幻日~遠い日の夢

森野あとり

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茶の間の会話

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 佐藤家族はお勝手奥の茶の間で、揃ってご飯を食べる。

 ハツは夕食を抜かれることは免れたみたいで、台所係の女衆らと、お勝手の隅の板間で食べていた。

「あんた、御客人の風呂を覗いたんだってね」

 先に食べ終わった女衆に耳打ちされた。明らか、小馬鹿にされている。

「だって! 急に……声が聞こえなくなって溺れたのかと……」

 子どものような泣き声の後、静まり返ったものだから、てっきり傷心で入水したのかと誤解した――とは、少年の名誉のためにも言えない。

「ハハハ、おかしな子だね、あんたってば」
「ちぇっ」

 襖の向こうからは、時折、彦右衛門の声が聞こえる。

「おお、流石はトシ君だ!」

「流石、新選組は強さが違うな!」

 ハツは心の中でつぶやく。

 ――流石流石って……でも、結局は負けたのにさ。

 日本を二分するかのような内乱の末、まつりごとを司るのが、徳川から新政府に代わり元号が『明治』へと改められたが、結局、統治する藩が変わっただけで、自分たちの生活が急激に変わる様子は無い。むしろ、多摩の人々の暮らしは、江戸幕府の頃よりも悪くなっているように思えた。
 それでも新政府が近代化を進めたおかげで、西洋の文明はどんどん生活の中に浸透しつつある。台所にある洋灯(ランプ)は、行灯や燭台なんかと比べ物にならないくらい明るくて、安全だった。

 ――それだけだ。良かったことなんて……

「ハツ、早く食べておしまい」

 女衆の年長、シカが催促した。

「はーい」

 この時、住み込みの使用人は六人。彼らの食事が終わると、その後片付けはハツの仕事だ。
 かちゃかちゃと音を鳴らして洗うと、ノブに叱られる。ハツは一つずつ丁寧に流した。

「ハツ、悪いけどお酒、もう一本持って来ておくれ」

 ノブがつまみにする沢庵を用意する為に、台所に下りてきた。

「はい」

 ――あ~あ、また洗い物が増えるな。

 布巾で大徳利の肩を丁寧に拭いた。それを、ノブが満足そうに眺める。
 母親を早くに亡くしているせいか、ハツには女としての躾が、今一つ身についていない。そんな彼女の仕草の一つ一つが、ノブには気になって仕方がないのだろう。
 ノブに見られていることを意識しながら、ハツは、徳利を大事に抱え、茶の間の前に座る。

「失礼します」

 両手で障子を開け、彦右衛門の側に酒を置いた。正面にはあの少年が座っていた。少年の顔を見た途端、変な声が出た。

「ふわぁ!」
「何て声出しやがる。客人の前だべ、馬鹿やろう」

 彦五郎に額をはたかれた。

「ご、ごめんなさい」

 ――だあって、こんな、綺麗なおのこだったなんてさ……驚くさぁ

 風呂上りはさすがに、凝視できなかったから。と、思わず二度見する。
 汗と埃でまみれた少年は今、清潔な着物を身に着け、髪を美しく結い、きりりとした姿で座っていた。
 まだ幼さの残る美少年だ。けれど、歳三と共に蝦夷まで転戦しただけあって、日に焼けた精悍な顔つきをしている。

「馬鹿! じろじろ見るなぃ。はしたねえ」

  再び叱られる。

「しかしなあ、誰かに似ていると思ったら……、父上、ほら、鉄之助君、沖田さんに似てやしませんか」
「ふーん。似ているのかなあ。顔は全然違うがなあ」

 彦右衛門が鉄之助の顔を覗き込んだ。

「さ、佐藤様、お顔が近いです」

 鉄之助が困っている。

「でも、ほら、顎のあたりと体つき。線の細い感じとか雰囲気が」

  彼らの会話を背に、ハツは部屋を後にした。
  台所では、ノブが沢庵を洗い刻んでいた。その肩が震えている。茶の間の会話に、また誰かを思い出したのだろう。

 ――きっと、沖田って人も、戦争で死んだ人なんだろうなあ。

「ハツ、あとはあたしがするから、もう寝なさい」

 ノブが振り返らずに言った。
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