貸本屋の坊ちゃんには裏の顔がある。~魂の蟲編~

森野あとり

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新選組の残党

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 店を開けたばかりだった。
 雨戸を全て外したところで、空を見上げた。

(うん、今日も晴れだ。見世台を表まで出しても大丈夫だな)

 間口を広く見せるためにも、見世台の位置は大事だ。
 暖簾をかけて、台を引っ張り出そうとしていた時、たっぱのある人物が近付いて来た。

「えらく早い時間のご訪問じゃねえか」
「あんたが行商の準備をする前にと思ってな」

 警部補の藤田だった。

「込み入った話か」
「店先で話すようなことではないな。で、『坊ちゃん』は」
「まだ寝ていますよ。あれで朝が弱いんだよ、坊ちゃんは」
「なら、飯を食い終えてからでいいが」
「そんなのを待っていたら、俺の仕事が止まっちまう」

 仕方なく、店の土間にある中戸を開け、藤田を通用口から続く路地に案内した。

「ついて来い」

 路地の奥は母屋の玄関で、四畳半ある玄関の間の向こうが客間となっている。

「お絹さん、客人だ。奥の間にいるから、坊ちゃんにそう伝えてください」

 座敷の向こうの障子を開け、縁側から庭にいたお絹さんに声を掛けた。

「よく手入れされているな」

 藤田が庭を見ていた。

 庭には小さいながらも季節の花が植えられ、赤い小菊が揺れていた。二つの鉢植えには立派な大輪の菊。樹形を整えられたドウダンツツジは錦の色合いが美しい。黒光りする庭石の横の苔が瑞々しさを際立たせていた。

「お絹さんが手入れをしているんだよ」

 坊ちゃんの声がして驚いた。
 いつの間に来たのか、部屋の入口にいた。

「僕が退屈しないようにね、珍しい花や季節の花を咲かせている。時には趣向を凝らした鉢植えなんかも買ってきてくれるんだ」
「坊ちゃん、起きてらしたんですね」
「もう朝飯も食べたから」
「いつの間に!」

 そんな気配はしていなかったというのに。
 まるでさっきの会話を盗み聞きされていたようで、ばつが悪い。
 だが相変わらず坊ちゃんは無表情だ。壁伝いに部屋に入ると藤田の前まで這って来て、足を投げ出すようにして座った。

 坊ちゃんが座った途端、さっそく藤田が話し始めた。

「あのかんざしが凶器だと認めたらしいな」
「では、あのかんざしを貸してくれるのかな」
「だめだ。あれは証拠品ゆえ、貸し出しはできん」

 なんだろうな。二人の会話を聞いていると、まるで剣道のかかり稽古を想像しちまう。

 ふんと、鼻を鳴らし、坊ちゃんが自由になる方の脚を折り曲げ、膝を立てるように座り直した。

「僕は凶器だとは断定していない。それを確かめるために貸して欲しいと頼んだだけだ。だいたい検視には立ち会っていないから、あのかんざしであんな傷が作れるのかどうかまで確かめようがないだろ。ただね、あのかんざしには念の欠片が残っていて、厠の壁に残されていた手型と似た色が感じられたんだ」

 藤田が眉間の皺を深くして問い返した。

「手型?」
「うん。あっただろ」
「確かに壁に血痕はあったが、てっきりあの半玉のモノだと思っていた。驚いて手を突いた時にできた感じの……」
「手を突いたというよりは、掌を擦ったような痕だった。小林さんの血が付着してしまった手を、あの壁にこすり付けて拭った痕だよ」
「そんなこと、なぜ決めつけられる」
「小林さんを見た時とは別の色が見えたから。そしてかんざしにも同じ念の欠片が残っていた」

 ふーっ――と、長い息を吐きながら藤田が目を閉じ、そして目を開けると言い切った。

「俺はそういう神通力みてえなもんは信じねえ」

 今度は坊ちゃんが大きなため息を吐いた。

「そう言うと思っていたけど、あんまり頭が固いと、真実を見逃すよ」

 この一言に、藤田が目を細めた。

「いいか、小僧。検視であれが喉の傷痕とほぼ同じだったから、凶器だと決めたのだ。おまけにあの花細工の下に血が付着した跡もあった。そもそも見つからないようにわざわざ落とし紙に包んで、糞の中に捨てられていたということが、凶器とするに十分な証拠じゃねえか」
「落とし紙に……ね。ふーん」

 捨てられていた時の状況を聞くと、少し考え込むような仕草をした。かんざしが凶器であることと念推しするように、藤田がその後の調査を説明する。

「しかし、これで辻斬りとは別人の事件だという見方が下された。早速、かんざしの持ち主を探させている。先ずは、花街にある小間物屋、娼妓屋に出入りする小物屋、ついでに桐畑や田町の遊女屋を聞き込みに回らせている」

 膝に肘をついた姿勢で聞いていた坊ちゃんが、居住まいを正して藤田に向き合った。

「確かに言うとおりだ。だが、僕が言いたいのは、あれが凶器だったとしても、あのかんざしの持ち主が殺したとは限らないということだよ」
「なにぃ」

 坊ちゃんの見解に戸惑いを感じる。

(凶器は盗まれたモノだってことか?)

「わざわざあれを使って、しかも持ち主を特定しやすいように目立つところに捨てたとしたら。しかも血を拭わず、血痕をわかりやすいように」
「わざと俺たちに見つけさせたとでも言いたいのか」
「憶測は厳禁だろ。仮定の前にもっと事実を多く集めるべきだ。で、今日来た本当の目的は何?」

 自分から憶測を語っておいて、最後にはその意見を引っ込めた坊ちゃんに、藤田が心底嫌そうな顔をした。舌打ちすると、ようやく本題に入った。

「辻斬りの見当が付いた。三井丑之助うしのすけという元新選組隊士だ」

(また新選組……)

 昨日の片山といい、最近新選組の名を聞くことが多くねえか。
 奇妙な縁を感じてしまう。
 だからつい、坊ちゃんを差し置いて口をはさんでしまった。

「そいつはどういう人物ですか」

 何かを思い出すように、藤田が天井を見ながら答える。

「そうだな……あまり記憶にはないが、江戸で組を脱走したことだけは憶えている。気の小さい男だったように思うが、それでもそこいらの邏卒よりは強かろう。何せ、あの橋本や伏見の戦いで生き残った隊士なのだからな」

(どういうことだ)と、目を瞬かせた。

「記憶にないって……あんたの知り合いなのか」

 そこまで言って、はたと思い至った。

 ――「人を斬った数なら、人斬り以蔵なんぞよりよほど多い」

 確か、藤田は己のことを、そんな風に語っていた。
 ぞわりと背中が泡立つ。

「もしや、あんたも新選組の残党なのか」

 藤田の口元に不敵な笑みが浮かんだ。

「残党も残党。当時であれば、獄門級の大物であろうよ」

 唖然とする俺に向かって、藤田が暴露しやがった。

「俺の名は、山口二郎……いや、その前に名乗っていた斎藤一と言った方が分かりよいかな」

 思わず唾を飲み込む。

「うそだろ……」

 〈新選組の斎藤一〉と言えば、錦絵に描かれるほどの有名人である。しかも、局長の近藤勇、副長の土方歳三、そして剣豪沖田総司と並ぶ人気絵だ。斎藤は剣豪としても有名だが、何より新選組の大幹部である組長として名を馳せていた。
 実際には政府の目が厳しく、新選組や白虎隊など佐幕派の英雄を描いた錦絵や絵草紙などは、検閲もあって大々的に売ることはできない。それでも、瓦解が進んで不景気この上ない現在、それらは貸本屋の台の下の方でこっそりと売られ、新政府に反抗心を持つ庶民らの間で密かに流行していた。

 その錦絵の人物が目の前にいる!

「今はおめおめと生き残って、新政府の役人に成り下がっているがな」

 飄々とした顔で言い切る藤田を二度見する。

 おめおめと生き残って今に至るまでの苦労など、並大抵ではなかろうよ。
 その地獄を全てなかったことになどできるはずもない。……だが、あの戦で戦い、この時代まで生き残った侍たちは皆、そうやって生き延びてきたのだ。

 ――俺と坊ちゃんも……

 だからこそ、誰もが多くを語ろうとはせず、ほとんどの者が名を変えて生きている。

「三井もそうやって生き残った男だ」

「どうやって見つけたんだい」

 坊ちゃんの淡々とした声が聞こえた。

「この間見せた姿絵だ。あれを見廻りの巡査に持たせていたところ、四谷に似た男がいるという報せが入った」

 正直、あの絵と似た格好の元侍など、東京中にいくらでも居そうだ。坊ちゃんも同じことを考えたのだろう。

「あんな絵で、よく断定できたね」
「三井を見つけたのは、狙い通り鮫河橋だ。財布を抜かれていた石川の状況と合わすと、ほぼ間違いないだろう。しかも上野には下谷の貧民窟がある。四谷に移ってくる前は、下谷で潜んでいたのだろうというのが我々の見方だ」

 鮫河橋も貧民街である。

「おいおい、そこまでわかっていて、なぜしょっ引かねえんだ」

 見つけたと言うのならさっさと捕まえればよいことじゃねえかよ。

 ――トントントン トントントン

 音に目を向けると、坊ちゃんの中指が一定の律動で畳を打っていた。そのかすかな音が藤田の声に消された。

「ただ、三井の経歴を考えると、薩摩っぽを狙った理由がわからぬのだ。奴は新選組の幹部であった大石という同志を薩摩に売って、見返りに自分の命を拾っている裏切り者だ。逆に言えば、薩摩には恩がある。しかも奴自身も薩摩兵として、昨年の佐賀の乱(下級武士の反乱)では鎮圧に加わっていたという記録も見つかった。そういう男に、新政府軍を恨む動機が見えぬのだ。もしかすると、誰かに頼まれてやっただけかも知れぬ」
「なるほど。つまり、ただの剣客かもしれんということか」

 いわゆる暗殺者である。

「そうなると、政府内のきな臭い事情が絡んでくる可能性も捨てきれん」

 とんとんと畳を打つ音が止まった。
 
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