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二
茶の間の会話
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佐藤家族はお勝手奥の茶の間で、揃ってご飯を食べる。
ハツは夕食を抜かれることは免れたみたいで、台所係の女衆らと、お勝手の隅の板間で食べていた。
「あんた、御客人の風呂を覗いたんだってね」
先に食べ終わった女衆に耳打ちされた。明らか、小馬鹿にされている。
「だって! 急に……声が聞こえなくなって溺れたのかと……」
子どものような泣き声の後、静まり返ったものだから、てっきり傷心で入水したのかと誤解した――とは、少年の名誉のためにも言えない。
「ハハハ、おかしな子だね、あんたってば」
「ちぇっ」
襖の向こうからは、時折、彦右衛門の声が聞こえる。
「おお、流石はトシ君だ!」
「流石、新選組は強さが違うな!」
ハツは心の中でつぶやく。
――流石流石って……でも、結局は負けたのにさ。
日本を二分するかのような内乱の末、政を司るのが、徳川から新政府に代わり元号が『明治』へと改められたが、結局、統治する藩が変わっただけで、自分たちの生活が急激に変わる様子は無い。むしろ、多摩の人々の暮らしは、江戸幕府の頃よりも悪くなっているように思えた。
それでも新政府が近代化を進めたおかげで、西洋の文明はどんどん生活の中に浸透しつつある。台所にある洋灯(ランプ)は、行灯や燭台なんかと比べ物にならないくらい明るくて、安全だった。
――それだけだ。良かったことなんて……
「ハツ、早く食べておしまい」
女衆の年長、シカが催促した。
「はーい」
この時、住み込みの使用人は六人。彼らの食事が終わると、その後片付けはハツの仕事だ。
かちゃかちゃと音を鳴らして洗うと、ノブに叱られる。ハツは一つずつ丁寧に流した。
「ハツ、悪いけどお酒、もう一本持って来ておくれ」
ノブがつまみにする沢庵を用意する為に、台所に下りてきた。
「はい」
――あ~あ、また洗い物が増えるな。
布巾で大徳利の肩を丁寧に拭いた。それを、ノブが満足そうに眺める。
母親を早くに亡くしているせいか、ハツには女としての躾が、今一つ身についていない。そんな彼女の仕草の一つ一つが、ノブには気になって仕方がないのだろう。
ノブに見られていることを意識しながら、ハツは、徳利を大事に抱え、茶の間の前に座る。
「失礼します」
両手で障子を開け、彦右衛門の側に酒を置いた。正面にはあの少年が座っていた。少年の顔を見た途端、変な声が出た。
「ふわぁ!」
「何て声出しやがる。客人の前だべ、馬鹿やろう」
彦五郎に額をはたかれた。
「ご、ごめんなさい」
――だあって、こんな、綺麗な男だったなんてさ……驚くさぁ
風呂上りはさすがに、凝視できなかったから。と、思わず二度見する。
汗と埃でまみれた少年は今、清潔な着物を身に着け、髪を美しく結い、きりりとした姿で座っていた。
まだ幼さの残る美少年だ。けれど、歳三と共に蝦夷まで転戦しただけあって、日に焼けた精悍な顔つきをしている。
「馬鹿! じろじろ見るなぃ。はしたねえ」
再び叱られる。
「しかしなあ、誰かに似ていると思ったら……、父上、ほら、鉄之助君、沖田さんに似てやしませんか」
「ふーん。似ているのかなあ。顔は全然違うがなあ」
彦右衛門が鉄之助の顔を覗き込んだ。
「さ、佐藤様、お顔が近いです」
鉄之助が困っている。
「でも、ほら、顎のあたりと体つき。線の細い感じとか雰囲気が」
彼らの会話を背に、ハツは部屋を後にした。
台所では、ノブが沢庵を洗い刻んでいた。その肩が震えている。茶の間の会話に、また誰かを思い出したのだろう。
――きっと、沖田って人も、戦争で死んだ人なんだろうなあ。
「ハツ、あとはあたしがするから、もう寝なさい」
ノブが振り返らずに言った。
ハツは夕食を抜かれることは免れたみたいで、台所係の女衆らと、お勝手の隅の板間で食べていた。
「あんた、御客人の風呂を覗いたんだってね」
先に食べ終わった女衆に耳打ちされた。明らか、小馬鹿にされている。
「だって! 急に……声が聞こえなくなって溺れたのかと……」
子どものような泣き声の後、静まり返ったものだから、てっきり傷心で入水したのかと誤解した――とは、少年の名誉のためにも言えない。
「ハハハ、おかしな子だね、あんたってば」
「ちぇっ」
襖の向こうからは、時折、彦右衛門の声が聞こえる。
「おお、流石はトシ君だ!」
「流石、新選組は強さが違うな!」
ハツは心の中でつぶやく。
――流石流石って……でも、結局は負けたのにさ。
日本を二分するかのような内乱の末、政を司るのが、徳川から新政府に代わり元号が『明治』へと改められたが、結局、統治する藩が変わっただけで、自分たちの生活が急激に変わる様子は無い。むしろ、多摩の人々の暮らしは、江戸幕府の頃よりも悪くなっているように思えた。
それでも新政府が近代化を進めたおかげで、西洋の文明はどんどん生活の中に浸透しつつある。台所にある洋灯(ランプ)は、行灯や燭台なんかと比べ物にならないくらい明るくて、安全だった。
――それだけだ。良かったことなんて……
「ハツ、早く食べておしまい」
女衆の年長、シカが催促した。
「はーい」
この時、住み込みの使用人は六人。彼らの食事が終わると、その後片付けはハツの仕事だ。
かちゃかちゃと音を鳴らして洗うと、ノブに叱られる。ハツは一つずつ丁寧に流した。
「ハツ、悪いけどお酒、もう一本持って来ておくれ」
ノブがつまみにする沢庵を用意する為に、台所に下りてきた。
「はい」
――あ~あ、また洗い物が増えるな。
布巾で大徳利の肩を丁寧に拭いた。それを、ノブが満足そうに眺める。
母親を早くに亡くしているせいか、ハツには女としての躾が、今一つ身についていない。そんな彼女の仕草の一つ一つが、ノブには気になって仕方がないのだろう。
ノブに見られていることを意識しながら、ハツは、徳利を大事に抱え、茶の間の前に座る。
「失礼します」
両手で障子を開け、彦右衛門の側に酒を置いた。正面にはあの少年が座っていた。少年の顔を見た途端、変な声が出た。
「ふわぁ!」
「何て声出しやがる。客人の前だべ、馬鹿やろう」
彦五郎に額をはたかれた。
「ご、ごめんなさい」
――だあって、こんな、綺麗な男だったなんてさ……驚くさぁ
風呂上りはさすがに、凝視できなかったから。と、思わず二度見する。
汗と埃でまみれた少年は今、清潔な着物を身に着け、髪を美しく結い、きりりとした姿で座っていた。
まだ幼さの残る美少年だ。けれど、歳三と共に蝦夷まで転戦しただけあって、日に焼けた精悍な顔つきをしている。
「馬鹿! じろじろ見るなぃ。はしたねえ」
再び叱られる。
「しかしなあ、誰かに似ていると思ったら……、父上、ほら、鉄之助君、沖田さんに似てやしませんか」
「ふーん。似ているのかなあ。顔は全然違うがなあ」
彦右衛門が鉄之助の顔を覗き込んだ。
「さ、佐藤様、お顔が近いです」
鉄之助が困っている。
「でも、ほら、顎のあたりと体つき。線の細い感じとか雰囲気が」
彼らの会話を背に、ハツは部屋を後にした。
台所では、ノブが沢庵を洗い刻んでいた。その肩が震えている。茶の間の会話に、また誰かを思い出したのだろう。
――きっと、沖田って人も、戦争で死んだ人なんだろうなあ。
「ハツ、あとはあたしがするから、もう寝なさい」
ノブが振り返らずに言った。
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