餅太郎の恐怖箱【一話完結 短編集】

坂本餅太郎

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014.奥の部屋の女

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 私がまだ小さかった時の話です。

 私の両親は共働きで、小さい私と妹を残し遅い時間まで仕事をしていました。
 
 当時は私も妹も幼かったので一人で眠ることが怖く、いつも同じ部屋のベッドで一緒に眠っていました。

 私たちが住んでいた家の築年数は数年と新し目で、とてもきれいな分譲マンションでした。

 しかしどういうわけか、同じ階の一番奥の部屋だけやたら入れ替わりが激しかったのです。

 ある日、私たち姉妹は夏休みで昼から家でダラダラしていた時に、突然ピンポンとチャイムがなりました。

 住んでいる場所はマンションでしたので一階のフロントで誰かが押したのだろう、と部屋の中にあるインターホンの画面を見ました。

 画面には【玄関前】と表示がありました。
 なんだ、同じマンションの住人か。と、応答しました。

「同じ階に引っ越してきた○○です」

 今年に入ってもう2回目だ。そう思いつつも、軽く挨拶を済ませました。

 新しく入居してきた方はとても若い妻と二十歳は離れていそうな夫の二人でした。
 
 若い女性は高いハイヒールと奇抜な色の洋服を着用しており、近所では見かけないような美人な方でした。

 サラサラの長い黒髪とすらっとしたスタイルが印象に残っています。

 その日の夜からあることが起こり始めました。

 夜の十時までにはベッドに入っていた私達だったのですが、ベッドに入り寝るまでの間に必ずマンションの廊下からコツコツと、ハイヒールの音が聞こえてくるようになりました。

 私たちの住んでいるマンションは端にエレベーターがあり、エレベーターから直線に廊下が伸びているという構造でした。
 
 一階ごとの部屋数は五部屋で私たちはエレベーターから降りて二番目の部屋です。

 また、一番奥の部屋だけ玄関扉の前に柵がついており、家から出るには玄関扉を通った後、その柵の扉を開けて出る必要がありました。

 コツコツと音のする前は決まってその柵の扉をギイッと開ける音がしましたので、必然的に一番奥の部屋の人だとわかったんです。

 また、コツコツという音から幼いながらもハイヒールの音だとわかり、奥の部屋の女性が通っているのだと姿を見ずとも理解できました。

 一週間ほどそんなことが続き、最初はほとんど気にしていなかったのですが、やはり何日も続くと気になるもので、ベッドに入ってもその音がいつ聞こえるのかと目が冴えてしまうことが増えました。

 まだ音がしないだろうかと、毎日のように耳をすませていました。

 妹はまだ保育園に通うほど小さかったのでいつもベッドに入ればすぐ眠ってしまっていたのですが、たまたま私と一緒に起きていた日がありました。

 その日も奥の柵が開く音がし、コツコツと音が聞こえました。
 
 ただ、いつもとは何か違いました。

 コツコツという音が途中で途切れ、数分ほど止まっていました。今までそんなことはなかったので私は少し不思議に思ったことを覚えています。

 しばらくするとまたコツコツと音が鳴り、音はこちらへ近づいていました。

 そして私たちが寝ていた部屋の前でその音が止まりました。
 
 明らかに廊下の電気に照らされた影が私たちの部屋の窓に映っているのがわかります。

 マンションの共用廊下に面している窓には面格子がついているのですが、その格子に貼り付くようにして中を除くような体勢の影が私たちに見えていました。

 私と妹は息を殺し、早く行け早く行けと心の中で唱えながらその恐ろしい影がそこからいなくなるのを待っていました。

 そして影が少しずつ離れ、また、コツコツと次の部屋へ向かうのがわかりました。

 住んでいたマンションはそんなに大きくもないので耳をすませば部屋の中からでもエレベーターのアナウンスがうっすらと聞こえました。

 エレベーターのアナウンスで「扉が閉まります」という音がなると、女性が下に向かったことがわかり少し緊張がほぐれました。

 妹が「お姉ちゃん」と一言小さな声で呟きました。
 
 私たちは恐怖で眠ることもできず、深夜に帰ってくる両親を布団にくるまって待っていました。

 帰ってきた母に私たちが体験したことを全て伝えましたが、まだ幼い私たちが夢を見ていただけだろう、とまともに取り合ってもらうことはできませんでした。

 ただ、次の日も、その次の日もその行為は続きました。

 それが始まってから一週間ほどたった日のことでした。
 
 その日もまたコツコツとハイヒールの音。そして部屋の前で止まり、中を覗くように格子に張り付く女の影。

 恐ろしいという感情はありましたが、連日の出来事で少し慣れてしまっていた部分もあったのかもしれません。
 
 件の女が部屋の前から去り、ハイヒールの音が止まったのでエレベーターを待っていると思ってました。

 コツコツコツコツコツコツコツコツコツコツコツコツ

 女はエレベーターから奥の部屋までまた戻って行きました。
 
 怖くなった私は小さく「ヒッ」と思わず声を出してしまいました。

 奥まで続いたハイヒールの音が、

 ガッガッガッガッ

 と走るように私たちの部屋の前で止まりました。

 鳥肌と汗が止まらず嗚咽すら出そうでしたが、音を出せば死ぬかもしれないという謎の恐怖に駆られ、手で口を押さえて女がいなくなるのを待ちました。

 どれくらいの時間が経ったのかわかりません。

 気がつくと朝になっており女の影はそこにありませんでした。

 次の日の夜から怖くなった私は妹を連れリビングに布団を敷き寝るようになりました。
 
 その日から奥の部屋の女がどうしていたのかはわかりません。
 
 その日から約1ヶ月後、家のチャイムが鳴りました。
 
 インターホンの画面にあるのは"玄関前"の表示。
 
 応答ボタンを押して声をかけると「奥の部屋に新しく越してきた者です」と。

 気づかないうちに奥の部屋の夫婦は引っ越してしまっていたようでした。
 
 いつからか今までと同じようにベッドで眠り、何もない日々を送りました。

 最近になって知ったことですが、若い妻とかなり年上の夫の夫婦は夫が亡くなってしまったことで引っ越して行ったそうです。

 母に聞いた話では死因は旦那の首吊り自殺で、妻が朝仕事で帰ってきた際に首を吊っているところを見つけ、救急車を呼んだがそのまま亡くなってしまい、妻は越して行った。とのことでした。

 母達の間では若い妻の保険金殺人ではないかと冗談半分で話のネタになっているようですが、考えてみれば私には女の行動が冗談にしては笑えないようなことばかりでした。

 女は毎晩仕事へ行く前に同じ階の住人が1番音の聞こえる廊下側の部屋にいるか、寝ているかどうかを確認していたのではないでしょうか。

 今も奥の部屋は住人の入れ代わり立ち替わりを繰り返しています。

 今となっては当時の真相はわかりません。
 
 私はいまだに格子に張り付くあの女の影が忘れられません。
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