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155.赤いランドセル
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通学路のはずれ、普段は誰も足を運ばない小さな雑木林の入り口に、それは落ちていた。
赤いランドセル。
新学期が始まったばかりのころだから、持ち主を探すべきだと思った。
けれど、そのランドセルは妙に古びていて、時代遅れのデザインだった。
表面の革がひび割れ、金具も錆びついている。
まるでずっと長い間、誰にも使われずに放置されていたようだった。
「誰のだろう……」
誰にともなくつぶやきながら近づくと、ふっと背筋が寒くなった。
風もないのに、周囲の空気が急に冷えたような感覚。
その時、ランドセルの中からかすかに――ほんのかすかに――笑い声のようなものが聞こえた気がした。
「気のせいだろう」
自分にそう言い聞かせて、拾い上げた。
ずしりと思ったよりも重たい。
中には何か入っているようだった。
けれど、その場で開ける気にはなれなかった。
どうしてかは自分でもわからない。
ただ、これを放置しておくのは良くない気がした。
持ち主を探すにしても、ひとまず家に持ち帰るしかない。
ランドセルを抱え、家に戻ったのは夕方だった。
居間のテーブルに置くと、母が怪訝そうな顔をした。
「それ、どうしたの?」
「通学路に落ちてたんだ。持ち主を探そうと思って……」
母はそれ以上何も言わなかったが、どこか引っかかるような目でランドセルを見ていた。
僕も少し気味が悪かったけれど、疲れていたこともあって、その日は特に気にせず寝ることにした。
夜中、目が覚めた。
足音が聞こえたからだ。
それも一人分ではない。
小さな足音が、部屋の中を駆け回っている。
最初は夢だと思った。
けれど、耳を澄ませると確かに聞こえる。
複数の子どもたちが走り回るような音。
僕は布団の中で息を潜めた。
目を開ける勇気はなかった。
「……あはは……」
笑い声が混じる。
聞き覚えのない声――子どもらしい、けれどどこか冷たい響きのある声だった。
僕は必死に布団をかぶり、そのまま朝を迎えた。
翌朝、居間に行くと、テーブルの上のランドセルが目に入った。
その瞬間、昨日よりもさらに重苦しい気配を感じた。
中を確認しようとランドセルに手を伸ばしたが、どうしても開ける気になれない。
何か、見てはいけないものが入っている――そんな予感がしたのだ。
「早く交番に持って行こう」
そう決めた僕は、ランドセルを抱え家を出た。
けれど、交番に向かう途中で妙なことに気づいた。
ランドセルが、どんどん重くなっているのだ。
最初は片手で持てる程度だったのに、いつの間にか両手で抱えないと運べなくなった。
さらに、かすかな声がまた聞こえてくる。
「返して……返して……」
振り返っても誰もいない。
ただ、背後から誰かが追いかけてくるような気配がした。
交番に着いたころには、ランドセルはまるで石のように重くなっていた。
警官に手渡そうとしたが、手が震えてうまく渡せない。
警官は訝しげに僕を見ると、ランドセルを受け取る代わりにこう言った。
「君、大丈夫か? なんだか顔色が悪いぞ」
僕はうなずくだけで精一杯だった。
その間にランドセルを机の上に置いたが、瞬間、ランドセルがふっと軽くなったように感じた。
不思議に思いながらも、ようやくこの厄介なものから解放されたと安心した。
けれどもその夜、また足音が聞こえた。
布団の中で耳を塞いだが、音は止まらない。
そして、笑い声も混じる。
「返して……」
次の朝、玄関にあのランドセルが戻っていた。
交番に置いてきたはずなのに。
僕は愕然とし、それ以上に恐怖を覚えた。
ランドセルを放置しておくわけにはいかない。
僕は意を決して中を開けることにした。
ゆっくりと蓋を開けると、中には古びた卒業写真が入っていた。
白黒写真で、服装や背景からずいぶん昔のものだとわかる。
写真には子どもたちが整列して写っていた。
けれど、不自然な点があった。
中央に写る一人の少女――その顔だけがくっきりと見え、他の子どもたちはぼんやりと霞んでいた。
そして、その少女は写真の中で僕をじっと見つめている。
「……誰だ?」
声に出してしまった。
すると、どこからともなく声が返ってきた。
「返して……私のもの……」
僕は写真を裏返した。そこには何も書かれていない。ただ、触れた指先が氷のように冷たくなった。
ランドセルを調べるうちに、内ポケットから小さな紙切れが出てきた。
そこには、震えるような字でこう書かれていた。
「助けて」
それを見た瞬間、背筋に冷たいものが走った。
写真の少女が助けを求めているのか、それとも――。
僕はランドセルを処分しようと決めた。
燃えるゴミに出せばいい、そう思って庭で燃やそうとした。
けれど、火をつけてもランドセルは燃えない。
それどころか、煙の中からあの少女の顔が浮かび上がり、僕を睨みつけた。
「返して……」
その声は耳元で聞こえたようだった。
僕はランドセルを放り出し、家の中へ逃げ込んだ。
それからというもの、夜ごと足音と笑い声が続いた。
ランドセルを捨てようとしても、必ず戻ってくる。
卒業写真の少女も、日に日に存在感を増していく。
最初は写真の中だけだったのが、今では部屋の隅でこちらを見つめていることもある。
「返して……返して……」
その声は、もう僕の日常の一部になってしまった。
逃げようとしても無駄だ。
どこへ行こうと、ランドセルと少女はついてくる。
僕の人生は、あの日、通学路で赤いランドセルを拾った瞬間に終わっていたのかもしれない。
もう、返すこともできない。
彼女が何を望んでいるのかも、わからない。
ただひとつ確かなのは――この恐怖が終わることはない、ということだ。
赤いランドセル。
新学期が始まったばかりのころだから、持ち主を探すべきだと思った。
けれど、そのランドセルは妙に古びていて、時代遅れのデザインだった。
表面の革がひび割れ、金具も錆びついている。
まるでずっと長い間、誰にも使われずに放置されていたようだった。
「誰のだろう……」
誰にともなくつぶやきながら近づくと、ふっと背筋が寒くなった。
風もないのに、周囲の空気が急に冷えたような感覚。
その時、ランドセルの中からかすかに――ほんのかすかに――笑い声のようなものが聞こえた気がした。
「気のせいだろう」
自分にそう言い聞かせて、拾い上げた。
ずしりと思ったよりも重たい。
中には何か入っているようだった。
けれど、その場で開ける気にはなれなかった。
どうしてかは自分でもわからない。
ただ、これを放置しておくのは良くない気がした。
持ち主を探すにしても、ひとまず家に持ち帰るしかない。
ランドセルを抱え、家に戻ったのは夕方だった。
居間のテーブルに置くと、母が怪訝そうな顔をした。
「それ、どうしたの?」
「通学路に落ちてたんだ。持ち主を探そうと思って……」
母はそれ以上何も言わなかったが、どこか引っかかるような目でランドセルを見ていた。
僕も少し気味が悪かったけれど、疲れていたこともあって、その日は特に気にせず寝ることにした。
夜中、目が覚めた。
足音が聞こえたからだ。
それも一人分ではない。
小さな足音が、部屋の中を駆け回っている。
最初は夢だと思った。
けれど、耳を澄ませると確かに聞こえる。
複数の子どもたちが走り回るような音。
僕は布団の中で息を潜めた。
目を開ける勇気はなかった。
「……あはは……」
笑い声が混じる。
聞き覚えのない声――子どもらしい、けれどどこか冷たい響きのある声だった。
僕は必死に布団をかぶり、そのまま朝を迎えた。
翌朝、居間に行くと、テーブルの上のランドセルが目に入った。
その瞬間、昨日よりもさらに重苦しい気配を感じた。
中を確認しようとランドセルに手を伸ばしたが、どうしても開ける気になれない。
何か、見てはいけないものが入っている――そんな予感がしたのだ。
「早く交番に持って行こう」
そう決めた僕は、ランドセルを抱え家を出た。
けれど、交番に向かう途中で妙なことに気づいた。
ランドセルが、どんどん重くなっているのだ。
最初は片手で持てる程度だったのに、いつの間にか両手で抱えないと運べなくなった。
さらに、かすかな声がまた聞こえてくる。
「返して……返して……」
振り返っても誰もいない。
ただ、背後から誰かが追いかけてくるような気配がした。
交番に着いたころには、ランドセルはまるで石のように重くなっていた。
警官に手渡そうとしたが、手が震えてうまく渡せない。
警官は訝しげに僕を見ると、ランドセルを受け取る代わりにこう言った。
「君、大丈夫か? なんだか顔色が悪いぞ」
僕はうなずくだけで精一杯だった。
その間にランドセルを机の上に置いたが、瞬間、ランドセルがふっと軽くなったように感じた。
不思議に思いながらも、ようやくこの厄介なものから解放されたと安心した。
けれどもその夜、また足音が聞こえた。
布団の中で耳を塞いだが、音は止まらない。
そして、笑い声も混じる。
「返して……」
次の朝、玄関にあのランドセルが戻っていた。
交番に置いてきたはずなのに。
僕は愕然とし、それ以上に恐怖を覚えた。
ランドセルを放置しておくわけにはいかない。
僕は意を決して中を開けることにした。
ゆっくりと蓋を開けると、中には古びた卒業写真が入っていた。
白黒写真で、服装や背景からずいぶん昔のものだとわかる。
写真には子どもたちが整列して写っていた。
けれど、不自然な点があった。
中央に写る一人の少女――その顔だけがくっきりと見え、他の子どもたちはぼんやりと霞んでいた。
そして、その少女は写真の中で僕をじっと見つめている。
「……誰だ?」
声に出してしまった。
すると、どこからともなく声が返ってきた。
「返して……私のもの……」
僕は写真を裏返した。そこには何も書かれていない。ただ、触れた指先が氷のように冷たくなった。
ランドセルを調べるうちに、内ポケットから小さな紙切れが出てきた。
そこには、震えるような字でこう書かれていた。
「助けて」
それを見た瞬間、背筋に冷たいものが走った。
写真の少女が助けを求めているのか、それとも――。
僕はランドセルを処分しようと決めた。
燃えるゴミに出せばいい、そう思って庭で燃やそうとした。
けれど、火をつけてもランドセルは燃えない。
それどころか、煙の中からあの少女の顔が浮かび上がり、僕を睨みつけた。
「返して……」
その声は耳元で聞こえたようだった。
僕はランドセルを放り出し、家の中へ逃げ込んだ。
それからというもの、夜ごと足音と笑い声が続いた。
ランドセルを捨てようとしても、必ず戻ってくる。
卒業写真の少女も、日に日に存在感を増していく。
最初は写真の中だけだったのが、今では部屋の隅でこちらを見つめていることもある。
「返して……返して……」
その声は、もう僕の日常の一部になってしまった。
逃げようとしても無駄だ。
どこへ行こうと、ランドセルと少女はついてくる。
僕の人生は、あの日、通学路で赤いランドセルを拾った瞬間に終わっていたのかもしれない。
もう、返すこともできない。
彼女が何を望んでいるのかも、わからない。
ただひとつ確かなのは――この恐怖が終わることはない、ということだ。
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