没落令嬢は、もうシンデレラを夢みない。

村井田ユージ

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コンテスト投票して下さった方に捧げるお礼SS

番外編・王子様と暮らしてみたら

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第19回恋愛小説大賞に投票頂き、
ありがとうございました。
こちらは投票して下さった方に捧げたいなと
思い書きました

───────────






 

 エマは半分だけ目を開け、天井を見つめた。

 見覚えのない天井だ……と思っていたのも、最初の一週間だけ。今はもうすっかり、この広すぎる寝室に慣れてしまった。

 ローレンス・ベイルの屋敷は、「少し太い」どころの話ではなかった。

 国境を越えて馬車が到着した先に待っていたのは、王都の外れに佇む白亜の宮殿のような屋敷。迎えに出た使用人の数だけで、エマがこれまで関わってきた人間の総数を軽く超えていた。

「……少し、とは何だったの」

 馬車から降りた瞬間、エマは横に立つローレンスに静かに問いかけた。

「少しだよ? 王族の本邸と比べたら、ほんの少しだよ?」

 ニコニコと無邪気に答える彼に、エマは何も言えなくなった。

 そう、ローレンスは王族だった。隣国の第四王子。王位継承権は既に放棄している。厳密に言うと元王子? いや、それでも彼は自分の領地では王族の扱いだった。

 でも、母親のことは頑なに喋らない。

 彼には、謎がまだまだ隠されているのだろう。

 植物学の研究で国を飛び出し、気がついたら世界中を旅していた変わり種の王子様。

 本人は「俺、王族を名乗るの恥ずかしいんだよね」などと言っている。

 驚くなと言われたが、驚かない方が無理だった。

 だがエマは、三秒で諦めた。

(……まあ、いいか。私には関係ないわ)

 関係ない、と思っていた。最初は。



 ◇◇◇



 朝から、廊下の向こうが騒がしい。

「エマ! エマ! ねえ、見て!」

 ドンドンドン、と扉を叩く音がする。

 エマはため息をついてベッドから起き上がり、寝間着のまま扉を開けた。

「……朝の何時だと思ってるの」

「えっとね、7時! 朝の散歩から帰ってきたんだけど、庭に珍しい草が生えてたんだ! 見て見て!」

 ローレンスは両手でガラスの小瓶を差し出した。中に、ごく普通の雑草が入っている。

「……それ、普通の草よ」

「違うよ! この葉の形を見て。葉脈が三又に分かれてる! これはね、エマ!」

「聞いてないわ。おはようの挨拶が先でしょ」

 エマは扉を閉めた。

 数秒の沈黙。

「……おはよう、エマ。今日も美しいね」

 扉越しに、しゅんとした声が聞こえた。

 エマはもう一度扉を開ける。

「おはよう、ローレンス。で、その草がどうしたの」

 ローレンスは、ぱあっと顔を輝かせた。

「聞いてくれるの?! やった! これはね──」

 エマは廊下に出て、彼の隣に並んだ。

 寝間着のまま、髪も整えていない。昔の自分なら考えられない格好だ。

 でも、この男の前では、なぜかそれで良い気がする。




 ◇◇◇



 ローレンスの研究室は屋敷の東棟にある。

 初めて案内された時、エマは入口で固まった。

 天井まで届く本棚、所狭しと並ぶ標本、乾燥した植物、ガラス瓶の山、机の上に広がった地図と手書きのメモ。

 カオスと情熱が、部屋中に溢れていた。

「……片付けなさいよ」

「駄目、俺にしかわからない配置なの」

「嘘おっしゃい。絶対に把握してないでしょ」

「エマには触らせないよ。大切なものが沢山あるから」

 その時だけは、ローレンスは珍しく真剣な顔をした。

 エマはその表情を見て、口を噤む。

 この男の情熱は、本物だ。
 ふざけているように見えて、植物のことだけは誰よりも真剣だ。それは、一緒に暮らし始めてすぐにわかった。

(……やっぱり、変な男ね)

 エマは心の中で呟いて、棚の端に置かれた小さな花の標本を眺めた。

 押し花にされた白い花。
 可憐で、どこか儚い。

「それ、好き?」

 後ろからローレンスが覗き込んできた。

「綺麗ね、と思っただけよ」

「エマに似てると思って、取っておいたんだ」

「……私はこんな可憐な花じゃないわよ」

「そう? 俺は似てると思うけどな。強くて、小さくて、ちゃんと根がある」

 エマは返事をしなかった。代わりに、ほんの少しだけ目を細めた。




 ◇◇◇




 ある日の午後、エマは庭を散歩していた。

 ローレンスが「エマも外の空気を吸った方が良い」と言い張るので、仕方なく付き合っているのだ。

 庭の隅、石垣のそばに、見慣れない草が群生していた。

 葉は丸く艶やかで、ほんのり甘い香りが漂ってくる。

「これ、何?」

 思わず指先で葉に触れると、背後からローレンスが「あっ」と声を上げた。

「エマ、それ素手で触らない方が良いよ」

「……何なの、これ」

 ローレンスは少し困ったような、でも少し楽しそうな顔をして、エマの隣にしゃがんだ。

「えーっとね。この草、皮膚から成分が吸収されるんだよね。効能はまあ……その……」

「はっきり言いってよ!」

「……淫乱作用、があるんだよ」

 一瞬の間。

「……は?」

「つまり、気持ちよくなっちゃう草、なんだよね」

 エマは立ち上がり、そっと手を背中で隠した。

「……今、私が触ったのは葉の部分よ」

「うん。でも暫くするとじんじんしてくるかもしれない。エマ、大丈夫?」

「大丈夫よ! ぜんっぜん何ともないわ!」

(……少し、じんじんしてきた気がするのは、気のせいよ。絶対気のせい)

「あのさ、エマ。せっかくだし、試してみる?」

 ローレンスはニッコリと笑う。

「……うっ、……断るわ」

「そっか。でも、もし気が向いたらいつでも言ってね」

「気が向くわけないでしょ! それよりこの草、庭から全部抜きなさい」

「えー、貴重なのに。エマの頼みでも、それは出来ないなぁ」

「抜きなさい!!」

 エマはローレンスを睨みつけ、屋敷に戻った。

 その時には、もう胸の鼓動は早鐘を打ち、身体の内側から熱が這い上がっていた。

「……ロ、ローレンス……あのっ……」

「なあに、エマ?」

 俯いて彼の腕にしがみつく。ローレンスは全てを察した顔で、私を軽々と抱きかかえ、寝室へと向かった。

 ……まあ、その後のことは、また今度の話にしておくわ。



 ◇◇◇



 夜は、2人でよく食堂のテーブルに隣り合って座る。

 向かい合うと乾杯が出来ない、とローレンスが言い張るのだ。

 最初は「そんなに大きなテーブルなの?」と思ったが、実際に見て納得した。向かい合ったら声も届かないかもしれない。

 使用人が下がった後、ローレンスはワインを注ぐのが下手なくせに毎回自分でやりたがる。今日もこぼした。

「テーブルクロスが……」

「ごめん! すぐ拭く!」

 ローレンスは慌てて立ち上がり、近くにあった自分のハンカチで拭き始めた。

 それを見て、エマは静かに笑った。

「……何笑ってるの、エマ」

「王子様がハンカチでテーブルを拭いてるの、初めて見たわ」

「俺、こういうのは全部自分でやった方が早いんだよ。旅してた時の癖」

 ローレンスは席に戻り、今度は慎重にワインを注いだ。エマのグラスに。それから自分のグラスに。

「……ちゃんと注げたじゃない」

「エマのためだから」

 さらりと言う。

 エマはグラスを持ち上げて、顔を隠した。

(……この男、本当に)

 ずるい。こんな言葉をさらりと言うから、困る。

 もう長い間、守ってもらえることも、大切にされることも、諦めていたのに。
 彼と暮らしていると、ゆっくりと、何かが溶けていく気がする。

「エマ、乾杯しようよ」

「何に?」

「エマが俺の所に来てくれた事に。」

 エマはグラスを持ったまま、ローレンスを見た。いつもふざけた顔をしている男が、今夜は違った。

 テーブル越しに、真っ直ぐこちらを見ている。迷いのない、真剣な目だった。

(……やめて、そんな顔しないで)

 エマの胸が、ゆっくりと跳ねた。

「……大袈裟ね」

 声が、少し上擦った。
 気づかれただろうか。

「大袈裟じゃないよ。」

 ローレンスはグラスを傾け、エマに差し出した。

「俺はエマに、ちゃんと幸せになって欲しいんだ。この気持ちは本物だよ」

 エマは唇を引き結んだ。
 目の奥が、じわりと熱くなる。

 泣くな、と自分に言い聞かせた。
 こんな場所で泣いちゃだめ。

 ゆっくりと、グラスを合わせた。
 チン、と澄んだ音が食堂に響く。

「……私も、あなたの所に来られて、良かったと思ってるわ」

 精一杯の声で、そう言った。
 ローレンスには聞こえなかったかもしれない。
 でも、彼はそっと目を細めて、微笑む。

「うん。知ってる」

 エマは慌ててワインを一口飲んだ。
 グラスで顔を隠しながら、それでも口元がほどけていくのを、止められなかった。





 ◇◇◇




 夜が深くなると、ローレンスは決まってエマの部屋の扉の前に立つ。

 今夜も、廊下から声がかかった。

「エマ、おやすみ。……あのさ、一緒に寝ない?」

「おやすみ、ローレンス。また今度ね」

「俺のベッド広いよ? 端と端で全然触れないくらい広いよ?」

「知ってるわよ、でも、またね」

「エマが風邪引いたとき、そばにいたいじゃん」

「健康よ、私」

「……寂しいこと言わないでよ~」

「……おやすみなさい」

 エマは毛布を頭まで引っ張り上げた。廊下で、ローレンスが「うーん」と唸っている気配がする。

(……毎晩毎晩、求めてくるのは嫌じゃないけど、懲りない男ね)

 目を閉じようとした、その時。

「エマ、今夜だけ。本当に今夜だけでいいから」

 声が、少し真剣になった。

(……また、この手ね)

 わかっている。この男が本気の顔をする時の声を、もう覚えてしまっている。

 エマはため息をついて、毛布を跳ね除けた。

「……今夜だけね。それと端と端で寝るのが条件」

「やった!!」

 廊下で跳ねるような足音がして、エマは思わず苦笑した。

 ローレンスの部屋は、確かに広かった。端と端で寝ても、余裕で人一人分の距離がある。

 約束通りだ。ローレンスは「おやすみ、エマ」と言った後、すぐに静かになった。子供みたいにはしゃいでいたくせに、あっという間に寝息を立て始めた。

(……え?なんなのよ、本当に寝た?……期待した私が恥ずかしいじゃない……!)

 エマは暗い天井を見つめた。

 見慣れない天井だ。でも、不思議と落ち着く。

 シンデレラのおとぎ話には、ガラスの靴があった。王子様と踊る舞踏会があった。魔法がかかった、夢のような一夜があった。

 エマが手に入れたのは、草の話を延々とする変な男と、ワインをこぼす食卓と、毎晩懲りずにねだってくる王子様だ。

 おとぎ話とは、全然違う。

(でも……)

 エマは目を細めて、隣で眠るローレンスの横顔を見た。

 これが、今のエマの日常だ。

 誰かに壊される心配も、逃げ場を探す夜も、もうない。

 初めて、自分の明日が楽しみだと思えている。

「……ガラスの靴なんか、もういらないわ」

 ローレンスの胸の中で、エマは目を閉じた。

 彼の温もりを感じる。
 すぐそこに、ちゃんと、自分の居場所がある。

 それだけで、十分だった。







END
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