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八
自業自得
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救急隊員が来てストレッチャーに乗せられる時、再び肋骨あたりが軋んだ。
「痛むところはどこですか」
救急隊員の言葉にもただ首を振るだけ。悔しくて仕方がなかった。
「黙っていたらわからないだろう」
まるで駄々っ子のような尚の態度に、工藤は苛立ちを隠さない。
「どこも痛くないです! つうっ!」
「ほお、痛くないなら立って歩いてみろ」
「ちょっ、刑事さん」
「俺は刑事じゃない」
苛立つ工藤は素のままで隊員に言い返したが、すぐに我に返って頭を下げた。
「すまん」
「わかりますが、相手は子供です。もう少し落ち着いてください」
そういう大人の会話がムカついた。僕らはどこまでもガキ扱いで、僕らの言葉なんかまともに取り合ってくれないんだ――と。
検査の後、尚は二階の個室に寝かされた。傍らには工藤が立っている。
「拗ねるな。自業自得だろ」
工藤を無視して窓の方に顔を向けた。
診断の結果、肋骨の一本が折れていた。最初の一撃。あのデッキブラシが尚の骨を砕いたのだろう。腹や背中に数か所、打撲の痕。背中の打撲痕は赤紫色に変色し、腫れていた。
「いったい、何をされたんだね。内臓に損傷の無いのがせめてもの救いだよ」
尚を診断した医師が呆れ顔で言っていた。
上半身だけを見た医師は、最初尚のことを女だと勘違いしたようで、とても気の毒そうな目で尚を見た。多分、レイプか何かだと思ったのだろう。
「君はね、身体的能力は女性のそれと変わらないのだから、男と喧嘩などしちゃいかんよ」
尚から持病の説明を聞いた医師の、ご親切なアドバイスがこれだった。まるで自らの弱さを肯定されたみたいで、悔しさはさらに上塗りされた。
そんなこんなが重なり、気分も体調も全て最悪だった。最悪な事態は重なるものだ。
「ナオ!!」
ここを病院とは心得ていないかと思う勢いでドアが開けられ、血相を変えた尚の母親が息を切らして現れた。
「母さんっ」
母には工藤の存在が目に入らないのか、尚のベッドにつかつかと近寄るなり、目を丸くしている尚の頬を平手で打った。
「痛い!」
「いったい、あなたは何をしているの!」
「お母さん、まあ、落ち着いて」
「こんな状況で落ち着けるわけないでしょ? あなた誰よ。うちの息子はいったい何に巻き込まれたんですか?」
どれほど慌てて家を飛び出したのだろう。家を出る時に化粧をしないなんてあり得ない母が、スッピンだった。
「私は生活安全課の工藤と申します」
「なんなの、いったい」
冷静になれない彼女は、何度も同じようなセリフを繰り返した。
「ご子息が、ちょっとした事件に巻き込まれましてね。少年同士の喧嘩なのですが、怪我をさせた相手は今、署で取り調べを受けています。彼の名前と住所は署の方で」
「喧嘩?ナオが?」
つい最近まで半引きこもり生活をしていた息子である。
納得いかない様子の彼女を工藤がなだめる。
「いえ、彼は手を出していません。その、詳しくは署の方で。ですが、先ずは怪我の説明を」
興奮した母は険しい表情のまま、工藤に付き添われて部屋を出て行った。
もう考えるのが嫌になりそうな状況だ。とりあえず、お友達倶楽部の誰かと連絡を取りたい。そして龍也が警察に連れて行かれたことを伝えたかった。
ゆっくりと体を起こす。湿布とコルセットのおかげで、最初程の痛みは感じない。
――これなら歩けそう。
向きを変え、靴を履いた。立ち上がり、サイドボックスに置かれていた青いポシェットを肩にかける。父が入学祝にくれたマンハッタンポーテージ。さすがに丈夫だ。あんなに足蹴にされたのに、無傷だった。
ポシェットをかけるために腕を上げた瞬間、骨が軋んだ。
「いたっ」
下から三本目の肋骨骨折。骨のズレはほとんどないから、数週間で痛みは治まるだろう言われた。しばらくは圧迫痛を感じるだろうが、無理をしなければ日常生活に支障はない。
――だったら、母さんなんて呼ばないでよ!
子供特有の甘えた思考全開で、工藤を恨んだ。まったくもって親の保護下にいることをすっかり忘れている。忘れたついでに、さらに母親を心配させる行動に出た。
腰にぶら下がったバッグの埃を、パンッと叩いて払った。そして尚は、そのままこっそり病室を抜け出した。
無料のコミュニティバスが、三十分毎に病院と駅の間を往復していた。目の前にあるバスに乗り込まねば、また三十分待たねばならない。そう考えると居ても立っても居られず、思わず速足になる。座席に座った途端、傷が泣きたくなるほどに痛んだ。
「お嬢ちゃん、顔色が悪いけど大丈夫かい?」
あまりの痛さに、俯いてじっと耐えていると、よぼよぼのおばあさんに心配されてしまった。
「はい」それだけ答えるのが精いっぱいだ。
バスが揺れるたびに骨が軋む。まるで折れた肋骨だけではなく、あちこちの筋肉や骨が悲鳴を上げているようだ。そしてどこかに痛みを感じるたびに、相良に受けた屈辱的な暴力が脳裏に蘇り、痛みは心まで侵食していく。
相良にとって、尚はくだらない偽善者で憎むべき敵だったのだ。
――……いや、憎しみすら抱いていない。ただ蔑まれていただけ。僕はちっぽけな虫けら。足蹴にされ歯向かうこともできない無意味な存在。何をしにあんなところに行ったんだろ。みんなに迷惑をかけて。何が知りたかったんだろ。一人ではなーんにもできないくせに。ただの好奇心だったんだ……こんな僕に、善意なんて欠片も無いよ。
ぎゅっと目をきつく閉じる。
脳内が真っ黒な思考で閉ざされる直前に、バスは駅前のロータリーで停車した。
ほんの半日ぶりの新栄橋駅前。ようやく帰って来られたと安堵して、軋む体を半ば引きずるように、ニュー佐野ビル三階へと歩いて行った。
エレベーターに乗った途端、腰が立たなくなって座り込んだ。
尚を乗せた箱はそのまま目的の三階まで行くことなく、一階でドアを開けたり閉めたりを繰り返していた。
「痛むところはどこですか」
救急隊員の言葉にもただ首を振るだけ。悔しくて仕方がなかった。
「黙っていたらわからないだろう」
まるで駄々っ子のような尚の態度に、工藤は苛立ちを隠さない。
「どこも痛くないです! つうっ!」
「ほお、痛くないなら立って歩いてみろ」
「ちょっ、刑事さん」
「俺は刑事じゃない」
苛立つ工藤は素のままで隊員に言い返したが、すぐに我に返って頭を下げた。
「すまん」
「わかりますが、相手は子供です。もう少し落ち着いてください」
そういう大人の会話がムカついた。僕らはどこまでもガキ扱いで、僕らの言葉なんかまともに取り合ってくれないんだ――と。
検査の後、尚は二階の個室に寝かされた。傍らには工藤が立っている。
「拗ねるな。自業自得だろ」
工藤を無視して窓の方に顔を向けた。
診断の結果、肋骨の一本が折れていた。最初の一撃。あのデッキブラシが尚の骨を砕いたのだろう。腹や背中に数か所、打撲の痕。背中の打撲痕は赤紫色に変色し、腫れていた。
「いったい、何をされたんだね。内臓に損傷の無いのがせめてもの救いだよ」
尚を診断した医師が呆れ顔で言っていた。
上半身だけを見た医師は、最初尚のことを女だと勘違いしたようで、とても気の毒そうな目で尚を見た。多分、レイプか何かだと思ったのだろう。
「君はね、身体的能力は女性のそれと変わらないのだから、男と喧嘩などしちゃいかんよ」
尚から持病の説明を聞いた医師の、ご親切なアドバイスがこれだった。まるで自らの弱さを肯定されたみたいで、悔しさはさらに上塗りされた。
そんなこんなが重なり、気分も体調も全て最悪だった。最悪な事態は重なるものだ。
「ナオ!!」
ここを病院とは心得ていないかと思う勢いでドアが開けられ、血相を変えた尚の母親が息を切らして現れた。
「母さんっ」
母には工藤の存在が目に入らないのか、尚のベッドにつかつかと近寄るなり、目を丸くしている尚の頬を平手で打った。
「痛い!」
「いったい、あなたは何をしているの!」
「お母さん、まあ、落ち着いて」
「こんな状況で落ち着けるわけないでしょ? あなた誰よ。うちの息子はいったい何に巻き込まれたんですか?」
どれほど慌てて家を飛び出したのだろう。家を出る時に化粧をしないなんてあり得ない母が、スッピンだった。
「私は生活安全課の工藤と申します」
「なんなの、いったい」
冷静になれない彼女は、何度も同じようなセリフを繰り返した。
「ご子息が、ちょっとした事件に巻き込まれましてね。少年同士の喧嘩なのですが、怪我をさせた相手は今、署で取り調べを受けています。彼の名前と住所は署の方で」
「喧嘩?ナオが?」
つい最近まで半引きこもり生活をしていた息子である。
納得いかない様子の彼女を工藤がなだめる。
「いえ、彼は手を出していません。その、詳しくは署の方で。ですが、先ずは怪我の説明を」
興奮した母は険しい表情のまま、工藤に付き添われて部屋を出て行った。
もう考えるのが嫌になりそうな状況だ。とりあえず、お友達倶楽部の誰かと連絡を取りたい。そして龍也が警察に連れて行かれたことを伝えたかった。
ゆっくりと体を起こす。湿布とコルセットのおかげで、最初程の痛みは感じない。
――これなら歩けそう。
向きを変え、靴を履いた。立ち上がり、サイドボックスに置かれていた青いポシェットを肩にかける。父が入学祝にくれたマンハッタンポーテージ。さすがに丈夫だ。あんなに足蹴にされたのに、無傷だった。
ポシェットをかけるために腕を上げた瞬間、骨が軋んだ。
「いたっ」
下から三本目の肋骨骨折。骨のズレはほとんどないから、数週間で痛みは治まるだろう言われた。しばらくは圧迫痛を感じるだろうが、無理をしなければ日常生活に支障はない。
――だったら、母さんなんて呼ばないでよ!
子供特有の甘えた思考全開で、工藤を恨んだ。まったくもって親の保護下にいることをすっかり忘れている。忘れたついでに、さらに母親を心配させる行動に出た。
腰にぶら下がったバッグの埃を、パンッと叩いて払った。そして尚は、そのままこっそり病室を抜け出した。
無料のコミュニティバスが、三十分毎に病院と駅の間を往復していた。目の前にあるバスに乗り込まねば、また三十分待たねばならない。そう考えると居ても立っても居られず、思わず速足になる。座席に座った途端、傷が泣きたくなるほどに痛んだ。
「お嬢ちゃん、顔色が悪いけど大丈夫かい?」
あまりの痛さに、俯いてじっと耐えていると、よぼよぼのおばあさんに心配されてしまった。
「はい」それだけ答えるのが精いっぱいだ。
バスが揺れるたびに骨が軋む。まるで折れた肋骨だけではなく、あちこちの筋肉や骨が悲鳴を上げているようだ。そしてどこかに痛みを感じるたびに、相良に受けた屈辱的な暴力が脳裏に蘇り、痛みは心まで侵食していく。
相良にとって、尚はくだらない偽善者で憎むべき敵だったのだ。
――……いや、憎しみすら抱いていない。ただ蔑まれていただけ。僕はちっぽけな虫けら。足蹴にされ歯向かうこともできない無意味な存在。何をしにあんなところに行ったんだろ。みんなに迷惑をかけて。何が知りたかったんだろ。一人ではなーんにもできないくせに。ただの好奇心だったんだ……こんな僕に、善意なんて欠片も無いよ。
ぎゅっと目をきつく閉じる。
脳内が真っ黒な思考で閉ざされる直前に、バスは駅前のロータリーで停車した。
ほんの半日ぶりの新栄橋駅前。ようやく帰って来られたと安堵して、軋む体を半ば引きずるように、ニュー佐野ビル三階へと歩いて行った。
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初回公開日時 2019.01.25 22:29
初回完結日時 2019.08.16 21:21
再連載 2024.6.26~2024.7.31 完結
❦イラストは有償画像になります。
2024.7 加筆修正(eb)したものを再掲載
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