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1巻
1-1
序章 「じゃない方」と婚約者
ネコ族の半獣の王が代々治める小国リューペン。半獣や獣人が多く暮らす緑豊かな国で、春先には『ノノマンテ』と呼ばれる祭りが行われる。パレードでは王族たちが花馬車に乗り、沿道にいる民衆たちに手を振っては、あちこちで割れんばかりの歓声が上がっていた。
「見てっ、リュカ様よ!」
「雪のように白くて綿菓子のようにふわふわで、なんて可愛らしいんでしょう」
「手を振り返してもらうと、生涯幸福になれるんですって!!」
パレードで一番注目を集めているのが、今年十歳になる双子の王子……の弟、リュカだ。
並外れて愛らしい顔に加え、びっしりと生えた睫毛までが白い。そしてその愛らしい顔からは想像できないほど魔法技術は高く、十歳にして、上級聖魔法士の資格を持っている。
「可愛い」「神聖」「天才王子」と噂が噂を呼んで国内外問わず大人気となり、多くの人がリュカを一目見ようと沿道に押し寄せていた。数年前までは小国らしい小規模な祭りだったが、リュカの評判が高まるにつれ、年々賑やかになり、他国の王族が見に来るようになっていた。
「あああっ、こっち、手を振り返してくださ……あっ」
「どうしたの?」
「いえ、振り返してくださったのはリュカ様じゃない方の……ええと」
「ああ……、シュリ様ね」
「リュカ様の隣に並ぶと、シュリ様は一層影みたいで不吉ね」
「不思議ね。よく見るとお顔立ちはたしかに同じなのに、全然似てないの。本当に双子なのかしら」
(ぜんぶ聞こえてるぞヒト族共……)
リュカの双子の兄であるシュリは、人間の耳よりもずっと遠くの音まで拾ってしまう大きな黒い耳を伏せて、沿道に手を振るのを止めた。
物心ついたばかりの頃は、この黒い毛を誇りに思っていた。
だって漆黒の毛なんて最高にクールでかっこいい!
『シュリの毛の色かっこよくていいな~。僕も黒が良かった!』
リュカにいつも羨ましがられていたし、誰もが憧れる自慢の毛色だと思って得意げだった。
だが、成長するにつれて周りの誰もがシュリの毛色を不吉がって嫌っていることに気づいた。たしかに世界中を探してみても、黒い毛はヒト族含めて珍しい。二百年程前に、黒い毛の動物は人間を含めて悪魔の使いである、という迷信が流行り、虐殺されてしまったからだ。今はそこまでの露骨な迫害はないけれど、黒い毛が不吉という風潮だけは根強く残っている。
信仰心の強いこの国で、王族が不吉な毛色をしているのはマイナスイメージだ。毎日のように周りから不気味だの不吉だのと囁かれている内に、シュリ自身もそう思うようになってしまった。
黒い髪を隠すように、持参していた白い帽子を目深に被ると、横でリュカが無邪気な笑顔で手を振りながら、楽しそうに言った。
「すごいね、こんなにたくさんの人が集まって、みんな〝僕たち〟に手を振ってくれてる。ノノマンテってやっぱ楽しいなぁ。年に一度じゃなくて、もっとあればいいのにね」
シュリはとっさに話を合わせることができず固まってしまった。
同じ顔で、同じ光景を見て、こんなにも景色の見え方が違うなんて。
(そりゃ、お前は楽しいだろうなぁ)
シュリはノノマンテが大嫌いだった。
物心ついたばかりの頃はよくわからず楽しんでいたが、年々祭りの規模が大きくなればなるほど、罪人が市中を引き回しにされているような、たまらない気持ちを覚えるようになった。
なぜだろう。悪いことをした覚えはないのに。
何も考えずにパレードを楽しめるリュカが羨ましい。歓声だけを浴びることができたらどれだけ気持ちいいだろう。
「シュリ、なんでせっかくのパレードの場で帽子なんか被ってんの? それじゃ顔が見えないじゃん」
リュカが笑いながらシュリの帽子を剥ぎとった。その行動はおそらく悪意のない無邪気なもの。両親から、国民から、世界中から愛されて育ったリュカには、シュリの気持ちなど逆立ちしてもわからないだろう。
「返せ!」
思わず瞳を針のように細めてシャアーッと威嚇して帽子を奪い返す。するとリュカは大きな金色の目に涙を溜めて「わぁーん」と泣き出してしまった。
沿道がざわめき、前を走っている馬車に乗る母がこちらを振り返り、シュリを睨んだ。
はっきり言われたことはないが、母はシュリのことが好きではないようだ。いつも「どうしてリュカのように頑張れないの」と言われる。
リュカが魔法や勉強を、砂が水を吸うように上達していくのに対し、双子で同じ能力を持っているはずのシュリは、なかなかすぐには覚えられないことが多く、怠け者だと思われているらしい。
(そんなの、こっちが聞きたい。どうして〝同じ〟にしてくれなかったんだ)
なぜ同じように頑張れないのかと聞かれるが、むしろシュリの勉強時間はリュカの三倍で、リュカよりもかなり頑張っている方なのだ。逆に言えばリュカは三分の一の時間でシュリ以上に覚えることができる。
努力の差ではなく、能力の差だと言い返したことがあったが、それはただの言い訳で努力している振りをしているだけだと言われてしまい何も言い返せなかった。
(努力して集中してるつもりなのにな……)
むしろリュカは気が散りやすく、家庭教師に教わっていると、すぐにおしゃべりを始めてしまう。シュリは真剣に授業を聞きたいのに。そして、おしゃべりをしながら、授業が終わるとシュリ以上の知識を得ているのだから、それこそもはや魔法としか思えない。
いずれにしろ、このままでは今晩またこっぴどく怒られてしまう。下手したらディナー抜きかもしれない。例年、ノノマンテの夜の晩餐会ではマグロのステーキが出されると決まっている。大好物のマグロが食べられなくなるかもしれないと思い、シュリはぶわりと尻尾の毛を逆立てて、慌てふためいた。
「ごめんってリュカ。泣くな。怒って悪かったよ……頼むから泣かないで」
リュカを必死に慰めるものの、なかなか泣き止んでくれず、ざわつく沿道と母からの冷たい視線を浴びながら、三十分以上慰め続けるハメになった。
憂鬱なパレードが終わると、祭りのメインイベントの『ルルセ』と呼ばれる舞が行われる。
例年、王族の子供が舞う役を担っていて、五年前までは王の長男である王太子、二年前までは次女が務めていた。順当に行けば去年は双子の兄であるシュリの番だったのに、リュカがどうしてもやりたいと駄々をこねたので譲ってやった。だから今年こそはシュリの番のはずだった。
だが、父は国民がリュカの舞を望む声が多いのを考慮し、急遽今年もリュカに舞をさせることにした。
(俺だって楽しみにしてたのになぁ……練習だって頑張ったのに)
夢のように華やかで綺麗な舞で、幼い頃から憧れていた。せめてもっと早く変更してほしかった。去年といい今年といい、足の肉球に血豆ができるほど練習した努力の成果が行き場を失くして彷徨っている。
『シュリ、すまない』
三日前に突然言われた変更を受け入れられず、シュリは生まれて初めて癇癪を起こした。「絶対に自分がやる」と駄々をこねたシュリに、父は申し訳なさそうに謝った。シュリが毎日練習をしていたのを知っていたから、父もギリギリまで悩んだのだと思う。
自分が舞うとなったらこんなにも多くの人は集まらなかっただろうし、あからさまにがっかりされたかもしれない。そうなったらもっとつらい思いをしただろう。
父の判断は正しかったと、シュリはどこか冷静に考えたが、これまでの特訓を思い出すと耳と尻尾はシュン……と正直に垂れ下がっていた。
リュカの登場を待ちわびて沸く会場を見つめながら、シュリは黒い耳を下げて再び白い帽子を被った。
一応王族なので普段は護衛がついているが、今はリュカの晴れ舞台に備えて厳戒態勢になっており、シュリの周りには誰もいない。
一人なのを良いことに、シュリは群衆から離れようと沿道を渡った。この熱狂の中にいると、なぜか眩暈がして、腹が痛くなってくる。催し物をしているせいか街中には人はあまりいないが、ふと視線を上げると、広場を望む高台の上に椅子が並んでいることに気づいた。ブロンドの髪に、装飾が付いた濃紺のコートを着た美しい少年が、祭りが始まる前の広場を見下ろしている。
「……誰だ? どっかの国の王子か?」
気になって近づこうとした時、不意に後ろから何者かに抱きすくめられ、手で口を塞がれた。
全身の毛がぶわりと逆立ち、反射的に爪を出して相手を引っ掻こうとしたが、ズダ袋のようなものを頭に被せられ、そのままどこかに引きずられていく。
(なんなんだ!?)
必死にもがくが、子供の力では到底かなわない。
気づいた時には何かの台の上に突き飛ばされた。
被せられていた袋がはぎ取られると、ようやく視界がはっきりした。薄暗いが、よく見える。シュリの中に流れる猫の血は夜でもはっきりと獲物が見えるようにできているのだ。
ワインを運ぶ荷馬車の中に押し込められたようだ。見るからに賊のような雰囲気の男が二人、ナイフを手に笑っている。
「な、なんだ貴様たち……」
精一杯の威嚇をすると、男たちは首を傾げて顔を見合わせていたが、シュリの膨れ上がった黒い尻尾を見るなり盛大な溜め息をついた。
「おい、こいつは〝じゃない方〟だぞ!」
「誰だよ。今年はリュカ様は舞わないから誘拐するならルルセの時が狙い目だ、って言った奴」
物騒な単語に、シュリは耳を後ろに倒した。つまり自分は、リュカと間違えられて誘拐されてしまったということだろうか。
「こっちじゃ大した値がつかねえよ」
「毛を白く染めてもダメか?」
「馬鹿。そんなのすぐにバレるに決まってるだろ。能力が違いすぎる。……ああでも、白く染めて安い娼館にでも売ったら、リュカ様の紛いものとしてそれなりに人気が出るかもしれない」
シュリには彼らが何の目的で自分を誘拐しようとしているのかわからなかったが、「紛いもの」という言葉に思わず低く唸った。
「賊ふぜいが、身のほどをわきまえろ!」
「さすが王子。子供でも口の利き方に王族の風格があるな」
「リュカ様のような華はないが、さすがに顔は綺麗だな」
「とりあえず、売る前にヤッとくか」
「お前こんなガキに……」
そう言って男たちはナイフをシュリの鼻先に突き付けたまま服に手をかける。訳がわからないまま、シュリは震えあがった。シャーッと威嚇をするが、男たちはまるでそれを楽しんでいるようだ。
なぜこんな目に遭わないといけないのか。同じ顔をした弟は、今この瞬間も心から祭りを楽しんでいるというのに。
そう思うと、見開いた目から堪えきれない涙がぽろぽろと零れて頬を伝う。
「いやだ……っ、やめろ、汚い手で触るな!」
シュリが叫んだその時、急に馬車が止まった。前方では御者が怒鳴っている。誰かが道に急に飛び出してきたようだ。
「なんだ?」
男の一人がシュリの服を脱がせる手を止めて幌を捲り、外の様子を窺おうとしたその時、物凄い勢いでその男が蹴り飛ばされ、誰かが馬車の中に押し入った。
シュリより少し年上ぐらいの、驚くほど端整な顔をした美しい少年だった。ブロンドの髪に、濃紺のコート。先ほど、高台の上にいた少年だとすぐにわかった。少年は腰に下げていた剣を引き抜くと、賊が声を上げる前に、躊躇いなくその腕を斬り落とした。
「ギャアアーーーーーッ」
男はのたうち回り、馬車の中を転げまわる。少年はもう片方の腕も容赦なく斬り落とそうとしたが、少年の背後からもう一人の男が斬りかかろうとした。
「危ない!」
シュリが思わず叫ぶと、少年もそれは気づいていたようで、振り返りもせずに剣で男の持っていたナイフを払い落とす。ゆっくりと振り返ると「待ってくれ」と訴える男を無視し、再び右手を躊躇なく斬り落とした。端整な顔に浴びた返り血を拭うと、少年は馬車の幌を上げて男二人を外に蹴り落とした。
「このゴミ共、牢屋に入れておくように衛兵に引き渡してくれないか」
「王子、こういうのは護衛の僕らに任せてくださいって言ってるでしょう」
従者と思われる青年が泣きそうな声で言った。
(……王子?)
少年は剣についた血を布で拭いて鞘にしまうと、未だ全身の毛を膨らませて縮み上がっているシュリの側に跪き、白い手袋をはめた手を差し出して優しく微笑んだ。
「大丈夫だった? 上から広場を見てたら、たまたま君が連れ去られるところが見えたんだ」
皆これから始まる祭りに夢中になっていて、シュリが攫われたことに気づいていなかったが、たしかにあの位置からなら一部始終がよく見えただろう。
「あ、ありがとう……あの」
「ああ、俺はリンデンベルク王国第一王子、ジークフリートだ」
「リンデンベルクの!?」
リンデンベルク王国は世界最強とも言える西の大国だ。そんな国の王子がはるばるこんな小国の祭りを見に来るなんて、リュカの影響がいかにすごいかを実感する。
「ご家族のもとに一緒に戻ろう。ルルセは中止にした方がいいんじゃないか?」
「え?」
「君はリュカ王子だろ? そんな状態で、ルルセを舞うなんて無理だよ」
「あ……悪い。俺、リュカ〝じゃない〟方なんだ。双子の兄の方」
帽子を取って黒い耳を見せながら反射的に謝ると、彼は「じゃあ君が……」となぜか頬を赤らめた。
「……でも、今年のルルセはシュリの番じゃなかったか? たしかリュカは去年のはずだったが」
「色々あって交代したんだ。……もうすぐ始まるから、早く見に行った方がいい。毎年すごく綺麗だから。俺は一人で戻れるよ」
「そういう訳にはいかないよ。そんなに震えてるのに」
指摘されて、シュリは今でもまだ体がぶるぶると震えていることに気づいた。
怖かった。殺されるかと思ったし、何より酷いことをたくさん言われて傷ついていた。
「一緒に戻ろう」
ジークフリートはそう言って、優しくシュリの手を取る。まだ腰が抜けかけていたが、彼が支えてくれたおかげで立ち上がれた。彼は繋いだ手にハッとして、目を見開いた。
「て、手が……プニッて」
「ああ、これ? 半獣を見るのは初めてか?」
黒い毛に覆われた真っ黒な肉球を見せると、ジークフリートは神妙な顔で頷いた。
シュリもリュカも人間の割合が高いタイプの半獣だが、耳と尻尾の他に手足が獣に近く、ハイソックスを履いたように毛で覆われている。骨格が人間のため四足歩行には適さないが、名残りのように手のひらと足底には肉球があった。
「好きなだけプニプニしてもいいぞ。俺の肉球は硬い方だからあんまり気持ちよくないだろうけど」
リュカの肉球は綺麗なピンク色で、もっと柔らかいということは秘密だ。屋敷では当然リュカの肉球が大人気なので、シュリの真っ黒な肉球はほとんど誰からも触られたことがない。この硬くて真っ黒な肉球が、少しコンプレックスでもあった。
ジークフリートは、失礼、と言ってシュリの手を引いて広場に向かう途中、頬を赤くしたままずっと真剣にプニプニし続けていた。
「うわあ、気持ちいいな」
「そ、そうか? 俺の肉球、気持ちいい?」
「もう最高」
「そ、そうか。最高か」
ゴロゴロゴロゴロ……
(やばい、喉が鳴ってしまった……)
猫のサガで、嬉しいことがあると喉がつい鳴ってしまうのだ。
「何だこの音、雷?」
ジークフリートが不思議そうに首を傾げるので、シュリは俯いて「そ、そうかもな」と答えた。
賊に襲われてすごく怖かったのに、ジークフリートがずっと手を繋いで(肉球を揉んで)くれたおかげで、段々と震えが収まってきた。
「それにしても、なんでシュリは王子なのに護衛が付いていないんだ?」
「あー……一応ついてたけど、今日はみんなリュカの方に行っちゃって」
現に今も、本当はリュカが狙われていた。リュカの護衛を増やしたのは間違いではないはずだ。
「使えない護衛だな。今後はうちの国からシュリの護衛を出す」
「なに言ってんだよ。俺の護衛なんて君が気にすることじゃないだろ?」
すると、ジークフリートは頬を赤らめて照れくさそうな表情を浮かべた。
「何かあったら困るんだ。君、たぶんだけど……俺の婚約者だし」
「婚約者!?」
シュリは真っ赤になり、ぶわっと全身の毛を膨らませた。
「……もしかして、まだ何も聞かされてない?」
シュリは神妙な顔で頷いた。ネコ族の半獣は雌雄問わず多産だ。長兄が王位を継承するので、シュリとリュカは政略結婚で他国に嫁ぐ可能性が高いとは言われていた。だが、まさかこんな大国の王子が相手だとは思わなかった。
「今日来たのは、祭りを見にきたっていうのもあるけど、メインは婚約の顔合わせのためなんだ」
「そ、そうだったのか……」
せっかくの顔合わせだったのに、賊に襲われて毛を逆立てている変なところを見せてしまった。無意識に耳を引っ張って毛並みを整える。
こんなにかっこよくて強くて優しい人が、自分の婚約者なのか。
(いきなり腕を斬り落としたのはちょっと怖かったけど……)
シュリは胸が甘く痛むようにドキドキとするのを感じた。賊に遭ったことを両親に話しても、彼らはリュカが狙われずに無事だったことに安堵するだけだろう。誰かからこんなに自分の身を心配されたのは初めてだった。その時、不意に後ろから大きな声がした。
「ジーク! ジークフリート! 探したぞ」
(あれ? ジークフリートと同じ声だ……)
不思議に思って振り返ると、驚きのあまり尻尾を膨らませた。なぜならそこには、まるで鏡合わせのように彼と瓜二つの少年が立っていたからだ。
「ふ、増えた?」
驚いているシュリに、ジークフリートは笑ってシュリの頭を撫でた。
「こいつはギルベルト。俺の双子の弟」
驚いた。双子が生まれるのは珍しいことだと思っていた。ギルベルトはシュリを一瞥するとすぐに目を逸らし、ジークフリートに聞いた。
「俺の婚約者ってコイツ?」
「……生まれた順らしいから、ギルの婚約者はリュカだよ」
ギルベルトはそれを聞くとしばらく黙り込んだあとに鼻で笑った。
「……そうか。じゃあ俺が〝当たり〟を引いたんだな。ご愁傷様ジーク」
その言葉にシュリは思わず爪が出てしまうぐらいに怒りが湧いた。
「こっちだってお前なんか願い下げだ!」
「なんだと!? 小国の猫が偉そうに」
「ギル! 俺の婚約者を侮辱するな!」
ジークフリートが本気の怒りを見せると、ギルベルトはチッと舌打ちをする。シュリはなおも腹の虫が治まらなかったが、そんなことよりも気になることがあった。
「……もしかして、リュカもリンデンベルクに?」
「うん。俺の国の宮廷占い師が、『双子の王子は双子の伴侶を持つと国が繁栄を極める』って預言したらしくてね。リューペンの末っ子の王子が同じ年頃の双子だって話を父さんが耳にして……って、シュリ?」
「…………」
どこかに嫁いで国を出たら、もうリュカと比べられることはないと思っていた。
だが、どうやらこの先も比較される人生から逃れられないらしい。しかも生まれた順で言ったら、ジークフリートが王位継承者だ。そうなったら自分は、大国の王妃になってしまう。
王妃になること自体は嫌ではない。重圧はあるけれど、王族に生まれたからにはその責務を負いたい。だが、弟妃がリュカになるのだったら、皆リュカこそを王妃にと望むのではないか。
そもそも、リンデンベルクの王にシュリたちの話が耳に入り婚約話にまで発展したのは、リュカの評判と功績によるものだろう。
「大丈夫だよ。リンデンベルクはここより寒いけど、半獣や獣人にも優しい国だ。絶対、心細い思いはさせないから」
彼は青ざめた顔をしているシュリを安心させるように言って、シュリの黒い頭を撫でた。ギルベルトはそれを横目に見て、「人たらしが」と吐き捨てたあとに「猫たらしか……?」と自問していた。国中がリュカを望んだとしても、隣に立つ人がジークフリートなら、頑張れるのかもしれない。
あの頃まだ幼かった心は、積もりに積もった劣等感を忘れるほど、淡い初恋に浮かれていた。
第一章 学園生活
──五年後、秋。
シュリとリュカは、西の大国リンデンベルクの王都ヘッセンにある『レイオット王立魔法学院』に編入した。
王族や貴族が集う全寮制の学院で、幼い頃から人に世話をされている上流階級の少年たちが親元を離れて自立することを促し、高い教養と魔法技術を身に着けるための場所だ。
王子たちとの結婚はまだまだ先だが、小さな田舎の国で育ったシュリとリュカが、文化の大きく違うリンデンベルクでいきなり暮らし始めるより、学校生活を通して子供のうちからリンデンベルクに慣れておいた方がいいだろうという、ジークフリートたちの計らいだった。
都市部でも片田舎のような雰囲気だったリューペンとはまるで違い、ヘッセンの街は大きな建物が立ち並び、せわしなく多くの人が行き交う。街中が魔法に溢れていて、リュカとシュリは田舎者丸出しで全ての物に驚いていた。
学校に通うのも初めてで、まるで城のように巨大で壮麗な学院の建物にも驚いた。リューペンの王城は、狭い場所が好きなネコ族らしい小さな城だったからなおさら広く感じる。
とはいえ学院の中に入ったら、従者も護衛も付いてこないから、目的地には自分の力で向かわなければならない。
「シュリ、ビオレット寮はこっちだってー」
早速迷子になりかけていたが、リュカは地図をちらっと見ただけでこの巨大な城内の配置を完全に把握したらしく、明後日の方向に彷徨おうとするシュリの尻尾を掴んで正しい方向へ引き戻した。
寮は王族や上級貴族用のビオレット寮、下級貴族用のシュヴァルツ寮、その他爵位なしの人たち用のヴァイス寮で分かれていて、シュリは田舎の小国とはいえ一応王族のため、ビオレット寮に属している。王族が住む寮だけあって外装も内装も豪奢で、部屋数は一番少ないのに、一番大きな建物だった。
恐る恐る中に足を踏み入れると、吹き抜けになっている回廊の上から、他の寮生たちが次々に顔を出した。
「お、おい! リュカ様だ!」
「実物初めて見た! すごい、真っ白でめちゃくちゃ可愛い」
リュカはその声に気づくと、上を向いてにこやかに手を振った。「うおおおお」という野太い歓声が上がる。こういう騒ぎになることは予想できていたので、シュリは文字通り影のように息を潜めた。
(俺は影、俺は無色透明、無味無臭……)
目を閉じ、呼吸の音を立てずにそう唱えてやり過ごしたかいがあり、誰もリュカと比較してシュリを貶めることはなかった。
リュカはこの数年でますます美しくなり、白い毛はくすむことなく光るように輝いている。
対してシュリは、成長と共にさらに毛が黒々として、毛や肉球は硬くなってしまった。比較され続けることに疲れて目つきも荒んだため、一層「黒猫は悪魔の使い」という迷信の雰囲気に近づいてしまった。
「ナマで見るとリュカ様のオーラ半端ないな。さすがリンデンベルク王国の未来の王妃だ」
「え? 王妃? そうなの?」
そこでシュリは初めて黒い耳をピクリとさせた。
(悪いが未来のリンデンベルク王妃は俺だ……たぶん)
なぜたぶんかと言うと、まだどちらがジークフリートと婚約するか公表されていないからだ。公表されているのは双子王子とリューペン王国の双子王子が婚約したことだけ。なぜいつまでも公表されないのかはわからない。
「編入生の双子王子は、我が国の双子王子の婚約者だって話だ。どっちがどっちに嫁ぐのか定かじゃないが、リュカ様はおそらく王妃になるだろうから、兄上のジークフリート様の許嫁じゃないか?」
「まだジークフリート様が王になると決まったわけじゃないぞ。第一王子が王位を継承するという法律だが、双子の場合は優秀な方を次期王にするって話だ。お二人の能力に差がない以上、〝伴侶〟の能力差で決めるっていう噂がある。だから卒業までにリュカ様を落とした方が王位につくんじゃないかっていう噂だ」
(えっ!?)
シュリはたちまち不安になった。ジークフリートとはこの五年間ほとんど会えなかったが、手紙のやり取りはしており、その優しい文面を読むたびに彼をどんどん好きになっていった。彼の名を汚さないような立派な王妃になるために、この五年もの間、国中の本を読みつくす勢いで必死に勉強をしてきた。
だが内心、いつか「やはり、リュカを妃に」と言われるのではないかと怯えていた。今までの人生で、あまりにもそういうことが多すぎた。
呆然と立ち尽くしていると、重い荷物に痛んでいた腕がふっと軽くなった。驚いて顔を上げたシュリは、目を見開いた。
「じ、ジーク! 久しぶり……」
「シュリ。ようこそ、ビオレット寮へ」
五年ぶりに見た彼は、目の覚めるような美しい青年になっていた。あの頃はまだ細身の少年だったが、背も伸びて筋肉も付き、男らしさも加わっている。その姿に、シュリは瞳孔を針のように尖らせ、耳と尻尾を立てて固まってしまった。
シュリとリュカもあの頃よりはぐんと身長が伸びたが、ネコ族特有のしなやかな細身の体つきのままだ。
「しゅ、シュリ……? 大丈夫?」
目の前で手をブンブン振られ、慌てて我に返ると、なぜかジークフリートが二重に見える。よく見ると彼の隣には不機嫌な顔をしてこちらを見るギルベルトが立っていた。
「ジーク、俺、荷物自分で持てるから大丈夫だ。先歩いててくれ」
大衆の注目を浴びたくなくてそう言ったが、彼はトランクを引っ張るシュリに優しく首を振った。
「持たせてくれよ。久しぶりに会うのが楽しみで、昨日から寝られなかったんだから、これぐらいさせて」
「じ、ジーク……」
頬を赤らめて俯くと、ギルベルトが「それ、こいつの常套句だぞ」と釘を刺す。その時、前を歩いていたリュカが振り返り、拗ねたように口を尖らせた。
「シュリは二人とちゃんと喋ったことあるんだよね? 僕だけ仲間外れみたい」
「うん。五年前の祭りの時。リュカはルルセで忙しかったから、ほとんど喋ってないんだよな」
「あのあと、俺たちはすぐに寮に入っちゃったから、会う機会もなかったしね」
話しているうちに、シュリたち第五学年が暮らす部屋が並ぶ二階に着いた。
ジークフリートとギルベルトは一つ上の第六学年のため一人部屋だが、第五学年は二人部屋が用意されている。だが、お互い違うルームメイトとの二人部屋だった。
ジークフリートに案内された自室に入ると、思った以上に中は広く、二人部屋と言ってものびのびと過ごせそうだ。ネコ族の血を引くシュリとしてはもう少し狭い部屋の方が落ち着くが、日当たりのいい豪華な部屋に尻尾をピンと立てて喜んだ。
ルームメイトは、今は部屋にいないらしい。今日は新学期前の夏休み最終日らしいから、まだ実家から寮に戻っていないのかもしれない。
「荷物、ここ置いておくよ」
「ありがとう、ジーク」
二人きりになると、少し緊張してしまう。
──お二人に能力の差がない以上、〝伴侶〟の能力差で決めるっていう噂がある。だから卒業までにリュカ様を落とした方が王位につくんじゃないか。
先ほど聞いた言葉が、頭をよぎった。この噂の真偽が気になって仕方がない。
「シュリ、なんか不安に思ってる?」
「え?」
「尻尾がすごい揺れてるから」
「あ、ああ……」
慌ててお尻に手を当てて動き回る尻尾を押さえつけると、それを見ていたジークフリートは微笑んだ。
「城にいた獣人たちに、猫のこと聞いたんだ。尻尾を大きく揺らしてるのは、緊張してたり、不安に思ってたりする時だって。嬉しい時は、喉が鳴るんだってね。ゴロゴロ、雷みたいに」
五年前、初対面だというのに肉球を褒められて盛大に喉を鳴らしてしまったことを思い出して、今さら恥ずかしくなってしまった。
「久しぶりにシュリの肉球、触っていい?」
ジークフリートはそう言ってシュリの手をそっと取る。彼が肉球に触れたので慌てて手を振り払った。
「やめとけよ。昔より硬くなっちゃったから……気持ち良くないぞ。リュカの方が柔らかいよ」
「いや、これはこれで……俺は好き」
「!」
その言葉に、シュリは舞い上がった。やわやわと握られていると、すぐにグルル……と喉が鳴った。
「な、鳴っちゃうから……」
「いいよ。鳴らしてほしい」
ゴロゴロゴロ……ゴロゴロ……
恥ずかしいぐらい喉が盛大に音を鳴らし、シュリは片手で真っ赤になった顔を覆った。
「……シュリはやっぱり可愛いな」
ジークフリートはしみじみとそう言って、シュリの頭をぽんぽんと撫でる。そうすると、ますます喉のゴロゴロ音が大きくなってしまう。
「あの、さ……ジーク。一つ聞いていいか?」
「うん?」
「ジークとギルは、どっちが王様になるんだ?」
「……実はまだ決まってないんだ。今まで双子の第一王子っていなかったから、ちゃんと定まってなくてね。片方が明らかに政治に向いてなかったらいいんだけど……」
それなら、先ほど聞こえてきた噂通りだ。
「……将来、ジークは王様になりたいって思ってるのか?」
その質問に驚いたように彼は目を丸くしていたが、しばらくして笑いながら言った。
「うん。なるつもりだよ。そのためにここまでやってきたんだから」
「そっか……」
シュリとリュカが王位を争ったら、確実にリュカに決まるだろう。それぐらい不均等な双子だ。
だが、ジークフリートとギルベルトは均等に能力を分け合って生まれてきている。話さなければどちらがどちらかわからないぐらい容姿もそっくりだし、能力も、得意分野がそれぞれ違うだけで全てが平等だ。
皆に人当たりの良いジークフリートに対し、ギルベルトは少々乱暴だがリーダーシップがあるらしい。
だから、二人の間に差がつくとしたら、あとはもう伴侶の差だ。
「俺頑張るよ。勉強とか、魔法とか……他にも色々」
リュカには絶対に勝てないと諦めていたけれど、初めて強く、彼に勝ちたいと思った。リュカの百倍努力すれば、鼻先一つでも彼を超えられるかもしれない。
「頑張らなくていいんだよ。この学院に呼んだのは、リンデンベルクの生活に慣れてもらうためだから」
「うん。でも……やれるだけのことはやってみる」
そう言うと、ジークフリートは何も言わずに微笑んで、シュリの頭を優しく撫でてくれた。
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愛してやまなかった婚約者は俺に興味がない
了承
BL
卒業パーティー。
皇子は婚約者に破棄を告げ、左腕には新しい恋人を抱いていた。
青年はただ微笑み、一枚の紙を手渡す。
皇子が目を向けた、その瞬間——。
「この瞬間だと思った。」
すべてを愛で終わらせた、沈黙の恋の物語。
IFストーリーあり
誤字あれば報告お願いします!
嫌われ魔術師の俺は元夫への恋心を消去する
SKYTRICK
BL
旧題:恋愛感情抹消魔法で元夫への恋を消去する
☆11/28完結しました。
☆第11回BL小説大賞奨励賞受賞しました。ありがとうございます!
冷酷大元帥×元娼夫の忘れられた夫
——「また俺を好きになるって言ったのに、嘘つき」
元娼夫で現魔術師であるエディことサラは五年ぶりに祖国・ファルンに帰国した。しかし暫しの帰郷を味わう間も無く、直後、ファルン王国軍の大元帥であるロイ・オークランスの使者が元帥命令を掲げてサラの元へやってくる。
ロイ・オークランスの名を知らぬ者は世界でもそうそういない。魔族の血を引くロイは人間から畏怖を大いに集めながらも、大将として国防戦争に打ち勝ち、たった二十九歳で大元帥として全軍のトップに立っている。
その元帥命令の内容というのは、五年前に最愛の妻を亡くしたロイを、魔族への本能的な恐怖を感じないサラが慰めろというものだった。
ロイは妻であるリネ・オークランスを亡くし、悲しみに苛まれている。あまりの辛さで『奥様』に関する記憶すら忘却してしまったらしい。半ば強引にロイの元へ連れていかれるサラは、彼に己を『サラ』と名乗る。だが、
——「失せろ。お前のような娼夫など必要としていない」
噂通り冷酷なロイの口からは罵詈雑言が放たれた。ロイは穢らわしい娼夫を睨みつけ去ってしまう。使者らは最愛の妻を亡くしたロイを憐れむばかりで、まるでサラの様子を気にしていない。
誰も、サラこそが五年前に亡くなった『奥様』であり、最愛のその人であるとは気付いていないようだった。
しかし、最大の問題は元夫に存在を忘れられていることではない。
サラが未だにロイを愛しているという事実だ。
仕方なく、『恋愛感情抹消魔法』を己にかけることにするサラだが——……
☆お読みくださりありがとうございます。良ければ感想などいただけるとパワーになります!
初夜に暴言を吐いた夫は後悔し続ける──10年後の償い【完結】
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