餅太郎の恐怖箱【一話完結 短編集】

坂本餅太郎

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041.ケース越しの視線

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 人形店という場所には、どこか異様な雰囲気がある。新品でも、中古でも、並んでいる人形たちが一斉にこちらを見つめているように感じる瞬間があるのだ。私がアルバイトを始めたその店も例外ではなかった。

 この人形店は繁華街の一角にあったが、薄暗い照明と古めかしいインテリアが、他の明るい店舗とは対照的だった。店主の柴田さんは、四十代後半のやや痩せた男性で、必要最低限の会話しかしない人だった。だから私も、質問をしたくても遠慮がちになり、作業に集中するだけの毎日だった。

 アルバイト初日から気になったことがあった。店の奥のガラスケースに鎮座する一体の人形。高さは子どもの膝くらい、手足は細く繊細に作られ、顔はどこか不気味なほど精巧だった。その人形は赤いドレスを身にまとい、わずかに微笑んでいるように見えた。しかし、その微笑みがどうにも薄気味悪い。まるで、心の中を覗き込まれているような……そんな感覚に襲われた。

「この人形、いつからここにあるんですか?」  
 思わず柴田さんに尋ねたのは、アルバイトを始めて二週間が経ったころだった。  

「もう……十年以上だな」  
 柴田さんの答えは淡々としていた。  
「ずっと売れてないんですか?」  

 柴田さんは少しだけ眉をひそめた後、こう続けた。  
「まあ、売り物じゃないんだよ。展示用みたいなもんだ」  

 売り物ではない?
 その言葉に疑問が募ったが、それ以上は聞けなかった。柴田さんが明らかに話題を避けたがっているように見えたからだ。

 しかし、それ以来、あの人形の存在が頭から離れなくなった。毎日掃除をするたびに目が合う。いや、そう思っているのは私だけだろうか。一度、試しにケース越しに目を反らさずにじっと見つめてみた。すると、薄暗い店内の光のせいかもしれないが、人形がほんの少しこちらに顔を向けたように感じたのだ。私は慌てて視線を外した。


 それから数日後のこと。閉店後、店内の掃除をしていると、ふと背後で音がした。「コトリ」という、小さな何かが落ちるような音だ。私は振り返ったが、誰もいないし、物が動いた様子もない。ただ、店奥のガラスケースがいつもより目立って見えるような気がした。  
 恐る恐る近づくと、人形の顔が以前よりもはっきりと微笑んでいるように見えた。それは、私を歓迎しているのか、あるいは……何か別の意味が込められているのか。

 怖くなった私はその日は早々に帰宅した。しかし、その夜、不思議な夢を見た。夢の中で私は店の中にいて、人形がケースから抜け出しているのだ。赤いドレスをひらひらと揺らしながら、無言でこちらに近づいてくる。逃げようとしても足が動かない。人形の顔が目の前に迫った瞬間、目が覚めた。

 時計を見ると深夜二時。夢のせいで心臓が早鐘のように鳴っていたが、なぜか足が店の方向へ向かうような衝動に駆られた。気づけば私は人形店の前に立っていた。もちろん店は閉まっている。シャッターも下りているのに、中から何かが動く気配がした。

 不安と好奇心が入り混じり、私は店の周りを歩き回った。すると、裏口の鍵が開いていることに気づいた。どうしてこんな時間に開いているのだろう。柴田さんの不注意かもしれない。私は確認のために中に入った。


 店内は昼間以上に暗かった。足元がほとんど見えないほどだったが、何かに引き寄せられるように奥のガラスケースへ進んだ。すると、驚くべきことに、あの人形がケースの中にいないのだ。  

 心臓が止まりそうになりながら、辺りを見回した。だが、人形はどこにもいない。それどころか、背後から誰かに見られているような気配がする。振り向くと、そこには……赤いドレスを揺らした人形が立っていた。  

「……どうして……?」  

 声が震え、足が動かない。その時、人形が微笑みながら一歩近づいてきた。その動きは人形らしからぬ、まるで生き物のような自然なものだった。

「ずっと……見てたよ」  

 はっきりとした声が聞こえた。それはどこから来たのかもわからない、誰のものともつかない声だった。

 私は全力で店を飛び出した。それから店には戻らなかったし、柴田さんにも連絡を取らなかった。


 数ヶ月後、その人形店が火事で全焼したというニュースを耳にした。原因は不明だという。だが、私は知っている。あの人形が、確かに……何かを待っていたのだと。
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