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二章(前編)
第六話「お買い物」
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ファーナム&メイガス。
それが、この石造り七階建ての建物。
服を買いにきた百貨店の名前だ。
中に入ると広いフロア、赤い絨毯が敷き詰められている。おまけに、ギリシャ宮殿のような柱がこれでもかと立ち並んでいた。
その広いフロア――
いたる所に、様々な店舗が出店しており、食料品から衣料品、なにからなにまで取りそろえられているのが見て取れた。
冒険者たちの服装も、ここでは少し浮いている。
彼らは恥ずかしいのか、ここには入らず、後で合流する運びとなった。
しかし、じじいは懇意にしている店があるらしく、店内に一緒に入ると、俺たちを先導し、そこへ連れて行ってくれる。
「ようこそ――
お越しくださいまして、ありがとうございます。
ハウゼン卿。本日は、どのようなご用件でしょうか」
シュッとした黒の燕尾服と蝶ネクタイのイケメン男性が迎えてくれる。
「この者たちの服をな。
見ての通り奇妙な格好なので、もう少し目立たんように……なんとかならんかの――」
イケメン店員に説明してくれるじじい。
一方、莉奈さんは、ディスプレイされた服たちに目をキラキラさせている。
「ねっ、ねっ! 見て!!
クラシックなデザインが、すっごくいい!
素敵……」
ちょっ、マントひっぱるなって。
しかも、たぶん、この人たちからすると、クラシックなんかじゃなくて最新だぞ。
「先ほどから、そちらのスーツが気になっているご様子ですが……
最近は、女性もアンチコルセットで、合理服を好まれる方も多いですね。
女性でも社会進出されている方が多くなっていますので……その影響でしょうか。
こちらの、アングリア産、羊毛を使った、女性用スーツを着用される方が多くなっております。
お客様がご覧になられているスーツは、見本用にウチの職人が用意したもので……
どうぞ、お手に取って肌触りなどご確認ください」
店員はそう言うと、ディスプレイから服を取り、俺たちの前のテーブルに、さっとその茶色のスーツを置いた。
「かっこいい……。
これ、かっこよくない? えっ、ちょっとまって!
他のも見たい!!」
もう、店は閉店時間になっている。
にもかかわらず莉奈さん、テンションが上がってるのか、この買い物はなかなか終わりそうにない。
じじいの馴染みの店なので、無理を言って閉店を伸ばしている状況だった。
ちなみに百貨店の方は、もう閉店となっている。
結局、俺たちの買い物が終わったのは、一時間ほどたった後……午後七時を少し過ぎたあたりだった。
§
基本オーダーメイドの店なのだが、貴族の気まぐれにより、急にキャンセルなることがよくあるらしく、既製服ではないのだがいくつか購入できるものがあった。
結局、購入したのは、俺がフロックコート。
スーツの上着の裾が長くなった感じのやつだが、シャツとベスト、ズボンの上にそれを着る。
帽子なんかいらないと思ったが、シルクハットをすすめられ、しかたないのであまり形が長くないものを購入した。
莉奈さんの方はというと、女性用スーツに(散々選んだが、最初の展示用のものになった)、オーバーコート――男物しかなかったらしく、襟がビロードで隠しボタンのチェスターコートと言われているコートを、前をがっつり開け、男の俺よりもかっこ良くラフに着流していた。そして首からはこれまた長いマフラーをかっこ良く巻いて垂らせている。
当然、これらの洋服の下には全身タイツを着込んでいた。
幸い、この地域の気温が寒いことと、文化的にあまり肌を見せるのはよくないとされているようなので、全身タイツが見えているのは手や、足の一部のみとなり、あまり目立たなかった。
ん? ヘルメットはどうしたって?
ヘルメットは、かぶると怪しすぎるので、とりあえず、いつも小脇にかかえている状態だ。
さて、後は――
宿と食事である。
森を探索するための服装は明日また探すこととなり、当面、街を歩くのはこの服装でということとなった。
この買い物で、消費したのは50万エウロを少しオーバーするぐらい。
魔素資源取引所で得た金額は215万エウロだった。そのうち21万5千エウロは税金で差し引かれ、193万5千エウロが手元にある。
俺たちは、1万エウロ紙幣五十枚、千エウロ紙幣五枚、金貨(一枚1万エウロ)二十枚に換えてもらっていた。
残りの123万エウロは、魔素資源取引所と同じ区にある銀行へ預けている。
口座を作るのは、取引所の人が間に入ってくれたのでそんなに手間がかかることではなかった。
「あっ!
こんな所にいたーーっ!!」
店から出た俺たち。
こちらを指さす女性。
彼女は、くるりとカールした髪をぽんぽんと弾ませこちらへ走ってきた。
はぁはぁと、切らせた息が整う間もなく、膝下まである長いコートのポケットから、かき分けるように手帳を取り出す。
「こ、今度は逃がさないわよ……。
って、着替えてるし……ふーん、さっきよりいいじゃん。
っていうか、なんで、あんなの着てたのか知らないけど……もしかして、あの格好が強さの秘密?」
俺の頭のてっぺんからつま先まで、品定めするように見てくる。
「あ、失礼。
私は、シャーロット・ブラウン――
フリーのリポーターをやってるわ……。
貴方、名前は?」
息をきらしていた彼女の頬は、ほのかに上気し赤い。
彼女はその顔で満面の笑みを浮かべ手袋をとった。
中からは、ほっそりとした長い指が出てくる。
そして俺の前に、その細くて白い手を差し出してきた。
「握手よ、握手。
もしかして、貴方の国ではしないの?」
突然でわからなかったが……そうだ、握手だ――
ぼーっと見とれてた俺に、彼女は握手を促してきた。
「ああ、そうですね……。
俺は――えーっとコウゾウっていいます。
よ、よろしくお願いします」
今買ったところのコートの裾で手汗を拭き、握手をした。
「ウフフ――
案外、華奢な手をしてるのね。
もしかして魔術師?
――それに、コウゾウって珍しい名前ね。
やっぱりよその国から?」
目の前の女性は、その好奇心に満ちた顔で質問してくる。
くそぅ。
この押しの強さ、童貞コミュ障にはつらい。
自分に惚れているのかと思ってしまう。
「お主、イエロートップスの記者か?
これからワシらは、行く所があるんじゃ。
邪魔せんでくれるかの――」
丁度よく、じじいの助け舟。
これで肉食系女子の毒牙から逃れられる。危なかった。
「これはこれは、ハウゼン卿。
いえ、モーリッツ教授とお呼びした方がよろしいかしら。
研究のためコチラに来ていたのは本当だったんですね。
私、今はフリーでどこにも所属してませんの。
確かに、あの雑誌に投稿してはいますが……。
ゴシップと言っても冒険者の活躍を取材しているリポーターなんですよ。
ここ数年の冒険者ブームは、年収わずか200万エウロの労働者階級からすれば現実的な成り上がりとして注目されています。
今回の一角熊の討伐……いえ、それだけじゃないわ。
無名で謎の冒険者のって話は――
――って、あっ、逃げるなっ!」
俺たちは、身振り手振り、大げさに喋る彼女を置いて先を急ぐ。
今晩の宿も探さないといけないからだ。
その前に、金髪ローブくんたちとも合流しなければならなかった。
「ちょっ、どこよ? どこにいったのよ?
んっ――もう! 逃げ足が早いっ!
……いいわ、それでこそ、燃えてくる――」
彼女は路地裏に潜り込んだ俺たちを見失ったようだ。
なにか聞こえたような気がするが、俺たちは路地裏を急ぐ。
あの人が記者だというなら、帝国から逃げてきた俺たちはあんまり関わらない方がいいか……。
「ねえ、いいの? あの人?」
莉奈さんが心配そうな顔で聞いてくる。
「うーん、あの人、記者だって。
あんまり目立つのもまずいから、逃げちゃったよ――」
帝国が俺たちを追っているかどうかは、まだわからない。
でも、まあ……たぶん追ってるだろうな。
最悪、指名手配の賞金首というのもありえる。
他国間での犯罪者の扱いがどうなっているかは知らないが、安全ともいえないだろう。
あの女性記者は要注意だな……。
肉食系女性記者。色んな意味で注意しよう。
そう決心し、俺たちは待ち合わせの酒場へと急いだ。
§
〈三人称 視点〉
裏をとった特徴的なリズム。
軽快なピアノの音が部屋を満たし、喧噪をも音楽の一部として取り込んでいた。
トランプやダイスによる賭博は当たり前、ビリアードを楽しむ者、その日の愚痴を吐くものなど、それにより発せられる音や声が店内を飛び交う。
さらにタバコの煙や酒の臭いが混じると、その環境は猥雑な活気で満ちあふれていた。
冒険者の酒場。
その酒場は今日も繁盛している。
その一角。
コウゾウが助けた冒険者二人と教授の助手が集まり、バーテンダーと話をしていた。
「赤目オオカミの毛皮が、十枚ほど必要なんだが――
お前ら、やってみないか」
そう言うとバーテンダーが、口を開けた小さな瓶ビールを三本、テーブル上に置いた。
「あー、アタシたち先約があるの。
その仕事、期間があるならついでに受けられるけど……」
「期間は……
ないな。
ちっ、じゃあ、他に頼むか――」
バーテンダーは舌うちをし、返事をしたダーナの前に手のひらを突き出した。
眉間にシワをよせ、ダーナは500エウロ銀貨を三枚、バーテンダーの手のひらにのせる。
「瓶は返せよ――」
そう言って、彼らのテーブルからバーテンダーは離れた。
「おごりじゃないのかよ……」
三人の中で一番筋肉質な男、ドミニクが不機嫌になる。
「しょうがないよ、依頼受けなかったんだし――」
ローブ姿の金髪頭。ユアンが二人をなだめた。
二人は冒険者の組織に入っていない。
それは亡くなったリーダーの夢に起因していた。
リーダーのレオは田舎から出てきた折、自分たちでカンパニーを作りたいと夢をもっていた。
そして、自分たちのみでカンパニーを作る資金が貯まるまでは、どこにも所属しないと決めていたのだ。
それは田舎で人望を集めていた彼のプライドだったのかどうかは、今ではもうわからない。
どこの組織にも所属していない冒険者が仕事を受けるためには、仕事を仲介してくれる者のいる酒場に出入りするのが一般的だった。
いや、組織に所属していたところで、誰かが持ってきた依頼の元をたどれば酒場の紹介であるということは多い。
それだけ冒険者と酒場は密接なつながりを持っている。
そんな理由で、この街には冒険者御用達の酒場なるものがいくつもできていたのだった。
ユアンを含め四人の出身は、このアングリア王国の羊の畜産が盛んなドがつくほどの田舎、チェスターという村である。
今はレオが死んでしまい無理なのだが、その田舎から十四歳の時に出てきたレオとダーナは、冒険者として成功した後、カンパニーを立ち上げ、それが軌道に乗れば結婚するつもりでいた。
「本当に、あの話を信じているのか?」
ドミニクはダーナに問いかける。
「アタシには……
それしか、すがるものがないの」
ダーナは悲しみ、憎しみ、後悔、様々な負の感情で満ちた瞳――その瞳でどうにか希望を見ようとしていた。
「俺は頭が悪いから、こういった話はわからん。
ユアン……どういう事なのか教えてくれ」
ドミニクは手に持ったビール瓶を強く握り、少し幼いが、利発さの感じられるユアンに問う。
「……まったくのデマだとは言いきれませんね。
タルタロスは煉獄への入口……という研究もありますから……」
煉獄。
そこは人が死んだ時、魂のいたる場所だとメサイヤ教では教えられていた。
煉獄の炎は、魂の抱える罪を焼く。
そこは、天国に到るため、罪の浄化を司る場所だと言われているのだ。
だが実際に、その存在を確認したものはいない。
それは教会が金を集めるため、免罪符を作るために考えたと言う者もいる。
ただ妖魔が存在し、魔素漂うこの世界で、それを完全に否定することはできなかった。
実際に、教会の奇跡の恩恵を人々は受けている。
一番が僧侶による回復魔法であり、それは冒険者にとって生命線であり身近なものだった。
そんな煉獄に通じると言われているタルタロスのあの話とは、この所、噂されている「下層には、人を蘇らせることのできる、マジックアイテムがある」という話のことなのだ。
「タルタロスは、まだまだ未知の部分が多いことは二人とも知ってますよね。
なのになぜ、そんな噂があるか、ダーナやドミニクは知ってますか?」
ユアンは、手に持ったビールをあおり、話を続ける。
「それはアングリア大図書館の書物の中から、最近見つかった、ある一冊の本からなんですよ……」
酒場の喧噪は、依然静まる気配はない。
だが、彼の話を聞く二人は、それらが消えたように感じるほど話に集中していた。
「見つかったのは魔導書。
死霊秘法と呼ばれるその魔導書には、失われた都市や、封じられた妖魔の数々が書かれていたんだ。
そして、その中の一つに、死者の魂を刈り取る死神。
タナトスについて、書かれた記述が発見された――
おそらくだけど、その件から噂はつくられた……と僕は考えています」
彼はそう言うと手元のビール瓶に口をつけ、さらに中身をあおった。
「タルタロス――
黒の森は、そこで死んだ者と、魔素の中で再開することがある……。
――昔から真しやかに噂されるこの話。それこそ、一つの酒場に一人位は体験したと言っているものが居る位多い話です」
勢いが強かったのか、口から少し溢れたビールが顎に伝う。
それを手で拭いながら、ビール瓶をテーブルに置きユアンは話を続けた。
「ある論文では、タナトスはタルタロスの最下層に住み、森で死んだ者たちの魂から現世と隠世のつながりを死の鎌で断っているといいます。
……そして、その現世との繋がりを断った魂を集め、タルタロス深層へと誘うらしいんです」
「じゃあ、レオもそこにッ!」
ダーナは話に割って入った。
「落ち着いてください。
そんな場所だから、そんなマジックアイテムが産まれることは十分ありえるといいたいんです……」
少し自信なさげに言うユアン。
それを見てダーナは勢いよく立ち上がる。
――そして荒々しく声を出し、ユアンの胸ぐらをつかんだ。
「答えて!
だからレオもそこに居るかもしれないんでしょ!」
ダーナがつかみかかると同時に倒れたビール瓶。
そこから流れ出た液体がテーブルを走り、床へと滴り落ちた。
「……そ、そんなの僕にはわかりませんよ。
発表していた論文だって、そう書かれていたとしかいってないですし……。
そもそも、書かれていたのは魔導書なんだ……
それは、魔族の罠かもしれないんですよ」
「――っく!」
悔しそうに、ユアンの胸から手を離すと、流れ出たビールを見ながら
「――あんたが、あそこで逃げなければレオは……」
とつぶやいた。
ドミニクはそんなダーナの肩を叩き慰める。
しかし、そんな彼の手も忌々しいのか、顔を歪め彼女は振り払っていた。
ダーナの行き場のない怒りは、その握りしめた手のひらに込められ、自身を傷つけるしかできずにいたのだった。
§
それが、この石造り七階建ての建物。
服を買いにきた百貨店の名前だ。
中に入ると広いフロア、赤い絨毯が敷き詰められている。おまけに、ギリシャ宮殿のような柱がこれでもかと立ち並んでいた。
その広いフロア――
いたる所に、様々な店舗が出店しており、食料品から衣料品、なにからなにまで取りそろえられているのが見て取れた。
冒険者たちの服装も、ここでは少し浮いている。
彼らは恥ずかしいのか、ここには入らず、後で合流する運びとなった。
しかし、じじいは懇意にしている店があるらしく、店内に一緒に入ると、俺たちを先導し、そこへ連れて行ってくれる。
「ようこそ――
お越しくださいまして、ありがとうございます。
ハウゼン卿。本日は、どのようなご用件でしょうか」
シュッとした黒の燕尾服と蝶ネクタイのイケメン男性が迎えてくれる。
「この者たちの服をな。
見ての通り奇妙な格好なので、もう少し目立たんように……なんとかならんかの――」
イケメン店員に説明してくれるじじい。
一方、莉奈さんは、ディスプレイされた服たちに目をキラキラさせている。
「ねっ、ねっ! 見て!!
クラシックなデザインが、すっごくいい!
素敵……」
ちょっ、マントひっぱるなって。
しかも、たぶん、この人たちからすると、クラシックなんかじゃなくて最新だぞ。
「先ほどから、そちらのスーツが気になっているご様子ですが……
最近は、女性もアンチコルセットで、合理服を好まれる方も多いですね。
女性でも社会進出されている方が多くなっていますので……その影響でしょうか。
こちらの、アングリア産、羊毛を使った、女性用スーツを着用される方が多くなっております。
お客様がご覧になられているスーツは、見本用にウチの職人が用意したもので……
どうぞ、お手に取って肌触りなどご確認ください」
店員はそう言うと、ディスプレイから服を取り、俺たちの前のテーブルに、さっとその茶色のスーツを置いた。
「かっこいい……。
これ、かっこよくない? えっ、ちょっとまって!
他のも見たい!!」
もう、店は閉店時間になっている。
にもかかわらず莉奈さん、テンションが上がってるのか、この買い物はなかなか終わりそうにない。
じじいの馴染みの店なので、無理を言って閉店を伸ばしている状況だった。
ちなみに百貨店の方は、もう閉店となっている。
結局、俺たちの買い物が終わったのは、一時間ほどたった後……午後七時を少し過ぎたあたりだった。
§
基本オーダーメイドの店なのだが、貴族の気まぐれにより、急にキャンセルなることがよくあるらしく、既製服ではないのだがいくつか購入できるものがあった。
結局、購入したのは、俺がフロックコート。
スーツの上着の裾が長くなった感じのやつだが、シャツとベスト、ズボンの上にそれを着る。
帽子なんかいらないと思ったが、シルクハットをすすめられ、しかたないのであまり形が長くないものを購入した。
莉奈さんの方はというと、女性用スーツに(散々選んだが、最初の展示用のものになった)、オーバーコート――男物しかなかったらしく、襟がビロードで隠しボタンのチェスターコートと言われているコートを、前をがっつり開け、男の俺よりもかっこ良くラフに着流していた。そして首からはこれまた長いマフラーをかっこ良く巻いて垂らせている。
当然、これらの洋服の下には全身タイツを着込んでいた。
幸い、この地域の気温が寒いことと、文化的にあまり肌を見せるのはよくないとされているようなので、全身タイツが見えているのは手や、足の一部のみとなり、あまり目立たなかった。
ん? ヘルメットはどうしたって?
ヘルメットは、かぶると怪しすぎるので、とりあえず、いつも小脇にかかえている状態だ。
さて、後は――
宿と食事である。
森を探索するための服装は明日また探すこととなり、当面、街を歩くのはこの服装でということとなった。
この買い物で、消費したのは50万エウロを少しオーバーするぐらい。
魔素資源取引所で得た金額は215万エウロだった。そのうち21万5千エウロは税金で差し引かれ、193万5千エウロが手元にある。
俺たちは、1万エウロ紙幣五十枚、千エウロ紙幣五枚、金貨(一枚1万エウロ)二十枚に換えてもらっていた。
残りの123万エウロは、魔素資源取引所と同じ区にある銀行へ預けている。
口座を作るのは、取引所の人が間に入ってくれたのでそんなに手間がかかることではなかった。
「あっ!
こんな所にいたーーっ!!」
店から出た俺たち。
こちらを指さす女性。
彼女は、くるりとカールした髪をぽんぽんと弾ませこちらへ走ってきた。
はぁはぁと、切らせた息が整う間もなく、膝下まである長いコートのポケットから、かき分けるように手帳を取り出す。
「こ、今度は逃がさないわよ……。
って、着替えてるし……ふーん、さっきよりいいじゃん。
っていうか、なんで、あんなの着てたのか知らないけど……もしかして、あの格好が強さの秘密?」
俺の頭のてっぺんからつま先まで、品定めするように見てくる。
「あ、失礼。
私は、シャーロット・ブラウン――
フリーのリポーターをやってるわ……。
貴方、名前は?」
息をきらしていた彼女の頬は、ほのかに上気し赤い。
彼女はその顔で満面の笑みを浮かべ手袋をとった。
中からは、ほっそりとした長い指が出てくる。
そして俺の前に、その細くて白い手を差し出してきた。
「握手よ、握手。
もしかして、貴方の国ではしないの?」
突然でわからなかったが……そうだ、握手だ――
ぼーっと見とれてた俺に、彼女は握手を促してきた。
「ああ、そうですね……。
俺は――えーっとコウゾウっていいます。
よ、よろしくお願いします」
今買ったところのコートの裾で手汗を拭き、握手をした。
「ウフフ――
案外、華奢な手をしてるのね。
もしかして魔術師?
――それに、コウゾウって珍しい名前ね。
やっぱりよその国から?」
目の前の女性は、その好奇心に満ちた顔で質問してくる。
くそぅ。
この押しの強さ、童貞コミュ障にはつらい。
自分に惚れているのかと思ってしまう。
「お主、イエロートップスの記者か?
これからワシらは、行く所があるんじゃ。
邪魔せんでくれるかの――」
丁度よく、じじいの助け舟。
これで肉食系女子の毒牙から逃れられる。危なかった。
「これはこれは、ハウゼン卿。
いえ、モーリッツ教授とお呼びした方がよろしいかしら。
研究のためコチラに来ていたのは本当だったんですね。
私、今はフリーでどこにも所属してませんの。
確かに、あの雑誌に投稿してはいますが……。
ゴシップと言っても冒険者の活躍を取材しているリポーターなんですよ。
ここ数年の冒険者ブームは、年収わずか200万エウロの労働者階級からすれば現実的な成り上がりとして注目されています。
今回の一角熊の討伐……いえ、それだけじゃないわ。
無名で謎の冒険者のって話は――
――って、あっ、逃げるなっ!」
俺たちは、身振り手振り、大げさに喋る彼女を置いて先を急ぐ。
今晩の宿も探さないといけないからだ。
その前に、金髪ローブくんたちとも合流しなければならなかった。
「ちょっ、どこよ? どこにいったのよ?
んっ――もう! 逃げ足が早いっ!
……いいわ、それでこそ、燃えてくる――」
彼女は路地裏に潜り込んだ俺たちを見失ったようだ。
なにか聞こえたような気がするが、俺たちは路地裏を急ぐ。
あの人が記者だというなら、帝国から逃げてきた俺たちはあんまり関わらない方がいいか……。
「ねえ、いいの? あの人?」
莉奈さんが心配そうな顔で聞いてくる。
「うーん、あの人、記者だって。
あんまり目立つのもまずいから、逃げちゃったよ――」
帝国が俺たちを追っているかどうかは、まだわからない。
でも、まあ……たぶん追ってるだろうな。
最悪、指名手配の賞金首というのもありえる。
他国間での犯罪者の扱いがどうなっているかは知らないが、安全ともいえないだろう。
あの女性記者は要注意だな……。
肉食系女性記者。色んな意味で注意しよう。
そう決心し、俺たちは待ち合わせの酒場へと急いだ。
§
〈三人称 視点〉
裏をとった特徴的なリズム。
軽快なピアノの音が部屋を満たし、喧噪をも音楽の一部として取り込んでいた。
トランプやダイスによる賭博は当たり前、ビリアードを楽しむ者、その日の愚痴を吐くものなど、それにより発せられる音や声が店内を飛び交う。
さらにタバコの煙や酒の臭いが混じると、その環境は猥雑な活気で満ちあふれていた。
冒険者の酒場。
その酒場は今日も繁盛している。
その一角。
コウゾウが助けた冒険者二人と教授の助手が集まり、バーテンダーと話をしていた。
「赤目オオカミの毛皮が、十枚ほど必要なんだが――
お前ら、やってみないか」
そう言うとバーテンダーが、口を開けた小さな瓶ビールを三本、テーブル上に置いた。
「あー、アタシたち先約があるの。
その仕事、期間があるならついでに受けられるけど……」
「期間は……
ないな。
ちっ、じゃあ、他に頼むか――」
バーテンダーは舌うちをし、返事をしたダーナの前に手のひらを突き出した。
眉間にシワをよせ、ダーナは500エウロ銀貨を三枚、バーテンダーの手のひらにのせる。
「瓶は返せよ――」
そう言って、彼らのテーブルからバーテンダーは離れた。
「おごりじゃないのかよ……」
三人の中で一番筋肉質な男、ドミニクが不機嫌になる。
「しょうがないよ、依頼受けなかったんだし――」
ローブ姿の金髪頭。ユアンが二人をなだめた。
二人は冒険者の組織に入っていない。
それは亡くなったリーダーの夢に起因していた。
リーダーのレオは田舎から出てきた折、自分たちでカンパニーを作りたいと夢をもっていた。
そして、自分たちのみでカンパニーを作る資金が貯まるまでは、どこにも所属しないと決めていたのだ。
それは田舎で人望を集めていた彼のプライドだったのかどうかは、今ではもうわからない。
どこの組織にも所属していない冒険者が仕事を受けるためには、仕事を仲介してくれる者のいる酒場に出入りするのが一般的だった。
いや、組織に所属していたところで、誰かが持ってきた依頼の元をたどれば酒場の紹介であるということは多い。
それだけ冒険者と酒場は密接なつながりを持っている。
そんな理由で、この街には冒険者御用達の酒場なるものがいくつもできていたのだった。
ユアンを含め四人の出身は、このアングリア王国の羊の畜産が盛んなドがつくほどの田舎、チェスターという村である。
今はレオが死んでしまい無理なのだが、その田舎から十四歳の時に出てきたレオとダーナは、冒険者として成功した後、カンパニーを立ち上げ、それが軌道に乗れば結婚するつもりでいた。
「本当に、あの話を信じているのか?」
ドミニクはダーナに問いかける。
「アタシには……
それしか、すがるものがないの」
ダーナは悲しみ、憎しみ、後悔、様々な負の感情で満ちた瞳――その瞳でどうにか希望を見ようとしていた。
「俺は頭が悪いから、こういった話はわからん。
ユアン……どういう事なのか教えてくれ」
ドミニクは手に持ったビール瓶を強く握り、少し幼いが、利発さの感じられるユアンに問う。
「……まったくのデマだとは言いきれませんね。
タルタロスは煉獄への入口……という研究もありますから……」
煉獄。
そこは人が死んだ時、魂のいたる場所だとメサイヤ教では教えられていた。
煉獄の炎は、魂の抱える罪を焼く。
そこは、天国に到るため、罪の浄化を司る場所だと言われているのだ。
だが実際に、その存在を確認したものはいない。
それは教会が金を集めるため、免罪符を作るために考えたと言う者もいる。
ただ妖魔が存在し、魔素漂うこの世界で、それを完全に否定することはできなかった。
実際に、教会の奇跡の恩恵を人々は受けている。
一番が僧侶による回復魔法であり、それは冒険者にとって生命線であり身近なものだった。
そんな煉獄に通じると言われているタルタロスのあの話とは、この所、噂されている「下層には、人を蘇らせることのできる、マジックアイテムがある」という話のことなのだ。
「タルタロスは、まだまだ未知の部分が多いことは二人とも知ってますよね。
なのになぜ、そんな噂があるか、ダーナやドミニクは知ってますか?」
ユアンは、手に持ったビールをあおり、話を続ける。
「それはアングリア大図書館の書物の中から、最近見つかった、ある一冊の本からなんですよ……」
酒場の喧噪は、依然静まる気配はない。
だが、彼の話を聞く二人は、それらが消えたように感じるほど話に集中していた。
「見つかったのは魔導書。
死霊秘法と呼ばれるその魔導書には、失われた都市や、封じられた妖魔の数々が書かれていたんだ。
そして、その中の一つに、死者の魂を刈り取る死神。
タナトスについて、書かれた記述が発見された――
おそらくだけど、その件から噂はつくられた……と僕は考えています」
彼はそう言うと手元のビール瓶に口をつけ、さらに中身をあおった。
「タルタロス――
黒の森は、そこで死んだ者と、魔素の中で再開することがある……。
――昔から真しやかに噂されるこの話。それこそ、一つの酒場に一人位は体験したと言っているものが居る位多い話です」
勢いが強かったのか、口から少し溢れたビールが顎に伝う。
それを手で拭いながら、ビール瓶をテーブルに置きユアンは話を続けた。
「ある論文では、タナトスはタルタロスの最下層に住み、森で死んだ者たちの魂から現世と隠世のつながりを死の鎌で断っているといいます。
……そして、その現世との繋がりを断った魂を集め、タルタロス深層へと誘うらしいんです」
「じゃあ、レオもそこにッ!」
ダーナは話に割って入った。
「落ち着いてください。
そんな場所だから、そんなマジックアイテムが産まれることは十分ありえるといいたいんです……」
少し自信なさげに言うユアン。
それを見てダーナは勢いよく立ち上がる。
――そして荒々しく声を出し、ユアンの胸ぐらをつかんだ。
「答えて!
だからレオもそこに居るかもしれないんでしょ!」
ダーナがつかみかかると同時に倒れたビール瓶。
そこから流れ出た液体がテーブルを走り、床へと滴り落ちた。
「……そ、そんなの僕にはわかりませんよ。
発表していた論文だって、そう書かれていたとしかいってないですし……。
そもそも、書かれていたのは魔導書なんだ……
それは、魔族の罠かもしれないんですよ」
「――っく!」
悔しそうに、ユアンの胸から手を離すと、流れ出たビールを見ながら
「――あんたが、あそこで逃げなければレオは……」
とつぶやいた。
ドミニクはそんなダーナの肩を叩き慰める。
しかし、そんな彼の手も忌々しいのか、顔を歪め彼女は振り払っていた。
ダーナの行き場のない怒りは、その握りしめた手のひらに込められ、自身を傷つけるしかできずにいたのだった。
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