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十六、掴めない人
三
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その頃、ヨネは轟音響く飛瀑を眺めていた。見上げると、飛沫に反射した光が雪のように舞い散っている。
(この時期に山さ入ったっけ、バレたら父ちゃんさしったげ怒られるども、そんたごと知るか! そんたことより、今日は彼さ会えるべか……)
此処は五年前の夏、ヨネが初めて鷹匠と出会った場所だった。
◇ ◇ ◇
当時、十七歳だった彼女は悶々としながら一人此処にいた。狩りの季節が終われば女も山に入ることが許される。此処は彼女の癒しの場だった。深緑の中、豪快な滝の音が、澄んだ滝の飛沫が、彼女の重たい気持ちを流し落としてくれているように感じていたのだ。
(とうとう、ミヨ姉ちゃんも嫁いじまった。次はオラの番だ……)
菊地家は四人姉妹であった。長女、次女共に見合いをして嫁いだが、三女であるミヨは当時にしては珍しく恋愛の末、嫁ぐことになった。次は自分の番かと思うと、気が重くなった四女のヨネはこの場所でため息をついてしゃがみ込んだ。
(オラ、見合いで知らね男のとこさ嫁ぎたくね!)
とは言っても、ヨネには好きな人も彼女に好意を寄せる男も居なかった。だからといって、女は嫁いでなんぼと思っている父親の健蔵が、妙齢になる彼女だけ黙って見過ごすわけがなかった。
「あーーもう!! 嫌だっ!! 窮屈だぁ!!」
苛々を発散するように空を見上げて叫ぶと、彼女の目が大きく見開いた。
「ピイィィィーーッ」
青空と深緑の境を跨がるように自由に飛んでいる二羽のクマタカが彼女の目に映った。
――オラも自由に飛べる鳥になれたら……。
そう思っていた矢先、
「紫吹、伊吹、こっちゃ来!!」
彼女の背後から男の叫び声がした。彼女が振り返ると、遠くで二十代半ばの男が両手を広げていた。すると、さっきまで空を自由に飛んでいた二羽のクマタカが彼の両腕に行儀よくとまる。
「か、格好良いぃぃ!!」
ヨネには両手を広げた男の姿が、翼を広げた鳥のように見えた。そして、鷹のような彼の鋭い眼光に釘付けになった。彼女には二羽のクマタカを使役する、強く気高く自由な鳥のように見えたのだ。
生まれて初めて彼女の鼓動が大きい音をたてて弾けた。
ヨネは急いで彼の所へ走り、声をかけようとしたが、彼女に気づいた男は慌てた様子で姿を消してしまった。
「ああ、残念! だども、オラもあの鷹匠みてえに鷹どこ飛ばせてみてえなぁ。もう一度、彼さ会いてえなぁ。……鳥の親分みたいで格好良がったなぁ」
それ以来、彼女は鷹匠に会いたいが為に、この滝を訪れたが、稀に姿を現してもすぐに姿を消してしまうため、五年経った今でも彼女は鷹匠に話しかけることすら出来ずにいた。
距離が縮まらない五年間、彼女の想いは募るばかりであった。
◇ ◇ ◇
溜息をついて空を見上げようとしたが、彼女の視線が途中で止まった。岩壁の隙間から生えている木の上に小さなクマタカがぐったりとしていた。
「あいー!? しかだね!」
驚いたヨネは口をあんぐりと開けてクマタカを見ていたが、このままでは駄目だと思い、急いで山を駈け上がった。
「滝の頂上まで上がれば、クマタカさ手が届くかもしれね! 待っててけれな!」
数時間後、ようやく滝の頂上まで辿り着くと、ヨネは身を乗り出して崖の下を見た。数時間前まで自分が座っていたであろう場所が遠く見える。彼女はゴクリと唾を飲み込んだ。
「……こいだば、落ちたら即死だな。だども」
手を伸ばせば、飛べないクマタカを助ける事が出来るかもしれない。
ヨネは意を決して上半身を宙に浮かせると、片手で地面を支え、もう片方の手をゆっくりとクマタカの方へ伸ばした。
クマタカの身体に触れる事が出来たが、片手では持ち上げることが出来ない。クマタカを助けることに頭がいっぱいになっていたヨネは地面を支えていた手を伸ばして、両手でクマタカを掴んだ。
「やった!! ――え!?」
そう言ったのも束の間、重心が傾くと地面に接していた身体が滑り始めた。
――あ、オラ、死ぬ?
死の重力に吸い込まれそうになった彼女の頭に浮かんでくるのは、大空を飛んでいるクマタカを使役する鷹匠の姿だった。
――もう、彼さ会えねまま終わるんだな……だども。
「いやだぁぁぁぁ!! オラ死にたくねぇぇぇぇ!!」
完全に身体が宙に浮き、いよいよ落下の時――全身の血の気が引き、青褪めた彼女は、無意識に叫んでいた。
「――大丈夫だ! 俺が死なせねぇ!!」
男の叫び声が聞こえると、ヨネは地面ではなく、岩壁を強打した。両足首に其々の強い力を感じると、徐々に彼女の身体が引きずり上げられる。
「俺も一緒に助けてるんだけど!?」
更に違う男の声が聞こえた。どちらも彼女には聞き覚えのある声だった。
(……佐介さん!? 右京さん!?)
彼らに両足首を掴まれたまま引きずり上げられると、岩壁に顔面を強打していたヨネは、鼻血を出しながらその場で泣き出した。
「うわぁぁぁぁ! オラ、死ぬかと思っだぁぁぁぁ!」
間一髪で間に合った佐介と右京は、息を切らせながらぐったりと腰を下ろした。
「はぁ~。ようやく見つけたと思ったら……心臓に悪いよ、ヨネさん。間に合って良かったねぇ」
「んだな。ほれ、ヨネさん、こいで鼻血拭いてけれ」
佐介がヨネに手拭いを差し出すと、彼女は再び泣き出した。
「うわぁぁぁぁ! 二人ども優し……ありがどぉぉ!!」
「そんな、泣かなくても……気にしなくていいよ?」
「こんたに良い人達なのに、縁談どこ断ってしまっで……ごめんしてけれぇぇ!!」
「気にしねでけれ。その話だば俺らもお断りだ!」
「……う、うわぁぁぁぁ!」
「あはは。何か佐介が振って泣かせたみたい」
「…………」
気が動転してひたすら泣き続けるヨネを、右京は苦笑いで見守り、佐介は苦虫を噛み潰したような顔でどうすることも出来ずに黙って見守っていた。
(この時期に山さ入ったっけ、バレたら父ちゃんさしったげ怒られるども、そんたごと知るか! そんたことより、今日は彼さ会えるべか……)
此処は五年前の夏、ヨネが初めて鷹匠と出会った場所だった。
◇ ◇ ◇
当時、十七歳だった彼女は悶々としながら一人此処にいた。狩りの季節が終われば女も山に入ることが許される。此処は彼女の癒しの場だった。深緑の中、豪快な滝の音が、澄んだ滝の飛沫が、彼女の重たい気持ちを流し落としてくれているように感じていたのだ。
(とうとう、ミヨ姉ちゃんも嫁いじまった。次はオラの番だ……)
菊地家は四人姉妹であった。長女、次女共に見合いをして嫁いだが、三女であるミヨは当時にしては珍しく恋愛の末、嫁ぐことになった。次は自分の番かと思うと、気が重くなった四女のヨネはこの場所でため息をついてしゃがみ込んだ。
(オラ、見合いで知らね男のとこさ嫁ぎたくね!)
とは言っても、ヨネには好きな人も彼女に好意を寄せる男も居なかった。だからといって、女は嫁いでなんぼと思っている父親の健蔵が、妙齢になる彼女だけ黙って見過ごすわけがなかった。
「あーーもう!! 嫌だっ!! 窮屈だぁ!!」
苛々を発散するように空を見上げて叫ぶと、彼女の目が大きく見開いた。
「ピイィィィーーッ」
青空と深緑の境を跨がるように自由に飛んでいる二羽のクマタカが彼女の目に映った。
――オラも自由に飛べる鳥になれたら……。
そう思っていた矢先、
「紫吹、伊吹、こっちゃ来!!」
彼女の背後から男の叫び声がした。彼女が振り返ると、遠くで二十代半ばの男が両手を広げていた。すると、さっきまで空を自由に飛んでいた二羽のクマタカが彼の両腕に行儀よくとまる。
「か、格好良いぃぃ!!」
ヨネには両手を広げた男の姿が、翼を広げた鳥のように見えた。そして、鷹のような彼の鋭い眼光に釘付けになった。彼女には二羽のクマタカを使役する、強く気高く自由な鳥のように見えたのだ。
生まれて初めて彼女の鼓動が大きい音をたてて弾けた。
ヨネは急いで彼の所へ走り、声をかけようとしたが、彼女に気づいた男は慌てた様子で姿を消してしまった。
「ああ、残念! だども、オラもあの鷹匠みてえに鷹どこ飛ばせてみてえなぁ。もう一度、彼さ会いてえなぁ。……鳥の親分みたいで格好良がったなぁ」
それ以来、彼女は鷹匠に会いたいが為に、この滝を訪れたが、稀に姿を現してもすぐに姿を消してしまうため、五年経った今でも彼女は鷹匠に話しかけることすら出来ずにいた。
距離が縮まらない五年間、彼女の想いは募るばかりであった。
◇ ◇ ◇
溜息をついて空を見上げようとしたが、彼女の視線が途中で止まった。岩壁の隙間から生えている木の上に小さなクマタカがぐったりとしていた。
「あいー!? しかだね!」
驚いたヨネは口をあんぐりと開けてクマタカを見ていたが、このままでは駄目だと思い、急いで山を駈け上がった。
「滝の頂上まで上がれば、クマタカさ手が届くかもしれね! 待っててけれな!」
数時間後、ようやく滝の頂上まで辿り着くと、ヨネは身を乗り出して崖の下を見た。数時間前まで自分が座っていたであろう場所が遠く見える。彼女はゴクリと唾を飲み込んだ。
「……こいだば、落ちたら即死だな。だども」
手を伸ばせば、飛べないクマタカを助ける事が出来るかもしれない。
ヨネは意を決して上半身を宙に浮かせると、片手で地面を支え、もう片方の手をゆっくりとクマタカの方へ伸ばした。
クマタカの身体に触れる事が出来たが、片手では持ち上げることが出来ない。クマタカを助けることに頭がいっぱいになっていたヨネは地面を支えていた手を伸ばして、両手でクマタカを掴んだ。
「やった!! ――え!?」
そう言ったのも束の間、重心が傾くと地面に接していた身体が滑り始めた。
――あ、オラ、死ぬ?
死の重力に吸い込まれそうになった彼女の頭に浮かんでくるのは、大空を飛んでいるクマタカを使役する鷹匠の姿だった。
――もう、彼さ会えねまま終わるんだな……だども。
「いやだぁぁぁぁ!! オラ死にたくねぇぇぇぇ!!」
完全に身体が宙に浮き、いよいよ落下の時――全身の血の気が引き、青褪めた彼女は、無意識に叫んでいた。
「――大丈夫だ! 俺が死なせねぇ!!」
男の叫び声が聞こえると、ヨネは地面ではなく、岩壁を強打した。両足首に其々の強い力を感じると、徐々に彼女の身体が引きずり上げられる。
「俺も一緒に助けてるんだけど!?」
更に違う男の声が聞こえた。どちらも彼女には聞き覚えのある声だった。
(……佐介さん!? 右京さん!?)
彼らに両足首を掴まれたまま引きずり上げられると、岩壁に顔面を強打していたヨネは、鼻血を出しながらその場で泣き出した。
「うわぁぁぁぁ! オラ、死ぬかと思っだぁぁぁぁ!」
間一髪で間に合った佐介と右京は、息を切らせながらぐったりと腰を下ろした。
「はぁ~。ようやく見つけたと思ったら……心臓に悪いよ、ヨネさん。間に合って良かったねぇ」
「んだな。ほれ、ヨネさん、こいで鼻血拭いてけれ」
佐介がヨネに手拭いを差し出すと、彼女は再び泣き出した。
「うわぁぁぁぁ! 二人ども優し……ありがどぉぉ!!」
「そんな、泣かなくても……気にしなくていいよ?」
「こんたに良い人達なのに、縁談どこ断ってしまっで……ごめんしてけれぇぇ!!」
「気にしねでけれ。その話だば俺らもお断りだ!」
「……う、うわぁぁぁぁ!」
「あはは。何か佐介が振って泣かせたみたい」
「…………」
気が動転してひたすら泣き続けるヨネを、右京は苦笑いで見守り、佐介は苦虫を噛み潰したような顔でどうすることも出来ずに黙って見守っていた。
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