カフェオレはありますか?:second

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 光臣は檜山の保護者と母さんに連れられて、早朝から市役所に行っている。その為、久々に一人で学校の支度を進めていると、玄関のチャイムが鳴って息を吐く。面倒なのでしばらく放っておくと、再度チャイムの音が家に響いた。チャイムの主が解るからこそ、出ることはせずにいつも通り過ごす。口内に広がるコーヒーの香りに一息吐き出すと、リビングの窓ガラスがノックされた。何も知らない人間がこの場に居たら、すぐに警察を呼んでるだろうな。現状は保護者に監視されてる為、借りているマンションにも行けず、学校の外で待ち伏せするのも叶わない今、学校の校門を一歩入った所で待っているのが恒例になりつつあった。が、何故か今日は家に迎えに来ている。早めに保護者が出たこともあり、隙を見て迎えに来たんだろう。保護者が家の鍵を変えてくれたお陰で、合鍵が使えなくなった為、律儀にインターホンを押した様だが、窓をノックする教育はどこから出てきたんだ。空になったコーヒーカップを洗ってブレザーを羽織る。もう少しゆっくりしたいが、近所の目を考え学校へ行くことにした。リビングの電気を消して、鞄を肩にかけ靴を履き、チェーンをした状態で玄関のドアをそっと開ける。すぐにドアへ手を掛けた不審者は、チェーンが壊れそうな位ギリギリまでドアを開き、顔を覗かせだらしなく笑う。何がそんなに楽しいのか俺には理解できない。出来るのはアホな顔に溜め息を吐くことだけ。朝っぱらから疲れる事をしないで欲しい。
「何をしてるんだ」
「おはよう幸!今日もキラキラ輝いててメチャクチャ良い男だね!」
 幼稚な発言のせいか誉められてる気がしない。檜山が言うから軽々しく聞こえる様な気もするが、面倒なので深くは考えない事にした。
「で?」
「久々に一緒に登校したいなーって」
「一人で行け」
 玄関のドアを閉めようと力を入れる俺を引き留めようと、檜山もドアに掛ける手に力を入れる。
「いやいやいやいや、今学校で恐ろしい噂が流れてるんだから、それを払拭しないと!」
「俺には関係ない」
「聞く前から否定するのは良くないってば!」
 これ、話す気満々だな。
「長くなるから入って良い?」
「断る。出るから手放せ」
「はーい」
 中に入れたら確実に光臣の事がバレる。今更になって、光臣の靴がないことに安堵した。一度ドアを閉めて、深呼吸をする。二人だけで話すのは久々だな。チェーンを外して嫌々ドアを開けると、待ってましたと言わんばかりに抱き付いてきた重さに息を吐く。鍵を掛けると、合鍵を作ろうと伸びてきた手に呆れて肩を落とす。何も学んでないな。手を叩き落として鍵をブレザーの内ポケットに入れる。
「そんな魅力的な場所にしまうなんて。誘惑されてる?」
「海の向こうに細やか程度しかなかった脳味噌全部置いてきただろ」
「ちゃんとあるよ!大和と同じ事言わないでよね!」
 神川がそう思うなら尚更じゃないか。
「で、噂の事だけど」
「聞かないと駄目か?」
「駄目」
 真顔で話し出す檜山に溜め息を飲み込み、ゆっくりと足を動かす。今日の通学時間は長そうだな。
 結果、檜山が言う噂は大したことなかった。俺と檜山が一緒に登下校しない事や、今までよりも離れて行動する事が増えた、といった内容の話が広まり、喧嘩してるとか、別れるまで秒読みとか、どうでも良い内容で、無駄に疲れただけに終わる。英単語を覚えるのに使った方が断然有意義だった。
「一ミリも関係ない」
「あるから!」
「どこがだ。そもそも付き合っても無いのに、それが前提として話が進んでる方が不愉快だ」
 以前教室にラブレターとやらを届けにきた生徒の発言で、俺と檜山が恋人同士だという話が、俺の知らない所で出来上がってることを知ったというのに、今度は別れ話とは。空想で時間潰しをするほど学校の生徒は暇なんだな。勉学というのは、どの時代に置き去りにされてしまったんだろうか。勉学に対して余裕だから噂話が出来るという可能性もあるが、これに関しては関係ないだろうな。どちらにせよ、他人の噂話で暇潰しをするほどの暇人の集まりだという事は解った。
「朝から心を抉る事は言わないで下さい」
「二本の足で歩いてる間は平気だろ」
「何その平気基準!」
 しばらく静かな時間を送っていたせいか、檜山が朝から騒がしいといった事に対する免疫が、全くと言って良いほど無くなっている事に頭を抱えた。免疫が無いのも問題だな。風邪と違うから免疫と表現するのも妙な気もするが、他に表現が見当たらない。
「俺がどんなに寂しい休日を過ごしたか知らないから言えるんだ」
 そんなものに興味ない。泣き真似をする檜山を無視して足を進めていると、右腕を引かれて前に進むことを止められる。前にも経験したことが有りそうな状況に、眉をしかめて後ろを振り向く。泣き真似とは縁の無い、真剣な表現に肩を落とす。面倒な事は言うなよ。
「両親に言ってきたよ」
 言う?何を?嫌だな。面倒な予感しかしない。
「男を好きになったって」
 爆弾発言にも程がある。何を考えてそんな発言を親にしてきたのか、俺には理解が出来ない。したくも考えたくもないのが本音だが、今は面倒事以上の発言に頭が回らなかった。どんな反応をされるかなんてすぐに想像が出来る。
「まぁ、驚かれたけど」
 驚くなんてものじゃない。両親との間に亀裂が入る程の発言だ。
「母親の国では受け入れられてるらしいから、父親の脳味噌がパンクしてた位かな」
 頼んでもないのに事細かな説明を始める檜山の言葉に頭痛がする。そんなことを言わなければ、父親も冷静でいられただろうに。俺のせいだとか言われて、訴訟を起こされたらどうしよう。
「幸はどうしたい?」
 とりあえず、右腕を解放してほしい。
「俺と、どうなりたい?」
 俺がどうなりたいかを伝えた所で、それを叶えてくれるとは思えない。そう思うだけで口にするのは無駄だ。俺は腕時計を見て目を細める。
「今は遅刻を回避したい」
「ミーちゃんが居ると話が出来ないから迎えに来たのに」
 それは自業自得だろ。
「話なら出来てるだろ」
 未来が間に入ってくるから、今みたいにはいかないが。そんな未来を鹿沼も楽しそうに見てる事もあって、檜山の味方は今のところゼロだ。いや、悲しい事に母さんだけが、檜山の味方をしているかもしれない。次はいつ遊びに来るのか何度も聞かれて、その度に頭を抱えるのも日課になりつつある。
「大事な話は出来ないじゃん」
 大事件過ぎて話したくもない。
「そんな話ないだろ」
「あるよ」
 俺の耳に届く頃には掴まれた腕を引っ張られ、早足に歩く背中を追わざるおえない状況に持ち込まれた。俺の歩幅を考えて歩け。迷い無く動いていた足を止めた檜山は、何かを思い出したように俺を見て間抜けな顔をした後、また足を動かす。俺に合わせて歩いてる。どのタイミングで何を思い出したのかは知らないが、転ぶ心配が必要無くなってホッとした。どこまで行くのかと黙って歩いていると、見慣れた建物が続く事に気が付いて、檜山がコーヒーゼリーを落とした公園へと、向かっているんだと気付く。急がないと遅刻するじゃないか。今日は自転車じゃないんだぞ。すれ違う人の視線が痛い。それもそのはずだ。学校の制服を見れば、校舎とは反対方向に歩いているのが一目で理解できる。不良生徒として警察に連行されたら嫌だな。この手を振りほどきたい。どうすれば今すぐ学校へ行けるだろうか。悩む俺を無視して、足は公園へと入っていく。
「あの日の事、ちゃんと話したい」
 背中を向けたまま言われた言葉に眉をしかめて足を止める。あの日、とは、檜山が何番目かの恋人に死ねと言った日の事。思い出すだけでも吐き気がする。
には関係ない」
 掴まれてる腕を引っ張るが、拘束は解いてもらえそうにない。振り返った顔は、思ったより冷静に見えた。
じゃなくて、だよ。幸」
 まるで子供を諭すような言い方が気に入らない。何だって良いだろ。自分をどう言おうが、檜山には関係ない。
「不愉快だ。話したくないって言ってるだろ」
「どうでも良かったら、そんなに怒らないよね」
 どうでも良くないさ。俺なんかを選んでるから、知らない誰かがこれからも傷ついて、今度こそ死ぬかもしれない。それを思うだけで怖くて堪らないのに。なのに、それが怖いと知られる方がずっと嫌だなんて、そんな身勝手知られてたまるか。
「怒ってない」
 離れろ。離れてくれよ。
檜山オマエなんかどうでも良い」
 逃げたくて口から零れた言葉に、檜山の表情が苛立ちに染まる。怒れ。呆れろ。こんな汚れまみれの人間なんか、捨ててくれ。
「逃げるなよ!」
 強く鼓膜を揺らす言葉に肩が跳ねる。
「お願いだから逃げないで。俺を拒絶しないでよ。お願いだから」
 その顔が嫌なんだ。全部俺が悪いみたいに思わせるその顔が、すごく嫌で堪らない。でも、俺を悪者にする事で檜山が離れていってくれるなら、それで構わないとも思う。そこまで考えて、最初から悪者でしかなかったんだと思い出す。最初からずっと、俺が悪いんじゃないか。
「自分は何人も拒絶しておいて、僕にするなって言うのか?」
 今までの恋人だった相手全員を拒絶したくせに、自分が拒絶されるのは嫌なんて。
「身勝手にも程がある」
 本当、身勝手にも程がある。悪者になりたくて、嫌われたくて、そう願って口にする言葉は、まるで自分に針を刺している様で自嘲に笑う。
「本当、困っちゃうよね」
 檜山は俺の左肩に額を乗せて、すがるように両手で俺の二の腕をそれぞれ掴む。服越しでも、震えてるのが解る。
「俺の為に突き放す事を言うのはどんな気分?楽しい?悲しい?少しでも心が痛いって思う?」
 楽しくなんかない。悲しくも痛くもない。ただ、虚しいだけだ。
「たった一言だよ、幸。たった一言」
 顔を上げて見えた、弱々しく揺れる瞳に、足が重くなる。まるで底無し沼に沈んでいくみたいだ。耳を塞いで、檜山に関する全てを放棄したいのに、それが叶わない。檜山が望む一言を知りたくないのに、目の前の瞳から逃げられないのは何でだ。
「ねぇ、幸。どうして、好きって言ってくれないの?」
 息が止まる。酸素が欲しいのに、口を開くことが出来ない。知らないはずなのに、何故か知っている様な気がする。同じ様な事を、言った気がするのに、それがいつなのか思い出せない。
「好きでもない相手に言うことじゃない」
 やっと吐き出した言葉は否定だった。
「嘘」
「嘘じゃない」
「嘘!」
 好きでもない、という言葉を否定する様に、檜山は声を張り上げる。
「幸の言葉は嘘ばっかり。俺から離れる事しか考えてない。何で?ねぇ、何で?」
 檜山がダメになるからだと言っても、信じてもらえそうもない。それに、俺が原因でダメになるなら本望だと言って喜びそうだ。実際は、離れると言うよりも、丁度良い距離を探してると言った方が正しい気もする。なら、それを素直に伝えれば良いだけだ。なのに、それが言えない。
『幸のせいだろ』
 脳裏を走った声に血の気が引く。何で今なんだ。何も関係ないじゃないか。檜山の前でばかり止めてくれ。これ以上傷付けるのは嫌なんだ。俯いてきつく目を閉じてやり過ごそうとするが、すぐには去ってくれない。
「おいで」
 俺の変化に気が付いた檜山は、そっと手を引いて俺をベンチへ促す。気付かれて当然か。本当、ダサいな。
「俺、何かダメな言葉言った?」
 檜山の言葉に頭を動かして違うと伝えるが、自分ですら説得力を感じなかった。
「少し、思い出しただけだ」
「きっかけは?」
「わからない」
 ゆっくりと息をして、歪みそうになる視界を整える。きっかけが解れば苦労しない。
『幸のせいで、父さんは母さんと居られないんだよ』
 遠くに聞こえる、優しく諭すような残酷な言葉。全部俺のせいなら、何で中途半端に優しくしたんだ。捨ててくれて良かったのに。愛してくれなくても平気だとやり過ごす自信もあった。俺を選んでくれなくて良いんだ。でも、でも……。
『「母さんを捨てないで」』
 口からこぼれた言葉に、自分でも信じられないと、右手を口に当てる。今のは俺の声だ。でも、何であんな事を言う必要があったのか思い出せない。なのに、目から涙が溢れ出す。自分で拭く前に、檜山の両手が頬に触れ、親指が涙を拭いていく。指の動きに檜山の体を押し返す。突き放そうとする俺の体を、檜山が抱き締めてくる。
「良い子良い子」
 背中を撫でながら、囁かれる言葉に瞬きを繰り返す。何で今こんな事を言われているのか解らない。もう一度檜山の体を押し返して、うつ向きながら息を吐く。
「良い子じゃない。思い出せないが、色々とやらかしてるし」
「それ、思い出さないと駄目?」
 顔を上げると、不機嫌な顔とぶつかった。檜山の右手が俺の左頬に触れる。涙は止まっていた。不貞腐れながら、目元に残った涙を拭う姿は、なんだかこの場所には不釣り合いに思えてしまう。
「不機嫌そうだな。何が不満なんだ?」
「だぁって、幸の昔って俺居ないじゃん」
 頬を膨らませて不満を口にする姿と言葉に、何故か笑ってしまった。
「はっ、何だそれ。はは、ははは、子供かよ」
「子供で良いよ」
 俺の頬に触れたままの手が、ひんやりしていて少し気持ちが良い。
「幸が笑ってくれるなら、子供で良い」
「オマエは俺に甘すぎだ」
 腕時計に目を落として息を吐く。遅刻だな。せっかく早く家を出たのに。開き直ってコンビニにコーヒーでも買いにいくか。立ち上がって鞄を肩に掛け直すと、右腕を檜山に引かれる。
「もう一回」
「ん?」
「言い直して」
 言い直す。何を?何の事を言っているのか解らない俺は、素直に檜山に聞き返す。檜山はさっきみたいに頬を膨らませて俺を見る。
「オマエじゃないです」
 そんな些細なことで不貞腐れるな、面倒臭い。
「不貞腐れるなら、遅刻の御詫びにコーヒー買うくらいしたらどうだ?」
「学校行くの!?」
「行くに決まってるだろ」
「えー」
 心底嫌な顔をするな。学生にとって大事な事だろ。盛大に項垂れる姿に、息を吐き出したいのはこっちだと言ってやりたい。
「嫌なら休めば良いだろ」
「一緒に休んでくれる?」
「断る」
「うぅー」
 唸るな。子供だったり犬だったり忙しいやつ。
「どうしたいんだよ」
 さっき檜山が俺に聞いてきた言葉を、今度は自分が口にしている。それが不思議で、何故かむず痒い。
「幸と一緒が良い」
「じゃあ学校だな」
「えー」
 嫌がるな。どこまで子供に戻るつもりだ。一緒が良いって言ったのは自分だろう。
「ほら、行くぞ」
 そう言ってから、一緒が良い、を、許してしまっている自分に気付く。
「うぅー」
 俺の右腕を掴んだまま立ち上がった檜山は、いっこうに歩こうとしない。埒が明かないな。
「茜くん」
 名前を呼んだだけで、檜山は目を輝かせて俺を見る。
「もう一回!」
 またか。
「ほら」
「違う!」
「行くぞ」
「違う!」
 前にもこんなやり取りをしたな。それを思うだけで、笑えてしまう。
「はは。茜くん」
 俺と向かい合うように立った檜山は、頬を染めて嬉しいと全身で伝えてくるみたいに、両手を繋いでくる。
「うん!」
 本当、この笑顔には敵わない。
「ねぇ、幸」
 いつの間にか、檜山に幸と呼ばれることに慣れてしまった。
「ん?」
「スッゴイ好き!」
 知ってる。改めて言わないでほしい。答えられない事への罪悪感が強くなるじゃないか。
「幸は?ねぇ、幸は?」
 この子供をどうやって手放そう。どうやったら放れる?留学から帰ってきたら、この関係は終わってるだろうか。
「嫌いじゃない……のかな」
「曖昧。それ、好きと違うの?」
「子供の茜くんには解らないさ」
「えー!」
 いつまでも学校へ行こうとしない檜山の左手を引いて歩き出す。何も言わずに付いてくるのを足音で確認する。こうして俺が檜山の手を引いて歩くのは、初めての様な気がしたが、深く考える事じゃないと判断した。これで俺の歩幅を覚えてくれれば、転ぶ心配はしなくて済むんだけどな。公園から出て、もう大丈夫だろうと思って手を離すと、その手を檜山が掴んできた。
「学校までこれが良い」
「これ?」
 左手は繋いだ俺との手を軽く左右に揺らす。学校まで繋いで歩くのか。痛いだけにしか思えない。だが頷かないと学校へは行かせてくれなさそうだ。
「近くのコンビニまでな」
「はーい」
「コーヒー買えよ」
「喜んで」
 条件付きでもう少し付き合う事にした。さっきとは違って隣を歩く檜山は上機嫌だが、こういう状況の時はあまり良いことがない。面倒な事になる前に学校に到着したいものだ。
 何も起こらないようにと願った矢先、コンビニの前でたむろする不良に絡まれて肩を落とす事になった。コンビニの中に入ってやり過ごしたいと意見すると、何故か檜山は別のコンビニが良いとワガママを言い出し、それが不良を集める結果となり息を吐く。普通に学校に行きたいだけなのに。
「茜くんの馬鹿」
「ごめんなさい。でも、あのコンビニは駄目」
「コンビニはどこも同じだろう」
「違うんだよねー、これが」
 檜山の言葉を聞きながら、俺達を取り囲むように立つ、十人くらいの不良を見回して息を吐く。
「この状況よりはマシだと思う」
「それは、本当にごめんなさい」
 俺は住宅のブロック塀に背中を預け、腕を組み時計を見る。
「一分以上は待たない」
「はーい」
 檜山は自分の鞄を地面に置いて、それを合図に喧嘩が始まった。相手の制服は前にも見たことがあるな。まぁ、学校の数は限られてるから、見慣れててもおかしくないか。毎日同じ時間の電車の車輌に乗れば、見慣れた乗客ばかりになるのと似た感覚だろうな。光臣は歩いて通学すると行っていたが、天気によってはバス等の交通機関を使った方が良いかもしれない。今度光臣に確認しておいた方が良いな。腕時計の秒針が三十五秒経過した所で、影が射す。
「ゆーき」
 名前を呼ばれて顔を上げると、檜山の顔が近くにあった。目だけで左右を確認すると、喧嘩は終わったらしく、社会の生み出した問題児は地面に寝ている。
「日頃の行いは悪くないはずなんだが」
「もちろん!幸以上の良い子は居ないよ!」
「お守りのせいか」
「俺のせいみたいに聞こえるのは何で?」
「何でだろうな」
「何ででしょう」
 滝修行まではいかないが、厄除けの有名な神社やお寺を調べたくなった。雅と行ってこようかな。鞄を拾う檜山の横を通り抜け、どこのコンビニに行こうとしているのか聞いた。場所を聞いて、遠回りをする事になると判断した俺は頭を軽く掻く。本気で学校に行きたくないのはよく解った。だったら高校受験なんてしなければ良かったのに。まぁ、保護者の性格上それを許すとも思えないが。
「オジィとどんな会話してるの?」
 聞きながら、檜山は左手で俺の右手を握ってきた。あぁ、コンビニまでだったな。保護者と俺のやり取りに興味を持った所で、良いことはないと思う。
「クレーム」
「ホント止めて、それ。オジィ怒ると凄い怖いんだからね。般若だよ、般若」
 青ざめた顔で何を言っているんだか。人間が般若になるわけないだろ。まぁ、怖いから言われた事には従うってのは、教育として成功してると言えるのかもな。
「クレームになることしてるのは本当だろ。今日も遅刻だし、喧嘩巻き込まれるしで災難だ」
「だって!あのコンビニは幸に色目使うから嫌なんだよ!」
 何を言っているんだ檜山コイツは。
「接客業なんだから、愛想良くしてくるのは仕方ないだろ」
 俺だってバイトをしていた時は、毎回愛想笑いしてたし。
「良くない!」
 檜山と買い物に行く度に、毎回同じことを言われ続けるのか、と思うだけで疲労と頭痛が襲ってくる。
「檜山とは登下校しない」
「何で!?」
「面倒」
「愛だよ!」
「要らん」
 騒ぎ出した檜山の説得を背中に受けながら足を動かす。コーヒーは諦めよう。そもそも絶対に飲みたいわけでもないし。取り敢えず何かを食べれば、未来に睨まれなくて済むってだけの為に買ってる様な物だ。あってもなくても問題ない。一日小言を聞き流せば済むし。
「幸、そっちじゃないよ」
 俺の右手を引っ張り、コンビニがある方へ連れ行こうとする。
「コンビニは寄らない。寄ってたら一時間目始まるだろ」
「真面目すぎって言われない?」
「遅刻する人間を真面目なんて誰も言わないだろ」
「(それは俺のせいだから罪悪感はあるけど、それを抜きにしたって、真面目すぎる。自分の事なんだよ、幸。他人じゃなくて、自分なんだよ)」
 涼しいと感じる風が髪を扇ぐ。空にはまだ、夏特有の雲は一つもない。けど、雨が降り出せばすぐに季節は変わるだろう。政治家の衣替えがニュースに取り上げられるのも時間の問題。夏は嫌いだ、と、言いたいが、基本的に好きな季節はないし、嫌いな季節もない。生きている上で仕方のないものだと、そう割り切ってしまえばやり過ごせるものだ。寝て起きてを繰り返すだけで、時間も季節も過ぎていく。簡単な事に、何故周囲の人間は意味を求めるのか理解が出来ない。干ばつが続いて不作になるのも、雨が降りすぎて作物が腐るのも仕方がない事なのに。作物は動き回れない分、人間よりも生き抜くのは大変だろう。でも、それだけの事でしかない。たったそれだけの事なんだ。最初から機械やロボットとして生まれたかった。そうすれば、何も考えずに生きていけただろう。俺の手を取るこの温もりを、感じることなく壊れていくことが出来たのに。
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