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051.通勤路の奇妙な噂
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田辺絵里は毎朝、駅までの道を歩く。その道は、いくつかの住宅街を抜ける近道で、朝の出勤時に通るには静かで適していた。
住宅街を抜けた先には、一つだけ古びたアパートがあった。築数十年を超えているようなその建物は、所々壁が剥がれ、黒ずんだコンクリートがむき出しになっている。住人らしき姿を見たことは一度もなかった。
「ここ、いつも誰もいないよね」
同僚と一緒に通勤していた頃、そんな話をしたことがある。同僚は興味なさそうに頷くだけだったが、絵里はなぜかその場所が気にかかっていた。
ある日、絵里がふとアパートに目を向けると、一階の窓の奥で何かが動いた気がした。
それは一瞬だった。見間違いかと思いながらも、その瞬間のざらりとした感触は彼女の心に残り続けた。
通勤路が不気味だと思うようになったのは、それからだった。
アパートの横を通るたびに、何かの気配を感じるようになったのだ。それが人か物かも定かではない。ただ、背後から何かが付いてきているような、そんな気がしてならない。
「たぶん疲れてるだけだよ」
同僚に話したが、軽く笑い飛ばされた。
それでも絵里は、アパートの前を通るたびに胸がざわつくのを感じた。無理に気にしないよう努めたが、それは簡単ではなかった。
そして、ある日。
雨の降る朝、絵里はいつも通りアパートの前を通りかかった。その時、ふと足を止めた。アパートの一階の窓に何かが映っていたのだ。
それは人のような形をしているが、顔が異様にぼやけていた。目が合うのか、合わないのか……わからない。ただ、それは確かにこちらを見ていた。
絵里はその場に立ち尽くした。全身が硬直し、声も出ない。
目を逸らそうとしても、どうしてもその窓から離れられなかった。それは、動かずにじっとしている。こちらを見ているように見えるのに、その顔の輪郭がどうしても掴めない。
やがて、背後から車のクラクションが鳴り響いた。
「危ないよ、そんなところで止まってたら!」
振り向くと、自動車に乗ったおじさんが絵里を睨んでいた。その声で我に返った絵里は、慌ててその場を離れた。
駅に着いたとき、彼女は全身汗でびっしょりだった。あれは何だったのか。幻覚だったのだろうか。それとも、ただの住人だったのか――。
その日、仕事中も気持ちは上の空だった。誰かに相談しようかと思ったが、何を見たのか自分でも説明できない。結局、話すことはできなかった。
その夜、帰宅してシャワーを浴びていると、不意にスマートフォンが震えた。湯船の横に置いていたスマートフォンを手に取ると、通知が一件届いていた。
それは、「写真が届きました」というメッセージだった。
差出人の名前は知らない。見覚えのない番号だった。
怖さが込み上げたが、恐る恐るそのメッセージを開いた。
すると、そこに添付されていたのは一枚の写真。
それは、今朝通りかかったアパートの前で立ち尽くしている自分の姿だった。
絵里は息を呑んだ。誰がこんな写真を撮ったのか――?
慌ててメッセージの差出人に返信しようとしたが、「この番号は現在使用されていません」というエラーメッセージが返ってくるばかりだった。
次の日、絵里はそのアパートを避けるために、少し遠回りの道を使うことにした。
だが、違う道を通っても、胸の中の重苦しい感覚は消えなかった。
会社でも上の空で、同僚に心配されるほどだった。
「大丈夫?」
「うん……大丈夫。ちょっと疲れてるだけ」
何とかそう答えるものの、次の日もその次の日も、絵里の心は晴れることがなかった。
そして数日後、とうとうあのアパートが夢に出てきた。
夢の中で絵里は、雨の降る朝に戻っていた。アパートの前を歩く自分。窓の中に何かがいると気づく自分。そして、目をそらそうとしたその瞬間、背後から誰かに強く腕を掴まれる――。
そこで目が覚めた。全身に冷や汗をかき、荒い息をつきながら起き上がった絵里は、窓の外を見た。
そこには、何もない暗闇が広がっていた……はずだった。
だが、視線を落とすと、彼女のアパートの前にある街灯の下に人影が見えた。それは動かず、ただじっとこちらを見上げているようだった。
住宅街を抜けた先には、一つだけ古びたアパートがあった。築数十年を超えているようなその建物は、所々壁が剥がれ、黒ずんだコンクリートがむき出しになっている。住人らしき姿を見たことは一度もなかった。
「ここ、いつも誰もいないよね」
同僚と一緒に通勤していた頃、そんな話をしたことがある。同僚は興味なさそうに頷くだけだったが、絵里はなぜかその場所が気にかかっていた。
ある日、絵里がふとアパートに目を向けると、一階の窓の奥で何かが動いた気がした。
それは一瞬だった。見間違いかと思いながらも、その瞬間のざらりとした感触は彼女の心に残り続けた。
通勤路が不気味だと思うようになったのは、それからだった。
アパートの横を通るたびに、何かの気配を感じるようになったのだ。それが人か物かも定かではない。ただ、背後から何かが付いてきているような、そんな気がしてならない。
「たぶん疲れてるだけだよ」
同僚に話したが、軽く笑い飛ばされた。
それでも絵里は、アパートの前を通るたびに胸がざわつくのを感じた。無理に気にしないよう努めたが、それは簡単ではなかった。
そして、ある日。
雨の降る朝、絵里はいつも通りアパートの前を通りかかった。その時、ふと足を止めた。アパートの一階の窓に何かが映っていたのだ。
それは人のような形をしているが、顔が異様にぼやけていた。目が合うのか、合わないのか……わからない。ただ、それは確かにこちらを見ていた。
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目を逸らそうとしても、どうしてもその窓から離れられなかった。それは、動かずにじっとしている。こちらを見ているように見えるのに、その顔の輪郭がどうしても掴めない。
やがて、背後から車のクラクションが鳴り響いた。
「危ないよ、そんなところで止まってたら!」
振り向くと、自動車に乗ったおじさんが絵里を睨んでいた。その声で我に返った絵里は、慌ててその場を離れた。
駅に着いたとき、彼女は全身汗でびっしょりだった。あれは何だったのか。幻覚だったのだろうか。それとも、ただの住人だったのか――。
その日、仕事中も気持ちは上の空だった。誰かに相談しようかと思ったが、何を見たのか自分でも説明できない。結局、話すことはできなかった。
その夜、帰宅してシャワーを浴びていると、不意にスマートフォンが震えた。湯船の横に置いていたスマートフォンを手に取ると、通知が一件届いていた。
それは、「写真が届きました」というメッセージだった。
差出人の名前は知らない。見覚えのない番号だった。
怖さが込み上げたが、恐る恐るそのメッセージを開いた。
すると、そこに添付されていたのは一枚の写真。
それは、今朝通りかかったアパートの前で立ち尽くしている自分の姿だった。
絵里は息を呑んだ。誰がこんな写真を撮ったのか――?
慌ててメッセージの差出人に返信しようとしたが、「この番号は現在使用されていません」というエラーメッセージが返ってくるばかりだった。
次の日、絵里はそのアパートを避けるために、少し遠回りの道を使うことにした。
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「うん……大丈夫。ちょっと疲れてるだけ」
何とかそう答えるものの、次の日もその次の日も、絵里の心は晴れることがなかった。
そして数日後、とうとうあのアパートが夢に出てきた。
夢の中で絵里は、雨の降る朝に戻っていた。アパートの前を歩く自分。窓の中に何かがいると気づく自分。そして、目をそらそうとしたその瞬間、背後から誰かに強く腕を掴まれる――。
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