから……死んでしまうことに……意味がなければいけないの……」

「……よくわかんない。死んじゃったら悲しいだけだよ」

 私はつまらなそうに、頬を膨らませる。

「……それは間違いないわ……。……でもね……人間が強くなるには……哀しみや苦難……不条理な運命は必要なことなの……。それを乗り越えた時……人間は強くなれる……」

 お母様はそこで、一息ついて。

「──悲劇とは幸福の伏線でなければならないの」

 皮肉を込めるような、希望を込めるような強い声色でそう言った。

「だから神様は……きっと……治癒と破戒の能力を……二人に授けた……。……死んでしまうからこそ……生が素晴らしいものであると……人間に分かって欲しかったのかもね……」

「うーん、やっぱりよくわかんない」

 今の私でも、どこか哲学的なお母様の話は、理解しきれなかった。

「……ふふ……今はそれでいいわ……。じゃあ……続けるわね……?」

 お母様はそう言いながら、ゆっくりと、雪の結晶のような真っ白な手で、私の頭を撫でる。
 すると私の顔もパッと花開いた。

「……破戒の皇子は……悪辣──悪い事をした人を破戒の力で断罪して……癒しの聖女は……善良な市民を……泪の力で治癒していた……」

「……あれ? 今の聖女は、どんな人でも治癒しているよね?」

 私はそれに加えて、『破戒の皇子は居ないし……』と小さく呟いた。

「えぇそうね……。どうしてそうなったかも……すぐにわかるわ……。だけど……破戒の皇子は……清廉潔白な……優しい人間だった……。いつしか……悪人を断罪することを……辞めてしまったの……」

「相手は、悪い人なのに?」

「……うん。……どんなに悪いことをした人にも愛すべき家族がいる……。……死罪になるような人間でも……きっと改心してくれる……そう思ったの……。当然……人々は彼を非難した……。だけど……癒しの聖女だけは……彼の味方をした……」

「癒しの聖女が?」

「……癒しの聖女もまた……慈愛に満ち溢れていたの……。悪逆非道な人間にも寄り添い……救いの手を差し伸べるべきだと……考えていたの……。そして……二人は導かれるように……愛し合っていくようになった……」

「え、でも、そんなことしたら街の人間に……」

「……えぇ。怒った住民は…………──癒しの聖女を捕らえ幽閉し……拷問した…………破戒の皇子に……今まで通り悪人を断罪しろと……脅迫するために……」

「……それで、どうなったの?」

「…………皇子は聖女を助けたわ……。その破戒の力を使ってね……。そして……ボロボロになった聖女を見て……その街の住民を……殺戮しようと決意した……」

「……」

 私は、ごくりと息を飲んでいた。

「……多くの血が流れたわ……。ただ……破戒の皇子も癒しの聖女と同じで……能力を使うたび自身の生命を削る……。徐々に生命力を失って……虫の息の皇子……ついに住民の手が届くかと思われたのだけど……」

 その続きの言葉は、幼い私にも予想できていた。

「……癒しの聖女が、自分の命を与えた?」

「…………そう。……皇子が自らの命で住民を殺して……その傷を……聖女が自らの命で治す……そうして次々と……この街を蹂躙していった……最終的には……──彼らの血縁関係を除く全員を……殺してしまった……。自分たちの命を……全て捧げて……」

「そんな……。どうして、聖女はじあい?に満ちているのに、そんなひどい事したの……?」

「……そうね……きっと……愛の力よ……”愛の力は……──絶大”なの……」

「愛の、力……」

「…………それからというもの……殺された住民の呪いなのか……神様の呪いなのかは分からないけど……癒しの聖女だけが生まれ…………善人悪人関わらず……一生を街の人間にその身を捧げるようになった……」

 そしてお母様は、『仮にもう一度聖女が反旗を翻した際、強力な力で押さえつけられるように、権力と剣技に長けたローランド家が聖女を支配するようにもなった』と付け加えた。

「……悲しいお話……」

「……だから……イリスが私を治癒することは出来ないし……私もイリスを治癒することは出来ないの……この街の人の為に……使われるべき能力だから……」

 お母様がそういうと、私は下に俯いて。

「………………できるもん」

 そう、零した。

「……え?」

「……愛の力はすごいんでしょ……っ! じゃあ、できるもんっ……! イリスはお母さまをいっぱい、いっぱい愛してるから、治るもん!!」

 私はお母様の手を強く握り、湯水の如く湧き上がる泪を落としていく。
 しかし、能力は顕現しない。

「イリス……」

「ねぇ、なんで治らないの!! なんで! なんで!! イリスの命、全部お母さまにあげる!! 神様、お願いします!! お母さまを……助けて……っっ!」

 哀しむように、恨むように、慈しむように、強く、強く、懇願する。

「……ほんとうに……どうして……だろうね……」

 お母様は、声を震わせながら、私の頭を撫でる。
 大粒の泪を流しながら、『どうして……』と繰り返す。
 そして……鼻をすすって……。

「天国のあの人とエリクとイリスと私で……本当に愛する人のために生きるってことが……どうして許されないんだろうね……っっ」

 色んな感情を滲ませたような、儚げな笑顔を浮かべた。

 それが……──お母様との最後の会話だった。

 次の日、隣国との戦争から帰還した兵士達を治癒して、呆気なく、その命は失われた。

 そうして、私は次世代の癒しの聖女となった。

 ──カチッ。

 景色が、暗黒に包まれる。

 それは夢から醒める合図のようだった。

 お母様の泣き顔が脳裏に焼き付いて離れない。

 ──私は。

 ──私達は。

 ──奴隷のような存在で、終わるしかないのか。
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