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俺、何かしたかな。そう思って、頭を抱えたくなるような状況に肩を落とす。
いつも通り家を出て、余裕で遅刻を回避出来るからと、いつもは寄らないコンビニに立ち寄って、気になってたメガ焼そばカツサンドパンと白ブドウジュースを買う事は、何一つ悪くないと自信を持てる。店を出る前に、新作のジャンボメロンパンの写真を携帯で撮って、大和に買ってくるようにとメールを送るのだって悪くない。何故なら、交流試合の一件から、大和は何故か毎日俺に飯を持ってくるようになったから。ネタ切れにならないように、こっちから欲しいものを写真で提供することで、大和が悩まないで済む。といった感じの親切心でしてるわけだ。大和が持ってくるやつが全部美味いのが気に食わなくて、自分でも上手いものを見つけたい意地でやってる所もあるけど。週末に薫の家へ行くと、自然と大和が飯を作る事になってて、それも美味いから腹が立つ。幸慈が作ったやつの方が美味いけどな。それでも、何でもかんでも大抵の事をそつなくこなすのが嫌だ。それで、嫌がらせみたいに、あれが食べたいとか持ってこいとか、そんなメールを送るようになった。親切心も含めてるけどな。結果的には大和を喜ばせるだけだって解った今も、止め時が解らなくて続けてる。まぁ、交流試合が終わったタイミングで止めるのが良いんだろうな。なんて考えてコンビニを出ると、見覚えのある面倒なヤツと出くわした。気付かなかった振りをして横を通り抜けてはみたものの、案の定相手に右腕を捕まれて肩を落とす。
「ちょっと、話があるんだけど」
早起きは三文の徳って言ったの誰だよ。
「お、男心を教えてほしいの」
「……は?」
予想してなかった言葉に、不覚にも思考が止まった。こんな事を言う様な女だったか?淫乱男、とか、盛大に叫んでた女だよな?恥じらいながら男心が知りたいなんて、どんな気持ちの変化があったんだ。一応周りを見回して、一人かどうかを確認する。
「誰も居ないわよ」
その台詞が信用出来ねぇんだよ。
「みたいだな。ここで良い?」
「構わないわ」
とは言え、入口で立ち話もなぁ。イートインスペースを見ると、不幸にも誰も使ってなかった。
「イートインスペース使おうぜ。今誰も居ないし」
「え、えぇ」
不気味。この素直さスゲー不気味。コンビニの中に戻って、イートインスペースの奥の方へ腰かける。その結果、頭を抱えたくなるような状況が出来上がったわけだ。
何もせずに居座るのは、コンビニからすれば迷惑だろうから、さっき買ったパンと飲み物を袋から取り出す。俺の手にあるパンを見て女は眉をしかめた。
「涼真もそういうのばっかり食べてたわ」
「誰?」
興味無いのに聞き返しちゃったよ。
「男心の元凶よ」
これから知らない男の話聞くのか。面倒だ。ペットボトルの蓋を開けて、中身を口に含む。
「アンタ、ホモ?」
「っ、ごほっ、げっほ」
遠慮なしに吐かれた女の言葉に、白ブドウジュースを上手く飲み込めずに咳き込んだ。コイツ、何も変わってねぇ。
「図星ね」
「違っ、げほっごほっ」
「ごめんなさい。そのままで良いから聞いてほしいの」
何に対してのごめんだよ。勝手に話進めやがって。
「私、檜山茜の婚約者だったの」
知ってます。てか、目の前で咳き込んでる俺の心配すらしてこねぇのかコイツは。
「外面だけ良くて、女遊びばっかりで成績最悪。何でこんなのと結婚することが決まってるのか不思議だったわ。それに、女遊びしてる男より、初恋に悩む私の方が親からしたら悪者だなんて、そんなの耐えられない。だから、アイツの家から婚約解消の話が出たときは、天にも登るほど嬉しかったわ。まさか男に本気になってるなんて知らなかったけど。初恋が実った時は嬉しかった。年上の人だから無理だろうなって諦めてたから余計ね。同棲も順調に進んで、毎日どれだけ好きかを伝えたいのに、どの言葉が良いのか解らなくて、ほら、私って、知能低いから」
「うん」
素直に頷くと女が不満気に睨んでくる。
「社交辞令でも否定しなさいよ」
「無理」
社交辞令でも、咳き込んでる相手に大丈夫の一言も言えない人間を、どうフォローしろと?
「神川も何でこんなのが良いのかしら」
「俺ホモじゃねぇし」
俺も知りたい。茜の婚約者だったなら、大和達の事も知ってて当然か。
「ホモじゃないなら、何で神川はアンタと居るの?」
「まー、大和が、俺が好きだから、らしい。まぁ、男と女、両方付き合った事あるし、性別は飾り程度にしか思ってねぇよ。友達の友達だし、無下には出来ねぇって感じだな」
無下には、か。幸慈も最初はこんな気持ちで茜と接してたのかな。パンの袋の口を開けると、呆れた様な懐かしい様な表情で俺の手元を見てきた。
「そういう体に悪そうな物ばっかり食べるから、朝はスムージー作ったりもしたのよ。飲みやすいようにって、何度も試作して味見して。その度にお腹壊したりするのもしょっちゅうで」
それ飲ませない方が良いんじゃねぇか。何を入れたらスムージーで腹を壊すんだよ。
「後、元婚約者よりどれ程好きかも比べて話すようにして伝えたわ。でも、涼真はどんどん素っ気なくなって、同棲してたアパートに帰ってこなくなったの。私、何かしたかしら?」
俺に聞くな。
「考えても解らなくて。茜の家に行った日、本当は恥を承知で茜に相談したかったの。でも、好きな相手と仲良くしてて、私とは正反対に良い関係を築いてるのを見たら、悔しくて最悪な事ばっかり言っちゃったわ」
良い関係ではないだろうな。むしろストーカーの加害者と被害者って感じ。
「後戻りが出来なくて、ネットで相談したら……あの、その……この間の公園での喧嘩なんだけど、言われるままやってたら、あんなことに。ごめんなさい」
どうしたらあんなのに巻き込まれちゃうかなぁ。まぁ、向こうは全部をこの女のせいにして、あっさり逃げるつもりだったんだろうけど。てか、話が長すぎてパンを半分以上食っちまった。
「涼真と話がしたくても、解らないままじゃ同じ事を繰り返すだけだもの。だから、偶然でも知った顔を見かけたから、勢いで話したの」
頭より体が先に動くヤツを相手にするの慣れてて良かった。
「どう?」
どう?って言われましても。
「茜の話するからじゃん」
訳が解らないって顔をされただけで疲労が溜まる。
「どんだけ嫌いあってたとしても、涼真さんからすれば元カレと比べられてるってのが堪えらんなかったわけ」
「何でよ?茜の事は罵ってただけじゃない。それと、元カレとか吐きそうだから止めて」
だろうな。幸慈の話を聞く限りでは、褒められる事をしてる印象がない。
「毎日話題に出されれば、好きなんじゃないかって疑われるっての。嫌よ嫌よも好きのうちって言葉があるくらいだし」
俺の言葉を何度も呟いて、漸く理解した女の顔は清々しい程に青ざめた。まぁ、そんなつもりはなくても、彼氏からすればそうとしか思えないだろうし。
「だったら、他にどう好きだって言えば良いのよ」
「アンタ馬鹿なんだから考えんの止めたら?」
「人に言われるとムカつくわね」
「事実じゃん」
「それでもムカつくわ」
面倒臭。男心を教えてやる代わりに、女心を教えてほしいもんだ。
「馬鹿だってことも話して、毎日好きだって言えなくても、ありがとう、とか、ごめんなさい、がちゃんと言えるなら、それで良いんじゃねぇの」
「そんな事で伝わるの?」
「試す前から無理って決めんな。相手年上なんだろ。少しは甘える位したら?強がってるより、本音言ってボロボロ泣いた方が可愛げあるだろうし」
「そ、そうかしら」
不安そうに悩む姿を見る限り、今まで弱味を見せたことが無かったんだろう。好きな相手の重荷にはなりたくない、か。先生と付き合ってる時の俺がそうだった。意地張って、負けず嫌いで強がってばかり。今思えば、可愛くない恋人だったな。
「不安に思うなら窓の外見てみろよ」
俺はさっきから気になってた外の人物を、右の人差し指で指す。女はそれを目で追って、外の人間を認識して驚いた顔をする。
「えっ、涼真!?何で居るの!?」
イケメンと言うよりは素朴な印象の男だな。女に気付かれた事に慌てた後、平静を装って手を振ってきたが、確実に手遅れだ。優しい人だというのが一目で解るほどの人間は珍しい。
「何で彼が涼真だって解ったの?」
「勘。ま、あんなところで足止めてこっち見る理由なんて限られてるし」
「勘でも当たると気持ち悪いわね」
「それが相談に乗った相手に対する言葉か?」
「それは悪かったわ。つい本音が」
本当に悪いと思ってねぇだろ。
「まぁ、偶然でもアンタが他の男と話してるのを見て、心配で動けなくなった様にも見えるけど。とりあえず早く行けよ。俺も学校行きてぇし」
女は慌てて立ち上がって鞄を持つ。律儀に椅子を戻す姿には感心した。そういう事は出来るのか。それから、改めて俺を見る。少し戸惑ってから遠慮がちに口を開いた。
「優実よ。優しいが実るって書いて優実。今日はありがとう」
良い名前じゃねぇか。
「雅って書いて雅」
「ねぇ、今度会えたら、連絡先交換してくれる?涼真も紹介したいわ」
「会えたらな」
適当に返した返事に、優実と名乗った女は嬉しそうに笑って、背中を向けて走り出す。コンビニの外の涼真と呼ばれた彼氏の元へ走っていった姿を少し見守っていると、何か言葉を交わした後、どっちからでもなく手を繋いだ。涼真が俺を見て気まずそうに軽く頭を下げる。俺もそれに応えると、女は嬉しそうに笑って手を振ってきた。今度はそれに応えるために手を振る。今日の事は幸慈に話しておきたいな。こういう時、幸慈が携帯を持ってないのは不便だ。嫌よ嫌よも、か。幸慈にとっての茜みたいだな。距離を置くとは言ってたけど、好きが有るならそれも難しいと思う。好きも嫌いも、恋も愛も、全部が説明出来るやつばかりなら悩む脳は要らない。説明出来ないから答えを求めて苦しんで、涙したりもする。何で、恋しい、なんて感情を持って産まれて来たんだろう。その答えも、ヒントですら用意されてないんだから、頭が痛い。学校行きたくねぇな。そう思ってしまったら、体も心も鉛のように重くなる。
「よし」
母さんと薫に休むメールを入れた。大和にも買い物を頼んだ手前、仕方なく送る。鞄とコンビニ袋を持って立ち上がり、袋とペットボトルはゴミ箱へ捨て、今度こそコンビニを出た。何処へ行こう。そんな事を考えるのも面倒で、目的もなく歩き回る。クラスのヤツに会ったら巻き込んでやろうとも思ったけど、こういう時に限って誰にも会わなかった。薫でも呼び出そうかとも思ったけど、ギリギリで入学試験を合格しただけあって、少しでも気を抜くと進級出来ない可能性がある。本人もそれを理解してて、必死になってるけど、それを周りに知られたくないのか、千秋と俺以外には教わろうとしない。突撃お泊まり会も、千秋に教わるだけだと追い付けないからって、泣き付いてきた薫が始めたようなもんだ。この前千秋が参加したのは驚いたな。薫個人の問題か、千秋との問題かは解らないけど、次も千秋が参加するなら、薫にどうしたのか聞いてみるくらいはしてやるか。
通り過ぎる家の花壇に咲いた紫陽花を見て思う。先生の墓は綺麗だろうか、と。紫陽花が好きな人だった。夏を連れてくる花だと、そう言って塾の受付に紫陽花を飾っていた姿を思い出す。会いに行ってみようかな。そう思っただけなのに、重かった足は軽くなって、気が付けば花屋までの道を走っていた。折角だから願い事をしよう。先生のお墓に願った事は大抵叶ってきたから、きっと今回も大丈夫。でも、何を願えば良いんだ。幸慈と茜の事?でも、それを先生に願うのは違う。交流試合の事?それは、願わなくても勝てる。厄除け?それはそれで楽しいとか思ってるかな。俺、何をしたいんだ?何を叶えたいんだろう。目の前に見えてきた花屋の店先に咲く紫陽花が、とても遠く思えた。沢山の小さな蕾と幾つかの花を咲かせた紫陽花の飾られた花瓶の前に来ても、手を差し伸べられないのは、感じたことのない恐怖のせい。何もないんじゃないか?俺は、空っぽなんじゃないのか?そう思うだけで、夢を沢山持って輝いていた先生に、会いに行く資格が無い様な気がした。何で、俺が生きてるんだろう。本当なら、海の向こうで夢を追い掛けて、それを叶えていたはずなのに。どうして先生が居なくならないといけなかったんだ。俺じゃ駄目だった理由は?
「買うんか?」
急に話し掛けられてビックリした俺は、肩を盛大に跳ねさせて三メートル位走って角を右に曲がった。改めて花屋の方を覗き見ると、驚いた顔の大和が立っているだけで、他に人の姿はない。俺は肺の中の全部の空気を吐き出して座り込む。普通にビビったじゃねぇか。ホラー的なのは苦手なんだって。
「無事か?」
「見ての通りだバカヤロー」
近くまで来た大和を睨み付けて悪態を吐く。
「元気そうで安心した」
「あ?元気で悪かったな」
「んだ、反抗期か?ワガママ言ってみ。叶えてやるよ」
楽しそうに言う大和に呆れて、花屋の無い方へ足を動かす。叶えてほしい事なんて何にも無ぇよ。むしろ叶えられねぇし。
「休むなんて連絡来るから心配したわー。休みたい気分ってやつか?」
大和のさりげない言葉に足を止める。そんな軽いものなら良かった。
「駄目なんだよ」
「駄目?」
振り返って、左手で作ったVサインを大和へ突き出す。
「今日の俺、激弱なんです」
情けなく笑って見せ、目的もない道を歩き出す。先生の事を考える度に大和が現れるのは何でだ。俺に好きでいられると、先生は迷惑なのかな。そうだったらどうしよう。マジで何も無くなる。先生への好きしか無いのに。
「雅、面白いのやってんぞ」
大和に言われて、カレー専門店の入口に貼られたチラシに目を向ける。大食いチャレンジ、と、書かれた文に息を吐く。こういう所の大食いは挑みたくねぇんだよなぁ。
「二十分以内に完食したら賞金二万だってよ」
「二万!?」
大和の言葉にチラシを改めて読む。確かに、初回挑戦完食のみ賞金二万って書いてある。
「マジか」
こんな小遣いの稼ぎかたがあったとは。
「やるか?」
「やる!飯食って二万貰えるとか最高じゃん!薫の誕プレ代ゲットー」
「貰うの確定なわけな」
店のドアを開けて中に入ると、カレー独特の風味が鼻を通り抜けた。案内されたテーブルに座ると、奥の席で店員立ち会いの中で大食いチャレンジをしてる人がいて、皿の状態を確認すると、どんぶりでは無く平たい大きな皿に四人前位の白米が盛られていて、さらさらタイプの具なしルーが盛大にかけられているのを確認出来たが、思ったより少ないなってのが、正直なところだ。制限時間を考えるとあんなもんなのかも。制限時間があると味わってる余裕無いな。匂いからして絶対美味いだろうから、味わって食いたい。店員が注文を聞きに来て、大和が俺の分も纏めて伝える。その間メニューに目を通してチャレンジ後に何を食べるか考えていると、ドライカレーを見つけた。食べ終わったら頼むの決定。
「食うのきたねぇなぁ」
大和の言葉に奥の席に目を向ける。テーブルの上に米粒やカレーが落ちてたり、口の周りはカレーでべっとりしてるのを見れば綺麗とは言えないか。
「俺だって口の周り汚すし」
「少しな。それに、あんなじゃねぇよ。テーブルも皿もいつも綺麗じゃん」
「そうか?」
「そう。おかわりは?」
メニューを大和に見せて、ドライカレーの写真を左手の人差し指で指す。
「ドライカレー。普段食べないやつにしないと損だからな」
道子ちゃんのカレー食べてるときに、千秋がドライカレーって言ってから気になってたんだよな。
「ははっ、さすがだわ」
何がさすがなのか解らない。
「失敗すると三千円だってよ」
「だったら二万じゃなくて三万にしてほしい」
「何だそりゃ」
「二と三じゃ釣り合わねぇじゃん」
「あー、確かにな」
本当に解ってんのか?
「それを言うなら、二十分も三十分にするとかな。まぁ、三十分だとクリア率が上がるから二十分なんだろうけど」
そう言って、大和は奥の席に顔を向ける。どうやらチャレンジが終わったらしい。皿の上には三分の一が残っていた。店員とチラホラ会話をしてから残りをチマチマと食べ始める。いや、絶対満腹じゃん。
「お待たせしました。こちら、角煮カレー中辛になりまーす」
そう言って俺の前に置かれたカレーを、大和は無言で自分の前に移動させる。頼んだのは大和だから、チャレンジするのが俺とは思わなかったんだろうな。
「こちら、チャレンジカレーになりまーす」
二人がかりで運ばれてきたカレー皿に、俺の腹は音を立てはしないものの、空腹の限界を訴えてきた。
「チャレンジの説明をさせていただきます」
今か。注文したタイミングでやってくれ。直前のルール説明に、スプーン掴みに動いた右手が空中で止まる。
「二十分以内に完食する以外のルールってあるんですか?」
食べたい俺の気持ちを知ってる大和は、早めにルール説明を終わらせようと口を開いた。
「失敗すると三千円お支払となります」
「知ってます。食べて良いですか?」
限界を迎えた俺はカレーを睨み付けながら、食べたいアピールをする。
「腹減ってるからってイライラすんな。すいませんけど、早く食べさせてやって下さい」
「は、はい。では、スタートです」
「いただきまーす」
店員がストップウォッチを押したタイミングで、俺は手を合わせてスプーンを手に取る。手前の米とルーを口に入れて、鼻を抜ける風味に頬が緩む。
「美味っ」
「ははっ、そりゃ良かった」
食堂で食べる道子ちゃんのカレーとは違う、本格的な味付けに手が止まらない。具なしも有りだな。飲み物感は増すけど、時間制のチャレンジなら好都合。
「五分経過」
まだ五分しか経ってないのか。皿の上のカレーが半分近く無くなったのを見て、他の店員も通りすがりの振りをして俺の様子を見に来る。先に食べていた客も、自分の皿の上のカレーをそのままに、俺の皿に注目しているのが視界の端に映りはするけど、どうでも良い。
「角煮美味いぜ。ほれ、食ってみ」
大和は角煮を乗せたスプーンを俺の前に差し出した。カレーと角煮。有りそうで無い組み合わせだな。興味を惹かれて角煮を口に含む。
「んっ、美味っ!」
「(目キラキラさせて食ってる。本当、可愛いなぁ)」
「早く食って角煮頼も」
「ドライカレーは?」
「それも食う」
食べるペースを早めた俺に、店員は時間を忘れて感心し始める。むしろ、まだ何か食べるんですか?と、聞かれた位だ。それに対しての返事は大和がして、俺は食べるのに専念する。
「その身体のどこに入るんだか」
「胃に決まってんだろ」
「ははっ、違いねぇ」
十分経過した頃には三分の二を食べた終えた。少し味に飽きてきた俺はサイドメニューに目を向ける。
「クリームソーダ一つ」
「俺、烏龍茶」
「か、畏まりました」
時間を測っていない店員は、驚いた顔をしながら厨房へ入った。普通は他のやつ食べようとか思わないもんな。
「大和、角煮」
「ほれ、あー」
「あー。んぅ、美味!どんぶり山盛り欲しい」
「(可愛い)」
家で角煮って難しいし、時間ないと作れないイメージが強いんだよな。幸慈に頼んでみるか。
「今度作ってやるから家来いよ」
まさかの山盛り角煮ゲットのチャンス!
「マジで!?行く行く!」
「(角煮スゲーな)」
あ、大和の家には行かないって決めてたんだった。でも角煮の為なら仕方ないよな。美味いのが悪い。大和が料理出来んの忘れてた。テーブルに届いたクリームソーダで口をリフレッシュさせて、カレーを食べ進める。やっぱりもとから美味いってだけあって、飽きを解消したら普通に飲めるわぁ。最後の一口を飲み込んでスプーンを置くと、店員と三人の客から拍手された。そんなにスゲー事してねぇんだけど。賞金の二万円を受け取った俺は、その流れで角煮カレーとドライカレーを注文した。店員の驚愕した顔に、俺の体質は普通じゃないんだなぁ、と実感する。それを寂しいとは思わないけど、モヤモヤするのは変わらない。先に挑戦していた客は、残した分をテイクアウトで持って帰った。あんな風に、駄目でしたぁ、なんて言って笑った方が、可愛い気はあるのかもな。でも、俺にはそれが出来ない。これからも出来ないままだ。可愛げのない俺を、愛してほしかった。それだけの事なのが、こんなに難しいなんて知らなかったな。会計を大和がしてくれたと知ったのは店を出るときだった。金では叶えられない我が儘を言われても、大和は叶えられるんだろうか。なぁ、何で俺なの?そんなことを聞くのも、今更過ぎてどうでも良い。欲しいか、欲しくないか。単純な事が、今はこんなに難しくて、もどかしい。
肌に身に付ける物は絶対に止めよう。そう心に決めたのは千秋の存在を知ってから。他の男が買ったやつを、恋人が着たり付けたりするのを見るのは、良い気分じゃないだろうし。仮に贈るならペアの物で、二人一緒に使って貰うのを前提に買った方が良い。そういう事を気遣うのは大変で、薫と千秋の誕生日プレゼントは毎回悩む。未来とか秋谷はそんなに困らないんだけどなぁ。束縛レベルが違うだけで、こんなにも買うものに頭を抱えるとは。去年は映画の無料ペアチケット二枚を贈ったから、チケット物は避けたい。チケット避けると選択肢が無くなるんだよなぁ。去年と似たの贈ると薫うるさそうだし。
「あの二人、誕生日だけ別れてくれれば楽なのに」
「まぁ、俺も考えた事あるわ」
「大和は去年何を贈ったんだっけ?」
「写真立て」
「あー、それも有りだな」
だからって俺が写真立て贈ったら、去年の大和のプレゼントと被る。
「雅は誕生日欲しいの有るか?」
「うわー、恋人みたいな事言ってるー」
「引いてんじゃねぇよ」
素直に引くだろ。
「お、入浴剤か。面倒だしこれにしよ。見た目豪華だし」
「無視かよ」
「うるせーな。自分の分選んだのか?」
「俺は今年千秋に頼まれてて、バスローブって決まってんだわ。メーカーと柄も指定されてんの」
千秋が決めてるってだけで何でか言葉が出なかった。入浴剤やめようかな。大和のプレゼントと合わせて買ったみたいに思われんの嫌だし。入浴剤を棚に戻して他の場所を見始める俺の頭を、大和が軽く小突いてきた。
「何だよ」
「別に(俺のプレゼントを聞いて買うもの変えやがって)」
棚にシリコンカップを見付けて、千秋が料理することを思い出した。
「お、いっそ便利グッズとかどうだ?千秋も料理するし」
「それ、千秋の誕生日にしろよ」
「……確かに」
入浴剤で手を打っとけば良かった。
「大和のせいだ」
「自分から聞いてきたんだろうが」
いや、でも何かしら便利関連のグッズなら、千秋に睨まれなくて済みそう。
「紅茶とかクッキーは光臣が買ったって言ってたし」
「葵はそれに便乗してペアカップ」
「未来は手作りのアルバムにするって言ってたし」
「秋谷と合作でな」
「幸慈は参考書」
「茜はプールのペアチケット」
決まってないのは俺だけか。皆ちゃんと考えてんだな。俺なんて何にも考えてねぇのに。
「やーめた。探すの飽きた」
「当日になって買ってないとか言うなよ」
「スゲー顔して殴りかかってきたから二度はやらねぇよ」
「やったんか」
足を動かす俺の目に安売りワゴンが映る。掘り出し物あったりして。中を覗くと、どーんと鎮座した箱が目を惹いた。ホットプレート&たこ焼き器。値段千円。
「あの家たこ焼き器無いよな?」
「無いな」
「けってーい」
「マジか」
箱を持ってレジへ出して会計をすると、千円で一回引けるくじ引き券を貰った。大した景品は無いだろうと思いながら、一応会場へ出向いてみると、思ったより人が並んでいて驚く。そんなに豪華な景品なのか?
「一等は温泉旅館宿泊券ペア一組。有名な旅館だな」
「……え、大和どこ見てんの?」
「どこってガラガラ回すやつの近くに書いてあんじゃん」
ガラガラって、何メートル離れてっと思ってんだよ。
「アフリカ大陸の先住民かオマエは」
「ははっ、なんだそりゃ」
目を凝らして見ても全く解らねぇ。紙が貼ってあるなー、って認識するのが精一杯。
「他の景品は?」
諦めて大和に聞こう。
「えーっと、二等はキャンプグッズ一式」
「流行ってるもんなー」
「興味あんのか?」
「全く。あ、行くなら熊が出るところが良い」
「金太郎にでもなるつもりかよ。三等はお買い物券五万円分。後は専門店の割引券とかトイレットペーパーとか定番のやつだな。回すんか?」
大和に聞かれて後ろを振り向くと、並んでいると勘違いされたらしく、後ろに列が出来ていた。
「回す流れらしいな。大和回せよ。俺こういうの運無いからさ」
「欲しいのが有るように見えねぇけど」
「ティッシュ」
「ティッシュ?」
「ハズレのティッシュ欲しくて回すんだけど、いつも当たらなくってさ。一番最近のだとゲーム機当てたな。薫の部屋にあるやつ」
「(あれ、最新機種でメチャクチャ高いやつじゃん。千秋が買ったんだと思ってたけど、雅があげたのか)」
大和が回せば念願のティッシュもらえるかもしんねぇし。ここは譲るっきゃないだろ。順番を待ってる間、大和は俺に回すように何度も言ってきたけど、ティッシュの為に断り続けた。前の人がティッシュを貰っているのを見て、素直に羨ましいと思う。店員に案内されてガラポンのスタッフにチケットを渡す。どっちが回すか聞かれたから大和を指差すと、嫌そうな顔をされた。
「俺にやらせると絶対に後悔すんぞ」
良く解らない事を言う大和に首を傾げながら、早く回すように言う。大和は溜め息を盛大に吐き出して、取っ手を掴みガラガラとくじを回す。カンッと音を立てて皿の上に出てきた玉の色に、俺と店員は一瞬言葉を失った。そしてすぐに店員はカーンカーンとベルを鳴らして、一等が当たったことを告げる。
「俺、一等しか当てたことないんだわ」
「一等しか……はぁぁ!?」
罰が悪そうな顔をする大和に、俺は驚くしか出来なかった。俺のティッシュどうしてくれんだよ。
「人が並んでる所で言い出せなかったんだよ。悪い」
落ち込む俺の頭を遠慮気味に撫でる大和の手を叩き落としてやりたい。
「おめでとうございます。こちらが一等の旅行券になります。予約などの詳細は全て中に入っておりますのでご安心下さい」
「ありがとうございます」
不貞腐れた俺は、社交辞令でお礼を言って受け取る大和を置いて、会場から離れる。こうなるって知ってたら墓参りに行って願掛けしたのに。
「悪かった」
「たこ焼きパーティーパック三つ」
左手で三を作って大和の顔の前に出す。
「喜んで。そんで、これどうすんだ?」
貰った封筒をヒラヒラと俺の目の前で揺らす大和は、面倒事を抱え込んだような顔をした。
「行くに決まってんだろ!予約とか面倒なのは全部大和がやれよ。飯はバイキングとか、なんかしらの食べ放題が第一希望な」
「待て、俺等が行くんか?」
今更な事を聞く大和に息を吐く。
「当たったの知ってんの俺等だけだし。他に教えたら面倒じゃん。日にちは早めに決めろよ。予定入れて行けないとかになったら嫌だからな。勿体無い」
「……マジか」
「パーティーパックって味変できたっけ?」
「はぁ。色気ねぇなぁ(意識してんの俺だけじゃねぇか)」
無料で温泉は嬉しいはずなのに、隣の大和は頭を抱えて携帯を弄りだす。目の前の携帯を取り上げて、携帯を掴んだ手の人差し指で大和を指して軽く睨む。
「ながら行動禁止。手荒いうがいをするのと同じくらい基本的な事だろうが。ちゃんと守れ」
言うだけ言って大和の手に携帯を戻すと、戻した俺の手を携帯ごと軽く捕まれて衣類売り場を顎で指される。
「取り敢えず、たこ焼きは着替えてからにしねぇ?」
言われてから、自分達が制服だと思い出す。制服だと周りの目があるから自由に動き難いかもな。でもここでカレーの賞金を使うのは嫌だ。
「金は俺が払うから気にすんな」
大和の言葉に悪い俺が顔を出す。
「じゃあ、旅行の着替えと鞄も買ってくれ。俺の家から大和の家に何かしら持ってくと家族に問い詰められるだろ。最初から大和の家に用意しとけば、そういった面倒事避けられるじゃん。前日から大和の家に泊まれば待ち合わせの手間も無いし」
「待て待て待て」
大和の右手が俺の口を塞いで喋る事を遮る。やっぱり厚かましかったか。良い作戦だと思ったんたけどなぁ。兄貴が絡んできたら、姉貴の力を借りるしかねぇ。つか、そもそも旅行をどう隠して大和の家に泊まりに行くんだ、俺。
「作戦考えんの幸慈に頼もうかな」
「誰が駄目っつったよ(また幸慈かよ。気に食わねぇな)」
「大和の家泊まる場合、幸慈の家に泊まるって家族に嘘吐こうか悩んでたんだよ。大和が絡むと何でか家族皆うるさくて。幸慈なら話合わせてくれそうだし」
「素直に俺の家に泊まるって言っとけ(俺、雅の家族にどう思われてんだ)」
「まぁ、変な作戦立てるよりは白状した方が良いのかもなぁ。言うのは家出る直前にするけどな!」
「雅の家に行くの怖くなってきたわ」
「大丈夫、大丈夫。白井家は暢気だから。早く服見よーぜ」
この時、軽い足取りで衣類売り場を目指す俺の気持ちとは裏腹に、大和が男としての意地と戦っていたと知ったのは、大分先の事だった。
服は何でも良いからと大和に任せて鞄を選ぶ。旅行ったって一泊だし、そこまで大きいのは要らないか。でも二人分を一つの鞄に入れた方が荷物は少なくて済む。多分電車だろうから、かさばっても平気そうな形が良いんだろうけど。そもそも、かさばらない鞄ってあんのか?
「鞄ならデカイの家にあっから、財布とか貴重品入れるやつだけにしとけよ」
「へーい」
だったら買わなくても良いか。棚の上に視線を向けると、一つの鞄に目が止まる。大き過ぎず小さすぎないサイズが俺好み。色も黒で雨にも強そうだ。取ろうと手を伸ばすとギリギリ届かなかった。うん、諦めよう。気に入った物はいつも砂みたいにサラサラ俺の手から流れて、残った微かな砂は傷跡みたいに俺を嘲笑う。そのせいか、諦めるのも上手くなった。
「これか?」
あっさりと大和の手に捕まれた鞄は、簡単に俺の手の中に落ちてくる。
「無理して取ろうとかすんな。言えば取ってやるから」
砂じゃない。何だろう。このむず痒さは。
「ありがと」
「あぁ(なんだ?スゲー素直。この鞄そんなに欲しかったのか?あー、可愛いなぁ、くそ)」
鞄のファスナーを開けて内ポケットを確認する。五ヵ所もあんじゃん!見た目よりも沢山入りそうな機能的リュックを本格的に気に入った俺は、両手に持ったまま歩き出す。
「(やっぱ欲しかったんか)かご入れろよ」
「ん?んー」
手の中の鞄を見て、すぐに手放すのが寂しく感じた。
「もう少し」
変だ。いつもなら迷わずかごに入れるのに。今日はそれが出来なかった。子供がぬいぐるみを手放せないのと同じ現象が、自分の身に起こってる気がして、少しだけ照れ臭いけど、不思議と嫌じゃない。歩いていると、足元に違和感を感じて視線を落とす。右靴の紐が切れているのを見つけて、不幸が襲ってきたと息を吐く。
「大和のせいだ」
「何でだよ」
「一等当てるから」
「当てたから鞄見付かったんだろ」
「比率があわない」
「何のだよ」
靴売り場を探して左側の奥に見つけたけど、会計が別みたいだった。一旦衣類と鞄を会計した後で靴売り場に向かう事にする。
「ほれ」
「ん?」
「上着、これに変えろ。上着変えるだけでも、制服目立ちは消えるから」
「へぇ。確かにズボンで学校を判断するのは難しいな。女子ならスカートの柄でバレるけど」
大和に言われてブレザーとネクタイを外して、スウェット生地の黒いジャケットを羽織る。ジャケットの入っていた袋に、ブレザーとネクタイを入れて大和に渡す。グレーのパーカーに着替えた大和も、自分のブレザーとネクタイを袋に入れる。
「さて、靴買いに行くか」
「おー」
靴はまだ履けるし、紐だけ買えば問題ない。たこ焼きパーティーパックまでもう少し。紐が切れただけで歩きにくくなるのは意外だったけど、数メートルなら何の問題もなく歩けた。靴売り場に入ると、大和が俺の履いてる靴のメーカーの前で足を止める。靴を買うとか言い出したら面倒だと思って、靴紐コーナーに足を向けると、右腕を捕まれて靴裏を見るように言われた。仕方なく靴裏を見ると、予想以上にすり減っていて驚く。こんなに無くなるもんなんだな、なんて感心する俺の足元に、似たデザインの靴が置かれた。
「買うだろ」
大和の言葉に不服ながらも頷く。靴を脱いで、足元に置かれた真新しい靴へと足を入れる。両足を履き替えて棚の周りを一周歩く。
「どうだ?」
「悪くない」
今履いてる靴より軽くて疲れないとも思ったけど、大和の選んだ靴ってのもあって、そこまで言うのは止めた。
「雅の場合はメーカーが決まってっから探しやすいわ」
薫は靴一足決めるにも大騒ぎだからな。まぁ、あれはあれで楽しかったから良いけど。靴を履き替えて試着した靴を大和に渡す。大和はいくつもある箱の中から、俺が試着した靴と同じのが入ってる物を見つけ出して、当然の様にレジへ持っていく。いやいや、靴位は自分で買うって。慌てて立ち上がった俺は、紐が切れているのを忘れて思い切り踏み出す。当然躓いた俺は転びそうな勢いのまま、どうにか片足で踏ん張って大和の背中に掴まる。
「はっ、おもしれー事になってんぞ。写真撮ってやろうか?」
「断る」
体制を立て直した俺を大和は楽しそうに見てくる。ムカつく。レジで金を出そうと財布を出すと、それを取られて俺は払う事が出来なくなった。泥棒って大声で叫んだら返ってくるかな。
「大和、何で学校行かねーの」
「今更な事聞いてんじゃねぇよ」
確かに。
「雅が居ねぇのに行ったところで意味なんてねぇし。雅こそ何でサボってんだ?」
「んー、なんか、男心?」
「んだそれ?」
茜の元婚約者から相談を持ち込まれた事を大和に話すと、呆れた顔をされた。あんな事の後で普通に話し掛けてくる図太さとか、そんな女を好きな男がいる事に、この世の七不思議を感じたのは言わないでおく。そんな七不思議に付き合う俺って優しいよなぁ。
「茜の話ばっかり、ねぇ」
「何で俺を見るんだよ」
「別に(自分も死んだ男の事ばっかり考えてるくせに)」
大和の馬鹿にするような視線に苛立ちながら、靴売り場の近くにある椅子に座って、買った靴に履き替え紐を締め直す。
「貸してみ」
大和は俺の手から紐を取って、慣れた手付きで紐を結ぶ。俺よりも手際が良い。本当、ムカつく。
「なんか、嫌な事でもあったか?」
俺の質問に大和は手を止めて顔を上げる。
「何でそう思う?」
「廊下で俺に上履き履かせた時、良い事あったか聞いたら、逆って言ってただろ」
「よく覚えてんなぁ」
考え過ぎだとは思うけど、知らない所で嫌な思いさせてたら嫌だし。こんなんでも、薫の友達だもんな。ちゃんとしないと。靴の紐を結び終わった大和は、立ち上がって荷物を持ち直す。
「なぁ、雅」
「ん?」
「家に来いよ。角煮作ってやるから」
「おー!行く!どんぶり山盛りだからな!」
「おう。解ってる」
俺の頭を三回撫でた大和は何でか楽しそうに笑った。楽しい事があったようには見えない。靴紐を結ぶのが好きって人間は居ないだろうし。居てもごく少人数。何が大和を笑顔にしてるんだ?それが解ったら、俺も笑顔になるのかな。昔の自分の方が、ずっと素直に笑えてた気がする。何で、こんなにひねくれたかねぇ。立ち上がった俺は、履き心地の良い新しい靴を、少しでも長く履いていられたらと思った。
大和が買った肉の量に店員が驚いた顔をしたのは、予測していても実際に見ると面白くてこっそり笑う。何だか大荷物になったな、なんて暢気に考える俺に、タクシーを使うと言ってきた大和は高校生らしくないと思った。学校サボってタクシー乗るとは思わないよな、普通。株で一生困らない位に稼いだとは言ってたけど、俺の物を買ってたらすぐに貯金なんか無くなるんじゃないか。今回は旅行の事があるから、買ってもらえたのは助かったけど、これを当たり前にするのは嫌だ。タクシーに乗り込む姿を見て、俺と同じ金銭感覚なんて持ち合わせていないだろうな、と思って息を吐く。タクシーに最後に乗ったのはいつだったかな。自転車とか交通機関を使うのが殆どの俺としては、千秋の送迎すら未だに断る事がある。車で簡単に目的地に行くのは楽だろうけど、俺はそれがつまらない。通り過ぎる景色の中に、何か知らないものが混ざっていたら、それを知りたいと思う。だから千秋の車にはあまり乗らない。すぐにそこへ行けるように、出来るだけ自分の足で、日々を歩いて行く。
二度と来ないと決めていた場所で、平然とたこ焼きを食べる俺は、単細胞並みの馬鹿だと思う。台所から漂う匂いが俺の胃を刺激して、たこ焼きの味に興味が無くなってきた頃、大和が隣の部屋からキャリーケースを持ってきた。二人分なら余裕で入るサイズに、デカ過ぎないか、とも思ったけど、色々用意してもらう立場の人間は黙るのが一番、と、理解して、たこ焼きの最後の一個を口に入れる。キャリーケースは葵が昔家出してきた時に、宿泊料金の代わりとして大和にあげたものらしい。どんだけの荷物を持って家出してきたのかと呆れて息を吐く。持ってきたものはどうしたんだろう。本当、あの双子は正反対だな。いや、そうでもないか。どっちも初恋だし、大事にし過ぎて距離置かれてるって悩んでたとか、千秋が言ってたっけ。あんな面倒なのに好かれなくて良かった。特に茜のストーカー癖はマジで怖い。それを知ってて平然と過ごしてる幸慈の精神力と言うか、割り切り力は尊敬する。俺には絶対に出来ない。即効警察駆け込むわ。それに、双子ったって、個人にかわり無いんだし。違って当たり前だよな。
「交流試合は順調か?」
「おう。あそこで煮込まれてる肉並みに順調だ」
「それは何より(雅のピアノが聴けるなら何でも良いけどな)」
屋上での出来事を思い出して目を細める。
「神川様のクラスは退屈そうですわねー」
わざとあの女の言葉を真似ると少し睨まれた。
「悪い遊び覚えやがって」
大和の言葉に軽く笑い声を漏らす。
「人の名前に様とか付けねぇよな。営業の挨拶周りじゃねぇんだからさ。外人かと思った。様付けるほど立派じゃねぇのになぁ」
笑いながら言うと大和は黙り込んだ。落ち込んだと言うよりは、何かを考えてる感じに見える。
「雅のクラスは楽しそうで良いな」
「やっぱ特進退屈なんだ」
「干からびそう」
大和の言葉にまた笑う。
「こっちは、まぁ、飽きないな。毎回誰かしら何かをやらかすし。実ちゃんは俺達をちゃんと見てくれるから、何かを溜め込む前にバレるな。でも、それに皆救われてる」
「雅は年上好きだからな」
どんなイメージだよ。
「年下もいたっつーの」
「恋多すぎだろ。浮気者だなぁ、雅は」
そもそも大和に会う前の話じゃん。
「浮気する関係すら持ち合わせてねぇよ。なのに神川様は問題事ばっかり起こしてくれて。悲しすぎて涙も枯れたわ」
「悲しんでる様には見えねぇけどな」
「いやいや」
俺はソファーから腰を上げて大和の前に移動する。
「よく見ろって、今にも泣きそうなこの目」
しゃがんで左手の人差し指で左目を指す。大和は少し俺の顔を見てから小さく笑う。
「可愛いな」
くだらない言葉に頭痛がした。
「神川様、本当はめちゃくちゃ馬鹿だろ」
「失礼な事しか言えねぇのか?」
「失礼な事を言われないようにするのも大事だと思わねぇ?」
「なら、神川様、は止めろ」
「えー」
つまらないけど、本人がマジで嫌なら止めるしかないか。
「千秋も平様って呼ばれてたりして」
「おう。呼ばれてんぞ」
「ぶっは、マジか!」
少し笑って、なんとなく思った疑問を口にする。
「じゃあ、何で俺は呼び捨て?」
「敵だからだろ」
楽しげに言う大和を軽く睨んで息を吐く。
「最初から俺だけ目の敵とか酷い話だよな。親の仇みたいな顔してたぜ」
「ははっ、違いねぇ」
「いや、殺してねぇから」
「知ってる」
大和は宥めるように俺の頭を撫で、立ち上がってたこ焼きの入ってた箱を片し始める。片せ、と、言うのは簡単で、自分の家のルールを客に求めるのも仕方ないと思う。でも、大和はそれをしない。旅行だって俺の我が儘みたいなもんなのに、全部用意してくれてる。好きってだけで、こんなに優しく出来るもんなの?先生のくれた優しいと、大和のくれる優しくは違う。でも、どう違うのかが解らない。解りたくない、と言えば臆病者扱いされるかな。それでも、俺は大和を、同じ様には好きに慣れない。
『同じ様に愛する必要はない。私と妻の愛の形があったように、私と誰かの愛の形がある。それを育んでいくだけだ』
あの時の言葉を思い出す。俺にも、そんな時が来るのかな。あの時間に愛があって、その形すら解らないままの俺に。次の形を育むなんて日が、いつか来るのかな。でも、先生の事は、誰が覚えててくれるんだ?居ないことが当たり前に過ぎる毎日の中で、俺だけが覚えているかもしれない存在を、笑顔を、下手くそな愛を。愛したまま、他の誰かを愛するなんて、俺には出来ない。出来ないよ、先生。微かに耳に届いた雨の音に窓の外を見る。まるで先生が泣いてるみたいだ。やっぱり墓参りに行けば良かった。願い事がなくても、理由がなくても、行けば少しは満たされたかもしれない。不意に顔を出す虚しさが、夏を求めるように膨れ出す。
いつも通り家を出て、余裕で遅刻を回避出来るからと、いつもは寄らないコンビニに立ち寄って、気になってたメガ焼そばカツサンドパンと白ブドウジュースを買う事は、何一つ悪くないと自信を持てる。店を出る前に、新作のジャンボメロンパンの写真を携帯で撮って、大和に買ってくるようにとメールを送るのだって悪くない。何故なら、交流試合の一件から、大和は何故か毎日俺に飯を持ってくるようになったから。ネタ切れにならないように、こっちから欲しいものを写真で提供することで、大和が悩まないで済む。といった感じの親切心でしてるわけだ。大和が持ってくるやつが全部美味いのが気に食わなくて、自分でも上手いものを見つけたい意地でやってる所もあるけど。週末に薫の家へ行くと、自然と大和が飯を作る事になってて、それも美味いから腹が立つ。幸慈が作ったやつの方が美味いけどな。それでも、何でもかんでも大抵の事をそつなくこなすのが嫌だ。それで、嫌がらせみたいに、あれが食べたいとか持ってこいとか、そんなメールを送るようになった。親切心も含めてるけどな。結果的には大和を喜ばせるだけだって解った今も、止め時が解らなくて続けてる。まぁ、交流試合が終わったタイミングで止めるのが良いんだろうな。なんて考えてコンビニを出ると、見覚えのある面倒なヤツと出くわした。気付かなかった振りをして横を通り抜けてはみたものの、案の定相手に右腕を捕まれて肩を落とす。
「ちょっと、話があるんだけど」
早起きは三文の徳って言ったの誰だよ。
「お、男心を教えてほしいの」
「……は?」
予想してなかった言葉に、不覚にも思考が止まった。こんな事を言う様な女だったか?淫乱男、とか、盛大に叫んでた女だよな?恥じらいながら男心が知りたいなんて、どんな気持ちの変化があったんだ。一応周りを見回して、一人かどうかを確認する。
「誰も居ないわよ」
その台詞が信用出来ねぇんだよ。
「みたいだな。ここで良い?」
「構わないわ」
とは言え、入口で立ち話もなぁ。イートインスペースを見ると、不幸にも誰も使ってなかった。
「イートインスペース使おうぜ。今誰も居ないし」
「え、えぇ」
不気味。この素直さスゲー不気味。コンビニの中に戻って、イートインスペースの奥の方へ腰かける。その結果、頭を抱えたくなるような状況が出来上がったわけだ。
何もせずに居座るのは、コンビニからすれば迷惑だろうから、さっき買ったパンと飲み物を袋から取り出す。俺の手にあるパンを見て女は眉をしかめた。
「涼真もそういうのばっかり食べてたわ」
「誰?」
興味無いのに聞き返しちゃったよ。
「男心の元凶よ」
これから知らない男の話聞くのか。面倒だ。ペットボトルの蓋を開けて、中身を口に含む。
「アンタ、ホモ?」
「っ、ごほっ、げっほ」
遠慮なしに吐かれた女の言葉に、白ブドウジュースを上手く飲み込めずに咳き込んだ。コイツ、何も変わってねぇ。
「図星ね」
「違っ、げほっごほっ」
「ごめんなさい。そのままで良いから聞いてほしいの」
何に対してのごめんだよ。勝手に話進めやがって。
「私、檜山茜の婚約者だったの」
知ってます。てか、目の前で咳き込んでる俺の心配すらしてこねぇのかコイツは。
「外面だけ良くて、女遊びばっかりで成績最悪。何でこんなのと結婚することが決まってるのか不思議だったわ。それに、女遊びしてる男より、初恋に悩む私の方が親からしたら悪者だなんて、そんなの耐えられない。だから、アイツの家から婚約解消の話が出たときは、天にも登るほど嬉しかったわ。まさか男に本気になってるなんて知らなかったけど。初恋が実った時は嬉しかった。年上の人だから無理だろうなって諦めてたから余計ね。同棲も順調に進んで、毎日どれだけ好きかを伝えたいのに、どの言葉が良いのか解らなくて、ほら、私って、知能低いから」
「うん」
素直に頷くと女が不満気に睨んでくる。
「社交辞令でも否定しなさいよ」
「無理」
社交辞令でも、咳き込んでる相手に大丈夫の一言も言えない人間を、どうフォローしろと?
「神川も何でこんなのが良いのかしら」
「俺ホモじゃねぇし」
俺も知りたい。茜の婚約者だったなら、大和達の事も知ってて当然か。
「ホモじゃないなら、何で神川はアンタと居るの?」
「まー、大和が、俺が好きだから、らしい。まぁ、男と女、両方付き合った事あるし、性別は飾り程度にしか思ってねぇよ。友達の友達だし、無下には出来ねぇって感じだな」
無下には、か。幸慈も最初はこんな気持ちで茜と接してたのかな。パンの袋の口を開けると、呆れた様な懐かしい様な表情で俺の手元を見てきた。
「そういう体に悪そうな物ばっかり食べるから、朝はスムージー作ったりもしたのよ。飲みやすいようにって、何度も試作して味見して。その度にお腹壊したりするのもしょっちゅうで」
それ飲ませない方が良いんじゃねぇか。何を入れたらスムージーで腹を壊すんだよ。
「後、元婚約者よりどれ程好きかも比べて話すようにして伝えたわ。でも、涼真はどんどん素っ気なくなって、同棲してたアパートに帰ってこなくなったの。私、何かしたかしら?」
俺に聞くな。
「考えても解らなくて。茜の家に行った日、本当は恥を承知で茜に相談したかったの。でも、好きな相手と仲良くしてて、私とは正反対に良い関係を築いてるのを見たら、悔しくて最悪な事ばっかり言っちゃったわ」
良い関係ではないだろうな。むしろストーカーの加害者と被害者って感じ。
「後戻りが出来なくて、ネットで相談したら……あの、その……この間の公園での喧嘩なんだけど、言われるままやってたら、あんなことに。ごめんなさい」
どうしたらあんなのに巻き込まれちゃうかなぁ。まぁ、向こうは全部をこの女のせいにして、あっさり逃げるつもりだったんだろうけど。てか、話が長すぎてパンを半分以上食っちまった。
「涼真と話がしたくても、解らないままじゃ同じ事を繰り返すだけだもの。だから、偶然でも知った顔を見かけたから、勢いで話したの」
頭より体が先に動くヤツを相手にするの慣れてて良かった。
「どう?」
どう?って言われましても。
「茜の話するからじゃん」
訳が解らないって顔をされただけで疲労が溜まる。
「どんだけ嫌いあってたとしても、涼真さんからすれば元カレと比べられてるってのが堪えらんなかったわけ」
「何でよ?茜の事は罵ってただけじゃない。それと、元カレとか吐きそうだから止めて」
だろうな。幸慈の話を聞く限りでは、褒められる事をしてる印象がない。
「毎日話題に出されれば、好きなんじゃないかって疑われるっての。嫌よ嫌よも好きのうちって言葉があるくらいだし」
俺の言葉を何度も呟いて、漸く理解した女の顔は清々しい程に青ざめた。まぁ、そんなつもりはなくても、彼氏からすればそうとしか思えないだろうし。
「だったら、他にどう好きだって言えば良いのよ」
「アンタ馬鹿なんだから考えんの止めたら?」
「人に言われるとムカつくわね」
「事実じゃん」
「それでもムカつくわ」
面倒臭。男心を教えてやる代わりに、女心を教えてほしいもんだ。
「馬鹿だってことも話して、毎日好きだって言えなくても、ありがとう、とか、ごめんなさい、がちゃんと言えるなら、それで良いんじゃねぇの」
「そんな事で伝わるの?」
「試す前から無理って決めんな。相手年上なんだろ。少しは甘える位したら?強がってるより、本音言ってボロボロ泣いた方が可愛げあるだろうし」
「そ、そうかしら」
不安そうに悩む姿を見る限り、今まで弱味を見せたことが無かったんだろう。好きな相手の重荷にはなりたくない、か。先生と付き合ってる時の俺がそうだった。意地張って、負けず嫌いで強がってばかり。今思えば、可愛くない恋人だったな。
「不安に思うなら窓の外見てみろよ」
俺はさっきから気になってた外の人物を、右の人差し指で指す。女はそれを目で追って、外の人間を認識して驚いた顔をする。
「えっ、涼真!?何で居るの!?」
イケメンと言うよりは素朴な印象の男だな。女に気付かれた事に慌てた後、平静を装って手を振ってきたが、確実に手遅れだ。優しい人だというのが一目で解るほどの人間は珍しい。
「何で彼が涼真だって解ったの?」
「勘。ま、あんなところで足止めてこっち見る理由なんて限られてるし」
「勘でも当たると気持ち悪いわね」
「それが相談に乗った相手に対する言葉か?」
「それは悪かったわ。つい本音が」
本当に悪いと思ってねぇだろ。
「まぁ、偶然でもアンタが他の男と話してるのを見て、心配で動けなくなった様にも見えるけど。とりあえず早く行けよ。俺も学校行きてぇし」
女は慌てて立ち上がって鞄を持つ。律儀に椅子を戻す姿には感心した。そういう事は出来るのか。それから、改めて俺を見る。少し戸惑ってから遠慮がちに口を開いた。
「優実よ。優しいが実るって書いて優実。今日はありがとう」
良い名前じゃねぇか。
「雅って書いて雅」
「ねぇ、今度会えたら、連絡先交換してくれる?涼真も紹介したいわ」
「会えたらな」
適当に返した返事に、優実と名乗った女は嬉しそうに笑って、背中を向けて走り出す。コンビニの外の涼真と呼ばれた彼氏の元へ走っていった姿を少し見守っていると、何か言葉を交わした後、どっちからでもなく手を繋いだ。涼真が俺を見て気まずそうに軽く頭を下げる。俺もそれに応えると、女は嬉しそうに笑って手を振ってきた。今度はそれに応えるために手を振る。今日の事は幸慈に話しておきたいな。こういう時、幸慈が携帯を持ってないのは不便だ。嫌よ嫌よも、か。幸慈にとっての茜みたいだな。距離を置くとは言ってたけど、好きが有るならそれも難しいと思う。好きも嫌いも、恋も愛も、全部が説明出来るやつばかりなら悩む脳は要らない。説明出来ないから答えを求めて苦しんで、涙したりもする。何で、恋しい、なんて感情を持って産まれて来たんだろう。その答えも、ヒントですら用意されてないんだから、頭が痛い。学校行きたくねぇな。そう思ってしまったら、体も心も鉛のように重くなる。
「よし」
母さんと薫に休むメールを入れた。大和にも買い物を頼んだ手前、仕方なく送る。鞄とコンビニ袋を持って立ち上がり、袋とペットボトルはゴミ箱へ捨て、今度こそコンビニを出た。何処へ行こう。そんな事を考えるのも面倒で、目的もなく歩き回る。クラスのヤツに会ったら巻き込んでやろうとも思ったけど、こういう時に限って誰にも会わなかった。薫でも呼び出そうかとも思ったけど、ギリギリで入学試験を合格しただけあって、少しでも気を抜くと進級出来ない可能性がある。本人もそれを理解してて、必死になってるけど、それを周りに知られたくないのか、千秋と俺以外には教わろうとしない。突撃お泊まり会も、千秋に教わるだけだと追い付けないからって、泣き付いてきた薫が始めたようなもんだ。この前千秋が参加したのは驚いたな。薫個人の問題か、千秋との問題かは解らないけど、次も千秋が参加するなら、薫にどうしたのか聞いてみるくらいはしてやるか。
通り過ぎる家の花壇に咲いた紫陽花を見て思う。先生の墓は綺麗だろうか、と。紫陽花が好きな人だった。夏を連れてくる花だと、そう言って塾の受付に紫陽花を飾っていた姿を思い出す。会いに行ってみようかな。そう思っただけなのに、重かった足は軽くなって、気が付けば花屋までの道を走っていた。折角だから願い事をしよう。先生のお墓に願った事は大抵叶ってきたから、きっと今回も大丈夫。でも、何を願えば良いんだ。幸慈と茜の事?でも、それを先生に願うのは違う。交流試合の事?それは、願わなくても勝てる。厄除け?それはそれで楽しいとか思ってるかな。俺、何をしたいんだ?何を叶えたいんだろう。目の前に見えてきた花屋の店先に咲く紫陽花が、とても遠く思えた。沢山の小さな蕾と幾つかの花を咲かせた紫陽花の飾られた花瓶の前に来ても、手を差し伸べられないのは、感じたことのない恐怖のせい。何もないんじゃないか?俺は、空っぽなんじゃないのか?そう思うだけで、夢を沢山持って輝いていた先生に、会いに行く資格が無い様な気がした。何で、俺が生きてるんだろう。本当なら、海の向こうで夢を追い掛けて、それを叶えていたはずなのに。どうして先生が居なくならないといけなかったんだ。俺じゃ駄目だった理由は?
「買うんか?」
急に話し掛けられてビックリした俺は、肩を盛大に跳ねさせて三メートル位走って角を右に曲がった。改めて花屋の方を覗き見ると、驚いた顔の大和が立っているだけで、他に人の姿はない。俺は肺の中の全部の空気を吐き出して座り込む。普通にビビったじゃねぇか。ホラー的なのは苦手なんだって。
「無事か?」
「見ての通りだバカヤロー」
近くまで来た大和を睨み付けて悪態を吐く。
「元気そうで安心した」
「あ?元気で悪かったな」
「んだ、反抗期か?ワガママ言ってみ。叶えてやるよ」
楽しそうに言う大和に呆れて、花屋の無い方へ足を動かす。叶えてほしい事なんて何にも無ぇよ。むしろ叶えられねぇし。
「休むなんて連絡来るから心配したわー。休みたい気分ってやつか?」
大和のさりげない言葉に足を止める。そんな軽いものなら良かった。
「駄目なんだよ」
「駄目?」
振り返って、左手で作ったVサインを大和へ突き出す。
「今日の俺、激弱なんです」
情けなく笑って見せ、目的もない道を歩き出す。先生の事を考える度に大和が現れるのは何でだ。俺に好きでいられると、先生は迷惑なのかな。そうだったらどうしよう。マジで何も無くなる。先生への好きしか無いのに。
「雅、面白いのやってんぞ」
大和に言われて、カレー専門店の入口に貼られたチラシに目を向ける。大食いチャレンジ、と、書かれた文に息を吐く。こういう所の大食いは挑みたくねぇんだよなぁ。
「二十分以内に完食したら賞金二万だってよ」
「二万!?」
大和の言葉にチラシを改めて読む。確かに、初回挑戦完食のみ賞金二万って書いてある。
「マジか」
こんな小遣いの稼ぎかたがあったとは。
「やるか?」
「やる!飯食って二万貰えるとか最高じゃん!薫の誕プレ代ゲットー」
「貰うの確定なわけな」
店のドアを開けて中に入ると、カレー独特の風味が鼻を通り抜けた。案内されたテーブルに座ると、奥の席で店員立ち会いの中で大食いチャレンジをしてる人がいて、皿の状態を確認すると、どんぶりでは無く平たい大きな皿に四人前位の白米が盛られていて、さらさらタイプの具なしルーが盛大にかけられているのを確認出来たが、思ったより少ないなってのが、正直なところだ。制限時間を考えるとあんなもんなのかも。制限時間があると味わってる余裕無いな。匂いからして絶対美味いだろうから、味わって食いたい。店員が注文を聞きに来て、大和が俺の分も纏めて伝える。その間メニューに目を通してチャレンジ後に何を食べるか考えていると、ドライカレーを見つけた。食べ終わったら頼むの決定。
「食うのきたねぇなぁ」
大和の言葉に奥の席に目を向ける。テーブルの上に米粒やカレーが落ちてたり、口の周りはカレーでべっとりしてるのを見れば綺麗とは言えないか。
「俺だって口の周り汚すし」
「少しな。それに、あんなじゃねぇよ。テーブルも皿もいつも綺麗じゃん」
「そうか?」
「そう。おかわりは?」
メニューを大和に見せて、ドライカレーの写真を左手の人差し指で指す。
「ドライカレー。普段食べないやつにしないと損だからな」
道子ちゃんのカレー食べてるときに、千秋がドライカレーって言ってから気になってたんだよな。
「ははっ、さすがだわ」
何がさすがなのか解らない。
「失敗すると三千円だってよ」
「だったら二万じゃなくて三万にしてほしい」
「何だそりゃ」
「二と三じゃ釣り合わねぇじゃん」
「あー、確かにな」
本当に解ってんのか?
「それを言うなら、二十分も三十分にするとかな。まぁ、三十分だとクリア率が上がるから二十分なんだろうけど」
そう言って、大和は奥の席に顔を向ける。どうやらチャレンジが終わったらしい。皿の上には三分の一が残っていた。店員とチラホラ会話をしてから残りをチマチマと食べ始める。いや、絶対満腹じゃん。
「お待たせしました。こちら、角煮カレー中辛になりまーす」
そう言って俺の前に置かれたカレーを、大和は無言で自分の前に移動させる。頼んだのは大和だから、チャレンジするのが俺とは思わなかったんだろうな。
「こちら、チャレンジカレーになりまーす」
二人がかりで運ばれてきたカレー皿に、俺の腹は音を立てはしないものの、空腹の限界を訴えてきた。
「チャレンジの説明をさせていただきます」
今か。注文したタイミングでやってくれ。直前のルール説明に、スプーン掴みに動いた右手が空中で止まる。
「二十分以内に完食する以外のルールってあるんですか?」
食べたい俺の気持ちを知ってる大和は、早めにルール説明を終わらせようと口を開いた。
「失敗すると三千円お支払となります」
「知ってます。食べて良いですか?」
限界を迎えた俺はカレーを睨み付けながら、食べたいアピールをする。
「腹減ってるからってイライラすんな。すいませんけど、早く食べさせてやって下さい」
「は、はい。では、スタートです」
「いただきまーす」
店員がストップウォッチを押したタイミングで、俺は手を合わせてスプーンを手に取る。手前の米とルーを口に入れて、鼻を抜ける風味に頬が緩む。
「美味っ」
「ははっ、そりゃ良かった」
食堂で食べる道子ちゃんのカレーとは違う、本格的な味付けに手が止まらない。具なしも有りだな。飲み物感は増すけど、時間制のチャレンジなら好都合。
「五分経過」
まだ五分しか経ってないのか。皿の上のカレーが半分近く無くなったのを見て、他の店員も通りすがりの振りをして俺の様子を見に来る。先に食べていた客も、自分の皿の上のカレーをそのままに、俺の皿に注目しているのが視界の端に映りはするけど、どうでも良い。
「角煮美味いぜ。ほれ、食ってみ」
大和は角煮を乗せたスプーンを俺の前に差し出した。カレーと角煮。有りそうで無い組み合わせだな。興味を惹かれて角煮を口に含む。
「んっ、美味っ!」
「(目キラキラさせて食ってる。本当、可愛いなぁ)」
「早く食って角煮頼も」
「ドライカレーは?」
「それも食う」
食べるペースを早めた俺に、店員は時間を忘れて感心し始める。むしろ、まだ何か食べるんですか?と、聞かれた位だ。それに対しての返事は大和がして、俺は食べるのに専念する。
「その身体のどこに入るんだか」
「胃に決まってんだろ」
「ははっ、違いねぇ」
十分経過した頃には三分の二を食べた終えた。少し味に飽きてきた俺はサイドメニューに目を向ける。
「クリームソーダ一つ」
「俺、烏龍茶」
「か、畏まりました」
時間を測っていない店員は、驚いた顔をしながら厨房へ入った。普通は他のやつ食べようとか思わないもんな。
「大和、角煮」
「ほれ、あー」
「あー。んぅ、美味!どんぶり山盛り欲しい」
「(可愛い)」
家で角煮って難しいし、時間ないと作れないイメージが強いんだよな。幸慈に頼んでみるか。
「今度作ってやるから家来いよ」
まさかの山盛り角煮ゲットのチャンス!
「マジで!?行く行く!」
「(角煮スゲーな)」
あ、大和の家には行かないって決めてたんだった。でも角煮の為なら仕方ないよな。美味いのが悪い。大和が料理出来んの忘れてた。テーブルに届いたクリームソーダで口をリフレッシュさせて、カレーを食べ進める。やっぱりもとから美味いってだけあって、飽きを解消したら普通に飲めるわぁ。最後の一口を飲み込んでスプーンを置くと、店員と三人の客から拍手された。そんなにスゲー事してねぇんだけど。賞金の二万円を受け取った俺は、その流れで角煮カレーとドライカレーを注文した。店員の驚愕した顔に、俺の体質は普通じゃないんだなぁ、と実感する。それを寂しいとは思わないけど、モヤモヤするのは変わらない。先に挑戦していた客は、残した分をテイクアウトで持って帰った。あんな風に、駄目でしたぁ、なんて言って笑った方が、可愛い気はあるのかもな。でも、俺にはそれが出来ない。これからも出来ないままだ。可愛げのない俺を、愛してほしかった。それだけの事なのが、こんなに難しいなんて知らなかったな。会計を大和がしてくれたと知ったのは店を出るときだった。金では叶えられない我が儘を言われても、大和は叶えられるんだろうか。なぁ、何で俺なの?そんなことを聞くのも、今更過ぎてどうでも良い。欲しいか、欲しくないか。単純な事が、今はこんなに難しくて、もどかしい。
肌に身に付ける物は絶対に止めよう。そう心に決めたのは千秋の存在を知ってから。他の男が買ったやつを、恋人が着たり付けたりするのを見るのは、良い気分じゃないだろうし。仮に贈るならペアの物で、二人一緒に使って貰うのを前提に買った方が良い。そういう事を気遣うのは大変で、薫と千秋の誕生日プレゼントは毎回悩む。未来とか秋谷はそんなに困らないんだけどなぁ。束縛レベルが違うだけで、こんなにも買うものに頭を抱えるとは。去年は映画の無料ペアチケット二枚を贈ったから、チケット物は避けたい。チケット避けると選択肢が無くなるんだよなぁ。去年と似たの贈ると薫うるさそうだし。
「あの二人、誕生日だけ別れてくれれば楽なのに」
「まぁ、俺も考えた事あるわ」
「大和は去年何を贈ったんだっけ?」
「写真立て」
「あー、それも有りだな」
だからって俺が写真立て贈ったら、去年の大和のプレゼントと被る。
「雅は誕生日欲しいの有るか?」
「うわー、恋人みたいな事言ってるー」
「引いてんじゃねぇよ」
素直に引くだろ。
「お、入浴剤か。面倒だしこれにしよ。見た目豪華だし」
「無視かよ」
「うるせーな。自分の分選んだのか?」
「俺は今年千秋に頼まれてて、バスローブって決まってんだわ。メーカーと柄も指定されてんの」
千秋が決めてるってだけで何でか言葉が出なかった。入浴剤やめようかな。大和のプレゼントと合わせて買ったみたいに思われんの嫌だし。入浴剤を棚に戻して他の場所を見始める俺の頭を、大和が軽く小突いてきた。
「何だよ」
「別に(俺のプレゼントを聞いて買うもの変えやがって)」
棚にシリコンカップを見付けて、千秋が料理することを思い出した。
「お、いっそ便利グッズとかどうだ?千秋も料理するし」
「それ、千秋の誕生日にしろよ」
「……確かに」
入浴剤で手を打っとけば良かった。
「大和のせいだ」
「自分から聞いてきたんだろうが」
いや、でも何かしら便利関連のグッズなら、千秋に睨まれなくて済みそう。
「紅茶とかクッキーは光臣が買ったって言ってたし」
「葵はそれに便乗してペアカップ」
「未来は手作りのアルバムにするって言ってたし」
「秋谷と合作でな」
「幸慈は参考書」
「茜はプールのペアチケット」
決まってないのは俺だけか。皆ちゃんと考えてんだな。俺なんて何にも考えてねぇのに。
「やーめた。探すの飽きた」
「当日になって買ってないとか言うなよ」
「スゲー顔して殴りかかってきたから二度はやらねぇよ」
「やったんか」
足を動かす俺の目に安売りワゴンが映る。掘り出し物あったりして。中を覗くと、どーんと鎮座した箱が目を惹いた。ホットプレート&たこ焼き器。値段千円。
「あの家たこ焼き器無いよな?」
「無いな」
「けってーい」
「マジか」
箱を持ってレジへ出して会計をすると、千円で一回引けるくじ引き券を貰った。大した景品は無いだろうと思いながら、一応会場へ出向いてみると、思ったより人が並んでいて驚く。そんなに豪華な景品なのか?
「一等は温泉旅館宿泊券ペア一組。有名な旅館だな」
「……え、大和どこ見てんの?」
「どこってガラガラ回すやつの近くに書いてあんじゃん」
ガラガラって、何メートル離れてっと思ってんだよ。
「アフリカ大陸の先住民かオマエは」
「ははっ、なんだそりゃ」
目を凝らして見ても全く解らねぇ。紙が貼ってあるなー、って認識するのが精一杯。
「他の景品は?」
諦めて大和に聞こう。
「えーっと、二等はキャンプグッズ一式」
「流行ってるもんなー」
「興味あんのか?」
「全く。あ、行くなら熊が出るところが良い」
「金太郎にでもなるつもりかよ。三等はお買い物券五万円分。後は専門店の割引券とかトイレットペーパーとか定番のやつだな。回すんか?」
大和に聞かれて後ろを振り向くと、並んでいると勘違いされたらしく、後ろに列が出来ていた。
「回す流れらしいな。大和回せよ。俺こういうの運無いからさ」
「欲しいのが有るように見えねぇけど」
「ティッシュ」
「ティッシュ?」
「ハズレのティッシュ欲しくて回すんだけど、いつも当たらなくってさ。一番最近のだとゲーム機当てたな。薫の部屋にあるやつ」
「(あれ、最新機種でメチャクチャ高いやつじゃん。千秋が買ったんだと思ってたけど、雅があげたのか)」
大和が回せば念願のティッシュもらえるかもしんねぇし。ここは譲るっきゃないだろ。順番を待ってる間、大和は俺に回すように何度も言ってきたけど、ティッシュの為に断り続けた。前の人がティッシュを貰っているのを見て、素直に羨ましいと思う。店員に案内されてガラポンのスタッフにチケットを渡す。どっちが回すか聞かれたから大和を指差すと、嫌そうな顔をされた。
「俺にやらせると絶対に後悔すんぞ」
良く解らない事を言う大和に首を傾げながら、早く回すように言う。大和は溜め息を盛大に吐き出して、取っ手を掴みガラガラとくじを回す。カンッと音を立てて皿の上に出てきた玉の色に、俺と店員は一瞬言葉を失った。そしてすぐに店員はカーンカーンとベルを鳴らして、一等が当たったことを告げる。
「俺、一等しか当てたことないんだわ」
「一等しか……はぁぁ!?」
罰が悪そうな顔をする大和に、俺は驚くしか出来なかった。俺のティッシュどうしてくれんだよ。
「人が並んでる所で言い出せなかったんだよ。悪い」
落ち込む俺の頭を遠慮気味に撫でる大和の手を叩き落としてやりたい。
「おめでとうございます。こちらが一等の旅行券になります。予約などの詳細は全て中に入っておりますのでご安心下さい」
「ありがとうございます」
不貞腐れた俺は、社交辞令でお礼を言って受け取る大和を置いて、会場から離れる。こうなるって知ってたら墓参りに行って願掛けしたのに。
「悪かった」
「たこ焼きパーティーパック三つ」
左手で三を作って大和の顔の前に出す。
「喜んで。そんで、これどうすんだ?」
貰った封筒をヒラヒラと俺の目の前で揺らす大和は、面倒事を抱え込んだような顔をした。
「行くに決まってんだろ!予約とか面倒なのは全部大和がやれよ。飯はバイキングとか、なんかしらの食べ放題が第一希望な」
「待て、俺等が行くんか?」
今更な事を聞く大和に息を吐く。
「当たったの知ってんの俺等だけだし。他に教えたら面倒じゃん。日にちは早めに決めろよ。予定入れて行けないとかになったら嫌だからな。勿体無い」
「……マジか」
「パーティーパックって味変できたっけ?」
「はぁ。色気ねぇなぁ(意識してんの俺だけじゃねぇか)」
無料で温泉は嬉しいはずなのに、隣の大和は頭を抱えて携帯を弄りだす。目の前の携帯を取り上げて、携帯を掴んだ手の人差し指で大和を指して軽く睨む。
「ながら行動禁止。手荒いうがいをするのと同じくらい基本的な事だろうが。ちゃんと守れ」
言うだけ言って大和の手に携帯を戻すと、戻した俺の手を携帯ごと軽く捕まれて衣類売り場を顎で指される。
「取り敢えず、たこ焼きは着替えてからにしねぇ?」
言われてから、自分達が制服だと思い出す。制服だと周りの目があるから自由に動き難いかもな。でもここでカレーの賞金を使うのは嫌だ。
「金は俺が払うから気にすんな」
大和の言葉に悪い俺が顔を出す。
「じゃあ、旅行の着替えと鞄も買ってくれ。俺の家から大和の家に何かしら持ってくと家族に問い詰められるだろ。最初から大和の家に用意しとけば、そういった面倒事避けられるじゃん。前日から大和の家に泊まれば待ち合わせの手間も無いし」
「待て待て待て」
大和の右手が俺の口を塞いで喋る事を遮る。やっぱり厚かましかったか。良い作戦だと思ったんたけどなぁ。兄貴が絡んできたら、姉貴の力を借りるしかねぇ。つか、そもそも旅行をどう隠して大和の家に泊まりに行くんだ、俺。
「作戦考えんの幸慈に頼もうかな」
「誰が駄目っつったよ(また幸慈かよ。気に食わねぇな)」
「大和の家泊まる場合、幸慈の家に泊まるって家族に嘘吐こうか悩んでたんだよ。大和が絡むと何でか家族皆うるさくて。幸慈なら話合わせてくれそうだし」
「素直に俺の家に泊まるって言っとけ(俺、雅の家族にどう思われてんだ)」
「まぁ、変な作戦立てるよりは白状した方が良いのかもなぁ。言うのは家出る直前にするけどな!」
「雅の家に行くの怖くなってきたわ」
「大丈夫、大丈夫。白井家は暢気だから。早く服見よーぜ」
この時、軽い足取りで衣類売り場を目指す俺の気持ちとは裏腹に、大和が男としての意地と戦っていたと知ったのは、大分先の事だった。
服は何でも良いからと大和に任せて鞄を選ぶ。旅行ったって一泊だし、そこまで大きいのは要らないか。でも二人分を一つの鞄に入れた方が荷物は少なくて済む。多分電車だろうから、かさばっても平気そうな形が良いんだろうけど。そもそも、かさばらない鞄ってあんのか?
「鞄ならデカイの家にあっから、財布とか貴重品入れるやつだけにしとけよ」
「へーい」
だったら買わなくても良いか。棚の上に視線を向けると、一つの鞄に目が止まる。大き過ぎず小さすぎないサイズが俺好み。色も黒で雨にも強そうだ。取ろうと手を伸ばすとギリギリ届かなかった。うん、諦めよう。気に入った物はいつも砂みたいにサラサラ俺の手から流れて、残った微かな砂は傷跡みたいに俺を嘲笑う。そのせいか、諦めるのも上手くなった。
「これか?」
あっさりと大和の手に捕まれた鞄は、簡単に俺の手の中に落ちてくる。
「無理して取ろうとかすんな。言えば取ってやるから」
砂じゃない。何だろう。このむず痒さは。
「ありがと」
「あぁ(なんだ?スゲー素直。この鞄そんなに欲しかったのか?あー、可愛いなぁ、くそ)」
鞄のファスナーを開けて内ポケットを確認する。五ヵ所もあんじゃん!見た目よりも沢山入りそうな機能的リュックを本格的に気に入った俺は、両手に持ったまま歩き出す。
「(やっぱ欲しかったんか)かご入れろよ」
「ん?んー」
手の中の鞄を見て、すぐに手放すのが寂しく感じた。
「もう少し」
変だ。いつもなら迷わずかごに入れるのに。今日はそれが出来なかった。子供がぬいぐるみを手放せないのと同じ現象が、自分の身に起こってる気がして、少しだけ照れ臭いけど、不思議と嫌じゃない。歩いていると、足元に違和感を感じて視線を落とす。右靴の紐が切れているのを見つけて、不幸が襲ってきたと息を吐く。
「大和のせいだ」
「何でだよ」
「一等当てるから」
「当てたから鞄見付かったんだろ」
「比率があわない」
「何のだよ」
靴売り場を探して左側の奥に見つけたけど、会計が別みたいだった。一旦衣類と鞄を会計した後で靴売り場に向かう事にする。
「ほれ」
「ん?」
「上着、これに変えろ。上着変えるだけでも、制服目立ちは消えるから」
「へぇ。確かにズボンで学校を判断するのは難しいな。女子ならスカートの柄でバレるけど」
大和に言われてブレザーとネクタイを外して、スウェット生地の黒いジャケットを羽織る。ジャケットの入っていた袋に、ブレザーとネクタイを入れて大和に渡す。グレーのパーカーに着替えた大和も、自分のブレザーとネクタイを袋に入れる。
「さて、靴買いに行くか」
「おー」
靴はまだ履けるし、紐だけ買えば問題ない。たこ焼きパーティーパックまでもう少し。紐が切れただけで歩きにくくなるのは意外だったけど、数メートルなら何の問題もなく歩けた。靴売り場に入ると、大和が俺の履いてる靴のメーカーの前で足を止める。靴を買うとか言い出したら面倒だと思って、靴紐コーナーに足を向けると、右腕を捕まれて靴裏を見るように言われた。仕方なく靴裏を見ると、予想以上にすり減っていて驚く。こんなに無くなるもんなんだな、なんて感心する俺の足元に、似たデザインの靴が置かれた。
「買うだろ」
大和の言葉に不服ながらも頷く。靴を脱いで、足元に置かれた真新しい靴へと足を入れる。両足を履き替えて棚の周りを一周歩く。
「どうだ?」
「悪くない」
今履いてる靴より軽くて疲れないとも思ったけど、大和の選んだ靴ってのもあって、そこまで言うのは止めた。
「雅の場合はメーカーが決まってっから探しやすいわ」
薫は靴一足決めるにも大騒ぎだからな。まぁ、あれはあれで楽しかったから良いけど。靴を履き替えて試着した靴を大和に渡す。大和はいくつもある箱の中から、俺が試着した靴と同じのが入ってる物を見つけ出して、当然の様にレジへ持っていく。いやいや、靴位は自分で買うって。慌てて立ち上がった俺は、紐が切れているのを忘れて思い切り踏み出す。当然躓いた俺は転びそうな勢いのまま、どうにか片足で踏ん張って大和の背中に掴まる。
「はっ、おもしれー事になってんぞ。写真撮ってやろうか?」
「断る」
体制を立て直した俺を大和は楽しそうに見てくる。ムカつく。レジで金を出そうと財布を出すと、それを取られて俺は払う事が出来なくなった。泥棒って大声で叫んだら返ってくるかな。
「大和、何で学校行かねーの」
「今更な事聞いてんじゃねぇよ」
確かに。
「雅が居ねぇのに行ったところで意味なんてねぇし。雅こそ何でサボってんだ?」
「んー、なんか、男心?」
「んだそれ?」
茜の元婚約者から相談を持ち込まれた事を大和に話すと、呆れた顔をされた。あんな事の後で普通に話し掛けてくる図太さとか、そんな女を好きな男がいる事に、この世の七不思議を感じたのは言わないでおく。そんな七不思議に付き合う俺って優しいよなぁ。
「茜の話ばっかり、ねぇ」
「何で俺を見るんだよ」
「別に(自分も死んだ男の事ばっかり考えてるくせに)」
大和の馬鹿にするような視線に苛立ちながら、靴売り場の近くにある椅子に座って、買った靴に履き替え紐を締め直す。
「貸してみ」
大和は俺の手から紐を取って、慣れた手付きで紐を結ぶ。俺よりも手際が良い。本当、ムカつく。
「なんか、嫌な事でもあったか?」
俺の質問に大和は手を止めて顔を上げる。
「何でそう思う?」
「廊下で俺に上履き履かせた時、良い事あったか聞いたら、逆って言ってただろ」
「よく覚えてんなぁ」
考え過ぎだとは思うけど、知らない所で嫌な思いさせてたら嫌だし。こんなんでも、薫の友達だもんな。ちゃんとしないと。靴の紐を結び終わった大和は、立ち上がって荷物を持ち直す。
「なぁ、雅」
「ん?」
「家に来いよ。角煮作ってやるから」
「おー!行く!どんぶり山盛りだからな!」
「おう。解ってる」
俺の頭を三回撫でた大和は何でか楽しそうに笑った。楽しい事があったようには見えない。靴紐を結ぶのが好きって人間は居ないだろうし。居てもごく少人数。何が大和を笑顔にしてるんだ?それが解ったら、俺も笑顔になるのかな。昔の自分の方が、ずっと素直に笑えてた気がする。何で、こんなにひねくれたかねぇ。立ち上がった俺は、履き心地の良い新しい靴を、少しでも長く履いていられたらと思った。
大和が買った肉の量に店員が驚いた顔をしたのは、予測していても実際に見ると面白くてこっそり笑う。何だか大荷物になったな、なんて暢気に考える俺に、タクシーを使うと言ってきた大和は高校生らしくないと思った。学校サボってタクシー乗るとは思わないよな、普通。株で一生困らない位に稼いだとは言ってたけど、俺の物を買ってたらすぐに貯金なんか無くなるんじゃないか。今回は旅行の事があるから、買ってもらえたのは助かったけど、これを当たり前にするのは嫌だ。タクシーに乗り込む姿を見て、俺と同じ金銭感覚なんて持ち合わせていないだろうな、と思って息を吐く。タクシーに最後に乗ったのはいつだったかな。自転車とか交通機関を使うのが殆どの俺としては、千秋の送迎すら未だに断る事がある。車で簡単に目的地に行くのは楽だろうけど、俺はそれがつまらない。通り過ぎる景色の中に、何か知らないものが混ざっていたら、それを知りたいと思う。だから千秋の車にはあまり乗らない。すぐにそこへ行けるように、出来るだけ自分の足で、日々を歩いて行く。
二度と来ないと決めていた場所で、平然とたこ焼きを食べる俺は、単細胞並みの馬鹿だと思う。台所から漂う匂いが俺の胃を刺激して、たこ焼きの味に興味が無くなってきた頃、大和が隣の部屋からキャリーケースを持ってきた。二人分なら余裕で入るサイズに、デカ過ぎないか、とも思ったけど、色々用意してもらう立場の人間は黙るのが一番、と、理解して、たこ焼きの最後の一個を口に入れる。キャリーケースは葵が昔家出してきた時に、宿泊料金の代わりとして大和にあげたものらしい。どんだけの荷物を持って家出してきたのかと呆れて息を吐く。持ってきたものはどうしたんだろう。本当、あの双子は正反対だな。いや、そうでもないか。どっちも初恋だし、大事にし過ぎて距離置かれてるって悩んでたとか、千秋が言ってたっけ。あんな面倒なのに好かれなくて良かった。特に茜のストーカー癖はマジで怖い。それを知ってて平然と過ごしてる幸慈の精神力と言うか、割り切り力は尊敬する。俺には絶対に出来ない。即効警察駆け込むわ。それに、双子ったって、個人にかわり無いんだし。違って当たり前だよな。
「交流試合は順調か?」
「おう。あそこで煮込まれてる肉並みに順調だ」
「それは何より(雅のピアノが聴けるなら何でも良いけどな)」
屋上での出来事を思い出して目を細める。
「神川様のクラスは退屈そうですわねー」
わざとあの女の言葉を真似ると少し睨まれた。
「悪い遊び覚えやがって」
大和の言葉に軽く笑い声を漏らす。
「人の名前に様とか付けねぇよな。営業の挨拶周りじゃねぇんだからさ。外人かと思った。様付けるほど立派じゃねぇのになぁ」
笑いながら言うと大和は黙り込んだ。落ち込んだと言うよりは、何かを考えてる感じに見える。
「雅のクラスは楽しそうで良いな」
「やっぱ特進退屈なんだ」
「干からびそう」
大和の言葉にまた笑う。
「こっちは、まぁ、飽きないな。毎回誰かしら何かをやらかすし。実ちゃんは俺達をちゃんと見てくれるから、何かを溜め込む前にバレるな。でも、それに皆救われてる」
「雅は年上好きだからな」
どんなイメージだよ。
「年下もいたっつーの」
「恋多すぎだろ。浮気者だなぁ、雅は」
そもそも大和に会う前の話じゃん。
「浮気する関係すら持ち合わせてねぇよ。なのに神川様は問題事ばっかり起こしてくれて。悲しすぎて涙も枯れたわ」
「悲しんでる様には見えねぇけどな」
「いやいや」
俺はソファーから腰を上げて大和の前に移動する。
「よく見ろって、今にも泣きそうなこの目」
しゃがんで左手の人差し指で左目を指す。大和は少し俺の顔を見てから小さく笑う。
「可愛いな」
くだらない言葉に頭痛がした。
「神川様、本当はめちゃくちゃ馬鹿だろ」
「失礼な事しか言えねぇのか?」
「失礼な事を言われないようにするのも大事だと思わねぇ?」
「なら、神川様、は止めろ」
「えー」
つまらないけど、本人がマジで嫌なら止めるしかないか。
「千秋も平様って呼ばれてたりして」
「おう。呼ばれてんぞ」
「ぶっは、マジか!」
少し笑って、なんとなく思った疑問を口にする。
「じゃあ、何で俺は呼び捨て?」
「敵だからだろ」
楽しげに言う大和を軽く睨んで息を吐く。
「最初から俺だけ目の敵とか酷い話だよな。親の仇みたいな顔してたぜ」
「ははっ、違いねぇ」
「いや、殺してねぇから」
「知ってる」
大和は宥めるように俺の頭を撫で、立ち上がってたこ焼きの入ってた箱を片し始める。片せ、と、言うのは簡単で、自分の家のルールを客に求めるのも仕方ないと思う。でも、大和はそれをしない。旅行だって俺の我が儘みたいなもんなのに、全部用意してくれてる。好きってだけで、こんなに優しく出来るもんなの?先生のくれた優しいと、大和のくれる優しくは違う。でも、どう違うのかが解らない。解りたくない、と言えば臆病者扱いされるかな。それでも、俺は大和を、同じ様には好きに慣れない。
『同じ様に愛する必要はない。私と妻の愛の形があったように、私と誰かの愛の形がある。それを育んでいくだけだ』
あの時の言葉を思い出す。俺にも、そんな時が来るのかな。あの時間に愛があって、その形すら解らないままの俺に。次の形を育むなんて日が、いつか来るのかな。でも、先生の事は、誰が覚えててくれるんだ?居ないことが当たり前に過ぎる毎日の中で、俺だけが覚えているかもしれない存在を、笑顔を、下手くそな愛を。愛したまま、他の誰かを愛するなんて、俺には出来ない。出来ないよ、先生。微かに耳に届いた雨の音に窓の外を見る。まるで先生が泣いてるみたいだ。やっぱり墓参りに行けば良かった。願い事がなくても、理由がなくても、行けば少しは満たされたかもしれない。不意に顔を出す虚しさが、夏を求めるように膨れ出す。
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