ただ、笑顔が見たくて。

越子

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五、転機

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 色気づいた秋の山は、いつもより静かで寂しげだった。

 辰巳と平次はマタギのシカリの家に呼ばれ、二人はシカリと囲炉裏を囲んで正座をしている。シカリは茶を啜り、一息ついて言った。

「突然で悪いが、おめどら、岩手山の集落さ行ってけねえべか?」

 経緯はこうだった――東北地方の山々が凶作だったせいか、冬眠に備えて充分に蓄えることが出来なかった熊が、岩手山の麓にある集落に降りてきて家畜や人間を襲っているとのことだ。

 困った村長が阿仁マタギの活躍を聞きつけ、シカリに便りを出していた。

「――んだからしゃ、腕の良いおめどらに熊狩りを頼みてえんだ。何とだ?」

「いや、俺たちよりも腕の良い方々がいますよね?」

 平次が不思議そうに尋ね、辰巳も黙って頷いた。

「おめどら、女いねえべ? ……そんたごどだ」

 あー……、と二人は納得した。

 マタギは山の神を信仰しており、それは女の神と云われている。山の神は醜い姿で、醜いモノを好む。それに加えて女に嫉妬深い為、マタギは山入りする期間は女との接触は禁忌とされている。女房と同じ床で過ごすことも許されない。山の神を怒らせると、獣(山の恵み)を授かれないからだ。

 シカリは気を利かせて、女房がいる練れ者たちを避けたのだろう。

「俺の顔どこ立てると思って。頼む」

 シカリが若造二人に頭を下げた。ここまでされては、もう拒否権は無い。

 二人は顔を見合わせて頷いた。



   ◇ ◇ ◇



「いやはや、遠い所からようこそおいでくださった」

 辰巳と平次は、眉を下げて微笑んでいる村長に出迎えられると、早速被害にあった家々を訪ね歩いた。

 至るところに熊は足跡を残していた。

「なぁ、襲ったイタズは全部で何頭だと思う?」

 一通り村を調べ、村長の家の敷地にある離れで休んでいると平次が辰巳に聞いてきた。

「……一頭だ」

「だよな。まだ若いイタズの足跡だったな。明日、山に入ってみるかぁ」

 夜明け前、熊が活動的になる時間帯に二人は山に入った。

 村にあった足跡と同じものを見つけると、その足跡を辿っていく。その先には熊の糞が転がっていた。

「おい、辰巳、見てみろ。まだ新しいな。近くに居るかもな」

 辰巳もそれに頷き、二人は獣に気付かれないように気配を消した――。



   ◇ ◇ ◇



「阿仁マタギの若造は、本当に熊を仕留められるのか?」

 村の人々は怪しみはじめた。

 それもそのはず、二人が山に入って三日が経った。だが、二人にとってこの事態は想定内だった。冬眠明けとは違い、そう簡単に熊も姿を見せてはくれない。

 四日目。いつものように二人は山に入り、気配を消しながら熊の足跡を辿っていくと、

「うわぁぁぁぁ!」

 男の悲鳴が聞こえた。

 二人は悲鳴の先に駆け上がってみると、木に登った熊と、下からそれを狙っている熊に遭遇した。

イタズ同士の喧嘩か?」

 平次が目を丸くしている。

「馬鹿。よく見ろ」

 辰巳に言われ、平次は目を細めて凝視すると、また目を丸くした。

「ありゃ、人間じゃねえか!」

 木に登っているのは小太りな中年の男性だった。

「たたた助けてくれぇ!」

 熊は威嚇しながら木の周りをうろついている。

 辰巳は静かに鉄砲を構えた。熊との距離――二十間。

「この距離だと一発で仕留めるのは無理だ。平次、頼む」

「ああ。任せとけ!」

 気配を消しながら二人は各々に動き出した、その時だった。

 突然、熊は猿のように木に駆け登り始めた。

「うわぁぁぁぁ!」

 中年の男性は恐怖のあまり、木から落ち、腰を強打する。

 タァァァン!

 一発の弾が熊の肩に命中した。熊も木から落ち、背中を強打する。

 この時を待ってましたとばかりに、平次はタテという槍のような武器を構えたまま走り出し、仰向けになった熊の心臓を目掛けて力強く刺した。

勝負ショウブ!」

 平次の叫びが聞こえ、辰巳も熊に近づく。そこには重さ二十貫ほどの若い熊と、同じく二十貫ほどの中年の男性が横たわっていた。

「ぅう……こ、腰が……」

 男性は意識はあったが、腰を強打したため、自力で立てないようだった。

 二人は熊と人を背負って村の集落へ戻ることにした。



   ◇ ◇ ◇



「熊狩りだけでなく、村の杣夫そまふまで助けていただいて……ありがたや、ありがたや」

 二人が仕留めた熊は、村を襲った熊だった。冬に備え、杣夫そまふが木を切っていたところ、熊に遭遇したとのこと。

「アンタぁ! 大丈夫かい!? 全く、心配させるんじゃないよ!」

 擦り切れて汚れた着物に似合わず、艶かしい雰囲気の女性が、肩で息をしながら村長の家に勢いよく上がり込んできた。

「アヤさぁん。おっかなかったよぉ。この二人が助けてくれたんだ」

 腰を強打し、起き上がれない杣夫が安心したかのように顔を緩めた。アヤという女性が辰巳と平次に視線を向けると、

「アンタたち、阿仁マタギの……うちの旦那を助けてくれて、ありがとう」

 先ほどの勢いが嘘のように、しおらしく頭を下げて彼女は二人にお礼を言った。

 彼女は頭を上げると、少し気まずそうに苦笑いを浮かべて「厚かましいのは承知の上なんだけど、旦那を家まで背負ってくれないかい? 私一人だと家に辿り着く前に、旦那に潰されちまう」と言って二人にお願いをした。

 辰巳が杣夫を背負って家に送っている道中、アヤが昔を懐かしむように言った。

「阿仁といえば、ハナ坊を思い出すわね」

「ハナ坊?」

 思わず辰巳が反応し、彼の後ろについて歩いていた平次も無言で反応する。

「そうさ。こう見えてアタシ、二年前まで女郎屋で働いていてね。四年前に阿仁の村からハナっていう子が売られてきたのさ。当時は雑用で裏方にいたが、素直で器量の良い子だったよ」

 辰巳の鼓動は静かに暴れだす。

「失礼だが、何処の女郎屋で?」

 聞いたのは平次だった。

「マタギのあんたらでも女に興味があるのかい? 盛岡さ」

 それを聞いた平次は、辰巳の後ろ姿を黙って見守った。

 ――辰巳の鼓動は煩く暴れていた。



   ◇ ◇ ◇

 

「平次、俺……」

「……行くんだろ? 盛岡」

 杣夫を送り届けた後、辰巳は平次の顔色を伺いながら口を開いた。

「未練がましいのは、わかっている。ただ、元気でやっているかどうか、この目で見たい」

「そこは、素直に『会いたい』って言えよ」

 平次は呆れたように言ったが、柔らかく目を細めていた。

「俺も行く。仕留めた熊のを盛岡へ売りに行こうぜ」

 熊のは万能薬になるため、高値で売れる。「狩りは終わった。売れた金で女遊びだ」と言って、平次はしたり顔で辰巳の背中を叩いた。

 辰巳はじんじんと熱くなった背中が何故か嬉かった。そして彼の前を歩く平次の背中を見て、はにかんだ。
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