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みなしごと百貨の王4
しおりを挟むしばらく失神していたらしい。しおんが目を覚ますと、龍郷が肘で頭を支えたまま愉快そうにこちらを覗き込んでいた。
「もう一度風呂に入らないとならないな」
「……誰のせいだ」
睨みつけてやれば、睨んでやったのに、龍郷は酷く楽しそうに笑っているのだった。
「ぜんっぜん聞いてねえな!」
「ああ、怒った顔もいいな。少し目の色が深くなる。まさに目の色を変えるってやつか」
額に貼り付いた髪をのけながらそう言われたとき、ぞわ、と血が逆流する音を聞いた。
怒りにまかせてくり出した蹴りは、あっさり受け止められてしまう。手首を封じたときとさほど変わらない様子で、軽々と組み敷かれた。
龍郷は「ふむ」と感心したように漏らす。
「可愛がりすぎたかと心配したが、まだそんなに動けたか」
しゃあしゃあとはこういうことを言うんだろう。組み敷かれたと言ってもここは雲の上のような寝台だ。背中が痛むわけもないのだが、しおんの目尻にはじわりと涙が浮かんできた。
くそ、なんで。
そこに至ってやっと龍郷はしおんの怒りが本物だと思い当たったようだ。動きを封じる下肢からふっと力が抜けていく。
「なぜ怒る。褒めたのに」
褒めた、だと?
「ばかにして楽しんでるんだろう。俺がこんななりだからって」
「こんな?」
龍郷は鸚鵡返しにくり返した。己の口から言わせようというのか。それだって結構な仕打ちだと思いながら、しおんは唇を震わせた。
「……わかってるだろ。俺の髪と目の色は普通と違う。たぶん、このせいで親に捨てられた。孤児院でだってつまはじきだ。街に逃げたって、気味悪がられるし、掏摸をするにも目立つ」
これが、なにもかもの元凶。これさえなければ、孤児の中ですらさらにはみ出し物扱いということもなかったはずなのに。
「それであの薄汚い帽子か」
「あれだって他になんにもない俺には唯一の持ち物だった。じろじろと変わったものを見るような目で俺を見る奴らを、少しはさえぎってくれたんだ」
あのとき舞台袖で水をぶっかけられて、蹴り出されて、そしてどこへいっただろう。「普通の」人間から見れば薄汚いということになるらしいから、処分されてしまったかもしれない。所詮自分の持ち物など、なに不自由なく暮らしている連中からすれば勝手に捨てていい程度のものなのだ。
まざまざとそのことを突きつけられてしおんの胸のうちはざわついているというのに、龍郷は悪びれる様子もなく、ただ目をしばたいた。
「なるほど、おまえはその髪と瞳を欠点だと思っている、と」
なんだこいつ。そんなのあらためてくり返すまでもないだろ。
答えるのも億劫でむっと押し黙ると、
「金継ぎを知っているか?」
龍郷は突然しおんにはまったく馴染みのない言葉を口にした。
昨日出会ったばかりだというのに、龍郷の相手の心情や理解度にまったく配慮しない物言いにももう慣れてしまった。こんなお邸に住む男だ。子供の頃からさぞかしなに不自由なく、周囲のほうが先回りして思惑をくみ取ってくれる暮らしをしてきたんだろう。息を潜め自分の容貌を隠して生きてきた自分とは世界が違いすぎる。
しおんは無駄な抵抗はやめ、ぶっきらぼうに受け流す道を選んだ。
「知らねえよ」
「主に陶器や磁器の欠けた部分を繋ぐ技術だ。漆で接着して、上から金を蒔く」
「それって、茶碗とかだろ? そんなことしたら」
よくはわからないが、陶器や磁器というのは茶碗とか壷とかのことだろう。しおんは浅草の飯屋の器を思い浮かべた。割れた部分を金で繋ぐ――
「そこだけ全然違う色になるだろ……?」
「それでいいんだ。それによって思いがけず現れた美しい景色を楽しむのが金継ぎというものだ」
「金持ちの言うことは全然わかんねえな。欠けた茶碗は欠けた茶碗だ」
それはもう、ただ見窄らしいだけのものではないのか。少なくともしおんの中ではそうだ。
完全ではないもの。他とは違う傷を持ったもの。それはもう、存在する価値がないもの。
俺はそういうもの。
「人は何事もまず欠けている部分に目が行く。だがそれを慈しみ味わう感性も同時に持ち合わせている。人は瑕を愛さずにはいられないようにできているんだ」
「そんなわけないだろ」
怒りさえ感じて、発した言葉は棘を帯びた。瑕を愛さずにはいられない? だったらなぜ、親は俺を捨てた。孤児院の連中は、俺を孤児の中でもさらに下のものとして扱った。
こいつ、なんにもわかってない。
龍郷の言葉を空虚なものと感じながら、髪を撫でる指を払いのけられなかった。
「本当さ。おまえのいた狭い世界にはそういう人間がいなかったというだけで。もちろん、やりかたにも多少の工夫は必要だ。それを俺は心得ている」
髪の先を弄んだ指は手触りをたしかめるように頬の輪郭を撫で、親指で唇を弾く。そうされると、さっきまで散々に体中ねぶられていた感覚が意思に反してよみがえり、ぞわ、と表皮を撫でていった。
危険だとわかっているのに一度は覗いてしまう、夜の水面のような瞳がまっすぐにこちらを射貫く。
「おまえのそれは武器になる――自分で、自分の瑕(きず)を黄金に変えてみせろ」
そう言うと龍郷は、やせて骨の浮いたしおんの膝に口づけを落とした。
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