餅太郎の恐怖箱【一話完結 短編集】

坂本餅太郎

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043.エレベーターの行き先

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 目の前のエレベーターは、静まり返ったビルの廊下に佇むように存在していた。夜勤明けの疲れた体を引きずりながら、その銀色の扉を見つめた。普段使い慣れたはずの機械だが、深夜になるとどこか異様な雰囲気をまとっている。だが、一刻も早く自宅に戻りたかった。重い足取りで近づき、呼び出しボタンを押す。

「チン」という音と共に扉が開く。だが、その中は暗闇だった。いつもなら眩しい蛍光灯が室内を照らしているはずなのに、今は不気味なほど真っ暗だ。一瞬、ためらったが、疲労のせいか足は自然と中へ進んでしまった。

 中に入ると、扉が音もなく閉まった。ボタンパネルを見ようと手を伸ばすが、光がないため何も見えない。慌ててポケットからスマートフォンを取り出し、懐中電灯アプリを起動する。薄暗い光がボタンパネルを照らし出すと……そこには奇妙なことが書かれていた。

 ボタンは通常「一階」や「二階」といった表示があるはずなのに、代わりに見慣れない文字列が並んでいた。「行き先」ではなく「運命」と書かれたボタンがひとつだけ光っている。冗談だろうと思いつつも、他に方法がないため仕方なくそのボタンを押した。

 エレベーターはゆっくりと動き出したが、通常の運行音とは異なり、ギシギシと悲鳴のような音を立てる。背筋に冷たいものが走る。スマートフォンの光を頼りに壁を見ると、そこには落書きのようなものが刻まれていた。よく見ると、それは無数の手形だった。大小様々な手形が壁中にべったりとついている。「冗談じゃない……」と思わずつぶやく。


 エレベーターは止まる気配がなかった。いつもなら十秒程度で到着するのに、今回はいくら待っても扉が開かない。むしろ、下に向かってどこまでも降り続けているような感覚だった。耳がツンとする。どこまで行くのか見当もつかない。

 その時だった。エレベーターの天井からかすかな音が聞こえてきた。まるで、誰かが這い回っているような音だ。心臓が一気に跳ね上がる。「誰かいるのか……?」声を出してみたが、当然返事はない。

 音は次第に大きくなり、ついには頭上に何かがいる気配を感じる。スマートフォンを持つ手が震えたが、光を天井に向けた。その瞬間、天井の隅に黒い影がへばりついているのが見えた。何かの形をしているが、それが人間なのかどうかはわからない。影は不自然なほど曲がった四肢を動かし、ゆっくりとこちらを見下ろしてきた。


 恐怖で動けないまま、エレベーターは突然の衝撃と共に止まった。扉が開く音がしたが、そこには普通の階段や廊下ではなく、真っ暗な空間が広がっていた。遠くからかすかな声が聞こえる。それは、複数の人間が囁き合うような音だった。だが、言葉は何を言っているのか全く理解できない。

 背後で再び天井から音がした。振り向くと、さっきまで天井にいた影がこちらに向かって落ちてくるのが見えた。「うわっ!」思わず飛び出すと、暗闇の空間に足を踏み入れてしまった。

 足元はしっかりしていたが、どこにいるのかはわからなかった。エレベーターの扉を振り返るが、そこにはもう何もない。ただの闇が広がるだけだった。「戻れない……」そう思った瞬間、再びあの囁き声が耳元で聞こえた。


 どれほど歩いたのかもわからない。闇の中を進むうちに、徐々に目が慣れてきたのか、周囲の様子がぼんやりと見えるようになってきた。そこには無数のエレベーターが並んでいた。全て同じデザインだが、どれも使い古されたように錆びついている。扉の隙間からは、何かがこちらを覗いている気配があった。

 その時、背後で声がした。「ようやく来たんだね」振り返ると、そこには見知らぬ男が立っていた。顔はぼやけていて、表情が読み取れない。男は手を差し出してきたが、触れることに強烈な恐怖を覚えた。「何だ……お前は?」

 男は何も答えない。ただ、エレベーターを指差すと、自分もその中に吸い込まれるように消えていった。

 最初に見た「運命」と書かれたボタン。それが再び目の前に現れた。「戻れる……のか?」そう思ってボタンを押すと、エレベーターはゆっくりと上昇を始めた。

 だが、戻った先で待っていたのは、自分が元いた世界ではなかった。扉が開いた瞬間、そこには鏡のように反射する世界が広がっていた。見慣れた景色のはずが、どこか歪んでいる。

「ここは……どこだ……?」

 その後どれほど叫んでも、答える者は誰もいなかった。
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