餅太郎の恐怖箱【一話完結 短編集】

坂本餅太郎

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019.深夜の隣人

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 マンションに引っ越してきたばかりの私は、忙しい日々に追われ、部屋にいる時間も少なかった。

 家具の配置もまだ決まらず、段ボールが部屋中に散らかっていた。

 新しい生活に慣れるまで時間がかかりそうだと思っていた矢先、ふと気になる出来事が起こった。

 ある夜、疲れて帰宅すると、どこかから聞き慣れない音が聞こえてきた。

 時計を確認すると、深夜の2時。両隣の部屋には誰も住んでいないはずなのに、壁を叩くような音がする。

 最初は気のせいだと思っていたが、連日その音は続き、日増しにその間隔が短くなっていった。

 気味が悪くなり、不動産会社に確認をしてみたが、彼らの返答は「隣には誰も住んでいない」とのことだった。

 それでも音はやまず、むしろ私が音を気にしていると知っているかのように、壁越しに叩く音がリズムを変えたり、叫び声のような声が混ざるようになってきた。

 その晩も、例の音が始まった。疲れ果てていた私はとうとう怒りを覚え、壁越しに叫び返した。

「いい加減にしてくれ!」

 だが、その瞬間、全ての音が止まった。息を殺して耳を澄ますと、今度は隣の壁から、微かに「誰か助けて……」という声が聞こえた気がした。

「……もしもーし? 誰かいるの?」

 私は壁に耳を押し付け、声をかけてみた。すると、今度は壁の向こうから、さらに鮮明に返事が返ってきた。

「助けて……ここから出して……」

 その瞬間、寒気が全身を駆け抜けた。声の主は私のすぐ隣、誰も住んでいないはずの部屋から聞こえている。

 どうしても気になり、翌日、管理人に相談してみることにした。

 管理人は、私が尋ねると一瞬目をそらし、まるで触れたくない話題のように「隣の部屋にはもう何年も誰も住んでいないんですよ」と答えた。

 それでも諦めきれない私は、隣の部屋に直接確認しに行くことを決めた。

 深夜、壁越しに「今から行くよ」と声をかけてみたが、返事はなかった。恐怖心と好奇心が入り混じり、手が震えながらも隣の部屋に向かった。

 そして、廊下にある隣のドアノブを握り、力を込めて回すと、なぜか鍵は開いていた。

 暗闇に包まれた部屋に一歩足を踏み入れると、異様な匂いが鼻を突き、私は息を止めた。

 部屋の中は埃っぽく、窓もカーテンも閉ざされ、生活の痕跡は一切ない。

 しかし、奥の部屋から確かに人の気配を感じる。震えながらその部屋に向かうと、床に大きなシミがあることに気づいた。

 それは、血のような赤黒い痕だった。

 その時、不意に背後からドアが閉まる音がした。慌てて振り向くと、そこには青白い顔の男が立っていた。

 彼は無言で私を見つめ、口を開けると、低くかすれた声で言った。

「出してくれないか……ここから……」

 私の足は動かない。逃げたいのに、身体が凍りついたように感じた。

 男は一歩ずつ、ゆっくりと私に近づき、手を伸ばしてくる。

 その指先が私の肩に触れた瞬間、激しい頭痛に襲われ、意識が遠のいていくのがわかった。

 気がつくと私は、自分の部屋のベッドに横たわっていた。

 悪夢だったのだろうかと、少しの安心を感じたものの、壁に耳を傾けると、あの「助けてくれ…」という声がまだ聞こえてくる。

 寝汗で濡れた身体を起こし、ふと壁を見ると、そこには赤黒い手形が残されていた。
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