餅太郎の恐怖箱【一話完結 短編集】

坂本餅太郎

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042.赤い影の鬼ごっこ

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 子供の笑い声が聞こえる気がする。ここ最近、ずっとだ。耳を澄ませば消えるのに、意識をそらすとまた遠くから……まるで風に運ばれてくるみたいだ。  
 最初にそれに気づいたのは三日前の夜。仕事帰りに通りかかったあの廃屋だった。誰も住んでいないはずの古びた木造の家から、ぼんやりとした明かりが漏れていた。足を止め、じっと見つめていると、確かに聞こえた。甲高い笑い声、かすかに響く「もういいかい?」という声。  
 冷たい汗が背中を伝うのを感じた。だが、それと同時に妙な衝動が込み上げてきた。どうしても、あの中を覗いてみたくなった。  

 翌日、仕事帰りにまたその家の前を通った。今日は雨が降っていたせいか、家全体が濡れて黒ずんで見えた。まるで息をしているような異様な存在感だった。もう一度、笑い声を聞けるのかと思うと、心臓が高鳴った。けれど、何も聞こえない。ただ、雨音と自分の呼吸だけが響いていた。やはり空耳だったのだろうか……そう思いながら歩き出そうとしたその瞬間だ。「もういいかい?」耳元で囁くような声に凍りついた。振り返ると誰もいない。それどころか、廃屋の窓には何の明かりもない。ただの真っ暗な空間だ。それでも、その声は確かに聞こえた。  

 次の日、私は意を決して、その廃屋に足を踏み入れることにした。どうしても、声の正体を確かめなければならないような気がしていた。  

 廃屋の中は湿った木の匂いで満ちていた。軋む床板、剥がれかけた壁紙、そして無数の手形……。子供が遊んだ形跡なのだろうか。壁や柱に赤い手形が点々とついているのを見て、思わず後ずさりした。そのときだ。「もういいよーー」再び、声が響いた。今度は遠くではなく、この家の中からだった。  

 私は恐る恐る奥へと進んだ。声の方向を追っているうちに、気づけば小さな部屋にたどり着いていた。そこはほとんど空っぽだったが、中央に古びた木箱が一つ置いてあった。箱の周りには赤い円が描かれていて、まるで結界のようだ。心臓がバクバクと鳴り、冷たい汗が滝のように流れた。手を伸ばしてその木箱を開けようとした瞬間、背後から誰かが私の肩を掴んだ。「見つけた……!」という低い声が耳元で響き、私は悲鳴を上げて振り返った。しかし、そこには誰もいない。ただ、壁に映る赤い影だけがゆっくりと揺れていた。  

 その夜、私は夢を見た。赤い服を着た子供たちが円になって私を囲み、笑いながら囁いていた。「次は君が鬼だよ」そう言うと、一斉に逃げ出した。そのうちの一人が振り返り、私に言った。「逃げなきゃ、鬼にされるよ」目が覚めると、体中が汗で濡れていた。  

 翌日、私はその夢の意味を確かめるため、再び廃屋を訪れた。今回は昼間だったが、明るい光の中で見ると、あの家はさらに異様に見えた。中に入ると、昨日見た木箱はなぜか消えていた。代わりに床一面に血のような赤い文字が刻まれていた。

「鬼ごっこは終わらない」  

 その言葉を見た瞬間、背後から再び誰かが囁いた。「もういいよーー」振り返ると、赤い服を着た影が私を指さしていた。  


 廃屋の中を駆け回る子供たちの幻影が、記憶に焼き付いて離れない。赤い影の正体も、「もういいよーー」という声の意味もわからないまま、私はあの日から悪夢に追い立てられるようになった。  

 夢の中で、赤い服を着た子供たちが鬼ごっこを繰り返す。それは単なる遊びではない。笑い声の裏には奇妙な凶暴さが潜んでいて、彼らは常に私を鬼にしようとする。ある夜、夢の中でとうとう私は捕まり、子供たちに囲まれた。「お前が新しい鬼だ」と告げられた瞬間、胸の奥から鋭い痛みが走った。目覚めたとき、胸には赤い手形の痕がくっきりと残されていた。  

 それ以来、現実と夢の境界が曖昧になっていった。仕事中にも赤い影が視界の端に揺らめき、誰もいないはずの部屋で「もういいかい?」という声が聞こえることが増えた。廃屋に取り憑かれたのだろうか。  

 私はあの場所を忘れることができず、再び足を向けた。夕方、陽が沈む直前の微かな光が残る時間帯だった。家の前に立つと、玄関は半開きになっていた。誰かが入ったのだろうか……それとも、私を誘っているのかもしれない。  

 中に足を踏み入れると、以前よりも不気味な静けさが漂っていた。廊下の先からは薄暗い光が漏れていて、まるで私を導くかのようだった。進むたびに足元の床板がきしむ音が響き、そのたびに背筋が震えた。廊下の突き当たりには、以前の夢で見た子供たちが描かれた壁画があった。赤いペンキで描かれたと思われるその絵は、生々しいほどの迫力を持って私を睨み返していた。  

「おいでよ……」その声に導かれ、手を伸ばしたとき、床が崩れた。私は地下のような空間に落ち込んだ。そこには、無数の小さな骨が散らばっていた。見覚えのある赤い服が一着、その中に埋もれていた。まるで子供たちの亡骸を隠すために用意された墓場のようだった。  

 パニックに陥り、這うようにしてその空間から抜け出した。全身が震え、息が荒くなる。だが、そのとき、背後で再び「もういいよーー」という声が響き渡った。振り返ると、赤い影が私を見下ろしていた。「見つけた……!」その声に応える間もなく、私は再び闇に飲まれた。  

 目を覚ますと、自宅のベッドだった。しかし、部屋中には赤い手形が無数に残されていた。そして、鏡に映った自分の姿には異変があった。瞳の奥に、子供たちの笑顔が映っていたのだ。  

 私はもう普通の生活には戻れない。夢の中でも現実でも、「鬼ごっこ」は終わらない。  
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