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本当のあなた…
しおりを挟むまたいつもの夢を見た。
抱きしめられて、眠る夢。
髪をそっと撫で、額に優しく口づけを落としてくれる。
守られているという実感に満ちた、温かな胸。大きな掌が、頬を包み込むように触れる。
その優しい手から伝わる熱に、私はいつも安らぎを感じていた──。
ふと、目を開ける。
そこにはアダムがいた。
一晩中、ベッドの横で彼の手を握っていた。あなたが目を覚ますまで、ずっと側にいた。
気づいたら、私は彼のベッドの中に横たわっている。
今は私の頬を、彼が包んでいた。
優しいこの手は、ダリルじゃなかった。
額にしてくれた口づけも、
──全部、あなただった。
夢の中の温もりも、
──ずっと、あなただったのね。
「アダム……」
突然目を開けたレベッカに、アダムがわずかに目を見開く。
その瞳には、隠しきれないレベッカへの愛が揺れていると、彼女は確信した。
「あなた、私のことが好きなの?」
「……え?」
虚を突かれたような沈黙の後、アダムは逃げることをやめたように、真っ直ぐ見つめ返した。
「……うん。好きだよ。ずっと」
「そう」
正体不明の感情が胸を塞ぎ、意識がふわりと深い眠りの底へと沈んでいく。
レベッカは再び瞼を閉じる。
「え、レベッカ……? ねえ、レベッカ!」
困惑するアダムの声が遠のいていく。
入れ替わるように、ロベルトが静かな足取りで入室してきた。
「アダム様、レベッカ様は夜通し貴方様の傍で起きていらっしゃいました。今は、どうかそっと寝かせて差し上げてください」
「……そう、だったのか」
安堵したのも束の間、アダムの目が鋭くなった。
「ロベルト。お前、レベッカに何か言ったか?」
「……申し訳ございません。レベッカ様の圧に負けて、すべてをお話ししてしまいました」
「おい、すべてって何をだ!」
ロベルトが語った内容を聞くにつれ、アダムの顔から血の気が引いていった。
アダム・チェンバースという名。
ランドルフ侯爵家の婿養子になったこと。それはいい。いつかはレベッカが知ることだった。
だが、古くから仕えた者しか知らないはずの、あの社交界デビューの無惨な事実まで──。
ロベルトは、アダムの青ざめた顔を見ながら、内心では覚悟を決めていた。
主人に叱られても構わない。
アダム様をあれほど深く傷つけた張本人が、今、この屋敷にいる。
心配そうにアダム様に寄り添っていたが、俺はあの方を信じていなかった。
社交界でアダム様を笑い者にした、あのレベッカ・ランドルフのままだと思っていた。
だからこそ、真実を突きつけられた彼女がどんな顔をするのか、この目で見届けたかったのだ。
「レベッカ様は……ただ、震えておられました」
ロベルトは、感情を押し殺した報告を続けた。
「俺がすべてを話し終えた後、……ただひたすらに、『アダムに申し訳なかった』と、何度も繰り返しておられました。己の非を認め、言い訳など、一つもなさいませんでした」
「…………」
「俺もリタも、正直、戸惑いました。
夜通し主人の手を握り続け、祈り続けたあの方は……俺たちが警戒していた『レベッカ・ランドルフ』とは、まるで別人のようでした。」
アダムの胸の奥で、古傷が鋭く疼いた。
レベッカの謝罪など、欲しくなかった。あんな惨めな過去の自分を、今の彼女に思い出させないでくれ。
レベッカが、謝った。
夜通し、傍にいた。
俺の手を、離さなかった。
その事実が、じわりじわりと胸に沁み込んでくる。嬉しいはずなのに、怖かった。
次に目が覚めたレベッカが、あの真っ直ぐな瞳でこちらを見た時──自分はいったい、どんな顔をすればいいんだ。
「……わかった。もういい」
それだけを絞り出し、アダムは脇腹の傷を庇いながら、ベッドを降りた。
眠るレベッカをもう一度だけ見つめた。
そして、逃げるように部屋を出た。
これ以上、ここにいれば、きっと平静でいられなかった。
廊下に出ると、冷たい空気が肺に刺さる。少しだけ、息がしやすくなった気がした。
「ロベルト、しばらくこの屋敷を使う。使用人たちを呼べ」
「畏まりました」
「あの家を襲った連中を調べろ。あの屋敷は空き家のはずだった。狙われたのは俺じゃない。明らかにレベッカだ」
アダムの表情から「レベッカの使用人」としての影が消え、チェンバース家の当主としての顔が戻る。
彼女があの家にいたことを知っているのは、俺とランドルフ家、そして──。
「ダリル・レオ・ファーガソン公爵の身辺を洗いたい。専門の調査員を手配しろ」
「はい、ただちに」
指示を出し終えると、屋敷に再び重い静寂が降りてきた。
もはや、逃げ隠れできる段階は過ぎた。レベッカに全てを知られた以上、腹をくくるしかないのは分かっている。
廊下の先にあるレベッカが眠る部屋の扉を、アダムは名残惜しそうに振り返る。
目を覚ました彼女に、どんな顔で向き合えばいいのか。
癒えることのない胸のざわめきだけが、冬の廊下に長く尾を引いていた。
※
目を覚ますと、広い寝室に私は一人だった。
「……あれ。わたし、結構寝ちゃってた」
身体に残る倦怠感を振り払い、アダムを探して部屋を出る。廊下には、リタが立っていた。
「レベッカ様、お目覚めですか。何かお食事を用意しましょうか?」
「お腹は空いているけれど……その前に、アダムはどこでしょうか?」
リタとロベルトは夫婦だった。たまにアダムが使うこの家に、住み込みで管理している。夜通しの看病を通じて、二人とは不思議な連帯感で結ばれていた。
「アダム様なら執務室においでです。ご案内しますね」
リタの後に続いて扉を開くと、部屋の奥でロベルトと深刻な顔で話し合うアダムがいた。私に気づいた瞬間、彼は驚いた顔をして肩を震わせた。
「アダム、怪我の具合はどうなの?」
「だ、大丈夫だよ!レベッカはまだ休んでて!」
声が上ずっている。目を合わせようともせず、逃げるように部屋を出ようとした。
「ねえ、待って」
聞こえないふりをして、廊下を早足で遠ざかっていく。私は黙って後を追った。
「歩けるなら安心したわ。……でも、どうして逃げるの?」
「逃げてなんてないよ。本当に大丈夫だから……なんでついて来るのさ」
ヨタヨタとおぼつかない足取りで、あてもなく廊下を歩き続ける。その頑なな背中が、どこか哀れで、何故か愛おしかった。
「アダム・チェンバース!止まりなさい!」
びくん、と背筋が伸びた。やっとアダムの足が止まる。
「……いいえ、その呼び方は間違いね」
私は彼の前に回り込んだ。
「アダム・ランドルフ侯爵様、とお呼びすべきかしら」
俯く顔は、叱られた子供そのものだった。こんな時なのに、笑いそうになる。
「私、あなたに沢山聞きたい事があるの。質問に答えてくれない?」
「……あの、その……黙秘します」
「はあ?」
アダムの視線が泳ぐ。目が合わない。呆れながらも、私は息を整えた。問い詰めたいことなら山ほどある。
でも今は、それより先にしなければならないことがあった。
「ねえ、アダム」
一歩、距離を詰める。
「あなたの社交界デビューにしたこと。本当に、ごめんなさい」
アダムがようやく私を見た。その瞳は、今にも涙が溢れ出しそうなほどに潤んでいた。
ロベルトから聞いた話が蘇る。大衆の前で恥をかかせ、大切なタキシードをワインで汚した。そして、彼の母親が泣いていたと聞いた時、胸が引き裂かれるようだった。
正直、私にはその記憶がない。元レベッカの記憶はほとんどが公爵の事だらけ。けれど、酷かった彼女の代わりに私は謝罪する。
「謝ることしかできなくて、ごめんなさい」
「…………やめろよ」
地を這うような、小さな声だった。
「え?」
「レベッカは謝らなくていい。謝らないで……!」
「でも、誰が見ても私がした行為は酷かったわ」
「違うっ!違うっ!……俺は……!」
震える声で、アダムが叫んだ。
「あの時、君に傷つけられたのは確かだけど……それと同時に俺は君に心を奪われた!好きになったんだよ!」
「…………はあ?」
頭が、真っ白になった。
あんな仕打ちをされて、どこに好きになる余地があるというのか。この男は、一体何を言っているのか。
「あの時から、ずっと、今この瞬間も好きだ」
「!!」
アダムはやっぱり、元レベッカが好きなのだろうか。
「アダム……前にも言ったけど、私は昔とは違うの。もう、別人になったの……だから……」
「レベッカ、昔の君も、今の君も、俺にとっては同じ『レベッカ・ランドルフ』だよ」
胸が、ぎゅっと締め付けられた。初めてアダムに会った日、彼は同じ事を言っていた。
「意地悪な君も好き。公爵の舞踏会で婚約破棄されたよね、君は凛とした姿勢で会場を去った。あの時の君はかっこよかった……」
「え……アダムもあの時のいたの?」
「うん、ずっと見てたよ。俺はあの日、また君に恋に落ちた。今のレベッカも、大好きなんだ」
嬉しかった。素直に、そう思った。
だからこそ、この温かな気持ちに背を向ける言葉を口にするのが、こんなにも辛かった。
それでも私は、口を開いた。
「……でも、私は今……ダリルと……」
「レベッカが公爵を好きなのは知ってるよ。彼を選んでも俺は祝福する。でも、君が自由に生きたいのなら、その気持ちも尊重するよ」
アダムから溢れる言葉に、胸の奥で何かが揺れた。
「レベッカは何も心配しないで。ランドルフ家は俺に任せて。だから、自分の人生を諦めないで」
その声はどこまでも穏やかで、まるで私を縛りつけるものが何一つないかのようだった。
──だからこそ、苦しかった。
「……どうして、アダムはいつも優しいの?」
「だって、君を心から愛してるから」
彼はいつもの微笑みを浮かべた。
その笑顔の奥に、捨てられることへの怖さが見えた気がした。
嬉しいのに、胸が痛かった。
その日、アダムが何度も私の部屋に入っていた理由も、これまでのことを問い詰めたい気持ちも、どこかへ飛んでしまった。彼の告白が、ずっと頭の中を離れない。
アダムによれば、私は誰かに狙われている可能性があるという。安全が確保されるまで、この家でしばらく身を隠すことになった。
実家で過ごしてもいいと言われたけれど。
私は迷わず、アダムといることを選んだ。
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