餅太郎の恐怖箱【一話完結 短編集】

坂本餅太郎

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018.廃ビル

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 廃ビルの影が迫ってくる。

 人影のない静寂な街の片隅にひっそりと建っているそのビルは、もう何年も前に人々の記憶からも姿を消してしまっていた。

「ここが、噂の廃ビル……」

 涼は、友人たちと連れ立ってそのビルの前に立っていた。ガラス窓はすべて割れ、壁はカビと苔に覆われて黒ずんでいる。

 彼らは「肝試し」と称して、町の外れにひっそりと存在するこの廃ビルにやってきた。

 古びたビルにはかつてオフィスや店舗が入っていたらしいが、何らかの原因で閉鎖され、その後は誰一人として戻ってこなかったという。

 涼は無造作にビルの扉に手を掛け、重い扉を開けると、かび臭い冷気が立ち込めてきた。「行くぞ」とつぶやき、彼は中に足を踏み入れる。

 他のメンバーも続いたが、どこか居心地の悪そうな顔をしている。

 中に入ると、廃ビルは思った以上に暗く、床には割れたガラスや廃材が散乱していた。

 懐中電灯の光が不規則にゆらめき、壁に映る自分たちの影がまるで生き物のように動いている。

 だが、その異様な光景にさえ、若者たちは高揚感を感じていた。

「どうする? 上の階まで行ってみるか?」

 涼の提案に、皆が頷く。当然エレベーターはもう使えず、階段を上がるしかなかった。

 暗く狭い階段を一段一段と進むにつれ、彼らの足音が不気味な反響を生み出し、ビル全体が彼らを見つめているような錯覚に陥る。

 やがて彼らは最上階に到着した。ここは他の階よりもひどく荒れていた。

 床には不気味なシミが広がり、壁には奇妙な文字が刻まれている。

 涼は懐中電灯で照らしてその文字を読み取ろうとしたが、古びていて解読は難しかった。

「なんか、このビルから出られなくなるって噂、本当かもな……」

 涼の冗談めかした言葉に、皆が苦笑を浮かべた。

 だが、彼がその場から動こうとした瞬間、背後から微かな囁き声が聞こえた。

「出られない……出られない……」

 彼は慌てて振り返ったが、誰もいない。

 友人たちもその声を聞いたようで、皆一様に蒼白になっていた。「今の、誰か言った?」と一人が恐る恐る尋ねるが、皆首を横に振る。

 それでも無理やり気を取り直し、彼らは階下へと戻ることにした。

 しかし奇妙なことに、何度階段を降りても1階にたどり着かない。降りるはずの階が増えていき、まるでビルが無限に続いているように感じられる。

「おかしい、こんなはずはない……」

 涼は額に汗を滲ませ、振り返る。だが、階段の途中に立ち尽くす彼らの後ろには、いつの間にか誰かの姿が映りこんでいた。

 ぼろぼろの服をまとった女性が、血走った目で彼らを見つめている。

「逃げろ!」誰かが叫び、彼らは必死で階段を駆け下りた。

 しかし、その女性は執拗に追いかけてくる。

 階段の周囲は次第に暗闇に包まれ、懐中電灯の光も頼りにならなくなっていた。

 ようやく一室に飛び込み、ドアを閉めると、彼らは恐怖と疲労で息を荒らしていた。

 涼がドアに耳を当て、追跡者が去るのを祈るように息を殺す。

 だが、廊下からは、まるで呪詛のような囁き声が絶え間なく響いてくる。

「出られない……出られない……」

 その瞬間、背後の壁に異変が起きた。暗闇の中で、壁の一部がまるで生きているかのように脈動し、不気味な顔が浮かび上がった。

 ひとつ、またひとつと増えていく顔。彼らを恨み、憎しみ、叫び続ける無数の顔が、壁全体を埋め尽くしていた。

「お前たちも……ここに残れ……」

 冷たい声が響くと、涼たちは逃げ出そうとするが、足が動かない。

 まるで見えない手が彼らの足を掴んでいるかのように、身動きが取れないのだ。

 友人の一人が震え声で叫び出し、もう一人は錯乱して壁に背を向けて泣き崩れた。

 やがて、彼らの体は徐々に壁の中に吸い込まれ始めた。逃れようと叫ぶものの、声はかき消され、体は壁と一体化していく。

 気が付けば、そこにはただ冷たい無機質な壁が残り、涼たちの姿は消え去っていた。

――――――――――
 
 翌朝、地元の住人が廃ビルの前を通りかかり、その中から奇妙な物音を聞いたという。

 警察が現場に駆けつけ、ビルを調べるが、何も異常は発見されなかった。

 ただ、ビルの最上階の壁には、無数の顔が浮かび上がり、まるで永遠に助けを求めているかのような表情でこちらを見つめているのだった。

 廃ビルは今も、夜になると微かな囁き声が聞こえるという。その声はこう告げている。

「出られない……出られない……」
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