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第一章
第二話
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「……ただいま」
無造作に置かれていたはずの靴が揃えられている。それが分かり安心する気持ち半分、申し訳ない気持ち半分。
部屋の電気を点け、鞄をベッドの上に放る。
テーブルの上に置かれたメモとラップがかけられた鮭が二切れ、そしてそれを囲むように茹でられた緑黄色野菜が脇を固める。
『お兄ちゃんへ。久しぶりに寄れたから掃除と洗濯しておいたよ。あとテーブルの上のおかずは今日中に食べてね。就活大変かもしれないけど頑張って。応援してるよ。
お兄ちゃんの愛する妹より』
文章と一緒に余白に書かれた似顔絵が俺を応援してくれる。
センター試験を一週間後に控えており、自分も忙しいのに気にかけてくれる妹がたまらなく愛おしい。それこそ目に入れても痛くないほど可愛い。このことで誰に何と言われようと気にしない。シスコンと言いたい奴には言わせておけばいいのだ。
ネクタイを乱暴に外し、スーツを脱ぐ。ここ二、三ヶ月でこのスーツの出番が急に増えたためか、確実に皺が増えたような気がする。そろそろクリーニングに出さないといけないかもしれない。
鮭を電子レンジで温め、ご飯を茶碗で軽く一杯よそう。思えばこんなしっかりとした食事をとるのは久しぶりだった。いつもはカップ麺かコンビニ弁当で済ませることが多く、ひどい時なんかは十秒チャージのゼリーかバナナだけで済ませてしまうこともある。改めて我が愛しの妹に感謝をしなくてはいけない。
「……いただきます」
一人での食事にもう慣れたと思っていたが、精神的に疲弊している今、家族で囲んだ食卓がたまらなく愛おしい。味付けは全く同じなのに環境一つでこうまでも感じ方か違ってくるものかと実感する。
さっと夕食を食べ終え、食器を流しに運ぶ。そしてそのままスポンジに洗剤をつける。洗うのは面倒だったが、放置すると後が大変ということは俺が一番知っていたので、重い心を何とか動かし食器を洗っていく。
一段落つきベッドに身体を預ける。
仰向けになり天井を見つめると、木目に刻まれた細かい染みが徐々に広がっていることに気がついた。窓を閉めているにもかかわらず、どこからともなく隙間風が入り込んでくる。隣の大学生が夜な夜な女を連れ込んではいかがわしいことをしている声や音も何の障害もなく聞こえてくる。安さと大家さんのいい加減さに惹かれて今日にいたるまでの約四年間、築五十年になるこの木造アパートにお世話になっているが、そろそろ引っ越しを考えた方がいのかもしれない。
目を閉じ思考の海に飛び込む。
真っ先に浮かんだのは優しく微笑む母の笑顔だった。
末期の癌で余命半年。
ここ何年も入院と退院を繰り返している。残された時間は僅かであり、今年の春を迎えることも難しいかもしれない、いつ何が起きてもいい覚悟はしておいてください、と医者に宣告されている。
二十年前、父が他界した後、小学生だった兄と三歳の俺、産まれたばかりの妹の三人を女手一つで育ててくれ、無理に無理を重ねてきたつけがここにきて回ってきたのだろう。現在の医療ではもはや臓器移植しか手は残っていないと言われている。しかし、その臓器移植が一筋縄でいかないことは自明の理だった。ドナーを必死に探してもらってはいるが、なかなか見つからない。そして、仮にドナーが見つかったとしても、費用の問題が俺たちの行く手を阻む。壊さないといけない壁は二重にも三重にもなっており簡単に進むことは出来ない。それこそ奇跡でも起きない限りお袋を救うことは出来ない状況である。
『いいかい、あつき、あんたは安定した職業に就きなさい。それで、一人でも多くの人の役に立つ人間になりなさい』
これが母の口癖だった。
この話をする時、俺は毎回、昔何があったんだ、と訊くが、どうもしないよ、と言って口を噤んでしまう。何かがあることは明らかだったが、過去の思い出に耽る母の顔を見るとそれ以上追及することは出来なかった。
そんな母を少しでも安心させるために就職だけは早く決めておきたかったが、この状況だとそれも叶わないかもしれない。
無造作に置かれていたはずの靴が揃えられている。それが分かり安心する気持ち半分、申し訳ない気持ち半分。
部屋の電気を点け、鞄をベッドの上に放る。
テーブルの上に置かれたメモとラップがかけられた鮭が二切れ、そしてそれを囲むように茹でられた緑黄色野菜が脇を固める。
『お兄ちゃんへ。久しぶりに寄れたから掃除と洗濯しておいたよ。あとテーブルの上のおかずは今日中に食べてね。就活大変かもしれないけど頑張って。応援してるよ。
お兄ちゃんの愛する妹より』
文章と一緒に余白に書かれた似顔絵が俺を応援してくれる。
センター試験を一週間後に控えており、自分も忙しいのに気にかけてくれる妹がたまらなく愛おしい。それこそ目に入れても痛くないほど可愛い。このことで誰に何と言われようと気にしない。シスコンと言いたい奴には言わせておけばいいのだ。
ネクタイを乱暴に外し、スーツを脱ぐ。ここ二、三ヶ月でこのスーツの出番が急に増えたためか、確実に皺が増えたような気がする。そろそろクリーニングに出さないといけないかもしれない。
鮭を電子レンジで温め、ご飯を茶碗で軽く一杯よそう。思えばこんなしっかりとした食事をとるのは久しぶりだった。いつもはカップ麺かコンビニ弁当で済ませることが多く、ひどい時なんかは十秒チャージのゼリーかバナナだけで済ませてしまうこともある。改めて我が愛しの妹に感謝をしなくてはいけない。
「……いただきます」
一人での食事にもう慣れたと思っていたが、精神的に疲弊している今、家族で囲んだ食卓がたまらなく愛おしい。味付けは全く同じなのに環境一つでこうまでも感じ方か違ってくるものかと実感する。
さっと夕食を食べ終え、食器を流しに運ぶ。そしてそのままスポンジに洗剤をつける。洗うのは面倒だったが、放置すると後が大変ということは俺が一番知っていたので、重い心を何とか動かし食器を洗っていく。
一段落つきベッドに身体を預ける。
仰向けになり天井を見つめると、木目に刻まれた細かい染みが徐々に広がっていることに気がついた。窓を閉めているにもかかわらず、どこからともなく隙間風が入り込んでくる。隣の大学生が夜な夜な女を連れ込んではいかがわしいことをしている声や音も何の障害もなく聞こえてくる。安さと大家さんのいい加減さに惹かれて今日にいたるまでの約四年間、築五十年になるこの木造アパートにお世話になっているが、そろそろ引っ越しを考えた方がいのかもしれない。
目を閉じ思考の海に飛び込む。
真っ先に浮かんだのは優しく微笑む母の笑顔だった。
末期の癌で余命半年。
ここ何年も入院と退院を繰り返している。残された時間は僅かであり、今年の春を迎えることも難しいかもしれない、いつ何が起きてもいい覚悟はしておいてください、と医者に宣告されている。
二十年前、父が他界した後、小学生だった兄と三歳の俺、産まれたばかりの妹の三人を女手一つで育ててくれ、無理に無理を重ねてきたつけがここにきて回ってきたのだろう。現在の医療ではもはや臓器移植しか手は残っていないと言われている。しかし、その臓器移植が一筋縄でいかないことは自明の理だった。ドナーを必死に探してもらってはいるが、なかなか見つからない。そして、仮にドナーが見つかったとしても、費用の問題が俺たちの行く手を阻む。壊さないといけない壁は二重にも三重にもなっており簡単に進むことは出来ない。それこそ奇跡でも起きない限りお袋を救うことは出来ない状況である。
『いいかい、あつき、あんたは安定した職業に就きなさい。それで、一人でも多くの人の役に立つ人間になりなさい』
これが母の口癖だった。
この話をする時、俺は毎回、昔何があったんだ、と訊くが、どうもしないよ、と言って口を噤んでしまう。何かがあることは明らかだったが、過去の思い出に耽る母の顔を見るとそれ以上追及することは出来なかった。
そんな母を少しでも安心させるために就職だけは早く決めておきたかったが、この状況だとそれも叶わないかもしれない。
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