祈りの乙女は、辺境で恋をする

千宮寺みるく

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第一幕

流行病、神殿に届く

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祈祷の間にいた私を呼びに来た神官の側には、大神官その人がいた。

 彼が自ら私を訪ねることなど、これまで一度もなかった。
 それだけで、事態の重大さは察せられた。

「聖女リリエル。至急、神殿執務室へ。王宮からの使いが参っている」

 短く、それだけ。

 私は祈りを切り上げ、身を清め、薄い外套を羽織って大神官のあとに続いた。
 歩きながら、ひとつだけ確信していた。

 ――これは、私にとって最後の“役割”になる。

 

 神殿執務室に入ると、すでに三人の使者が待っていた。
 王宮付き医師、宮廷文官、そして軍の伝令。
 どの顔にも、旅の疲れではない、緊張の色が浮かんでいる。

「報告します。北方辺境領にて、原因不明の疫病が確認されました。
 高熱、発疹、呼吸困難……数日で死に至ることもございます。現在、数十名規模に拡大中」

「既存の治療では効果が薄く、祈祷による癒しが求められております」

 伝令が口を開いた直後、文官が続けた。
 大神官は無言で頷き、私に目を向けた。

「聖女リリエル。出られるか?」

 私は、目を伏せる。
 王宮からの使いは、私を“聖女”とは呼ばなかった。
 ただ名だけで、“癒しの力”を持つ人間として扱っている。

 それでいい。

 もう私は、神の娘でも、家の誇りでもない。
 ただの祈り人として、手を差し伸べるだけ。

「……はい。参ります」

 そう答えると、文官が控えめに前に出た。

「辺境領は、クロウフォード辺境伯の治世下にあります。
 無骨ではありますが、民思いの人物です。現地での対応をすでに始めているようですので、
 聖女殿、いえ……リリエル殿には、その補助として動いていただきたく――」

「従います」

 言葉を遮って、私は言った。
 事情も背景も、問いただす必要はない。

 病に苦しむ者がいて、それを癒せる可能性が私にあるのなら。
 それ以上の理由など、いらなかった。

 

 会議が終わり、ひとり執務室を出たところで、大神官が私を呼び止めた。

「聖女リリエル、…いや、リリエル殿。……これは“命令”ではない。おまえが、望むなら、だ」

 その声音は珍しく、柔らかかった。

「今のおまえは、神殿の人間ではあるが貴族ではなく、……聖女でもなくなる。
 ……だからこそ、“自分の意志”で選んでよい」

 私は、しばらく黙った。

 その間、大神官は何も言わなかった。
 ただ、私の背に静かなまなざしを注ぎ続けていた。

 やがて私は、そっと口を開いた。

「私は、神に仕えて生きてきました。
 けれど今は、神にすら“利用されること”に怯えていたかもしれません」

「……」

「でも、苦しんでいる人がいて、癒せる力があるのなら。
 それは私の選択です。誰に命じられなくても、私は向かいます」

 大神官は、ふっと目を細めた。
 そして、少しだけ、微笑んだ気がした。

「……そうか。ならば、神もまた、見守ってくれるだろう」

 

 その夜、私の荷物はすぐにまとめられた。
 修道服、祝詞の書、簡素な薬草道具。そして祈りの書だけ。

 貴族の娘だった頃には、こんな身軽な旅など考えられなかった。

 でも今の私は、ただのひとり。
 祈りを持って、遠くの誰かの苦しみに手を伸ばす、それだけの人間。

 辺境領――クロウフォード。
 その名を、私は知らない。
 けれど、そこに人がいて、助けを求めているなら。

 行こう。

 誰にも縛られず、ただ、自分の心のままに。
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