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ファーガソン公爵のフィアンセは、…
しおりを挟む国王ライオネル・ベイル陛下と相談を終え、ファーガソン公爵は、ずっと抱えていた悩みが少しだけ軽くなったのを感じていた。
「……思い切って相談してみたが……良かったな」
首筋のレベッカがつけたキスマークを気にしつつ、自分の部屋に戻る。
目の前には、主人の帰りを待つ執事長が、見たこともないほどの暗い顔で立っていた。
「旦那様、折り入ってお話がございます……。一度、お屋敷へお戻りいただけないでしょうか」
差し出された報告書に目を通した瞬間、公爵の顔から血の気が引いた。
そこには、婚約者のクリスタが「次期公爵夫人」という立場を利用して、取り巻きの貴族たちと派手なパーティーを開き、湯水のようにお金を使っている様子がびっしりと記されていたのだ。
「……クリスタが、こんなことを?」
驚きはすぐに、激しい怒りへと変わった。
自分が王都で必死に働いている間に、彼女は公爵家の名に泥を塗っていたのだ。
「すぐに馬車を出せ! いや、自分の馬で今すぐ帰る!」
公爵は、執事長が止める間もなく、嵐のような勢いで部屋を飛び出した。
馬を飛ばし、ようやく辿り着いた我が家。
だが、屋敷の扉を開けた瞬間、公爵は言葉を失った。
クリスタの取り巻きたちが、勝手に高級ワインを飲み散らかし、先祖代々の絵画を飾りでベタベタと汚している。
そればかりか、自分の家の使用人たちを召使いのように扱い、舞踏会の準備をさせていたのだ。
「何をしている、お前たちは!」
公爵の怒号に、一人の貴族が青ざめた顔で答える。
「お、お帰りなさいませ、公爵様……。クリスタ様に任されて、舞踏会の準備をしていたのです。『公爵家のお金は使い放題だ』とおっしゃっていたので……!」
「……私の家を、何だと思っている」
公爵の中で、ついに怒りが爆発した。
「今すぐ出て行け! 二度とこの屋敷の敷居をまたぐな!」
あまりの迫力に、貴族たちは悲鳴を上げて逃げ出した。
家を荒らした連中を追い出し、屋敷には静けさが戻る。
公爵は使用人たちを全員集め、二度とこのようなことが起きぬよう、厳しく叱責した。
だが——家を顧みず、フィアンセを放り出し、仕事すら疎かにしていたのは、自分自身でもある。
その理由はなんだ?——全てはレベッカだ。
それほどまでに、彼はレベッカという女に心を奪われていた。
胸の奥のもやは、晴れることなく広がっていく。
ふと、一人の愛しい女性の顔が浮かぶ。
「……今すぐ、レベッカに会いたい」
国王からは「今の婚約者と別れてからにしろ」と釘を刺されていた。
それでも、どうしても彼女の顔が見たかった。
※
クリスタは、眩いばかりの黄金のドレスを身にまとい、王宮の大きな扉の前に立っていた。
門番たちは彼女の顔を見た瞬間、あまりの美しさに槍を落としそうになり、慌てて扉を開ける。
目的は、三人の王子と国王に直接会うこと。
ファーガソン公爵の婚約者という肩書があれば、王宮への立ち入りは容易だった。
国王と王子たちに挨拶をしたいと告げると、すんなりと広間へ案内される。
そこには、公務を放り出し、退屈そうにしていた三人の王子の姿があった。
堅物で名高い公爵が選んだ「絶世の美女」を、一目見ようと集まっていたのだ。
「ダリル・レオ・ファーガソン公爵様のフィアンセ、クリスタでございます」
彼女が深々と一礼し、顔を上げた瞬間——広間の空気が凍りついた。
(……なんだ、この美しさは!)
三人の王子は、雷に打たれたような衝撃を受けた。
そこへ追い打ちをかけるように、クリスタは潤んだ瞳で彼らを見つめる。
その瞬間、王子たちの心は一瞬で奪われてしまった。
「皆様、お忙しいところ申し訳ありません。どうしても、この招待状を直接お渡ししたくて……」
クリスタは少しだけ声を震わせ、恥じらうようにうつむいた。
「公爵様は王都でお忙しく、私のことなど忘れてしまったようですわ……。週末に公爵家で舞踏会を開きますの。王子様たちにもご参加いただけたら、私、とてもうれしいです」
その言葉に、まず反応したのは長男のリチャードだった。わがままな彼は、欲しいものは何でも手に入れないと気が済まない。
「クリスタ、もちろん参加するぞ! 公爵のやつ、こんな美しい人を放っておくなんて許せない。君の願いはすべて俺が叶えてやる。今すぐあの男との婚約など破棄して、俺のところへ来てもいいんだぞ?」
すかさず、次男のレイが割り込む。遊び人の彼は、甘い言葉でクリスタの手を取った。
「おっと、兄上、強引すぎるよ。クリスタ様、寂しい夜なら僕がいくらでもお供しましょう。公爵のような冷たい男より、僕の方がずっと君を楽しませてあげられる自信があるんだ」
すると、三男のジョセフィンが鏡で自分の前髪を整えながら、うぬぼれたっぷりに笑った。
「二人とも、自分の顔を鏡で見てから言うんだね。この僕にふさわしい美女は、世界中でクリスタ様、君だけだ。君が舞踏会を開くなら、僕という最高の飾りを隣に置いてあげようじゃないか」
三人はもう、公爵への義理立てなど忘れて奪い合いを始めそうだった。そこへ、厳しい足音とともに国王が現れた。
「何の騒ぎだ。……ああ、君がファーガソン公爵のフィアンセ、クリスタか。ダリルから話を聞いているが……」
国王は、彼女が「問題のある女」だと知っていたため、厳しい目を向けた。
しかし、クリスタは国王へ歩み寄り、その大きな手を震える手でそっと包み込んだ。
「陛下……。私は亡き父と母を失い、あの大国に追われる身。この国だけが、私の唯一の光なのです。もし私がここにいることで陛下にご迷惑がかかるなら……私は喜んで、皇帝の手に掛かりましょう。私の命ひとつで、この美しい国が救われるのなら本望です。」
クリスタの瞳から、一筋の涙が頬を伝う。
「……でも、死ぬ前にもう一度だけ、皆様と笑い合いたかった。それだけが、私の最後の願いなのです。」
国王はすぐに彼女を追放したかったが、クリスタに先手を打たれてしまった。
その絶世の美しさと、自己犠牲のような健気な姿に、国王の心は少し揺らいだ。
「父上! クリスタの話はどういうことですか?」
長男のリチャードが、涙するクリスタをかばうように寄り添った。王子たちに囲まれた彼女は、さらに悲劇のヒロインを演じ、自分の秘密を打ち明ける。
「なんてことだ、クリスタ様にそんな過去があったなんて……。父上、彼女を追い出すことなんてしませんよね?」
次男のレイが国王に詰め寄る。
「父上、僕たちで彼女を守りましょう!」
三男のジョセフィンも後に続く。
「……わかった。今日のところは、これ以上は言うまい」
(……この娘、ダリルだけじゃなく、俺の息子たちまで虜にしたのか? 今ここで無理に追い出せば、息子たちが何をしでかすか分からんな……)
国王が判断を先延ばしにする。
すると、ファーガソン公爵のフィアンセは、三人の王子にもてはやされながら、心の中で勝ち誇った。
(ふふ、怖いくらいに計画通りね。王子たちも国王も、ちょろいものだわ。……さあ、次はあの女よ……)
※
「レベッカ~! お昼ごはんができたよ!」
アダムが玄関から顔を出し、畑仕事をしていたレベッカを呼んだ。
「……はーい」
遠くにいるアダムを見つめ、彼には届かないほどの小さな声で返事をする。
実は昨夜、病み上がりだったアダムに頼み込まれ、レベッカはベッドで彼に寄り添って眠ったのだ。
(何かされるんじゃないかって、緊張して眠れなかったけれど……)
朝起きたとき、自分は彼に優しく抱きしめられていた。
アダムは何事もなかったかのように、今は使用人として働いている。
しかし、彼の何気ないしぐさや話し方は、ただの使用人の枠を超えているように見えた。
それに……彼からのスキンシップが、まるで恋人にするように大胆になっている気がして、レベッカは戸惑っていた。
部屋に入ると、キッチンから美味しそうな香りがする。
「フォカッチャを焼いてみたんだ! ミネストローネと一緒にどうぞ。」
差し出されたのは、焼きたてのパン。具だくさんのミネストローネの中には、短く切ったペンネも入っている。
「す、すごい……。おいしそう、いただきます!」
さっそく食べてみると、温かいスープがパンにぴったりだった。
アダムは、おいしそうに食べるレベッカをニコニコと眺めてから、自分も食べ始めた。
「アダムは、パンを作るのが本当に上手ね。」
「そうかな? 小麦粉もたくさんあるし、この後、一緒にロールパンを作ってみない?」
「ええ、作りたい! アダムが作るパンは、なんでもおいしいの」
朝から一人で気まずさを感じていたレベッカだったが、無邪気な少年のように笑うアダムを見て、心の迷いが吹っ切れた。
「ねえ、俺たち二人でパン屋さんでも始めようか?」
「ふふ、それもいいわね。私、お菓子のレシピならたくさん知っているわ。」
「俺たちが街で店を開いて、レベッカの焼き菓子も売ったら、絶対に人気店になるよ。」
いつもは一人で夢見ていた未来を、今は二人で膨らませている。
それは、とても心が満たされる、幸せな昼下がりだった。
夕暮れ。
外仕事を終え、二人は暖炉の前で過ごしていた。
暖炉の前でアダムは、昔旅した話をレベッカに話してくれる。
その話は真実かはわからないが、彼の話はとても楽しかった。リビングでレベッカの笑い声が絶えなかった。
「そろそろ、晩ごはんの準備をしようか」
アダムが時計を見て立ち上がろうとした。
「夜は私が作るわ。アダムはソファで休んでいて」
レベッカが微笑んで立ち上がった、その時だった。
静かな屋敷に、玄関の呼び鈴が鳴り響いた。
その音を聞いた瞬間、アダムは直感的に嫌な予感がした。緊急時以外は、誰も来ないように言いつけてある。ランドルフ家以外は訪れるはずのない場所だ。
「レベッカ、出ちゃだめだ!」
アダムはレベッカを制止しようとするが、彼女は既に玄関へと向かってしまった。
慌てて後を追ったアダムの目に飛び込んできたのは、扉を開けた瞬間に、ファーガソン公爵がレベッカを強く抱きしめている光景だった。
「——……レベッカ。あの男は誰だ?」
公爵は、立ちすくむアダムの存在に気づき、低く鋭い声を出した。
「あ、新しく雇った使用人よ! ちょっと、急に抱きしめないで……アダムが見ているじゃない」
顔を赤くして身をよじるレベッカだったが、公爵の怒りはさらに燃え上がった。
「新しい使用人は、男なのか!? 君は、あの男とこの家で一緒に暮らしていたのか?」
「暮らしていたって……彼はランドルフ家の使用人よ!」
公爵はレベッカの腕を両手でつかみ、激しく問い詰める。
その力の強さに、レベッカの顔は苦痛にゆがんだ。
「ファーガソン公爵様。お嬢様が怖がっておられます。その手を離してください」
アダムは一瞬で紳士の顔になり、公爵の前に立ちはだかった。
公爵は悔しそうに歯を食いしばり、強引にレベッカの手を引いた。
行く手を阻むアダムの肩をわざと強くぶつけるようにして押しのけ、冷たく言い捨てる。
「使用人、二階には上がるな。そこで待機していろ。」
公爵はそのまま、レベッカを彼女の部屋へと連れ去ってしまう。
「お嬢様!!」
助けようと階段へ足をかけたアダムを、レベッカは止める。
「駄目だレベッカ!俺に助けを求めろっ!」
けれど、レベッカは悲しげな顔で首を振り、拒絶するように告げた。
「……大丈夫よ、アダム。一階にいて」
断固としたその言葉に、アダムは固まった。
そのまま、二階の扉がバタンと乱暴に閉まる音が響き、ガチャリと鍵をかける非情な音が続く。
静まり返った屋敷。
アダムは目の前が真っ暗になった。
愛する人を奪われた暗闇の中で、静かに、何かが壊れる音がした。
彼は深い絶望の底へと堕ちていく。
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