カフェオレはありますか?:second

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 カラオケで書いた手紙の下書きを鞄にしまって、駅に併設へいせつされているショッピングモールに場所を変えた俺達は、その中にある本屋に向かう事にした。結局誰も歌わなかったな。真っ直ぐ文房具売り場の便箋コーナーに向かい、足を止める。手紙というものに縁が無いから、こういったコーナーに立ち寄ることはなかったが、改めて見ると、便箋の種類もかなり豊富だ。感心する俺の前で、なかなか決まりそうにない雰囲気を出す薫に息を吐く。未来よりも時間がかかりそうだな。本屋はもともと来たかったから、俺としては好都合だ。俺は一人その場を離れ、参考書コーナーに向かい、目的の物を探す。去年の物でも、分厚ければ良いというわけでもないし、解説の割合よりも問題が多ければ良いわけでもない。重要な部分を的確に示していて、尚且つ応用力が必要とされるような内容を求めて本を吟味していると、雅が隣にやって来た。便箋が決まったのかと思って聞くと、薫がスタンプやシールに目がくらんで先に進まない、と言われて溜め息を吐く。なかなかの優柔不断だな。俺と同じ棚を見始めた雅は、一つの本を手にとって差し出してきた。
「この出版社のはすごく良いって、加賀先生が言ってた」
 雅から本を受け取って内容を確認した俺は、求めてた事が全て当てはまっている事に驚いた。
「確かに良いな……うん、これにする。ありがとう。良い先生だな。授業も的確に教えてくれるのか?」
 俺の質問に、雅は口を右手で塞いで、少し目を泳がせてから視線を向けてきた。
「隠すことでもないか。中学の時に通ってた塾の教師で、俺の元恋人。今は寿退社して、海外に移住したよ」
 きっと、深くは触れない方が良いやつだな。
「そうか。他にお勧めのやつを思い出したら教えてくれ」
「本当に勉強バカな」
「褒められたと思っとく」
 本を持って未来達の所に戻ると、薫が六種類の便箋を両手に持って悩んでいた。今回は光臣の為に皆で書くことになったのに、何で薫が一番悩んでるんだ。深く息を吐いた俺は薫の手元を見たが、正直どれもいまいちに思えた。まぁ、白紙の下書き用紙を持ち歩いてる俺に言う資格はないが。アユとカキの躾方でも書いて渡そうとしている俺とは正反対の悩みっぷりだな。
「なんか、すごく良い!って思えるのが無くてさ」
「まぁ、そうだな」
 俺は他の便箋に目を向け、何種類かセットで売られてる便箋もいくつか手にとったが、決定打に欠ける。季節物や動物物が多いけど、今回はなんか違う気がして、それをすぐに戻す。隣の棚にメッセージカードが並んでいて、何となく見ていると、一つのカードに目が止まる。茜色。その茜色のカードに添えられていた、小さな無地の封筒の下の方に、オレンジのラインが二本ひかれていた。病院を退院した日の事を思い出して息が止まる。俺の、好きな色、か。
「サンキューカードも有りかもなー」
 薫に話しかけられて、思考がカードから離れた。
「サンキューじゃなくても良いんじゃないかー」
 からかうように言ってくる雅の言葉に眉を寄せて、何だ?と聞くと、未来が後ろで笑った。だから、何なんだよ。
「俺もカードにしよっかな。手紙持ち歩くの面倒だし。これならポケットに入るから、下駄箱に入れるときも目立ちにくそう」
 そう言って、雅は俺の見ていた棚から、太い黒のラインが入ったメッセージカードを手に取った。
「俺は断然サンキューレター!ね、光臣!」
「う、うん。頑張る」
 励まし合う薫と光臣の姿に苦笑していると、未来が俺の見ていたメッセージカードを取って薫に見せた。
「ね、白い便箋を買って、こんな感じに好きなラインテープを貼るのはどうかな?ギフトみたいに貼って、リボンのシールを追加するのも良いし、縁を囲むとか、このカードみたいに貼ってみるとかしたら、俺達なりの個性が出て良いと思うんだ」
 未来の提案に、薫は目を輝かせて賛同した。手に持っていた便箋を戻して、白い便箋を手に取って何枚入りかを確認した後、未来と光臣と割り勘する金額を計算し始めた姿に肩を竦める。一度決まると行動が早いな。暢気にしていた俺の左手に、未来が茜色のメッセージカードを乗せて、左耳に口を近付けてきた。
「ヒーくんの事、大好きですって顔してたよ。幸慈もあんな顔するんだね」
 小さく呟かれた言葉に眉を寄せながら息を吐く。どんな顔だよ。
「ヒーくんが居なくて残念」
 悪戯に笑う未来の頭を乱暴に撫でて、居づらさから参考書とカードを持ってその場を離れる。気を紛らわそうと会計をするためレジに本を出した時、メッセージカードも一緒に出してしまい、出した手前要らないとも言えず、結局購入した。紙袋に入れてもらえたのが微かな救いだ。念のためと本の間にメッセージカードを挟んでしまう自分の行動に頭を掻く。レジの方に向かってくる雅の手には、さっきのメッセージカードがあった。
「手紙じゃなくて良いのか?」
「怪我の手当ての礼を書くだけだからな。幸慈こそ、愛の告白すんの?」
「しない。何でそうなるんだ」
「違うのか。大好きですって顔してたから、告るのかと思ったのに」
 未来と同じことを言ってレジに向かう背中を軽く睨み、変な面倒事に巻き込まれたんだと、今更になって気がついた。檜山の笑顔が離れないのは、薫達に当てられたからだ、と、自分に言い聞かせて深く息を吐き出す。便箋コーナーに行くと、薫がシールと睨み合っていた。未来と光臣は決まったらしく、薫待ちといった感じだ。
「よしっ!」
 ようやく決まったのか、薫は黄色いシールを手元に残して、それ以外のを棚に戻した。
「決まったなら早く買ってこい。薫は帰る前に書き終わらないと駄目なんだろ」
「あっちにちょっとした読書スペースあったぞ。聞いたら、レシートを店員に見せるだけで使えるんだって」
「雅でかした!」
 雅は喜びから抱き付いてきた薫をすぐに剥がして、会計してくるように三人をレジに向かわせた。
「毎日あんな感じなのか?」
「まぁ、小学校の時と変わってないかな。未来は?」
「あのままだよ。泣き虫は卒業してると思う」
「泣き虫ね。解る気がする」
 先に席に座って待とう、と、言う雅は、どうして手紙じゃなくてカードにしたんだろうかと疑問を抱いた。
「雅は、何で神川と付き合ったんだ?」
「……俺のは、本気じゃなくて、ごっこ遊びみたいなもんだから。皆には言うなよ」
 背中を向けて歩き出した姿に手を伸ばして足を止めさせる。
「僕は遊びでも無理だ。死にかけたからかもしれないけど。愛に、殺されかけたから、信じる事が出来ない」
 俺の言葉を聞いた後で、雅はさっきまでと同じ様に笑いかけてくれた。
「今度、二人でゆっくり話せたら良いな」
「ふっ、そうだな」
 俺にだけ伝えてくれた事には、何か意味が有るような気がして、その何かに、自分から巻き込まれようとしている思考に息を吐く。レシートを店員に見せて奥の席に座ると、未来達がレジからこっちに来るのが見えた。皆は、これから、どんな気持ちで手紙を書くんだろう。
「ただの感謝だってのに、重く捉えすぎなんだって」
 それは、誰に向けての言葉だろうか。雅は左手で俺の髪をとかす様に触ってきた。
「幸慈の髪、何でこんなにサラサラなの?」
「何もしてない。シャンプー教えるか?」
「おう。ちょっと興味あるな」
 シャンプーに興味があるのは意外だな。俺の頭を撫でる雅の手は、未来達が席に座り始めた事で離れていく。
「色付きボールペン買い忘れた!」
 慌てて文房具売場に戻ろうとする薫を雅が追うように席を立つ。
「あ?油性ペン貸してやるから席に着け」
「えー!可愛くないじゃん!グェッ」
 不満を口にする薫の制服の襟足を掴んで、慣れたように席へと座らせる手際の良さに、未来と光臣は顔を見合わせて笑い、俺は初めて書く手紙に、少し息苦しくなった。手紙ほど大それた物では無くなったが、これだとアユとカキの躾方が書けない。いや、実際には書けなくはないが、見映えが悪い気がする。席に座る皆を尻目に、襟裏のネクタイ生地に付けられてるGPSを指で触って、それを潰す。簡単に壊れると知っていて壊した俺を、檜山は叱るだろうか。少しは、俺を嫌いだと思うかな。カードを渡すことで、きっと、要らない期待を抱かせてしまう。応えることのない気持ちを持った相手へ贈る事が、本当に正しいのだろうか。俺は、どうしてもそうは思えなかった。残酷の二文字が思考を掠める。それぞれ手紙を取り出して、先にシールを貼ったり、書き始めたりと集中していた。そんな姿を見て、俺もカードを本の間から取り出して机に置く。
「二人ともそれで足りるの?」
 手元を見てくる薫の言葉に頷く事で答える。
「俺は言うこと言ってるから平気。今回も怪我の手当ての礼を書くだけだし」
「そうですか、そうですか。幸慈も?」
「怪我してる様に見えるか?」
「全然」
 なんでか不貞腐れてる薫に首を傾げながら、何を書こうかと改めて考える。感謝することが思い当たらない。カードの色を見て、退院した日の事を思い出す。嫌いじゃない色。カフェオレ、か。俺はペン先をカードに乗せて走らせた。改めて書いた内容に目を細めて、締め付けられそうになる胸の痛みを誤魔化すように、カードを封筒にしまう。すぐに書き終わった俺と雅はカードを鞄にしまって、暇潰しに参考書を一緒に見始めた。やっぱり、この参考書は当たりだな。
「家で書いても問題なかったな」
 雅の言葉に俺は少し眉を寄せる。
「いや、家で書くと母さんがからかってくるから、ちょっと避けたいな(今週はまだ鹿沼に盗聴機チェックしてもらってないから、バレる確率が高いのが理由だが、この場では言えない)」
「ヒーくんの応援してるもんね」
 未来の言葉に、俺は参考書から顔を上げて息を吐く。
「大きなお世話だ。何が良いんだか僕には理解できない」
 息子より甘やかしてる姿を見る度に頭痛がする。この年になって構ってもらえない事に嫉妬している訳ではないが、余計な事をやらかさないかと心配してしまう。
「保護者からの好きと、当事者同士の好きは違うからな」
「出た、雅の大人発言。余裕があって羨ましいわぁー」
「薫は俺をからかう前に手を動かせ。光臣なんて書き終わるぞ」
 雅が言うのと同時にペンを置いた光臣は、内容を読み返して深く頷いた。
「シール青にしたんだな。葵の名前で選んだのか?」
「へ?……あ、言われてみれば」
 何気無く聞いた雅の質問に対して、光臣は今気が付いたのか、少し頬を染めた。青を選んだのには理由があるだろうけど、そこまで人の心に入り込むのは好きじゃない。便箋にシールを貼り終わった光臣は、手紙を入れてから何かに気が付いたのか、俺と雅を見てきた。
「あの、さ。ど、どうやって、下駄箱に入れたら良いのかな?」
「「(入れる前にバレそうだもんなぁ)」」
「俺と幸慈も毎日一緒に下駄箱に行くから、入れるタイミングが難しいね」
 言われてみるとそうだな。
「俺達は下駄箱も違うから、入れやすいかもな」
「でも、入れた後に一緒に帰るとかどうなの?キュン数値が下がるの確定だよ」
 なんだその数値。薫にしかない独特な数値に俺は眉をしかめる。
「互いに教室を出るタイミングをずらして、尚且つ問題なく俺のバイト先で合流して打ち上げをしたい、と」
「「「うん!」」」
 求める内容を確認すると、すがってくる三人の視線が向けられた。
「こりゃ、鬼ごっこだな」
 雅の提案に俺は頷く。やれやれ、また鬼ごっこか。どの交通機関で喫茶店に来るのか聞くと、案の定、皆歩きだった。
「俺は自転車通学の許可貰ってるから、薫と約束してない日は自転車が多いな……だとすると、薫が千秋と大和に教室で二十分位待ってから帰るように伝えて、その間に俺が自転車を用意してから下駄箱に手紙をセット。その後、合流した薫を喫茶店まで運べば問題ない、と」
 二人乗り確定の提案に苦笑したけど、俺も同じ様な事になりそうだな。
「光臣は?自転車通学か?」
「歩きだけど、学校の近くにバス停あるよ。バスの時間も一応知ってる」
 近くにバス停があるのは羨ましいな。
「自分が乗れそうな時間で、猶予は何分だ?」
「えっと、ホームルームが終わる時間を考えても、十五分後のバスには乗れる」
「じゃあ、保険を付けて葵も二十分待機だな」
「理由、凄い聞かれそう」
 確かに。
「不満そうな顔したら、小指を目の前に出してから、約束してっておねだりしろ。イチコロだから。その後は孟ダッシュ」
 本当に効くのか?それ。
「わ、わかった!」
 雅の言葉に素直に頷く光臣の成功を、ここにいる誰もが心配しながらも願った。
「僕は修理に出した自転車の引き取りを母さんに頼まれてるから、朝早く引き取って、そのまま学校に行く予定だ。こっちはバイト先も近いから十五分で平気だろ」
「なんか、スッゴク楽しみになってきた!」
 遠足の前日よりハシャグ未来に息を吐く。
「早く明日にならないかなぁ」
「薫は千秋にバレないようにしろよ」
「……雅、手紙預かってて。千秋が鞄を見ないとは言い切れない」
「だな」
 雅は薫から手紙を預かって鞄に入れる。邪魔になるからとカードにしたのに、結局手紙を持ち歩くはめになった雅に同情した。明日が楽しみ、か。何故か俺はそう思わなかった。越えてはいけないラインが、このカードの線なら、これは渡してはいけない。檜山が俺を求めるきっかけを、言葉をくれるきっかけを与えてしまう。極上に甘いと思った笑顔が、今は苦くて怖い。檜山の笑顔が、怖い。予想してなかった身勝手な考えに、俺は息を止めた。全てを差し出してまで守りたかったはずの笑顔が怖いなんて。身勝手な自分の汚さに反吐が出そうになる。
「よーし、皆完成したところで、ショッピング再開しよー!」
「おー!」
 薫と未来の掛け合いにも慣れてきてしまった。使ったものを片して本屋を出て少し歩くと、靴屋がセールをしていて、雅のお気に入りのメーカーが安くなっているのを、光臣が見つける。雅を先頭にして、店内へと足を動かす。靴か。気にしたことないな。
「見て見て幸慈、小さくて可愛いよ」
 そう言う未来の指の先に子供靴コーナーがあった。
「僕達もあんなの履いてたんだな」
「小学校の頃に、よく靴のサイズが変わったのは覚えてるけど、こんなに小さいのを履いてた頃の事は、写真を見ても思い出せないんだよね」
「自分の事なのに、覚えてないのは不思議なものだな」
 そう言って、緑色の小さなスニーカーを手に取った。こんな、手に収まるものを履いてたなんてな。
「幸慈って、最初に緑色のやつを手に取るよね(今は違うみたいだけど)」
 そう言って、未来は赤いスニーカーを手に取る。
「そうか?気にしたことないな」
「幸慈は自分の事には無関心だから気付かないだけだよ」
「その分、未来が気付くだろ」
「それもずっと言ってるよ」
「ははっ、そうかもな」
 靴を戻した俺と未来の所に、靴の色が決まらないと薫が泣き付いてきた。どこに行っても悩むのは、もう体質としか思えないな。
「改めて平と買いにこいよ」
「なるほど」
「雅ってば運が良いよね。セール今日が最終日なんだって。今はタイムセールも重なって表示価格から二割引だってさ」
「マジ!?雅ー!」
 光臣の何気ない一言に、色を決めてもらおうと雅の元へ走り出した薫の姿を見て、俺と未来は声を抑えて笑った。
「あーあ、雅大変だな」
「ははっ、光臣くんタイミング抜群」
「?」
 結局、雅に言われてコイントスで色を決めた薫は、満足そうに袋を抱えて店から出てきた。その後ろに見える雅の呆れた表情に、俺と未来はまた笑う。
「何で笑ってんの!?光臣、説明っ」
「お、俺も解んないよ」
「そりゃ、ガキみたいに大声で俺を呼んで、店内走り回る高校生を見たら、誰だって笑うだろ」
「俺は真剣だっての!」
「ま、まぁまぁ。えっと、靴安く買えて良かったね」
 必死に仲裁する光臣に免じて機嫌を直した薫は、夏に向けて帽子が見たいと申請してきた。
「買うのは良いけど、金欠になっても知らないぞ」
 俺が忠告すると薫は、千秋に買ってもらう下見だ、と言って買うことは否定した。これで買ったらなんか言ってやろ。雅も同じ様な事を思ったのか、俺を見て口の端を上げる。薫の御要望に応えてエスカレーターに乗り、上の階へ移動した俺達は、建物内のマップを見て店がどこにあるかを調べた。近くにあると解り、薫は軽い足取りで店へ向かって先頭で歩いていく。
「三人は何か買いたいのあるの?」
 光臣の質問に俺と雅は手に持っていた袋を少し持ち上げた。
「靴」
「参考書」
「あー、なるほど」
「光臣くんは?」
「えーっと、うーん、牛乳」
「「「それは最後に買おう」」」
「はーい」
 薫が目的とは逆の右に曲がったのを確認した俺達は、どうしたのかと同じ方に足を動かす。曲がった先には平に抱き付く薫の姿があった。道を間違えたわけでは無いらしい。俺達の姿を確認した平は、薫の頭を撫でながらゆっくり瞬きする。平が居ると言うことは、昨日の片付けがある程度終わったと捉えて良いだろう。
「少し早かった?」
「全然!千秋はいつでも大歓迎!」
「じゃあ、お言葉に甘えて混ぜてもらおうかな」
「やったー!」
 平の姿に俺は参考書の事を思い出した。
「平、意見を聞きたいんだが」
「何?」
「この参考書の三十七ページにある……この問題なんだが、何か引っかけがある気がするんだ」
 取り出した参考書を開いて、気になっているページを平に見せると、小さく頷かれた。
「うん、なかなか良いのを選んだな……この問題は確かに引っかけだね」
「そうか。ありがとう」
 引っかけと解れば後はこっちのものだ。
「この出版社のなら去年のAO問題集持ってるよ。もう使わないから要るなら今度あげるけど」
「良いのか?」
「うん」
「なら、是非頼みたい」
「解った」
 本を袋に戻して後ろを見ると、鹿沼が増えていた。このまま全員揃いそうな勢いだな。
「どこに行こうとしてたの?」
「帽子屋!夏に向けて準備しとこうと思って」
「そうだね。俺も買おうかな」
「下見だけって言ってなかったか?」
 雅の言葉に薫は頬を膨らませて平の左腕にしがみつく。
「千秋と会えたから予定変更!お揃いの買うの!」
 平の腕を引いて帽子屋へ向かう姿に、俺と雅は肩をすくめる。未来の傍まで戻ると、鹿沼が檜山に場所を教えた方が良いか聞いてきたので、断っておいた。どうせ遅かれ早かれ遭遇するだろうし。目的の帽子屋の前には雑貨屋があって、未来が鞄を欲しがっていたのを思い出した俺は、鹿沼の横に並んでこっそり伝える。鹿沼がプレゼントしやすいように、未来をさりげなく雑貨屋へ誘導した。違和感が無いように雑貨屋へ一緒に入った俺は、コーヒーカップを見ると口実を作って二人から離れる。そんな俺の傍に光臣と雅が来て、お疲れさま、と、ねぎらいの言葉を口にした。
「コーヒーカップ買うのか?」
 雅の言葉に肩をすくめて苦笑する。
「買わないな」
「あ、思い出した」
「「牛乳以外に?」」
「うん。靴下買わないとなぁって」
 コーヒーカップを見て何で靴下を思い出せたんだ。
「じゃー、俺が買ってあげるー」
「あ、葵さん!?」
「ほーら、靴下見に行こー」
「え?え?」
 突然の檜山の兄弟の登場に驚き、言葉が見付からない光臣は靴下コーナーへと連行された。その様子に俺と雅は何も言わず店を出る。
「急に揃い始めたな」
「あぁ、僕達だけでも先に帰るか?」
「だな」
 雅は携帯を取り出して、デートの邪魔したら悪いから二人で先に帰る、と、メールを送った。
「さて、少し急ぐか」
「賛成」
 俺と雅は足早に皆から離れて建物の外へと向かう。あの時、本屋でネクタイのGPSを壊してなかったら、簡単に捕まってたかもな。恋人の振り、か。それは、どんな気持ちで演じているんだろう。罪悪感とか後ろめたさとか、そんな厄介なものから解放されるのなら、俺は誰と演じるべきなんだ。外に出て、最初の信号を渡り終わった俺と雅は、鳴り始めた雅の携帯に声を出して笑った。思ったより気付くの遅かったな。
「無視無視」
 そう言って歩き出す雅は、伸びをしてから鞄を持ち直す。
「メールだけでも見てやれよ」
「幸慈の携帯は静かだな」
「電池切れ」
「なるほど」
 雅はメールを一通り見てから携帯の電源を落とした。本当に見るだけだな。
「さて、俺らは解散して明日に備えますか」
「あぁ、少し早起きしないとだしな」
 帰る方向が別だと解った俺は、雅に軽く別れを言って背を向けた。
「俺はさ」
 背中に投げられた言葉に振り返ると、雅が困ったように笑っていて、眉をしかめる。
「愛に殺されたかったよ」
 儚く微笑む雅は、次の瞬間には何もなかったみたいに笑って、背中を向けて歩き出した。なんて言えば良いかを考える。考えて、考えて、それでも言葉が見付からない俺は、無意識に雅へと足を動かす。
「駄目だよ」
 後ろから抱き締められた俺は、良く知った声に引かれるように背後へと顔を向ける。
「雅を追いかけるのは、幸の役目じゃない」
「その呼び方は止めろ」
 檜山の言う通りだ。でも、俺だから言える言葉が有るんじゃないのか。吐き出せなかった何かに、気づいてほしいから、あんな事を言ったんだとしたら。そう考えるだけで、上手く頷けなかった。
「おいで」
 悩む俺の右手を引いて、檜山は俺の家への道を歩き出す。手を引く檜山の力が強くて、微かな痛みに眉をしかめる。今日の予定は前もって、と言っても朝だが、伝えていたんだから、怒られる筋合いはない。路地の小さな駐車場に着くと、見慣れたバイクが停めてあった。バイクの傍まで歩いて足を止めると、檜山が振り返って俺を見下ろしてくる。
「携帯は?」
「電池切れ」
 証拠にと携帯の画面を見せる。
「GPSは?」
「興味本意で壊した」
 檜山は無言で俺の右手首を掴む。
「この時計は何?誰から?」
「時計?」
「そう、これ。学校出るときは無かったよね?」
 時計越しに俺の右手首を締め付けられて、痛みから眉をしかめるが、力が弱くなることはなかった。
「母さんが進級祝いでくれた。壊したくなくて鞄に入れてたんだ。薫が、着けた方が母さんが喜ぶって言うから」
 そう言うと、右手首の痛みがやわらいだ。
「そう。じゃあ、壊すの止めよ」
 檜山は手を離す代わりに俺の体を抱き締めた。
「良かった会えて。すごい心配したんだよ。また変なのに巻き込まれたのかなって」
 巻き込まれたのは否定出来ないな。
「そっちは用事終わったのか?」
「うん、バッチリ。幸の為に頑張ったよー」
 檜山はネクタイに仕込まれてるGPSを左手で触って息を吐いた。
「壊されるとはね。幸、反抗期に入った?」
「何でそうなる。そもそも勝手に付けてる時点で抗議する権利はないだろ」
「無いかもだけど、拗ねる位は良いじゃーん」
 俺を抱き締めたまま左右に体を揺らす檜山の動きに、今日一番の疲労を感じた。宿題をやるために早く帰りたいんだが。
「さて、帰りますか」
 動きを止めた檜山は俺を放して、ヘルメットを手に取った。
「スーパー寄るの?」
「今日は平気だ」
「了解」
 ヘルメットを被せてきた檜山は、自分の分も被ってバイクを乗りやすい位置に動かす。この時点で、乗らない、という選択肢が存在しないことに息を吐く。檜山が私服のお陰で警察に捕まる心配は軽減されてはいるが、それでも不安は残る。
「ほら、乗って」
「はぁー」
「溜め息は止めようね」
 俺は参考書を鞄に入れて、バイクの後ろに跨がった。動き出したバイクが何事もなく家に着くことを祈りながら、流れ始めた景色に目を細める。
 愛に殺されたかったよ。その言葉の意味を改めて考えた。殺されかけた俺を、羨ましいと思ったんだろうか。ごっこ遊びでしか偽れない何かがあるのなら、それに俺が首を突っ込むのは間違ってる気がする。檜山が、俺の役目じゃない、と、言ったのはそういう事を含めての事なのか、と、考えてゆっくり瞬きをした。檜山に限ってそれは無いか。考えすぎだな。雅と二人で話をしてみたいのは本当だ。けれど、その時に必要な言葉を伝えられるだろうか。愛に嫌われている俺に出来ることは、本当は何も無くて、それを思い知らせるために、用意された言葉にすら思える。あの時、間違えて生き延びてしまったんだとしたら、俺はどうすれば良いんだろう。どうすることが、正解なんだろうか。今日は、なんだか息苦しい一日だ。
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